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 新政府高校、通称『政府』は国を運営するために十六歳から十九歳までの優秀な生徒を集めている。また生徒たちは、業務の効率化のために部署に分かれて配属される。啓太が所属する財務部の区画は校舎の三階の端に位置していた。

 そんな財務部の一室で、机の上に肘を突いて、ペンを指先で弄びながら啓太を睨み付けている明らかに不機嫌な女子高生と、目が猛スピードで泳いでいる啓太が向き合っていた。


「それで、報告は以上かしら?成瀬くん」

「い、以上でございます……いてっ」


 汗をかきながら必死で業務連絡をした啓太に、財務部二年の上司、速水涼子(はやみりょうこ)による容赦ない鉄拳制裁が下る。この暴力女――もとい速水は長身に栗色のミディアムヘアがよく似合う美人ではあったが、きつい眼差しと物言いで啓太は若干苦手としていた。


「税金滞納者のお宅に5件訪問しました、滞納者は留守だったりトイレに籠ってたり、公園でハトに餌あげてたりで色々あって、結局回収できませんでしたー……って、ふざけてるのかしら」

「いやぁタイミングが悪かったみたいで……」

「まったく……どうしてあなたはいつもこうなのかしらね。税金回収なんて、財務部でも最下層の人間がやる仕事なのに、それすらもまともにできないなんて」

「一応、努力はしてるんですよ、努力は」

「結果の伴わない努力なんて、ただの自己満足よ。そんなものは今要らないの」


 一刀両断。それでも正論であるから、啓太に反論の余地など無い。

 速水はため息を吐いて腕を組んだ。


「せっかく入試を一位で突破した優秀な官僚がうちに来てくれたと思ったのに……こんな体たらくなら、最初から生徒会に入ってもらった方がよかったかもしれないわね」

「生徒会ってこんな俺を飼い続けてくれるんですかね?」

「……考えてみたら、まず無理ね。あそこは国の最高権力者の集団といってもいいくらいには恐ろしい場よ。大して使えないあなたみたいな人がいたところで、権力闘争の末に身代わり(スケープゴート)にされるか……良くてもどこかの部署に左遷されるのがオチよ」


 生徒会がどんな所かは正直そこで働かない限り想像もつかないが、少なくともそこで自分が働くと言ったら鼻で笑われるくらいには激務らしい。

 話がずれたと思ったのか、速水が一つ咳ばらいをして続ける。


「とにかく……与えられた仕事をしっかりとこなせないようなら、あなたの出世は諦めた方がいいわね。これはあなたの上司としての警告よ」


 出世……ね。頭の奥がずきりと痛んだのを無視して、啓太は返事をする。


「肝に銘じておきます」


 警告を理解したフリをしている啓太に満足したのか、速水は雰囲気を和らげて啓太の頭を軽く小突いた。速水は普段から怒っていなければ三倍はモテるんじゃないか、と啓太はつくづく思う。


「わかればよろしい。それじゃ罰として、あなたに一つ仕事を与えるわ。喉が渇いたから何か飲み物を買ってきて頂戴な」

「パシリですか俺は」

「あなたの力量だとこれくらいが妥当でしょう。文句を言わないでさっさと行く」


 小銭を手渡され、背中をパシンと強く叩かれる。あとはこの痛いスキンシップさえなければ、四倍はモテるのに……なんてことを思いつつ、怒られないうちにさっさと飲み物を買いに行くことにした。


 一階の中央広間まで降りて自動販売機に向かうと、ありえない先客の後ろ姿があった。最初は見間違いかと思ったが、何度見ても啓太の目には赤髪が輝く女性の後ろ姿にしか見えなかった。

 あんな目立つ、神々しいくらいの赤い髪をした女性を、啓太は一人しか知らない。


「か……かい、ちょう……?」


 自然と口から出てきた声はかすれていた。初めて幽霊を目にした人はもしかしたらこんな声を出すのかもしれない。

 啓太の声を聴いて振り返った先客は、厳密にいうと生徒会長の天城怜樺ではなかった。肩まで伸びた赤い髪を下ろし、黒のヘアピンで前髪を分けている。青い目も生徒会長と同じだが、どこか深みのある落ち着いた眼差しをしている。ただし雰囲気に違いはあれど総じて他人には思えないほど顔は会長に酷似していると言えた。


「え?あなたは……」

 驚き、戸惑いながら少女は啓太を見ている。


「し、失礼しました。生徒会長だと思ってしまって……」

 啓太は慌てて人違いを謝罪した。よくよく見れば、生徒会長よりも小柄だし顔つきも若干幼い。


「……構いません。姉とは、よく間違われますので」


 ――――姉妹だったのか。どおりで顔が似ているわけだと納得が言ったが、今度は逆に姉との違いが強く印象付けられる。声の調子や態度、しぐさや表情が姉とは対照的に見える。


