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異世界転生ものではありません。魔法も出てきません。
ただし近未来なので高性能なメカや技術などは出てきます。
感想、誤字脱字報告、評価募集中です。
都市を行き交う人々に大人はいない。身長や体格、性別の差異はあれど、皆同様に持つ共通点は「二十歳未満である」こと。貧富も貴賤も関係なく、そこに該当しない者はまるで神がルール違反だと言わんばかりにいつしか地球上から死に絶えた。
二〇三七年現在、発展をつづけた文明は半年前に突如発生した人口構造の変化に伴って、その機能を失いつつあった。科学や技術は発達していたとはいえ、それを適切に運用する者は大人が中心だったため当然とも言える。国を動かす政治家は消え、けがや病気を治療する医者も、飛行機を動かすパイロットも、いなくなってしまえば残った子供にはどうすることもできなかった。
行くあてもなく道路を真っすぐ歩いていた少年は、路上の真ん中で裸になった男の死体を見つけた。目立った外傷も無く眠っているかのようにも見える死に顔を見て、彼は最近二十歳になってしまったのだろうと少年は推測した。この世界は人間が大人になることを決して許さず、平等に「死」という罰を与える。世界に命をむしり取られた上に、子供に下着まで取られた男の死体を哀れに思いながらも、少年はまた歩き出した。ここで得られるものは何もない。
物乞いの少女に食糧をねだられ、ゴミ箱を漁っていた青年にゴミを投げつけられながらも少年は歩き続ける。三十分ほど歩いていると、コンビニエンスストアが見えてくる。店内に入っても、その場所が便利と呼ばれた名残はなく、空っぽの陳列棚が少年を出迎えた。無駄だと思いつつも、いつもの習慣で床に這いつくばると、棚の隙間にカップラーメンを発見。少年は慣れた手つきで隙間から食料を回収すると、乱暴に蓋を開けて即座に食事に取り掛かった。お湯は用意できないので、そのまま固い麺を噛み砕き、粉末状のスープを喉に流し込んだ。二日ぶりの食事に胃が歓喜していたが、同時にもっと栄養を取れと脳が注意を喚起していた。
食事を終えて店を出ると、外は雪が降っていた。すぐさま少年は店内に戻り、できるだけ入口から離れた。飢えと寒さは子供の肉体を容赦なく殺すことを、ここ数日間で少年は理解していた。同じことを考える子供がいたのだろう、ほどなくして入口に人影が現れる。店内に駆け込んできたのは頭に雪を乗せた小柄の少女だった。少女は警戒しながら店内を見渡し、少年を見つけると落胆しながら走り去っていく。
賢い選択だ、と少年は去っていく少女の背中を見ながら心の中で思った。あのまま少女が警戒もせずに店内で寒さから逃れようとして、自分が襲わないという保証はどこにもない。ましてや自分が誰かを襲ったところでそれを咎める存在は、今や自分の良心しか無い。そんな状態で誰かを信じろと言うほうが無茶な話だった。トマス・ホッブズが表現した「万人の万人に対する闘争」をまるで忠実に再現したかのような光景を、少年は何度も見ている。罰則を設けて闘争を禁じる法があっても、それを為しうる強制力を持ち執行する者たちがいなければ何の意味も持たないことは自明だった。
正義も悪も、それを社会の中で定義する者がいなければ千差万別。日本がかつて法治国家であった面影は今や見られない。子供たちは何をしても許されるし、何もしなくても許された。
大人が消えてから三か月ほどで、一つの高校生を主体としたグループが立ち上がった。日本各地で声を高々に叫び、不毛な争いや暴力をなくして一致団結すべきだと主張したが、そんな彼らは三日後に全員死体で発見されることになる。少年には理解できた。彼らには「力」が足りなかったことを。
