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二十一・ディープ劇場第3章

 ダイビングでの事故さながらの事件の原因はブルーの手渡したオクトパスの方向が逆だった事が原因だった。やはり久々のダイビングで基本的な技能を忘れてしまっていた。もちろん、私が同じ事をしたとしても間違った事をしていた可能性は高い。


 あまり、実感はないが、ひょっとしたら死んでもおかしくなかったのかもしれない。一度死にかけた人間は強いと言う。それを信じて今後も目標の120歳までは頑張って生きるつもりだ。


 一度死にかけた人間が強いのであれば、一度死にかけた馬も強いものかもしれない。そう、ハーツのことだ。彼はもちろん死にそうになったわけではないが、昨年の秋は、競走馬としてはもう終了してもおかしくないぐらい程の惨敗続きだった。しかし年を越え、完全にハーツは変わった。宝塚記念では、ダービー以来のG1で2着したのだ。それも勝ち馬とはほとんど差のない2着であった。


 宝塚記念の大きな意義は、ハーツがロブロイ、タップを破ったという事であろう。年齢的な衰えが感じられるタップ、今年初戦であったロブロイ。


 春から順調に使われていたハーツに分があった感は確かに否めない。しかし、優勝したスイープにも決して力負けしたわけでない。展開が少しでも変わっていたらハーツにもチャンスは十分にあった。ハーツの変化が私にはうかがえた。


 だからこそ、惜しかった。そして秋に向けての確かな手ごたえを感じた。明け4歳秋、ハーツの時代が来ると。


 しかし、そんな私の予感などどこ吹く風か。秋が来ても話題はディープインパクト一色だった。あの皇帝『シンボリルドルフ』に並ぶ、無敗での3冠馬の誕生への期待が高まっていた。


 秋初戦の神戸新聞杯。もはやこの馬を止める馬はこの世代にはいなかった。


 2着に入った『シックスセンス』、3着の『ローゼンクロイツ』もディープの強さを引き立たせるだけの脇役でしかなかったのだ。


 そして、3冠ロード第3章第66回菊花賞を迎えることとなったのだ。


 マスコミは沸きかえった。ディープの特集が組まれ、レース前から3冠がすでに決まっているかのようなフィーバーぶりだった。


 もちろん、私も偉大なる名馬の偉大なる記録を心から願った。出走馬を全て見渡してもこの馬に勝てそうな馬は見あたらない。ファンの期待も全てこの1頭に込められた。単勝オッズ1.0倍。元返し。勝っても得をしないこの馬にみんなが期待と祈りを込めて馬券を購入したのだ。


 ファンの期待は、ディープが勝つことだけではない。どれ程華やかでどれ程きらびやかなフィナーレを飾るのか??それを見たいためだけのレースと言っても言いすぎではない。


 もし、これがフィクションであれば、どんな名演出家であっても、この第3章のフィナーレを表現するのは難しいであろう。わかりきっている結末。それでありながら、聴衆の目を釘付けにし、そして感動のフィナーレを描かないといけない。


 しかし、競馬の神様は大胆な手法で、この「ディープ劇場第3章」を脚本したのだ。誰もが思いもよらない手法。


 爆発的な力を持ち、同世代の馬へ次元の違う走りを見せてきたこの怪物に1つだけ、欠点があった。


 それは、スタートの悪さ。皐月賞では出遅れ。ダービーでもいいスタートは切れていない。


 この馬の底力を考えれば、スタートの出遅れぐらい単なる他馬へのハンデに過ぎなかった。ファンは出遅れながら、圧勝するその走りに感動と興奮を覚えた。


 しかし、陣営の考えはきっと違っていたはずだ。ディープはこの後、古馬と対戦しないといけない。そうだ、王者『ゼンノロブロイ』と対決する日が来る。


 これまでは、同世代の馬相手だったので、スタートの出遅れはたいした問題にならなかった。けれど、ディープの目線は菊花賞ではなかった。3冠達成後の有馬記念で、ゼンノロブロイを初めとする古馬を蹴散らしての完全制覇。


 そのためには、少なくともスタートで大きく出遅れることは大きな危険を有する。相手はあのロブロイやタップなのだ。


 出遅れながら、まくって大外強襲。もちろんディープなら不可能ではないかもしれないが、古馬相手にそんな危険なレースをするわけにはいかない。よって、陣営はスタートの練習を夏の間に行っていた。


 ディープは賢い馬だ。だから、スタートのコツもすぐに覚えていた。


 そして、このスタートこそが、競馬の神様の最高で最大の演出となるのだ。


 第66回菊花賞はディープインパクトの1.0倍の圧倒的人気。2番人気『シックスセンス』、3番人気『ローゼンクロイツ』。


 さて、このディープ劇場第3章を演じる上で最高の助演男優馬が登場する。その名は  

『アドマイヤジャパン』。


 皐月賞3着のこの馬、その前の弥生賞で僅差の接線をあのディープインパクトに演じていた。タイム差なしの2着。勝ったディープに余力があったとはいえ、ディープを一番苦しめたレースと言っても過言でないだろう。


 鞍上はミスターシルバーメダリスト「横山典弘」。


 横山はこのジャパンを使い、見事な名脇役を演じることになるのだ。


 そして誰もが待ち望んだ第66回菊花賞が幕を開けたのであった。


 ファンファーレとともに大歓声が上がり、各馬がゲートインしていく光景を、私はテレビでかたずを飲んで見守っていた。


 (果たして、どんな勝ち方をするのか?)