「会長の妹様だったとは、本当に失礼しました。俺は財務部一年の成瀬啓太って言います。」

「存じています。姉が作成した入学試験を初めて満点で突破した人ですから……もっとも、悪評も聞こえてきますが」

「悪評、ですか。参考までにお聞きしても?」

「期待外れだと聞いています。財務部が抱える不良債権とも聞いています」


 啓太は頭を抱えたくなるのを必死に抑えた。仕事はあまりできない方だと自覚はあったが、まさか同年代の少年少女たちにそこまで言われているとは思わなかった。いや、思いたくなかったの間違いかもしれない。特に、不良債権は心に響く。


「なかなか手厳しいですね、ここの人たちは」

「気にしなくてもいいと思います。勝手に期待を寄せている方が悪いのですから」


 小さな声で淡々と話す天城妹だが、一瞬だけ表情が曇ったのが見えた。勝手な想像だが、おそらく彼女も、英雄の妹として大きな期待を寄せられているのだろう。あれだけインパクトの強い人が身近にいるのはいったいどんな気分なのか、少しだけ興味があった。

 そんな啓太の様子が見て取れたのか、天城妹が切り出してくる。


「姉が気になりますか」

「え? ああ……政府の入学式以来、直接顔を見ていませんからね。元気にしていらっしゃるかなと思いまして」


 後頭部をさすりながら適当にごまかす。ついでに会長に会いたいそぶりも見せる。

 妹に出会えたのはまさに幸運だったが、啓太としては姉の方にもできれば会っておきたかった。

 天城妹はしばらく啓太をじっと見ていたが、何を思ったのか意味深な返事をする。

 

「…………あまり心配しなくても、近いうちにあなたは姉に会えると思います。姉にも、そして私にもあまり時間は残されていませんから」

「時間が残されていない?それってどういう――」


「――紗愛(さら)様!こんな所にいらっしゃったのですか!」


 啓太が質問しようとしたところで、野太い声が広間に響き渡る。続いて大きな足音が近づいてきて、啓太と少女の前に男子学生が現れた。

 この男子学生は真嶋龍太郎(まじまりゅうたろう)といい、浅黒い肌をした厳つい顔と、優に百九十センチを超えているだろう巨体の持ち主だった。

 世間でも英雄である天城怜樺や、ド〇えもんと言わんばかりに様々な製品を世に出し続ける、技術産業部部長に次いで有名な人物とも言え、国家の治安維持を業務とする治安部の部長を務めている。政府に入って一か月の新米でも知っているくらいには政府内でも認知され、畏怖されている。


「紗愛様、行き先を告げずにあまり一人で外出しないようにとあれほど怜樺様が……」

「ご心配をかけて申し訳ありません。少し気分が悪かったものですから」


 真嶋は心配そうな視線を紗愛に向けたが、すぐに啓太に気づき、威圧するような目で睨みつけてきた。視線だけで人を殺せそうなほどの殺気を向けられた啓太は生きた心地がしない。


「お前は誰だ、ここで何をしている」

「財務部所属の一年、成瀬啓太(なるせけいた)といいます。ここで飲み物を買おうとしていました」

「こんな時間に、か。それに見たところ何も買っていないようだが、本当に用事はそれだけなのか?」

「やめて下さい真嶋さん。私が彼を呼び止めて、お話をしていたのです」


 気を使ってくれたのだろう、紗愛が助け船を啓太に出す。あんなに恐ろしい顔と声を持つ真嶋からの問い詰めは健康上よろしくないので、正直なところありがたかった。


「紗愛様がそう仰るなら……成瀬といったな、用事を済ませたらさっさと業務に戻るように」

「了解しました」


 厄介な人物に警戒された以上、彼女から聞き出せることは今はもう何もない。

 啓太は軽く返事をすると、ポケットの中の硬貨を自販機に突っ込み、適当にボタンを押して飲み物を購入した。出てきたのは「サトウキビジュース」と「おでんジュース」だった。


「それでは、俺はこれで失礼します」

「お待ちください」


 缶をポケットにしまいながら広間を立ち去ろうとすると、紗愛が声をかけてくる。


「自己紹介をすっかり忘れていました。私は現生徒会長、天城怜樺の妹で天城紗愛と申します。生徒会所属の一年生です。それと……」


 自販機に近づいて飲み物を買った紗愛は、今度は啓太に近づき、そして慎ましい笑顔とともに缶を手渡してきた。


「お近づきの印に、ぜひこれも飲んでください。成瀬さんもきっと気に入りますから」

「あ、ありがとうございます……」


 手渡された缶に書かれた名前は「ふかひれスープ」だった。プレゼントを貰うのは素直に嬉しいが、いかんせん貰うものがまともじゃないので嬉しさは半減する。それに彼女に、完全に同類だと思われているのもいただけなかった。


 広間を出る去り際に真嶋が奇怪なものを見るような目でこちらを見ていたのは、ジュースのせいだと思いたかった。



「遅いわよ成瀬くん、ジュースもまともに買えないのかと思ったじゃない」

「けっこう種類あったんで迷ってしまいまして、ささ、好きなもの飲んでください」


 ポケットに入れておいた三本の暗黒物質の缶を机の上に置く。どれを選んでももれなくまずいという最悪のオプション付きだった。どうせまた怒られるんだろうな、と悟りに似た心境で彼女を眺めていたが、彼女は缶ジュースから目を離さないでぽつりと漏らす。


