八・プレンティ屈腱炎
私は、肝心なところでその馬の勇姿を見逃してしまうことがある。そう、私とブルーが応援してきた『ザッツザプレンティ』。先に述べた菊花賞を制した。
『4角先頭』。
安藤勝己は有言実行。第4コーナーで先頭に立ち、迫り来る春のチャンピオン、ダービー馬『ネオユニヴァース』の追い上げを許さなかった。『ゼンノロブロイ』は不利もあり4着。ネオユニヴァースはゴール前で『リンカーン』に差され3着に終わった。クラッシック最後の戴冠をなんと、ザッツザプレンティが制覇したのだ。
さらにプレンティの快進撃は続く。初対決の古馬混合G1のジャパンカップでは、優勝した『タップダンスシチー』に次ぐ2着。この世代では唯一あの『シンボリクリスエス』にも先着した。G1では皐月賞大敗後、
G1ダービー3着。
G1菊花賞1着。
そして、
G1ジャパンカップ2着。
私とブルーはプレンティに酔った1年だった。ブルーの「重馬場巧者」の言葉がこの年をこれほどにまで巣晴らしいものにするとは。
彼に頭が上がらない気さえした。ただ1つ私の後悔は、菊花賞をリアルタイムで見ることができなかったこと。ブルーは確実に馬券をゲットしていた。
最終的にこの年はジャパンカップで3着に敗れたものの、天皇賞秋と有馬記念を連覇したシンボリクリスエスが2年連続の年度代表馬に選ばれた。
この歴史的名馬はこの有馬記念を最後に引退表明。
クリスエスの引退により翌2004年は戦国の古馬路線となることになる。当然、プレンティも新王者候補の一角となる。前年の2冠馬、
『ネオユニヴァース』。
G1皐月賞1着。
G1日本ダービー1着。
G1菊花賞3着。
G1ジャパンカップ4着。
神戸新聞杯圧勝でクリスエスの後継者と藤沢厩舎から期待を集める、
『ゼンノロブロイ』。
G1日本ダービー2着。
G2神戸新聞杯1着
G1菊花賞4着。
G1有馬記念3着。
そして、プレンティ同様、秋にかけてぐんぐんと成長を見せた、
『リンカーン』。
G1菊花賞2着。
G1有馬記念2着。
そして旧古馬勢の中では、ジャパンカップでクリスエスを破った
『タップダンスシチー』。
G1宝塚記念3着。
G2京都大賞典1着。
G1ジャパンカップ1着。
G1有馬記念8着。
これらの有力馬との間での戦国時代に突入することになっていた。
2004年。古馬中長距離路線の第一弾、5月開催の「天皇賞春」では伏兵『イングランディーレ』が、横山典の鮮やかな逃げ切り劇となった。
続く6月末に行われた宝塚記念では『タップダンスシチー』がジャパンカップ以来のG12勝目を上げ新王者に名乗りを上げた。
4歳になった『ザッツザプレンティ』は
G1天皇賞春16着。
G1宝塚記念5着。
と破れた。そして、ショッキングなことに、そのレースで屈腱炎となった。
屈腱炎は競走馬にとっては、最大の負傷といわれる。この怪我で競馬人生を終焉した馬は後を絶たない。プレンティも現役を絶望視された。翌年までターフを去ることになった。
そして。
プレンティとともに前年のクラッシックを沸かせた新4歳勢はその他にも2冠馬ネオユニヴァース、札幌記念を制したサクラプレジデント。この皐月賞1、2着馬も怪我のために引退となったのだ。
戦国競馬の中、1頭、1頭戦線離脱。そして、ポスト『シンボリクリスエス』として、王者を狙うのは、
『タップダンスシチー』。
『ゼンノロブロイ』。
『リンカーン』。
による3つ巴の感の気配を漂わせ、秋競馬のG13連戦を向えることとなっていた。