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「しかし、分からないものねぇ…………」


 財務部の一室で、速水がコーヒーを飲みながら、隣の席に座る啓太を見ながら呟いた。

 すらりと伸びた脚を組ながら右手に湯気が上がる白いコーヒーカップを持っている姿は、美人の彼女らしく優雅にも見えるが、すました顔で角砂糖を二十個ほど入れているのを啓太は目撃している。何が言いたいのかというと、彼女はやっぱり残念であるということである。主に味覚が。

 

「あなたの活躍は聞いたわ。暴徒三人をコテンパンに叩きのめしたとか、あなたの血まみれの拳から骨が飛び出ていたとか、捕まった三人は歯を一本残らずへし折られていたとか」

「色々尾ひれついてますねそれ。三分の二が事実と違いますけど」

「私も三日前に政府でその活躍を聞いたときは、『なんだ成瀬くんもやればできるじゃない!』って思った。でも、それ以上に不思議なのよ。ねぇ成瀬くん、どうしてあなたは治安部に行かなかったの?」


 顔を近づけ、訝しむような視線を向けてくる速水に啓太は笑いながら返答する。


「どうしてって……治安部は怖いですし、財務部みたいに細かい仕事するの好きなんですよ」

「嘘ね。あなたどう考えてもこの仕事向いてないもの。相変わらず書類はミスだらけだし、予算案の企画も的外れ。荒事が得意なら絶対に治安部に行った方がいいわよ」

「好きであることと仕事ができることはイコールじゃないと思います。俺は仕事ができないだけで、この仕事は好きですから」


 最近、速水に嘘を吐くことにも慣れてきた気がする。ここの仕事は好きでもないし真面目にやる気も無いのに、よくもまぁこんな言葉がスラスラと出てくるものであると自嘲せずにはいられなかった。


 あの大規模デモから三日が経ち、啓太を取り巻く環境はだいぶ変わっていた。


 まず、政府内の人間に不良債権とは呼ばれなくなった。先日の一件で治安部の部長、真嶋と友人になったことがおそらくは関係しているのだろう。改めて彼の影響力の大きさを感じた。ちなみに真嶋だけでなく、治安部の人達とも仲良くなれたのは、啓太にとって嬉しい誤算だった。


 そして財務部内でも評価は少しだけ見直され、通常の業務を回され始めた。資料の作成、予算案の企画、打ち合わせなどを経験した。速水と共に仕事をする機会もあったが、彼女の優秀さには啓太も舌を巻いたものだった。近いうちに彼女の力を借りるときが来るのかもしれない。

 そして、最も大きな変化というものが……

 

「あ……また電話ね」

「ですね。用件はたぶんアレですけど」


 ため息を吐きながら啓太は受話器を手に取る。


「こちら財務部です」

『やぁ! こちらは文部科学部です! そちらに在籍している一年の成瀬啓太君に繋いでもらえないかな?』


 受話器から元気のいいはつらつとした明るい女性の声が聞こえてくる。啓太は棒読みに近いトーンで返事をした。


「ああはい、成瀬です。ご用件はなんでしょうか」

『お、本人だ! 想像以上にイケボでお姉さんドキドキするよ~』

「用事がないのでしたら失礼します」

『ちょちょ、ちょっと待って! 用事を言うから……あのね、成瀬君。もし君が良ければ、文部科学部に来てくれないかな?』

「申し訳ありませんがお断りします」

『即答されちゃった!?』


 最大の変化というものは、まさにこの手のスカウト電話を頂く機会が増えたことだろう。啓太の想像以上に先日の一件は大きく広がっているらしく、財務部一筋の啓太にとっては何とも迷惑な話だった。


 今勧誘してきた部署は文部科学部という、国の「教育」や、「文化」に関する行政事業を主な仕事とする部署である。国が主導する『訓練生』システムを運用、管理している部署でもあり、短期間で優秀な人材を育成し、社会に還元していくシステムを常日頃から研究しているとも聞く。時間が限られている中で、効率よく国を運営する二十年国家構想の中でもかなり重要な役割を果たしていると言えるだろう。


 そのことを思い出したせいか、いつもなら特に話すことも無くすぐに電話を切るのだが、なんとなく文部科学部の彼女と話がしたくなった。


「……では、少しお聞きしたいのですが、どうして俺を文部科学部に誘ったのでしょうか」

『実は三日前のこと、真嶋君から直接話を聞かせてもらったんだよね。私、彼とは友達だから』

「友達、ですか。失礼ですがお名前をお聞きしても?」

『ああごめんね! 名乗りもしないで勧誘しちゃった。 私は文部科学部三年の上原(うえはら)(のぞみ)って言います。それで、えーと……そう!真嶋君から話を聞いて、君みたいな子が文部科学部に必要だ!って思ったの』


