三・第70回日本ダービー
皐月賞を見た私は『ザッツザプレンティ』の強さにいささか疑問を持ち始めた。今後、この馬で勝負をしていっていいのだろうか。それもそのはず、次のレースこそが競馬にとって最高で最大の醍醐味である、
「日本ダービー」。
だからだ。
私は友人ブルーと参戦することを決めていた。生まれて初めて生で観戦する日本ダービー。このレースでどうしても勝ちたかった。そして、応援する馬には先頭でゴールを駆け抜けてほしかった。その馬は、もちろん、
『ザッツザプレンティ』。
しかし、弥生賞、皐月賞の惨敗に私は素直に力負けだと感じてしまっていた。
だからといってこの馬を見限ることはできなかった。それにはある一つの魅力を感じていたからだ。
それは、彼の上にまたがり、そして彼を操作するジョッキーであった。私はもちろん競馬ファンではあるが素人である。なので、素人の目線でしか物事を語れない。だが、確実に言えるのは馬の成長はいろんな人の力が結集してのものであろう。そして、その結集した力を最後の最後で開花させるのはやはりジョッキーの力であると思うのだ。
「安藤勝己」。
私が武豊と同様、崇拝するジョッキーの1人である。私が彼のことを好きなのは、彼は自在に馬を扱っているように見えるからだ。馬の中にあるわずかな可能性を見出し、ほんのすこしでも可能性があるのであれば、そこにかけてみる。馬の力を引き出すだけでなく、新たな一面まで引き出してくれる。そんなジョッキーだと感じていた。ザッツザプレンティには皐月賞から安藤勝己が騎乗していた。
ざっとこの年の皐月賞での有力馬を紹介しておこう。第70回日本ダービーの主役はもちろん、先の皐月賞で見事に優勝した、
『ネオユニヴァース』。
であった。そして同2着の、
『サクラプレジデント』。
もまた人気を集めた。
その他、前哨戦の青葉賞で快勝した藤沢厩舎、
『ゼンノロブロイ』。
そして皐月賞で6着と敗れたものの武豊騎乗の、
『サイレントディール』。
が10倍以内の人気を集めたていた。そして私の推薦馬ザッツザプレンティは単勝オッズ25.4倍の7番人気と支持率を大きく落としてしまっていた。私の疑問どおり皐月賞での力負けからダービーでの好走に疑問を持つ人が増えた結果であろう。
皐月賞での惨敗を見た私は、ザッツザプレンティを推すことを一瞬ためらった。好きになりかけてしまった馬だ。それも鞍上は名手安勝こと安藤勝己。それでも過去2戦の敗戦が気になっていた。東京競馬場に足を運ぶ私も頭の中では、プレンティは果たして勝てるのか?そのことだけが駆け巡っていた。私とブルーは同じ同期の友人である競馬素人を東京競馬場へ連れて行っていた。
ダービーの2日前。同期の飲み会の席で私は酒に酔いながら自分の競馬における武勇伝を語っていた。しかし、周りは半信半疑である。じゃあ、今度ダービーでその力を証明してやるよ。酒の力で強気になった私は数人の同期の前でこう言っていた。
連れて行った二人はどちらかと言うと私とブルーの負ける姿を見たがっていた。それがまた飲み会のおかずになる。私の会社の同期は40人程いたが、みんな仲良かった。そして、今回の日本ダービーでの私の裁量をみんなが計ろうとしていた。私に友好的な友人はお金を渡して同じ馬券を買ってくれといった。もちろん、競馬は娯楽の一つであるが、勝負事の好きな私は、たとえ遊びの延長とは言え、男の面子にかけて、彼らにどうしても勝つ姿を見せつけたかった。絶対に負けられないレースだった。
だからこそ、迷った。プレンティをどう見るか。しかし。競馬というのは、勝負にこだわるのであれば、好きな馬でも切らないといけない。私にはなかなかそれができなかった。好きな馬はずっと応援する。これが競馬ファンとしての私のポリシーだからだ。
今回はプレンティに自信がもてない。弥生賞、皐月賞。ともに勝ち馬に力負けしている。G1を勝てる馬ではない。これが私の内心の結論だった。プレンティをきるかどうか??最後の最後まで悩んだ。同期の顔を見ながら、プレンティを買えば負ける。でも、ここでプレンティを切るわけにはいかない。そんな迷いが頭を駆け巡った。そんな中友人ブルーは何気にこうもらした。
「このザッツザプレンティって馬。重馬場に強いんじゃない?」
私は友人の横顔を凝視した。何気ない一言だった。
昨年まで仙台にいたブルーは福島競馬場に足を運んで競馬を楽しんでいた。なので、彼がどんな馬を選ぶのか。私にはいささか興味があった。そんな彼の口からプレンティの名前が出た事に驚いた。彼もまたザッツザプレンティに関心を示していた。私はびっくりしながら、もう一度競馬新聞に目を通した。
重馬場?
