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二十七・第50回有馬記念

 私にとって、競馬史上最大の日がやってきた。2005年12月25日。そう、クリスマスのこの日、キリストが私の29年の人生の中で最高のプレゼントを渡してくれた日となった。


 当日、私は中山競馬場には行かず、東京競馬場からスクリーン観戦をすることに決めていた。親友ブルー、豪腕夫妻も参戦することになった。


 豪腕夫妻は私達と再会するとすまなそうに、


 「ごめん。今日俺らが来たら二人は勝てないかもね。」


 軽いジョブ程度の冗談であったが、私の中では、負けられない闘志が沸いた。とは言え、ハーツ次第である。

 

 マスコミの間では、無敗の三冠馬『ディープインパクト』vs.昨年の年度代表馬『ゼンノロブロイ』の初対決に沸いていた。そして、このレースを最後にロブロイは引退を表明していた。


 私はもちろん、ハーツを応援するのであるが、やはり惨敗を喫している中山競馬場に不安を感じずにはいられなかった。


 そんな中、ハーツ騎乗のルメールのこんな記事を読んでいた。


 「彼は利口な馬だ。前からでも競馬はできる。」


 そう、先行策だ。私とブルーが出会ったときに応援したあのプレンティの脚質。早めに抜け出して他馬を引き離しそのまま抜け出してのゴールイン。


 プレンティは安藤勝己を鞍上に据え、「4角先頭」策で見事に菊花賞を制した。ハーツがプレンティになる日。そうその日こそ、歴史が動く日。「ストップザ、ディープインパクト」を達成する日。


 果たしてそんなに上手くいくのであろうか。


 ただし、これだけは言えた。


 これまでと同じように後方一気の競馬ではディープにもロブロイにも勝てない。中山競馬場である。中山競馬場でハーツが勝つには先行策しかない。


 私はルメールの記事を読み、もう一度頭の中でレースのシミュレーションを行ってみた。

ゴール前、大混戦の中、ディープが迫ってくる。そのゴールを先頭で駆け抜ける馬。私の想像はそこでストップした。何が勝ったかはわからない。ただ、ディープを楽には勝たせていないことだけは明らかだった。


 ブルーはハーツに対してこんなことを言っていた。


 「ハーツは明らかに本格化している。昨年4歳秋にして完全に本格化したロブロイのように明け4歳、最強の馬に成長したのはハーツだよ。」


 彼の言葉は的を捉えていた。秋初戦の天皇賞秋。昨年までのハーツであれば、スローペースに完全に折り合いをかき、惨敗をしていたであろう。


 そして、レコードながら鼻差で屈したジャパンカップ。その末脚はすでにロブロイを超えていた。外から豪快にまくるのではなく、内をうまく裁いての2着。勝ったデットーリ騎乗の『アルカセット』は世界最高峰のジョッキーによる完璧な走りを見せた。


 しかし、誰の目から見ても、その豪快な迫力の走りに目を奪われたのは他でもなくハーツであったのだ。


 そして、私とブルーはこんな話をした。来年からの競馬界のことだ。


 このレースを最後にロブロイとタップは引退する。来年はこの激闘を繰り出し、強さを見せつけていたこの2頭はいないのだ。ディープが難なく、このレースで楽勝するのであれば、来年以降ディープが日本で走る意味もなくなる。


 ディープを止める馬がいて、そしてライバル的存在がディープに現れない限り、ディープの価値も上がらない。来年以降も走り続ける馬の中でディープにライバルがいなければならない。そのためにも新たなスターが必要なのだ。


 ここ東京競馬場は異様な雰囲気に包まれていた。無敗の4冠馬の誕生の期待を込めてスクリーン観戦ながら、多くの人が集まっていた。私とブルーにとっては完全アウェイ。四面楚歌であった。


