十一・ダービー馬の陽と陰
私はこの年のダービーも制することとなる。本命ハーツの対抗にはカメハメハを推し馬連をゲットした。ブルーは対抗に8着に沈んだバルクを推したため残念ながら勝ちを逃した。
このダービーでは競馬友人が更に3人増えた。
サンバと会長とロンゲである。サンバはブルーの高校時代の友人で、かなりの競馬通であった。しかし、馬券戦績は今ひとつらしい。5人で応援したダービーであるが、5人ともある一頭の豪快な勝ちっぷりに唖然とした。残念ながらハーツではなかった。優勝したのは『キングカメハメハ』であった。
そして2着にはシルバーコレクターの異名どおり横山の『ハーツクライ』が飛び込んだのだった。その差は1と1/2馬身。レコード決着の圧勝劇だった。
直線を抜け出したカメハメハはそのままどんどんと差を広げた。一頭だけその馬に食いついていった馬がいた。
『ハイアーゲーム』
名手蛯名はカメハメハに堂々と勝負を挑んでいった。しかし、カメハメハの能力は次元を超えていた。途中で力尽きたハイアーはどんどん差を広げられていく。そしてそんな中、1頭だけすごい足で追い上げてきた馬がいた。
ハーツだった。
しかし、ハーツはハイアーを捕らえるのがやっとだった。カメハメハは悠々と先頭でゴールを駆け抜けたのだった。私はハーツが2着に食い込むも叫ぶことなく、カメハメハの圧勝劇にただ息を飲んで見入っていた。それは私だけでなく、ブルーもサンバも会長もロンゲも。レコードの決着だった。
競馬に「たら、れば」があったら。もし1つだけ「たら、れば」が適うのであれば、この年の神戸新聞杯後、屈腱炎のため引退したこの『キングカメハメハ』の怪我がなかったら。ともちろん私は言うであろう。
ただ、違う角度で言えば、キングカメハメハが1年遅く生まれていたら・・・。翌年の3冠馬『ディープインパクト』とこのダービーで戦わせたかった。ディープは翌年、このレコードタイムと同タイムで優勝している。それも後方から次元の超えた足で追い上げての勝利だ。
もし、この2頭がダービーで戦っていたら?
勝負の行方は永遠にわからないだろうが、史上最高で最強のダービーの激闘を見ることができたのではないか。それほどにまで強い『キングカメハメハ』であった。
春の連戦の無理がたたったわけではないだろうが、屈腱炎による引退は惜しんでも惜しみきれないほど残念な結果となった。ダービー馬の栄光と衰退であった。