 三年ということは、真嶋の同期に当たる。寡黙でいかつい真嶋と、見た目はわからないが明るく活発に話す彼女は案外ウマが合うのかもしれないな、と勝手に啓太は思った。

 しかし自分が文部科学部に必要ということがいまいち()せなかった。短い将来のためにありったけの知識を詰め込み、技術(スキル)を植え付ける今の教育方針に、啓太が大河に説いたような精神は、この国ではあまり重要視されてはいないことはあの『訓練生』たちを見れば火を見るより明らかだったからだ。


「彼と友人ということは、俺が彼の弟さんに言ったことも聞いているんですよね?」

『うん。正直に言うとね、私も真嶋君と一緒で、君のこと凄いなって思ったよ』

「それは光栄なことですが、それならば先輩にもわかるはずです。俺が今の文部科学部には不要であることが」


 啓太の言葉に、受話器の向こうの上原が息を呑んだのを感じ取れる。

 しばし沈黙が続いて、上原が真剣な声色で話し始めた。


『……これは組織の意見、というよりはむしろ私の意見なの。私たちが推し進めてきた数々の教育システムは、子供たちに最大効率で最大限の学習効果を与えるよう、研究に研究を重ねて開発してきたもの。それ自体はとっても優秀で実績だってあるし、私は今でも良いシステムだと思ってる。けどね、それだけじゃやっぱり足りないし、不完全なところだってある……って薄々気が付いていたんだ』

「どうしてでしょうか。非常に優れたシステムだと思いますけど」

『君にそんなこと言われたら皮肉としか取れないよ。あのね、私は別にロボットを作りたいわけじゃないの。頭が良くて優秀で能力があって、でもそれだけっていうのはあまりにも人間味がないとは思わないかな?』

「さぁ、俺には判断しかねます。ですが、社会にその教育システムが求められていて、その結果としてそういう人材が育ってしまったことはもはや仕方がないとは思います」

『だから君みたいな子がうちに必要なのよ。君は大河くんに立派な教育をした。それはシステムなんかじゃできっこない、人の内面をケアしたとても暖かい教育だと私は思ってる。君ならこの組織の中にあっても子供たちをもっと強く、たくましくしてあげられるって私は確信してるの。これはあくまで私の意見、なんだけどね』

 

 上原は自嘲気味に笑った。組織としては彼女のようなことは考えてはいないのだろう。いや、考えていないというよりかは考えないようにしているのかもしれない。子供一人一人の中身まで育てるよりも、能力のある人材を一人でも多く輩出する方が効率的であることは誰にでもわかる。

 そんな状況で、彼女は啓太に話を持ちかけてきた。だったら答えはもう決まっていた。


「先輩。やっぱり俺が文部科学部に行く必要はないですよ」

『え? で、でも君なら……』

「簡単なことです。子供のことをそこまで考えられるなら、先輩がそれを実践していけばいい。よそ者の俺が口を出すより、よっぽど効率的です」


 この人ならばそれができる。

 会ってすらもいない、顔も知らないにも関わらず、なぜか啓太にはそう思えた。組織の方針に疑問を持ち、自分なりに改善点を模索して啓太に電話をするほどの、子供たちに対する彼女の熱意に嘘があるとは思えなかった。

 