 無敗の4冠馬はJRA史上1頭も存在しない。ルドルフはジャパンカップで敗れていた。

史上初の快挙にふさわしい馬。それこそがディープインパクトである。


 スクリーンでは中山競馬場での第7競争が映し出されていた。そのゴール前の映像を見て、私は丁度1年前のブルーとの再会を思い出していた。つくばに転勤になった私と親友のブルーが再会した思い出のゴール地点である。


 私とブルーはあふれんばかりの群衆の中、ゴールを挟んで再会した。劇的な再会に二人は心の中で叫び続けていた。そう、心の叫び。「ハーツクライ」だ。


 中山競馬場でブルーがその言葉を口にした時、私は一瞬鳥肌が立った。今年の一押しはとの問いに


 「このハーツクライって言う馬・・・。」


 私の考えていた馬とズバリ一致した。当時は無名であったこの馬。一緒にザッツザプレンティを応援してきたその後継者として二人が指名した馬。それこそがあの中山競馬場で行われた皐月賞で大惨敗したハーツクライであったのだ。


 あれから月日が過ぎた。過ぎた日々の間にいろんな事があった。仕事においてもプライベートにおいても。ダイビングに行き、死にそうな経験もした。サンバ達の野球チームにも入った。転勤もした。転職もした。ブルーはオーロラを先輩たちと見に行っていた。豪腕夫妻は晴れて結婚した。ウルフオーも会社を変わった。サンバは恋愛で撃沈した。会長はフルマラソンを走っていた。いろんな事があった。


 そんな中、ハーツは走り続けた。その鞍上には武豊が乗ったこともあった。私とブルーが再会した日、私とブルーとプレンティを結びつけた安勝も騎乗した。シルバーメダリスト横山での2着もあった。どんなに惨敗してもハーツを応援し続けた。


 皐月賞惨敗後の日本ダービー。あのキングカメハメハの背中は遠かった。菊花賞では1番人気を背負っての惨敗。翌年の天皇賞春ではプレンティとの初対決。私の心は躍った。プレンティが後退していく中、ハーツとその馬体が一瞬交差した。プレンティがハーツにバトンタッチを行った瞬間であった。それ以後ハーツは変わった。完全に本格化したのだ。


 私は様々な思い出を胸にターフビジョンに目をやっていた。時間は過ぎ、第8競争の映像が流れた。勝ったのはルメール騎乗の『ワイルドワンダー』であった。そしてこのワイルドワンダーは先行から抜け出して勝利を得ていた。私は中山の坂をもう一度凝視した。


 (ハーツが勝つには先行策しかない。ハーツよ。今こそ、プレンティになれ。)


 いよいよ第50回有馬記念が迫ってきた。私は以前、ザッツザプレンティの好走に2つ後悔をしていた。それはプレンティの勝利の映像をリアルタイムで見られなかったこと。そして、翌ジャパンカップ。プレンティ2着も馬券を外してしまったこと。


 もちろん、この歴史的なディープとの初対決。場所は東京競馬場ながらその映像はスクリーンを通して観戦できる。しかし、問題は馬券だ。私の競馬での最大の興奮は馬券を的中させることによりその感動を勝ち馬と共に分かちあえることだ。例えハーツが好走してもその馬券を外していれば喜びも半減だ。


 私は腹をくくった。ハーツクライの単勝での勝負を決めた。そのオッズ17.1倍であった。


 ハーツは4番人気となっていた。オッズが17.1倍もつくということはジャパンカップ、レコードで鼻差2着にもかかわらず、優勝を考える人が如何に少ないかを物語っていた。