 頭をよぎるのは『ナリタブライアン』が3冠を達成したときの圧勝劇。


 (ディープはブライアンを超えるのか?) 


 いよいよ幕が上がった。


 各馬一斉にスタートした。


 競馬の神様はここで早くも演出の仕掛けを見せる。


 そうだ。ディープが克服したあのスタートだ。


 いつもより好スタートのディープは最初のコーナーの坂を上った後、そのスタートの勢いのまま順位を上げ、勢いよくその坂をくだっていく。そして2番目のコーナー。何を思ったか、最初からトップスピードでそのコーナーを走っていくではないか。場内は騒然となった。このレースは短距離走ではない。その逆で長距離走。マラソンレースなのだ。


 菊花賞は前にも述べたが、京都3000mの外回り。第3コーナー前からスタートし、坂を上り下り、第4コーナーにさしかかる。大体のレースはこの第4コーナーが最終直線になるが、3000mの長距離戦はこのコースをもう1周周回しないといけない。


 つまり最初の第4コーナーはまだ、始まりに過ぎないのだ。


 しかし、ディープは賢すぎた。この第4コーナーを最終コーナーだと勘違いし、どんどんスピードをアップする。いつもは後方に控えるディープが中団より前につけ、さらに加速していく。


 場内のファン。もちろん私も


 (ディープはかかっている。やばい。)


 そう思った。


 『アドマイヤフジ』に騎乗していた福永は後の談話で、このディープを前に見て、


 (行け、行け、もっと行け〜。)


 と思ったと話している。きっと、アンチディープがいるとしたら、その人達はみんなそう思ったかもしれない。少なくとも、彼と闘っている当レースの騎手達はみんなそう思ったに違いない。

 

 しかし、ディープには大きな味方がいた。そう。それは鞍上の天才だ。天才武豊はぎゅっと手綱をしめ、こう馬に語りかける。

 

 (まだ、もう一周あるよ。)

 

 天才の声が聞こえたのか、その手綱さばきに我に返ったのか。英雄は普段の姿に戻り、ようやくだが折り合ったのだ。


 しかし。


 京都3000mは今始まったばかり。まだ2000m近く距離は残っている。誰の目から見てもディープが相当な体力を使い果たしたのは明らかだった。


 そして、この波乱を予期していたのか、1頭の馬とその鞍上が虎視眈々と自分のレースに流れを持っていこうとしていた。


 それこそが、このディープ劇場の最大の脇役『アドマイヤジャパン』なのだ。


 横山は先に逃げる『シャドウゲイト』を見ながら、その時を窺っていた。


 もちろん、ディープがかかってしまい、体力をロスし、中団あたりを追走していることは知らないはずだ。


 しかし、大外から強襲されても勝つ方法。それは早めのスパートだ。


 ディープに勝つにはこれしかない。横山は弥生賞での接戦をイメージし、シャドウゲイトを抜き去り先頭に立つ瞬間を狙っていた。かつて、我らが『ザッツザプレンティ』がこの菊花賞で見せた、


 『4角先頭』。


 第3コーナーを過ぎ、じりじりとジャパンはシャドウに差をつめる。ディープはまだ中団に待機。そして坂を上り下ったあたりでジャパンがついに仕掛けた。

場内から歓声があがる。そして悲鳴にも満ちた声だ。横山は第4コーナーを周り、ついにシャドウを捕らえると、そのまま先頭に立ちディープ達後方のグループを引き放しにかかる。


 「うわ〜〜。」


 会場の声もどよめく。してやられた。そう言いたいような声。名手横山の魅せる技。前半体力を使いはたしたディープはもはやこの距離を巻き返すだけの力は存在しない。誰ももがそう思い目を覆う。


 ジャパンが後続の馬を引き離していく。残り、400m、300m、20・・。


 そのときだ。


 テレビを見ていた私の目の前にふと何かが通り過ぎた。


 (え、鳥?)


 そう、何かが凄い勢いで目の前を通過してきたのだ。


 瞬きをする私。


 目を一瞬あける。違う、鳥じゃない。


 ディープだ。


 ディープインパクトだ。


 後続集団が離されていく中、ディープだけが空を飛んで、いや飛んでいるかのような足でジ

ャパンを一気に抜き去った。


 そして広げていくその差。まさに芸術。競馬の神様でしかなせないこの名演出。前半にかかったこの馬は、その体力のロスにもかかわらず最後の直線を33秒3という破格のタイムで駆け抜けたのだ。


 その3冠ロードの圧巻とも言えるフィナーレにそれを見る人全てが感動に包まれた。ルドルフ以来となる無敗でのクラッシック3冠。


 競馬の神様の見事な演出により、この馬の最終章が締めくくられた。


 そして、この時私ははじめて歴史の生き証人となったのであった。


 こうして英雄と天才によるディープ劇場はひとまず幕を閉じた。そして古馬との対決となる新たな出発地点に立つのであった。


 しかし、残念なことに、私自身はこのレースがディープを応援する最後のレースとなったのであった。


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