馬はもちろんいろんな要素でそのときのレース内容が変わる。ジョッキーにもよる。馬体重にもよる。そして、馬場状態にも。
出走表の戦績を確認してみた。確かに圧勝したラジオたんば杯2歳Sは不良馬場であった。この日の天候は曇りであったが、馬場は重発表である。
私は目の前に広がる競馬場の芝を見渡してみた。不思議なことに、芝の香りから漂う心地よい感覚が体いっぱいに広がった。
正直、新聞上にはザッツザプレンティが勝つ大きな根拠を見出すことはできなかった。ただ、私にとって自信になったのは、ブルーが私と同様プレンティに注目しており、プレンティにとって好条件な馬場コンディションであることだけであった。
根拠はそれだけだった。好きな馬。ザッツザプレンティの勝つ可能性を少しでも見出したかった。
腹はくくった。今年のダービーは混戦だ。チャンスはある。ブルーの言葉を信じることにした。私の府中における最初のダービーは、ブルーの言葉によるプレンティに全てを託した。馬券は3連複。ネオユニヴァースとプレンティから有力所に流す。プレンティに人気がつかないため、人気どころへ流してもまずまずのオッズがついた。
かくして、私の第70回日本ダービーは幕を開けたのであった。
競馬は馬券を購入する前の思考と会話が楽しい。実は私とブルーは昨日の夜から寮の彼の部屋に行って酒を片手に翌日の競馬予想を行っていた。しかし、話は野球や仕事、会社の同期等で盛り上がり、予想そっちのけで話を楽しんでいた。競馬番組も深夜に入り一通り見終わったが予想が終了することはなかった。くだらない話で盛り上がり、結局明日が勝負だよ。と楽観的な二人は軸馬すら決められず、前日の打ち合わせを終わらせていた。
そう、このくだらない打ち合わせが楽しいのだ。二人とも言いたい放題だ。そして、予想している時のトークは快調である。どんな専門家にも負けないぐらいの鋭い展開予想と、重箱の隅をつつくような些細な情報でもまるで自分だけしか知らない情報であるかのように熱く語っていた。
しかし、馬券を購入した途端、今度は緊張感が心を襲う。馬券を購入した後はどんなうん蓄すら通用しない。支持した馬の好走を祈るだけである。
馬券をそれぞれの馬券戦術で購入した4人はスタンドへと足を運んだ。どんよりとした天候に日差しがほのかに差し込む。我々4人は大勢の観客に押されて隅まで追いやられた。
やはり日本ダービーはすごい。出走15分前にはほぼ満員に場内は膨れ上がり普通に立っていてはターフが見渡せない程だ。押されながら隅にたどりついたが、ここではレースはおろかスクリーンすら見えない。私たちは警備員に注意されたものの、その目を盗んで塀によじのぼった。鮮やかな東京のターフが目に映った。
綺麗な芝が微かにこぼれた光に反射してほのかに眩しい。その感動と緊張で体全体がこわばる。
(プレンティ頼む!)
