廃駅に行こう
いい写真が撮りたい。
味のある駅舎をフレームにして、その奥で水平線の彼方に沈む夕日や、青空に漂う白い雲、山間の新緑を撮りたい。
それだけじゃない。ネットや雑誌で特集されるような話題の場所ではない、自分だけの絶景スポットを見つけたい。あわよくば、沢山いいね!をもらいたい。
地図アプリで上空から線路を辿ったりして散策していると、いま自分の住んでいる町からはるか北西部、山間の線路沿いに縦長の建造物を見つけた。そこをタップしても詳細はおろか名前も出ない。
思い立ったが吉日、おれはカメラ片手に、休日の下り電車に飛び乗った。
乗り換えに次ぐ乗り換え、ビル群から住宅地、工場地帯を抜けると、だだっ広い田んぼに青々とした緑でいっぱいの山並みが車窓いっぱいに目に飛び込んできて、俺の胸は踊った。
降車して、手の中のマップで適当にあたりをつけて歩き出す。
点在する家々を見れば木造の平家が目立つ。このあたりは平成はおろか昭和の中ごろで時間が止まっているのではないかと錯覚するくらい、時間がゆっくり流れているように感じる。幼少期によく行った祖母の家を思い出して、おれは郷愁の念にかられた。
舗装された畦道を奥に進むと、山道に差しかかった。
山道を歩き、分かれ道に突き当たった。頂上へと通じているであろうコンクリートの道と、もう一方の道は、入り口を黄色いプラスチックのチェーンでほんのりと封鎖されている。その奥にみえる砂利道は、軽トラでつけたらしい、細い轍のあとがうっすら残っている程度で、生い茂る緑に覆われている。
手元の地図はその先を示している。秘境に相応しい入り口である。おれは頼りないチェーンをくぐって奥に進んだ。こんな田舎である、どうせ来るのは管理人の爺さんくらいだろうし、そうそう来るものでもあるまい。
けもの道のようなところを、木々を避けつつ進んで行くと、急に視界が開けた。施錠された小屋があった。細い轍はそこで途切れている。つまり、そこから先は前人未踏というわけだ。
道なき道を進み、地面に色褪せた線路を見つけて、おれの胸は高鳴った。
あとはこれを辿っていけば、秘境駅にたどり着くというわけである。
スマホをポケットにしまって、探検ごっこをする子どものように、おれは両手を大きく振りながら大股で歩いた。歌も唄った。普段なら絶対しないようなことも、ここなら誰も見ていないし、聞こえない。
曲がりくねった線路の先、深緑の中に灰色の建造物を見つけて、おおっと叫んだ。
なるほど、まさしく駅舎、未踏の秘境駅である!
衛星写真から想像していたよりずっと大きく立派だ。焦げ茶色の板張りの壁面に、みずみずしい緑のツタが貼り付いて味わい深い。時代劇や映画でのなけなしの知識から推測するに、明治か大正か、そこいらの時代のものではなかろうか。であるならば、ひょっとするとこれは大発見なのではないか。
おれは冷静さを取り戻す意味も込めてシャッターを切った。駅舎は山と山の間に存在し、日の光を遮るほど高い樹木もない。このレトロモダンな建築物と緑のコントラストは筆舌に尽くしがたい。
駅舎を撮り、線路を撮り、緑深い山の斜面も撮った。そして駅の内部も撮影しようと、意を決してプラットホーム端にある小さな階段をのぼった。
足場の白いコンクリートは変色し、亀裂から植物が伸びている。小動物のフンらしい小粒の団子の山もあった。
ホーム奥の壁には、四十年ほど前のアイドルの写った炭酸水のポスター、大正ロマン溢れるカラフルなアイスクリームの広告などがまだ貼り付いている。
こういったものもアンティーク品として結構な値段になるかも、などと値踏みしつつ、おれは駅舎の奥へと進もうとした。
「あっ」
内部は半壊していた。地震か台風か、土砂崩れの拍子に上からドッと押し寄せたのだろう、おれの身長を超えて天井の際まで土の塊が壁になって進めない。健在なら、待合室や売店があったのだろう、足もとには、花の入った牛乳ビンが立っていた。