問題点は単純だった。この国は、この社会は少年にとって生き辛いのだ。
このままでは少年は生き残るどころか、この世から退場してしまいかねない。この異常現象に混乱した奴らに巻き込まれ、死ぬことだけは嫌だった。
何が正義で何が悪かを定義し、悪を裁いて国を統率する、そんな絶対的な力を持つ存在が少年だけでなく、国民にも求められていた。しかし少年はあまり期待していなかった。そんな存在が現れることはない、もしくは登場に途方もなく長い時間がかかることは容易に想像ができたからだ。無法となった国を統率し、飢えた国民を生かすことは簡単にはできない。
もし、今すぐにでもそれを成し遂げる、そんな絶対的な存在が現れてくれたのなら、その存在は神か――――
「……………えす…………に…………」
幻聴が少年の思考をかき消した。自分の頭の中で作った音のはずなのに、その幻聴は店の外から聞こえてくる。音に身体が引っ張られるかのように、少年はおぼつかない足取りで店を出た。
店を出ると多くの子供たちが揃って同じ方向へと歩いている様子が目に入る。聞こえるはずのない幻聴はどうやら東の方向から流れてくるらしく、少年は夢中でその方角へと駆けた。
走り続けていると、音はだんだんと大きく聞こえてくる。通信網、電気や水道、ガスなどのライフラインがもまともに機能していない現状でその音がなるはずがないことを頭では理解しているはずなのに、もはやその音が幻聴ではないことは外にいる全員が気付いた。
「あ、ありえない…………」
近くにいた男が小さな声で呟いたのが聞こえた。男の方に視線を向けると、街に設置された大型ビジョンを、あんぐりと口を開けてみている。視線に釣られるようにして、少年もビジョンを見る。
そして……少年はまるで嬉しくてたまらないかのように顔を歪めて笑う。
映るはずのないビジョンに、一人の赤髪の少女が映っていた。
「繰り返し伝える! 日本は今この時を持って国家としての機能を復活させたことを宣言する! 力なき子供たちよ、理不尽な暴力や略奪に怯える日々はもう終わりだ! 寒空の下で泣きながら夜が明けるのを待つ日々はもう終わりだ! 大人がいないと喚き嘆く日々はもう終わりだ!」
赤髪の少女は力強く宣言する。有無を言わさぬ強い語り口と声、そして強い目で国民を圧倒していく。
「二十歳になれば死ぬ? 大人が死に絶えた?……それがどうしたッ!だからこの国は終わるのか、罪もない子供が傷つくことを認めるのかッ! 聡明な諸君らならばわかるはずだ、それが間違っていることを! 我々は二十年しか生きられずとも、人が人らしく生きることを放棄してはならないことを! まずはそれをもう一度諸君らに考えてほしい」
現状の社会をありのままに、しかし強い憤りと意思をもって語る少女のその姿は神々しくさえ見えた。
凛々しく力強い声は雷鳴のように街に轟く。ビジョン越しに見える彼女の大きな青い瞳は、子供たち一人一人の心の奥底まで見えているかのように澄みきり、そして彼らを射抜く。
「憎みあい、限られた資源を奪い合う日々は私が終わらせる!食料も、水も、電気も、住居も、国民全員が平等に利用できるように手配する! 私にはその力がある! 電力を用い、電波を利用する公衆放送で私の姿が見えているならば、その言葉が嘘ではないことがわかるはずだ! すでに主要な通信網を私は回復させつつある!」
「……そ、そうだよ……こんな放送、普通の奴にできねぇって!なぁおい、間違いねぇ!この人こそ俺たちを救う英雄だ!」
熱心にビジョンを見つめていた一人の青年が叫んだ。その声に釣られるようにして聴衆たちからぽつぽつと声が挙がり始める。
「やっと、あったかいごはんが食べられるの……?」
「も、もう怖がらなくてもいいんだよね?殴られなくても済むんだよね……?」
