九・ハーツクライ登場
中山競馬場で心の叫びで再会を果たした私とブルー。その話は新しい私の生活に及んだ。
「どう?新生活は?だいぶ慣れた?」
「そうだね。部署のメンバーは代わってないないから、仕事はあまり変わらないよ。」
「つくばはどう?」
「つくば?いい町だよ。車社会だよ。ブルーから譲ってもらったインテグラが大活躍だよ。」
「お、乗ってくれていますか?ちょっと、アクセルに癖があるんだけど、大丈夫?」
「あのくらい問題ないよ。あんな安い値段で譲ってもらって悪いねえ。九州にいた頃はいつも車に乗っていたから、やっぱ車があった方がいいね。」
「そっか。そっか。」
私はふとブルーに聞いてみた。
「そうそう、ねえ、ブルー。昨年みたいに寮でミーティングできなかったけど、今年の一押しは?」
「あ、今年ねえ。そうだね。俺的にはこの『ハーツクライ』って馬かな。」
「え、今何て言った?」
私は慌てて手に持っていた競馬新聞を広げてみた。そして、一頭の馬の名前を指さした。
「ウソ!ブルーも。俺もそうだよ。『ハーツクライ』でしょ。」
ビシッっと鳥肌が立った瞬間だった。
私自身、彼の口から真っ先にハーツクライの名前が出たことに鳥肌がたったのだ。若葉Sを勝ち、皐月賞への出走の権利を得た馬だったが無名と言ってもよかった。ただ、私の気にとまったのは上がり3F34秒台の前走。そんな馬に二人の意見が一致した。
1/18の確率。
昨年の『ザッツザプレンティ』をふと思い出した。更に、不思議なことに鞍上は安藤勝己であった。何かしらの縁を感じた。
この年の第64回皐月賞は一頭の馬が彗星のごとく表れ、国民的人気を集める。その名は、
『コスモバルク』。
地方馬のこの馬は地方に敵無し。そしてJRAへの遠征でも弥生賞勝利など3戦3勝。『ハイセイコー』、『オグリキャップ』の再来との期待を一身に集めた。
コスモバルクはこの年の一大ブームになった。道営に所属しているこの馬は、中央には転入せずに、クラッシックに果敢に挑戦してきた。
この年の皐月賞はコスモバルクを中心に武騎乗の、
『ブラックタイド』
が人気をわけあった。ハーツクライは5番人気であった。
私とブルーは2人がちょうど再会したゴール付近に位置取り、皐月賞を観戦することにした。
『ザッツザプレンティ』と『ハーツクライ』の大きな違いと言えば、その脚質であろう。プレンティは中段からやや前に位置して、早めに仕掛ける馬である。一方、ハーツはためて、ためて、後方一気だ。
観戦する立場で言えば、逃げ馬、先行馬の方が見ていて楽しい。それは最後の直線まで、自分の応援する馬が優勝に絡むような期待を持てるからだ。
一方、後方から追い上げてくる馬を推す場合は最後の最後まで馬が登場するかもわからない。
1995年、『第56回オークス』。
桜花賞馬ワンダーパヒュームは4番人気。後方一気のこの馬に実況は叫ぶ。
『ワンダーパヒュームはまだ来ない!!』『・・・まだ来ない。』
ゴール直前で急に大外から豪快に現れそのまま差しきる。これも競馬というレースの大きな魅力の一つである。私が以前好きだった『アドマイヤベガ』。この馬も最後方から豪快に差しきるのが持ち味だった。
しかし、
『まだ来ない!!』。
これほど、応援していて辛いことはない。
そして、残念ながら第64回皐月賞はこの言葉どおりとなってしまった。
伏兵『ダイワメジャー』が抜け出し、それにコスモバルクが続く。中山の直線は短くそしてゴール前には厳しい坂。ダイワメジャーが突き抜けたその直線。私は心の中でずっと叫んでいた。
(ハーツはまだ来ない。ハーツはまだ来ない。ハーツ、ハーツ早く来い。)
私の心の叫びもむなしく、結局ハーツクライは14着に沈む。いつもゴール前で絶叫するような「ハーツ行け〜」と叫ぶこともなく。
レコードで他馬を振り切ったダイワメジャーの鞍上のデムーロの喜びに会場が満たされているとき、私は心の叫びに疲れて、無力感でその光景を見ていた。ふとブルーの横顔を見ると彼も同じ表情をしていた。
心の叫びで劇的に再会した2人。そして、心で叫んだだけで終わった皐月賞。そう、この馬の名前どおり『ハーツクライ(心の叫び)』で終わった皐月賞となってしまった。
この時はもちろん1年半後の有馬記念で私が心の中ではなく、思い切り声に出して、「ハーツ行け〜」と興奮に満ち溢れた声で叫んでいるとは思ってもいなかった。