「……意外、成瀬くんって私の好みがわかっていたのね」

「へ?」

「これ全部私が好きなジュース……誰にも言ったことないけれど。ありがとう成瀬くん」

「…………あっ、はい」


 速水に珍しく素直に礼を言われたが、啓太はちっとも嬉しくなかった。どうしてさっきの妹といい、この人といい、見た目が良い人は味覚が狂っているのだろうか。

 上機嫌でジュースを飲んでいる速水に、啓太は先ほどであった紗愛について聞いてみることにした。普段は気難しい彼女でも、今ならば素直に何でも答えてくれる気がしたからだ。


「速水先輩、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「ジュースに免じて許可しましょう。何かしら?」

 二本目の缶を開けながら、速水はこちらを向いた。


「生徒会長に妹さんがいらっしゃるそうですね。ご存じでしたか?」

「ご存じも何も、そんなことも知らなかったの?天城紗愛はあなたの同級生で、生徒会長の妹で……そして次期生徒会長よ」


 次期生徒会長という言葉に、さきほどの紗愛との会話を思い出した。時間がない、ということは今の生徒会長がそろそろ代わるということを示していたのか。


「次期……ということは、生徒会長は代わるんですか」

「いくら英雄といっても天城怜樺は人間。この世界で二十歳以上を生きるのは不可能なのだから、代替わりも検討するわよ普通」

「なるほど。そういえば生徒会長はもう十九歳でしたね」

「そう。彼女は今年のうちに死んでしまう。三年前に国を立て直した時、彼女が十六歳だったなんて本当に信じられないわ。同じ十六歳でもあなたとは対極ね」

「うぐっ……お、俺はこれからビッグになるんですよ、たぶん」

「そんな調子じゃすぐ二十歳になってお終いよ。そう、だから私たちは今を精いっぱい生きなければならないのよ」


 遠い目をする速水。彼女が優秀で、二年生にもかかわらず財務部でも高い地位にある理由が、少しだけ垣間見られたような気がした。

 気を取り直して啓太は質問を続ける。


「生徒会長の代替わりって、この国だと初めてですよね。何か、就任式みたいなことするんですかね」


 気軽に聞いたつもりだったが、思いのほかタイムリーな内容であったらしい。速水は口に人差し指を当てると、小声で話し始めた。


「……財務部で予算案の作成に取り組んだ人は知っているし、どうせ後でみんなわかることだから話すけど……今年の予算が例年よりも少し多めに組まれているのよ。ほぼ間違いなく、生徒会長の交代に関係しているはずよね。こうやってあなたのお尻を叩いて税金を回収させているのもおそらくは、増えた分の予算に充てるためよ」


 これはとても興味深いことを聞いたと啓太は思った。啓太自身、彼女が何もせずにこのまま二十歳を迎えて死ぬはずがないと思っていたのだ。あとはその予算を具体的に何に使うか、それが知りたいところだった。


「あの……具体的に何をやるのかは、知っていますか」

「……残念だけど知らないわ。仮に知っていても、そんなこと今の段階で下っ端のあなたには教えられないし、第一あなたには関係が無いことでしょう?」


 フンと鼻を鳴らして言い放つ速水。賢い選択、と言いたいところだが、態度でだいたい予想は付いた。

 しかし残念なことに、どうやらこれ以上は何も聞き出せないらしい。


「先輩、ありがとうございました」


 啓太は丁寧に礼を言って廊下へと出た。すっかり付けていることを忘れていた腕時刻を見やると、時刻は夜の七時を回っている。脳が時間を認識した瞬間に、胃が空腹を告げてくるのは見事な連携であるといつも思う。

 政府から出て、最寄りのコンビニに向かう。夜食のカップ麺とミネラルウォーター、眠気覚ましのカフェイン入りガムを購入し、もう一度政府にとんぼ返り。そして小腹を満たした後には眠気や疲労と闘いながら残業をする。こんな生活を続けて一か月経つが、肩こりと頭痛がひどくなったような気がする。

 『訓練生』上がりが十歳からこんな生活をしていることを考えてみると、自分はまだマシな方だと思えてくるから不思議なものだ。

 既に残業時間の財務部の部屋に戻ってきても、首をコキコキと鳴らしたり、あくびをしながら机に向かっている同僚たちがたくさん居る。速水も自分でジュースを補充したのか、珍妙な空き缶が二本ほど机の上に並んでいた。


「もうひと頑張りと行きますか……」


 右肩を回し、身体をほぐしてから啓太も残業に取り掛かる。大して仕事ができない自分でも、やる気があることだけはアピールしなくてはならない。やる気があると思われれば、必然的に様々な雑務が啓太に回ってくる。

 啓太はガムを大量に口に含みながら惰性でノートパソコンを叩き続けて、エクセルで表を作り続けた。


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