スタンド前に各馬が勢ぞろいしてその時を待っていた。さあ、いよいよである。
ファンファーレが鳴った。
♪ターンタターン、タタタターン、タタタターン、タタタターン。
初めて生で聞く日本ダービーのファンファーレ。緊張と興奮が襲う。私は友人達の顔を見渡した。競馬初心者の彼らも会場の熱気からほのかに緊張感を得ていることを肌で感じた。
全馬がゲートインし、スタートした。ついに日本ダービーの開幕である。8枠18番、大外の枠をひいたプレンティも無難にスタートをこなし、中段よりやや後ろにつけた。
「一角10番以内。四角好位」。
俗にダービーポジションと言われる。最初の第一コーナーを10番以内で通過し、最終コーナーを好位(前方)につけるのがダービーに勝つ条件と言われていた。これはフルゲートの頭数が多かった昔は位置によって有利、不利ができるために言われた言葉だ。
しかし、ダービーを見る上ではこの言葉を意識してしまう。プレンティはちょうど10番程度で通過した。
(よし。)
内心ほっとはしたが、私自身プレンティは決めて勝負では分が悪いので、先行策を取ってもらいたかった。しかし、中団からの競馬となった。不安な気持ちでターフビジョンに目をやった。
レースは15番人気『エースインザレース』が積極策で逃げをうった。二番手を3番人気ゼンノロブロイが追走。その後ろにサクラプレジデント。ネオユニヴァースは後方につけ、それをマークするようにサイレントディール。中団につけたプレンティは第3コーナーにかけてするすると順位をあげていく。私はその勢いに大きな期待を感じた。
第3コーナー付近に行くと一瞬スクリーンの陰となり各馬が消える。じわりと順位を上げたプレンティがどうなったのか。緊張に震えながらスクリーンを覗き込んだ。先頭グループに向かってプレンティは確実に差を詰め、有力馬サクラプレジデントに迫っていた。そして第4コーナーに向かう。ついにサクラプレジデントに並んだ。スクリーン上、プレジデントの余力は失われつつあるのに対し、プレンティはまだ勢い十分だ。私の興奮も最高潮に達した。
そして、優勝候補の一角である前を行くゼンノロブロイと並んだのだ。逃げばてしたエースインザレースが遅れていく中、ザッツザプレンティはゼンノロブロイとともに抜け出した。
さあ、いよいよ直線だ。遠め越しに各馬が一団となってゴール近くに迫ってくる姿を私自身も肉眼で確認した。場内もドッと沸く。これがダービーだ。私は驚きを隠せなかった。遠くに映る集団の中、確かに2頭だけが大きく見えゴールめがけて突き進んでくる。その1頭は間違いなくプレンティであった。プレンティが先頭に並んでぐんぐんゴールに向って近づいてくるではないか。私は感動を肌で感じ、無心で叫んだ。
「プレンティー。行け〜!」
絶叫に近い声。
そうだ、あのプレンティが優勝争いをしているのだ。それも日本ダービーだ。勝ってくれ。お願いだ。勝ってくれ!
「プレンティ!!」
嗄れる声で叫び続けた。しかし、ロブロイは決してプレンティに抜かせそうとはしない。
二頭が並びながら大接戦を演じていた。プレンティか?ロブロイか?東京の長い直線、祈るような気持ちでその長い直線の攻防を目にして心の中では必死に祈っていた。
(プレンティ勝ってくれ〜。)
二頭の一騎打ちかと思われたその瞬間。外からすごい足で迫ってきた馬がいた。1番人気ネオユニヴァースだ。早めに仕掛けた2頭であったが、若干ゴール前のその脚色は鈍った。
長い直線。満を持して上がってきたのはそう皐月賞馬ネオユニヴァースであった。ゴール直前で二頭に並び、そして二頭をそのまま差しきってゴールを駆け抜けた。
大興奮のゴール前の攻防だった。
その鮮やかな逆転劇に場内からは大歓声が上がった。
鞍上のデムーロが会場に大きく手を振る。第70回日本ダービーを制したのは皐月賞馬ネオユニヴァース。見事に二つ目のタイトルを奪取した。
接戦を最後まで演じたプレンティとロブロイ。結局ロブロイはプレンティに差されることなく2着を死守。3着はザッツザプレンティ。プレンティ3着に敗れるも、私とブルーは見事に3連複をゲットした。
私はあまりの興奮にレース終了後は体の力が抜けるも友人達にその勝ちをわざとアピールするかのように、
「よし!!」
と力強く叫んだ。温厚なブルーも勝利に満ちた顔で喜んでいた。悔しがる同期の友人2人。私とブルーは彼らの前でその力をまざまざと見せつけることができた。
勝てなかったものの、3着に踏ん張った、『ザッツザプレンティ』。
この日、私とブルーは友人に寿司をおごりながら、その活躍に酔いしれた。こうして私の東京競馬場での初のダービーの日は幕を閉じたのであった。最高の日本ダービーであった。
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