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二十八・英雄を破った日

 スタートするや否や一頭の馬が先頭にたった。『タップダンスシチー』だ。タップは単騎で一頭だけ前に出て、楽々と逃げポジションを確保した。どの馬もタップに競りかけていかない展開。タップの後ろにはこれまた逃げ馬である牝馬『オースミハルカ』、『コスモバルク』が控えていた。


 するとなんということだろう。スクリーンが4番目に映した馬は、なんと『ハーツクライ』ではないか。


 私はルメールの言葉を信じていたとは言え、ここまで前に位置するとは予想していなかったので、緊張で足が震えた。しかし、ハーツがディープに勝つにはこれしかないんだ。ルメールの思い切った騎乗に私は全てを託した。


 その後、画面は英雄へと向けられた。英雄ディープインパクトは菊花賞での失敗を教訓に後方へと控えた。


 『ディープインパクト。今日はいつもの定位置からの競馬です。』

実況が聞こえると東京競馬場のファンも胸を撫で下ろしたかのような安堵の声が響きわたった。


 そんな中、不利を受けた馬がいた。『ゼンノロブロイ』だ。ロブロイはスタート直後、他馬と接触してしまい、後方に位置せざる得なくなってしまった。ディープより前にいるも中途半端な位置では、仕掛けどころが難しい。前にはタップ。後ろにはディープ。どちらをマークするのか。


 さて、先頭を行くタップであるが、鞍上の佐藤は他馬が競りかけてこないことがわかるとゆっくりと手綱をひき、馬のペースを若干ながら落とした。ジャパンカップでの大きな逃げではなく、最終直線に入ってからも余力を残す作戦だ。16頭がゆっくりと折り合いながら第2コーナーへと向かう。


 相変わらず悠々とマイペースで逃げるタップ。ややスローな展開に余力十分である。そんな中、もう一頭ゆっくりと折り合っていた馬がいた。『コスモバルク』だ。バルクはかかり癖があり、これまで何度も途中力を使い果たし最終直線で馬群に沈んできたが、この日は完璧な折り合いを見せていた。


 コスモバルクとオースミハルカを見るようにその後ろには黄色の帽子、社台の勝負服をまとったルメール騎乗のハーツがつけている。


 ハーツは初めての先行策にもしっかりと折り合いをつけていた。


 私はその姿を遠い目で眺めていた。問題は後ろの馬の仕掛けどころだ。画面上で先頭から最後尾までが映し出されると私は、目でロブロイとディープの位置を確認した。


 ロブロイがハーツの後ろにいることで、私はロブロイには勝てる自信がわいた。しかし、問題はディープである。あの恐るべき豪脚がどこで仕掛けるのか。気が気でない。ふと会場を見渡す。それまでハーツに集中していた私はその雰囲気を肌でしる。


 「ディープ行けよ〜。」


 「豊〜。頼むぞ〜。」


 そう、ここ東京競馬場もほとんどの人がディープファンである。私にとっては完全アウェイ。四面楚歌なのだ。私は祈りながら画面をもう一度向き、ハーツに心から声援を送った。


 『さあ、タップダンスシチーがそのまま先頭で第3コーナーにかかります。おっと、ディープインパクト上がっていったぞ。ディープインパクトここで仕掛けるのか。どんどんと順位を上げていく。ロブロイと並んだ。並んだ。2頭が並んだ。』


 ペースがどんどんと上がっていく。歳のせいか、タップは4コーナー付近では後続の馬群に吸収されてしまった。そんな中、オースミハルカとともに2番手で折り合っていたコスモバルクが絶好の手ごたえでタップを捕らえ、そのまま先頭に立った。


 さあ、最終直線だ。ディープは中山の大外をすごい勢いで迫ってくるも、先頭からはまだ差はひらいている。


 バルクが先頭に立ち他馬を振り切ろうとした瞬間その横でバルクに並びかけたのはハーツだった。ハーツはバルクに馬体を併せるとそのまま一歩抜け出した。内にはあの名手横山典弘がリンカーンをじっと我慢させハーツとともにスパート。3頭が並びながら直線を駆け抜ける。


 『ここで、先頭は。あ、なんとハーツクライだ。ハーツクライ。今日はこの位置にすでにいました。ハーツクライが飛び出す。』


 私はその実況の声とともに夢中で叫びだす。


 「ハーツ行け〜。行くんだ〜。そのまま、そのまま。行け〜」


 3頭の競り合いの中抜け出したのはハーツであった。ハーツはバルク、リンカーンを振り切って先頭にたった。


 『さあ、ついにきた。大外からディープだ。ディープインパクトだ。ついにやってきた。す

ごい脚だあ。』


 ついに来た。英雄がやって来たのだ。前を逃げるハーツを猛然と捕まえにディープが飛んできたのだ。


 「ハーツ逃げろ〜。捕まるな〜。」


 私は絶叫に近い声で叫んだ。周りは全てディープの声援である。そのディープの豪脚に会場は大声援。しかし、私はハーツを応援し続けた。ブルーは祈るような気持ちで新聞を握り締めていた。