「それに、俺は財務部で忙しいのです。よその部署の仕事をしている暇はないので先輩がやってください」

「ろくに仕事もできない奴が、どの口で言ってるのよ」


 隣の席から何か聞こえる。速水が聞き耳を立てていたのだろう。速水の方を見るとジト目でこちらを見ながらコーヒーに口を付けていた。


 啓太の言葉を聞いた上原は、長い沈黙の後に楽しそうに笑って、また明るいトーンで元気よく話始めた。


『あははは、成瀬君って面白いね! 君ってもしかしたらツンデレ?』

「何を言っているのかよくわかりませんが」

『とぼけちゃって。大丈夫! 君からのメッセージ、ちゃんと伝わったよ。「先輩ならきっと出来るから、頑張れ」って』

「じゃあ忙しいので失礼します」

『ああ待って切らないで!今日はありがと!近いうちに会いに行くから二人でどこか行き……………


 そこまで聞いて啓太は電話を切った。啓太の口元には無意識で笑みが浮かんでいた。慌てて表情を戻して受話器を戻す。


「ずいぶん楽しそうに長話してたじゃないの。誰からの電話?」

「やだなぁ気になるんですか先輩?」


 速水の美脚が啓太の足を鋭く蹴る。はっきり言って、ものすごく痛かった。彼女をからかうと青あざができることを啓太は学習した。


「早く言いなさい」

「そんな怒らなくても……文部科学部三年の上原先輩からです」

「上原先輩があなたに? あの人がなんであなたに連絡するのよ」

「知りませんよ。文部科学部に来ないかって言ってましたけど」

「……あなたまさか断ったんじゃないでしょうね」

「丁重にお断りさせて頂きました」


 速水は天を仰いだ。そして啓太を睨むとなんてバカなことをしでかしたのだと言わんばかりに詰め寄ってくる。


「なんで断ったのよ!このお馬鹿!」

「いや、だって俺は財務部だし……」

「財務部なんかよりあなたはあの人の下で働くべきなのよ。彼女、はっきり言ってものすごく人望もあるし優秀だし、政府の中でも彼女に憧れて文部科学部配属を希望する人だって多いのに……ああもう!」

「前からずっと疑問だったんですけど、どうして先輩は、俺をどこかに転属させたがるんですか?」


 速水の態度は啓太にとって大きな謎だった。嫌われているのはわかっているが、その割には絡んでくることも多いし仕事もしっかり教えてくれる。真面目な性格に加えて優秀だから、仕事もできない無能が嫌いなのかと啓太は最初は考えていたが、どうもそのような考え方は彼女の言葉からは見えてこない。

 速水は落ち着くように一つ大きく息を吐いたあと、ゆっくりと切り出した。


「これは私の勝手な思い込みなのかもしれないけれど、あなたは無能なんかじゃないと思うの。異常なほど難易度の高い政府の入学試験の壁を越えるどころか、一位で突破したのもそうだし、この前の一件だってあなたは急に駆り出されたにも関わらず職務を遂行している。私にはどう見たってあなたが実力を秘めているようにしか見れないのよ」

「勘違いしている上に買い被りですが、仮にそうだとしたらなぜ俺を転属させようと思うのですか」

「見ていてイライラするから……っていうのは半分冗談よ。本当は、その秘めた実力をフルに発揮できる部署に行って、子供たちや社会のために活躍しているあなたの姿が見てみたいのよ、上司としてはね」 

「速水先輩……」

「あなたが治安部に行けば、不安定な秩序を維持して国を安定させることができる。あなたが文部科学部に行けば、子供たちに優れた教育を施して彼らに国を託すことができる。でも財務部であなたはいったい何をできると言うの?」


 速水の目は真剣そのものだった。啓太の本質を探ろうと、一挙一動その動きを見ている。

 答えは胸の中にあった。今は話すべき時ではない、しかし適当にはぐらかす時でもない。

 啓太はしばらく速水の視線を受けて、彼女に向けて今できる精一杯の返事をした。


「先輩。俺が財務部にこだわる理由は、いつか必ずお話しします」

「………………」

「その時まで、こんな仕事の出来ない部下の面倒を見てはもらえませんか」

「………………」


 しばらくにらめっこが続いたが、諦めたように速水が張りつめた表情を解いた。まるで聞き分けのない子供を叱っているような、それでも少しだけ楽しそうな顔をしている。


「仕方がないから面倒を見てあげるわ。どのみちあなたを強制的に転属させる権限なんか持ってないし」

「先輩……ありがとうございます」

「礼は結構よ。こうなった以上、甘えは許さないわ。厳しく指導してあげるから覚悟なさい」


 なぜ速水がちょっぴり嬉しそうなのかわからない。けれどもその顔がいつもよりもずっと魅力的に見えた啓太は、彼女のためにも少しだけ仕事を頑張ろうと人知れず思った。


 そんな時だった。


「おーい成瀬、なんか生徒会から書類が届いているぞー」


 三年生のブースから森先輩が手招きをしていた。すぐに森のもとへ向かうと、彼から手渡されたのは赤い封筒だった。封筒に達筆な筆字で「異動辞令 成瀬啓太」と書かれている。


 嫌な予感がした啓太はその場で封筒を開け、中の書類を引っ張り出した。


『二〇四〇年 五月十一日をもって財務部での任を解き、期限付きで生徒会特務部での勤務を命ず』 


 文面は至って簡潔だった。それだけに衝撃が大きい。


「どうかしたの成瀬くん……って……」


 立ち尽くしている啓太が気になったのか、やってきた速水の顔が文面を見て引きつる。

 ついでに啓太の顔は青ざめていた。搾り取ったような声で一言、彼女に報告をした。


「先輩。お、俺……生徒会に行くことになっちゃいました……」

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