 しかし、それもしょうがなかった。何と言ってもこのレースには『ディープインパクト』が出走しているからだ。新たなるディープ劇場の幕開けであった。 


 ディープのオッズは1.3倍であった。2番人気の昨年の覇者で年度代表馬『ゼンノロブロイ』においても6.8倍がつき、完全な1強状態であった。


 私自身も歴史の生き証人であった。ディープ劇場での数々の鮮やかな勝利に酔わされた。 

競馬の神は皐月賞で出遅れの試練を与えた。しかし、ディープにとって、それは単なる力を見せつけるための演出に過ぎなかった。


 ダービーではダービーポジションの言葉を全く無視した後方からのスタート。レコード決着は2着馬を5馬身突き放した。


 そして菊花賞。名助演馬『アドマイヤジャパン』の最高の抜け出しに前半かかりながらも鮮やかに差しきった。馬は空を飛んでいた。


 同世代におけるディープ劇場は見事に終焉し、新たなる歴史が始まろうとしていた。ディープ新劇場である。ディープが至上最強の名馬として歴史にその名を刻むには、この有馬記念で古馬を蹴散らすしかなかった。


 パドックの周回が終わり、ターフビジョンに英雄と天才の姿が映し出された。天才は緊張を感じながらもそのプレッシャーを楽しんでいるようであった。


 そうだ。英雄ディープインパクトの強みはその次元を超えての飛ぶような走りの他にもうひとつ大きな武器があった。


 そう、それこそがこの名パートナー「天才、武豊」の存在であった。


 「人馬一体。」


 彼とディープインパクトはまさしくこの言葉通りであった。かの毛利元就は三人の息子達にこう言った。


 「一本の矢を曲げると簡単に折れてしまう。しかし、三本の矢を束ねると容易に折ることはできない。」


 競馬のレースに馬を出走させるには多くの人たちの関わりがそこにある。その矢は三本なんてものではない。何十本という矢となるはずだ。


 しかし、レースは孤独だ。最終的にレースを託されるのは馬とジョッキーだけなのだ。

 

 この二本の矢がしっかりと噛み合ってこそ、レースでの勝利が待っている。例えそれぞれの矢がとてつもなく丈夫な矢だとしてもその2つがしっかりと1つにならなければ、その矢はあっさりと折れてしまう。


 ディープは確かに私自身もこれまで目にした馬の中でナンバー1と言ってもいいすぎではないほどの実力馬である。その強さはけた違いであった。


 では、誰がディープに騎乗しても同じ結果をもたらしたであろうか?


 私はそうは思わない。


 天才ジョッキー。そう、天才武豊だからこそ、この偉業を達成できたのだ。英雄と天才はまさしく人馬一体。水魚の交わり。まるで、歴史が二人をこの瞬間に結びつける運命を始めから予定していたかのように出会っていた。


 だからこそ、ディープは強かった。出遅れた皐月賞、かかった菊花賞。天才の冷静な判断と英雄の天才への信頼感があの圧勝劇を呼んだのであった。


 一方のハーツは盟友に出会うまでに時間がかかった。またがったジョッキーは全て一流。しかし、ハーツの実力を十二分には活かせなかった。


 そんな中、ルメールが手綱を握った。馬が完全に本格化していく中、ジョッキーもその成長を認識していた。そして、彼なりの結論を出した。この馬は前からでも行ける。


 ルメールは日本のG1では2着続きであった。しかし、次第に日本の競馬場にも慣れてきていたのだ。きっと、ルメールはハーツを後方に待機させていては、このレースで勝つことはできない。そう感じていたに違いなかった。


 ゆっくりとゆっくりと流れる時間。そして、時はいよいよ発走の時刻に近くなってきた。ここは東京競馬場であって中山競馬場ではない。しかし、その緊張感は時空を超えて伝わってきていた。会場も緊張感と興奮で満たされていた。


 ざわめく会場が、一瞬、異様な空気に満たされ沈黙に変わる。スクリーンには中山競馬場が映し出されて、ファンファーレが鳴り出した。


 私は手拍子をしながら、スクリーン中のハーツの姿を探した。一瞬映し出されたハーツを見て、遠く声をかける。心の中の声が震えた。


 (がんばってくれ。)


 いよいよだ。第50回有馬記念の幕があけたのだ。スムーズなゲートインの後、各馬いっせいにスタートした。


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