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 五月上旬。黒生地に金の刺繍をあしらったちょっぴり偉そうにも見える制服を着た少年、成瀬啓太(なるせけいた)は古びた三階建てのアパートを訪ねていた。この時期はゴールデンウィークという素敵な連休期間がかつて存在していたが、このご時世にそんなものは期待するだけ無駄だった。啓太が高橋遥(たかはしはるか)という十四歳の少女と妹が二人で住んでいる部屋に現在居座っているのも、悲しいことに仕事だからである。


「あー……その、俺が来た用事、わかるかな?」


 気まずそうに啓太が、目の前で俯いて正座している少女に切り出した。少女は一度うなずく

と、こちらをちらりと見ながらか細い声で返事をした。


「税金、ずっと払えてないから……ですよね?」

「そうだ、督促状も送った。ちゃんと届いてるよな?」

「はい。この赤いお手紙が届いたので、読みました」


 少女が手に握っている紙は、税金未納者に届けられる『政府』お手製の赤い督促状。子供でも読めるように大きな文字で「ぜいきんをおさめてください」と書かれている。


「よし、なら話は早い。滞納してある税金今すぐ払えるか?」

「そ、それは……そのぅ……」


 啓太にはっきり尋ねられると、少女は返事に窮する。その様子を見ていれば、支払いが難しい状況にあることがわかる。

 啓太はふと室内を見渡してみる。六畳一間の小さな部屋の真ん中に古いちゃぶ台が一つ。まともに動いているのか不明な小さな冷蔵庫とエアコン、そして座布団が二つと大きな毛布が一つ、床にたたまれているだけだった。こんな様子では、この一家に差し押さえできるものは皆無とも言えるだろう。


「ご、ごめんなさい。今はお支払いできそうにも……」

「そっか……なら仕方ないか」

「あ、あのっ! 家にはもうお金になる物も無くて、私が一生懸命働いて必ず払いますから! さし、差し押さえだけは待ってください!」


 税金を支払えない旨を聞いた啓太が差し押さえをしてくると思ったのか、少女は慌てて懇願してくる。

 啓太は苦笑しながら少女の頭に手を置いて、落ち着かせた。


「まぁそう慌てないで。俺は税金納入の催告に来ただけで、差し押さえに来たわけじゃないんだ。それで支払えない人には、色々とお話を聞くことにしている」

「お話……ですか? 私は、何をお話すれば……」

「そうだなぁ、家族の様子とか、仕事は何をしている……とか、あとは彼氏はいるのか……とか、かな」

「かかか、彼氏ですか⁉ それは、その、財務部さんのお仕事に関係あるのでしょうか⁉ 」


 少女は顔を真っ赤にしながら首を振り出す。しめたと思い啓太はニヤリと笑って畳みかける。


「当たり前だろ、むしろそっちがメインだ。いるのか、てかいるんだろう? お兄さんは恋バナ好きなんだ。聞かせてくれるかな?」

「うぅ……か、彼氏というか、好きな人はその、いることには、いるんですけど……」

「おお、どんな人?良かったら教えてくれよ」


 啓太は本題に入る前に必ず、こういったとりとめのない話から切り出すようにしている。子供相手にいきなり身辺や財産について直球で尋ねるよりも、相手に心を開いてもらった方が色々と情報を得やすいからである。こういった女子の場合はスイーツや恋について、男子の場合はスポーツや趣味から切り出すのが常だった。


「えーと、職場の二つ上の先輩です。とっても優しくて、カッコいいんですよ?」

「……俺とタメじゃんその人。そ、それで遥ちゃんはその先輩と、どんな仕事をしてるんだ?」

「病院でお仕事をしています。といっても、私は事務勤めなんですけど……先輩は、立派なお医者様でとってもカッコいいんです」

「病院で働いているのか……立派だな」啓太は思わずつぶやいた。


 掛け値なしにそう思った。少し前ならこの年頃の女の子は、趣味に恋に勉強に忙しくて、それが普通で当たり前だったはずなのだ。しかしながら一度崩壊してしまった人口構造が、それを許さない。社会が機能していくために必要な労働力は、十歳を超えた『成人』が賄っていかなくてはならないのだ。それ以外の『未成年』は十歳になるまでに教育を受けて、必要な知識や技能を学び成長することが義務付けられる。それこそが現生徒会長が推し進める『二十年国家構想』の骨子でもあった。


