四・打倒シンボリクリスエス
関東に来て最初の日本ダービーでは記念すべき大勝利に私とブルーは沸いた。目の前で生で見るダービーの大迫力に感動と興奮を肌いっぱいに感じたのだ。最高の幸せであった。
さて、ダービーが終わると、気候も完全に夏になってきた。私のこの夏の最大のイベントはフィリピンのセブ島にスキューバダイビングの資格を取得しに行ったことであった。私は沖縄で体験ダイブを行った際の話しをブルーにしていた。そんな中、彼の先輩と彼がダイビングのライセンスを取得しにフィリピンに行くことになったので、私にも誘いの話しが来たというわけだ。私は金曜と月曜に有休を頂き、部長に、
「今年の新人はすごいなあ。月報休んでダイビングかあ。すごいなあ。」
とみんなに聞こえるよう思い切り皮肉を言われながらも何食わぬ顔して、むしろ、心弾みながらフィリピンへと向かった。
最初、私は私とブルーとブルーの先輩の3人かと思っていた。するとどういうわけか、ブルーの先輩の友達の女の子がついて来ていた。彼女は英語がペラペラと言うこともあり、この話の中ではエバート(日本人)と呼ぶことにしておこう。
このフィリピンへのダイビング取得旅行。主役は何と言ってもエバートであった。
とにかく、普通の女の子ではなかった。超自分勝手。周りが見えないタイプ。悪い子ではないのだが、私もブルーも彼女に思い切り振りまわされた。私は温和なブルーの怒った顔をこれまで一度も見たことがなかった。
しかし、ダイビング後、エバートから電話があったブルーは確実に不愉快な顔をして怒っていた。先にも後にも彼が怒った顔をみたのはこの一度きりだ。そのぐらいの女の子である。私も夜中、
「ねえねえ、今度芋掘り行こうよ。」
の電話が来たときはさすがに切れた。
さて、この自分勝手女の子「エバート」を海の中に一度だけ沈めるチャンスを私は逸した。フィリピンでのダイビングでの教習の最終日の事だ。私達は自由遊泳の最終日、インストラクターと共に亀を見に行っていた。海の中で雄大に泳いでいる亀を目にして感動に酔いしれていたその瞬間、エバートは思い切り私に隙を見せた。ゴルゴ13はこう言う。
「私の背後に立つな。」
そう、敵に背を取られることはスナイパーにとって死に等しい。亀に見とれていたのは私だけではなかった。彼女もまた亀に夢中であったのだ。しかし、さすがはエバート。雄大に泳いでいる亀を見るだけでは物足りないのか触りに行くではないか。亀はそれに気づき海の奥へと逃げていく。
(おい、こら。何やってんだよ。ああ、せっかくいい瞬間だったのにぃ。エバートの奴めぇ。)
その瞬間エバートが私の真下に来た。チャンスだ。このまま背負っているエアの栓さえ閉めれば永遠に彼女は海の果て。彼女には悪いが今後の日本の平和を考えれば亀とともに海中に消えてほしかった。私の心は天使と悪魔が囁きあった。
残念ながら普段だらしない天使がここでは圧勝し、結局そのチャンスを私は逃がした。
そのせいか、その後も私達二人は自分勝手な彼女に振り回される夏を過ごすことになってしまったのは言うまでもない。
そんなこんなで社会人一年目として楽しい夏を過ごしている最中、私にはもう一つ競馬ファンとしてすごく大きな経験をする機会を得た。
出張で初めて北海道に行く機会を得たのだ。北海道はこれまでいいイメージで満たされていてあこがれていたものの、一度も足を運んだ事はなかった。2日間の仕事の後、私は上司、先輩と別れを告げて真っ先に静内を訪れた。そこで、かつての名馬達と顔を合わせた。
雨のため、アロースタッドだけしか見学できなかったが、『セイウンスカイ』や『タイキシャトル』と会うことができた。
静内の町は牧場の町であった。競馬とともに町が動いている。のんびりとした風景と、勝負に徹するその緊張感。素晴らしい町だと感じた。私もこういう所で競馬とともに生きていけたらどんなに幸せだろう。北海道の自然の優美さが私の心を捕えて放さなかった。この北海道出張は私にとっていい経験となった。
私は思う。
いろんな刺激が人間をいろんな意味で成長させているのだと。人間はいろんな経験を積むことで大きく成長する。そしてその成長が一回りも二回りもその人の人生を大きくしていくのかもしれない。
そして、それはきっと、馬の世界でも同様であろう。ダービーが終わったこの夏、この夏の成長がこの後の馬の競馬人生(馬生?)を大きく左右するのだ。春の実績馬がそのままにパワーアップしていくのか。それとも、春は無名の馬が春から夏にかけて馬体とともに秋に向けてどんどん力をつけていくのか?春とは違ったメンバーが集まる秋競馬はそのような楽しみをも持つのである。
春の競馬で堂々の主役を務めた、
『ネオユニヴァース』。
秋には『ナリタブライアン』以来の三冠に挑むこととなり話題を独占した。そんな中、この年の古馬路線には、歴代の名馬と肩を並べるほどの名馬が一時代を築いていた。その名は
『シンボリクリスエス』。
前年、この馬の輝かしい歴史が始まった。
G1日本ダービー2着。
G1天皇賞秋1着。
G1ジャパンカップ3着。
G1有馬記念1着。
ジャパンカップは外国馬2頭に破れ3着となったものの、有馬記念では『タップダンスシチー』を振り切り優勝。この年の年度代表馬となった。
鞍上は日本では毎年、輝かしい活躍をおさめる、
「オリビエ・ペリエ」
であった。
ネオユニヴァースが日本ダービーを獲ったこの年、シンボリクリスエスは、秋に向けて万全の臨戦態勢をひき、彼の厩舎である名門名高い藤沢厩舎はこの秋を最高の状態に持ってきていた。もはやこの馬に敵はいなかった。
秋の古馬G13連戦。天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念。シンボリクリスエスの一人舞台になるのでは?との見方が強かった。
そんな中、この打倒シンボリクリスエスに手を挙げた馬が2頭いた。1頭は第70回日本ダービーを制した、
『ネオユニヴァース』。
そして、もう一頭。藤沢厩舎への藤沢厩舎からの刺客、
『ゼンノロブロイ』。
ダービーでプレンティとゴール前まで叩き合ったあのダービー2着馬。ひと夏を越し、この馬は大きく成長を遂げたのだった。