 さあ、最終の坂だ。ついにこの時が来た。勝負の時だ。ハーツにとって大の苦手としている中山の坂。鞍上のルメールはムチを数回入れ、最後の坂に挑む。外からはディープがみるみると近づいてきている。


 坂を上りかけたその時、ついにハーツにディープの馬体が並んだ。ハーツは体半分だけディープより先行し、その坂を上り始めた。


 「頼むハーツ〜。」


 『ハーツか、ディープか。ハーツ逃げる。ハーツ逃げる。ディープどうか捕らえるか、差しきるか〜。ディープが迫る。ディープ。ディープ。ハーツかあ。』


 大接戦の最終の坂。時間にして数秒のその攻防は私には無限に長い時間に感じた。体半分だけリードしているハーツ。そのまま逃げてくれ。それだけの気持ちだった。


 坂を上り終える直前。その脚色が若干鈍ったのはディープの方だった。ディープはハーツに並ぶのがやっとで、それ以降は天才がいくら追っても差しきることはできなかった。


 ルメールはムチをまわした。そのムチには私の祈りもブルーの祈りもこもっていた。私もブルーもルメール同様心の中で精一杯そのムチをまわし続けた。全てがそこに込められていた。


 馬体を併せた2頭はハーツ半馬身リードのまま、ゴールを駆け抜けた。


 ついにハーツが勝ったのだ。


 ついに。ついに。


 あのハーツが…。


 それもデビュー以来勝ち続けた英雄と天才に土をつけたのだ。

ハーツが英雄に勝ったのだ。


 ディープの思わぬ敗戦に場内は静寂に包まれた。唖然とした場内。スクリーン内でガッツポーズをするルメールを皆一同に呆然と眺めていた。私はその場の雰囲気も考えず大きな声で、


 「よっし!!」


 と叫んだ。冷ややかな視線が私の方に集まる。私はあまりの嬉しさと興奮で思い切りその嬉しさを爆発させていたが、ふと横を見るとブルーがハーツ勝利に喜びながらも、不安そうな表情でスクリーンを見ていた。


 「3着って、リンカーン残っていたよね。」


 そう、彼は3連単の馬券を購入していた。3位以下なんて私が見ているわけはない。私は我に返りスローモーションのVTRに目をやった。コスモバルクと競りあった3着にリンカーンが入っていた。確定のランプがともるとブルーもようやく満面の笑顔になった。


 「よし、ブルーも取ったんだ。やった。ハーツが勝って2人とも馬券取った。それも大勝ちだよ。よっしゃー。」


 横にいた豪腕夫妻はその光景を見て、


 「おめでとう。初めて2人が喜んでいる姿を見たよ。さすがだね。確かに今日二人の息ごみが違っていたよ。すごいじゃん。おめでとう。」


 そうだ。豪腕夫妻の前での初勝利でもあった。私は照れながらも素直に彼らの祝福の言葉に感謝を告げた。


 スクリーンにもう一度目をやる。ようやくG1を奪取したルメールが大きくガッツポーズをしてウイニングランを行っていた。


 そのシーンが中山競馬場のゴール付近を映した。


 私とブルーが再会した日。ちょうどあのゴール付近で二人は心で叫びあっていた。そして、その時二人が応援しはじめた馬は紛れもなくこのハーツクライだったのだ。


 当時の皐月賞惨敗後、誰があの中山競馬場でハーツが英雄を打ち負かす事を予感できたであろう。


 私もブルーも信じられない気持ちでいっぱいだった。一年半前の再会時に挟んだゴール地点をハーツはどの馬よりも早く駆け抜けた。


 偶然とは思えなかった。 


 私は感極まりながらその光景を黙って眺めていた。ふとブルーの顔を覗き込んでみた。彼もまた何か物思いにふけりながらその光景を見ていた。


 プレンティのダービーから始まって、そして辿りついたハーツの有馬記念。いろんな事があったが、全てはこの日につながっていたのかもしれない。


 数分後、私の携帯のメール着信音がなった。つくばに住むMさんだった。彼は中山競馬場に足を運んでいた。


 「おめでとう。しかし、ルメール。空気読めよ。(苦笑)。」


 ディープの4冠を期待していたMさんらしいメールであった。私は場内の空気を読んでないと思われているのが私一人でないことに安心し、Mさんにお礼のメールを返信した。


 その後、豪腕夫妻と別れた私達は来場していたサンバ達と合流した。そして、今回の武勇伝をサンバ達に軽快に披露しながら、祝勝会をすべく居酒屋へと足を運んだのであった。


 私の競馬ファン人生の中で最高の日はこうして幕を閉じたのであった。

 




 「まさか、ハーツが先行策取るとはねえ。」


 「なんだ、ルメールの記事読んでないのかよ。俺は読んでいたけどねえ、この展開を。こんな結果当然だよ。なあ、ブルー。」


 「当然だよ。当然。」


 これからも私の競馬ファン人生は続く。この日の喜びは始まりにすぎないのだ。



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