「立派なんかじゃありません」少女はぽつりと言って続ける。

「みんな必死で働いて生活して、しっかり税金を納めています。でも私はそんなことも出来ずに、こうして財務部のお兄さんに迷惑までおかけして……」

「遥ちゃん、現状の税金滞納者のほとんどがどういう人間か考えたことはあるかい?」

「え?」

「大人が消えた現実を受け入れられずに政府の方針に反発して、労働もせず何もしない。そうやって遊んで無駄な金を使っては、生活を保護しろだのこの国はおかしいだのと政府に訴えかけてくる連中ばっかりなんだ。でも遥ちゃん、君は違う。文句も言わずに一生懸命働いて、妹さんを養いながらも二人で生活している。その上で税金の支払いが滞っているだけに過ぎない。……きっと、何か事情があるんじゃないか?」

「そ、それは……」


 少女が言い淀む。話を聞いていると彼女は事務勤めとはいえ病院で働いているし、妹という扶養家族もいる。それでも税金を支払えていないのは、何か大きな支出を抱えている可能性が高い。また、彼女が答え辛そうにしている様子から、何となく支出の予想は付いたため、啓太の方から優しく切り出した。


「正直言うと、俺には事情は大体わかる。妹さんのことだろう」

「……やっぱりお兄さんに隠し事はできませんね。お察しのとおり五つ下の妹、(かえで)のことです。あの子は『訓練生』なんです」

「妹さん、優秀なんだな。何しろ国が主導で進める英才教育である以上、そいつになるには相応の資質が必要だ」

「相応に学費も必要ですけどね。それでもあの子には訓練を受ける資質があるから……お金が無いから、なんて言ったら……お姉ちゃんとして情けないじゃないですか」

「遥ちゃん……」

「隠しておきたかったけど言っちゃった。これで私の財産状況はわかりましたよね?妹を退学させれば、私は税金を支払うことができます。私から言えるのは、これだけです」


 覚悟を決めたかのように少女は啓太を見つめながら話す。彼女はれっきとした大人だった。

 まだ十四歳だと言うのに自分を殺し、妹の未来のために生きている彼女が啓太にはとても眩しく、そして哀しく見えた。二十歳までしか生きられないことが常識な世界で、その生き方を選択するために、彼女はいったいどれだけの涙を呑んだのだろうか。


「なぁ、遥ちゃん」


 啓太は姿勢を正して彼女の視線に真正面から向き合う。今だけは自分の仕事を無視してでも伝えたいことがあったからだ。


「俺は新政府高校の財務部に所属している。国の予算を考えたり、国庫の管理をしたり、今みたいにどうにかして税金を確保して国の予算に充てることも俺たちの仕事だ。それはみんな、この子供だらけの国をどうにか機能させていくためにも必要で、大事な仕事だって言える。……でもね、俺は税金を国民から確実にむしり取るよりも大事なものがあると思っている。それが何だかわかるか?」

「……わからないです」

「それは未来だ。目先の金なんかよりも、ずっとずっと、大事なものなんだ」

「未来……」

「税金なんてちっぽけなものより、妹の未来を選んだ君の判断は間違っていない。それどころか、間違いだらけのこの国で唯一の最適解と言えるかもしれない」


 啓太は思わず熱くなって語ってしまう。それほどまでにこの少女の生き方に心を打たれてしまったのかもしれない。今はまだ伏せておくべき胸中が出てしまいそうになる。少女は目を丸く開いて啓太をじっと見つめていた。


「お兄さんは政府の人、なんですよね。この国のために働いているん……ですよね?」

「…………ああ、そうだな。ちょっと話しすぎたみたいだ。とにかく遥ちゃん、俺は現時点で君から税金を取るつもりは全くない」

「ほ、本当ですか!でもそれじゃ、お兄さんは……」


 再び俯く少女に、啓太は頭を撫でる。


「俺のことは心配いらない。ちょっと偉い人に怒られるだけだし、それに君から一生税金を取らないとは言ってないぞ。妹さんは確か九歳だったな」

「ええ、成人まであと一年です」

「じゃあ一年間は絶対に税金を取らない。約束だ。その代わり、君の妹さんが無事に訓練を終えて立派な成人になったら、その時は滞納分も含めてしっかりと税金を支払ってもらう」