───これは秘境駅というより、廃駅か。
どこかから回り込めないかと思案したが、どうやら無事なのは線路側だけのようで、斜面に面した方は壊滅状態にあるらしい。
すこし落胆して、次におれは駅名のついた看板を探した。これだけ見事な駅舎、現代の地図では知り得なかった名前を知ってから帰りたい。そして自慢したい。
再びホームに立って看板を探した。しかし、壁にも柱にも天井にも、駅舎の屋根のほうを見上げてみても、駅名はおろか看板の設置されていた名残すら見当たらない。手掛かりはないかと壁に貼られた時刻表や運行表らしき紙を見るが、風雨に晒されボロボロだ。こういったところの名前というのは、一番目立つところにデカデカと設置しておくものではないのか。
腹が立ってきた。いや、実のところ、おれは怖くなってきたのである。興奮の鎮まったおれは、ひっそりと静まり返った廃駅に一人ぼっちの自分に気付いたのだ。
線路は奥にも続いている、遠くにトンネルらしい影も見える。
───ポスターでも剥いで帰ろうか。
さすがに歩き疲れて、おれの脳裏にそんな言葉が浮かんだとき、視界の端に、誰かが立ち並んでいることに気付いて、ハッとした。
男が立っていた。ナナフシかと思うほどに手足も胴もヒョロ長い男だ。
今までおれは、おれ以外の人が居たことに気付かなかったのか。いや、そんな筈はない。さんざん散策して、一度も会わないなんてことあり得ない。
山奥だというのに男は手ぶらで、着崩した墨色の和装の前をはだけさせて笠を被っている。浪人笠とかいう、浅い円錐形をした顔の隠れるものだ。
その存在を認めるにつれて、背筋を冷たいものが落ちていく。
ヒョロ長いと形容したが、この男、細長過ぎる。
背後の駅舎の軒先が男の肩と並んでいる。遠近感が狂ったのかと思ったが、間違いない、この男、ゆうに三メートルはある。手足もはだけた胸も土気色で気味が悪い。
浪人笠がこっちを向いた。おれは慌てて視線をそらした。
牛蒡のような足が一歩、こちらにすすみ出た。
来るな。来るな…と願っても、時すでに遅し。のっし、のっし、と振動が足裏から伝わってくる。幽霊じゃない、ひょっとして妖怪というやつか?
それは、おれの真横でピタリと止まった。身を屈めて、おれの顔の真横に笠がやってきた。
「コッコッ、コッ」
笠の前方、細かな切れ目の奥が妖しい光沢を放っている。目だ。それも無数にある。おびただしい数の視線に、おれの左半身は焼かれたように熱をもった。
「コッココ、コロコ、コロ、コッ……」
笠の中から、なにかを弾くような音がする。
おれは目を伏せて、そいつの足先だけを見ていた。
真っ黒な爪をした土色の五本指。その間を、赤ん坊か子どものくらいの小さな指がみっちりと隙間を埋めている。しかもそれらがクネクネと踊り、シャワシャワと肌の擦れる音を立てている。
おぞましさに全身が総毛立つ。
「コロコロッ、コロコロコロ……」
おれは、その音を思い出した。
でんでん太鼓……子どもをあやす、でんでん太鼓の音だ。
おれはホームから飛び降りて、線路を走っていた。
枕木に足を取られても、わき目もふらずに走った。走っても走っても、突き刺さる視線はおれの背中を灼いた。プラスチックのチェーンとガードレールが目に入ったとき、おれは泣いていた。
スマホを落としたのに気付いたのは帰宅してからだった。
手足も顔も擦り傷だらけ、右足を捻挫したのに気付かず無理に走ったから青アザが酷かった。まともに歩けるようになるまで、ひと月ほどかかった。
転んだ拍子にレンズも割ってしまったようで、カメラの趣味もそれきりだ。
この話を誰かにしてやろうと思うのだが、思い出すたびに太鼓の音が聞こえてくる気がして、最近ではテレビのCMなんかに映る、足の指をグーパー動かしている赤ちゃんも正直辛くなってきた。