「お兄さん……ありがとうございます」


 微笑みながら少女は啓太に感謝を述べたが、受け取る啓太の心は晴れない。こんな条件しか出せない自分にも、こんな姉妹から金をむしろうとする国家にも嫌気がさしていた。

 それでも、目の前で笑ってくれる彼女にこんな気持ちを伝染させるわけにはいかず、啓太は努めて明るい声を出した。


「妹さんは将来何になるんだろうなぁ。医者とか弁護士とか、高給取りならパイロットでもいいな!それに宇宙飛行士!カッコよくてモテる仕事はいっぱいあるぞ」

「くすくす……男の子の夢ばっかりですね。ちょっとだけでも女の子の夢も想像してみてください」


 少女に言われ、しばしの間思案する。一か月前に解いた政府の入学試験よりもよっぽど難しい問題だった。


「そうだな……うーん…………お嫁さん?」

「あははは!お兄さんって顔に似合わずロマンチストなんですね」

「ロマンチスト……か。そうかもしれないな」


 不思議なことに口に出してみると妙にしっくりくる表現だった。生まれて初めて他人に言われた言葉だが、まさに自分を表す六文字なのかもしれない。自分でもどうしようもないほど希望や理想に恋焦がれて、追いかけて、手を伸ばして――――


「――お兄さん?どうかしましたか?」

「ん?いや、妹さんの夢がお嫁さんなら、俺が旦那に立候補しようかなって考えてた」

「さすがに冗談ですよね?それに今の法律だと結婚は一四歳からですし、お兄さんはその頃はもう亡くなってると思いますけど」

「諦めなけりゃどうとでもなるぞ、法律なんて変えちまえば……」

「じょ・う・だ・ん・ですよね?」


 笑いながら詰め寄る少女の目は笑っていない。素直に謝って早く帰ろう。


「冗談ですごめんなさい。ささ、さーて! 用事も終わったことだし、俺は帰るかなぁ!」

「あ、あの、お兄さん!」


 立ち上がって玄関に向かおうとする啓太の腕をつかんで、少女が声をかける。

 少女は深呼吸をして背筋を伸ばし、そして丁寧にお辞儀をした。


「本当にありがとうございました。私、残りの六年間必死で働いて、必ず税金を納めますから……その時まで待っていてください!」

「うん、待ってる。それじゃ」


 啓太は少女の方を見ることなく、頭の中で響く『その必要はない』という声を無視して、辛うじて口から絞り出した返事をしてアパートを出た。


 アパートの錆びついた階段を降りて政府への帰路につく。夕焼けの中、啓太と同じ歩道を歩いて、そして通り過ぎていく人にやはり大人はいない。

 スーツを着た小柄な少年がビジネスバッグを抱えて走っている後ろ姿が見えた。啓太は少年の着たスーツをユニフォームに、手に持ったビジネスバッグをサッカーボールに頭の中で変換してみた。悲しいくらいに何の違和感も無かった。


 地下鉄に揺られながら、彼女は自分とは逆の視点を持っていたのだろうかと、ふと赤髪の英雄に思いを馳せる。

 彼女はユニフォームをスーツに変えた。サッカーボールをビジネスバッグに変えた。そうしなければ、今の日本は無かっただろう。そして彼女が世間に現れてから三年が経ち、今や日本は世界でも数少ない、子供大国としての地位を高めている実績もあってか、彼女を「世界最高の指導者」、「赤の女傑」、「英雄」などと呼んで称賛する声は後を絶たない。


 地下鉄から降りて地上に上がると、啓太の職場でもある政府が見える。もうすっかり夜だというのに周囲に光をまき散らして、一際存在感を放っている。あの場所が眠ることはこれまでも、そしてこれからもないのだろう。

 携帯に着信が入る。ディスプレイを見れば上司からの着信だった。出る必要はない、あと五分もすれば直接顔を合わせるのだから。

 少しだけ足を速めて革靴を鳴らしながら、啓太は政府へと向かった。

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