「わ、私はあったかいお風呂に入りたい!」
口々に歓喜の声と安堵の表情が広がる。少年は冷めた視線でそんな周囲を眺めていた。
その時、大きな物音と怒声が鳴り響く。
「……黙って聞いてりゃごちゃごちゃうるせぇんだよ!理想ばっかり語る英雄気取りの糞女がナメやがって。それならてめぇに俺が止められるのか! おらぁ!」
ガタイの良い男が怒声を挙げ、近くにいた背の小さな子供を殴る。殴られた子供は鼻血を吹き出し、静かに泣いていた。法も警察組織も機能していない今や、圧倒的な暴力を前に為すすべなど存在しないことを男は理解していたのだろう。その後もまるで挑発するかのように辺りに攻撃を続けていた。
その様子を無表情で見つめていた英雄と呼ばれた少女は、断罪するかのようにゆっくり口を開き、そして告げた。
「田口正也、十八歳。現在所在地……札幌市。暴行傷害の罪で貴様は後日逮捕、処罰をする。必ずな」
「あ?……て、てめぇなんで俺の名前と居場所を!」
「言わなかったか?私にはそれだけの力がある、と。あと二年しか生きられないくせに、そんなくだらないことをするとは……おっと、そんなことより、捕まりたくないならばできるだけ遠くに逃げることだ。もちろん絶対に逃がしはしないが」
「くそッ!」そう吐き捨てると暴行男はすぐさまに駆け出し、どこかへと逃げていった。
場に満ちる安堵の吐息と男への憎悪。少年は男の逃げていった方を見てニヤニヤと笑う。
「さて」
英雄は言葉を切って聴衆への視線を和らげる。先ほどまでの強烈な威圧感を放っていた姿を一変させ、まるで全てを包み込むかのような慈しみの笑顔を浮かべて口を開く。
「愛おしき諸君らの姿は私に見えている。終わらない地獄にさぞ苦しんだことだろう。傷ついたことだろう。もう安心してくれ。約束しよう、こんな日々を一日でも早く終わらせることを。だから諸君らも私を信じてほしい。そして私に託してほしい、諸君らの権利の一部を。そうすることで私は誰もが等しく安全に二十年を生きる事ができる国家を作りたい! 無駄に傷つけあうことも争うこともなく、諸君たちは二十年を生きる事ができる、そんな国家を……この手で」
英雄は左腕を伸ばして虚空を掴んだ。そしてそのまま自身の胸を力強く叩いて続ける。
「これが私の掲げる二十年国家構想だ。そしてこれを実現するためには、諸君らの力が必要である。…………どうか、どうか! 私に手を貸してほしい! 子供たちが傷つく社会を見ることはもうたくさんなのだ! 勝手な願いであることは承知している! どうか私の言葉に耳を傾けてほしい!」
英雄は涙を流しながら叫ぶ。機能を無くした国を憂い、残された子供たちを憂い、いがみ合う社会を憂う。誰よりも現状を悲しみ、誰よりも現状を変えようと思考し、誰よりも強い覚悟を抱いた英雄の姿に、ビジョンを見つめる聴衆たちもおのずと心を打たれていた。
止めどなくあふれる涙を気にも留めず、英雄は叫ぶ。信じてほしいと。託してほしいと。声が枯れるまで、英雄は演説を続け、最後に大衆をゆっくりと見まわして告げた。
「明日の正午、もう一度全国に向けて放送をする。その時、私に国を託してくれる決意を持った者は、その意思を示してほしい。私の名を叫んでもいい、私の名を何かに書いても構わない、私の名を胸に刻むだけでもいい! いいか、私の名は――――」
英雄は涙を拭い、たった六文字を叫ぶ。大人の死滅した国を、社会を、残された子供たちを救うために立ち上がった英雄、その名は――――
「天城怜華だ」
十二月二十四日正午、子供たちは日本各地でその名を叫び、その名を刻んだ旗を振り、その名を胸に敬礼をし、英雄の登場を待った。英雄はこれを国民からの承諾と信託を受けたと判断した。
国会議事堂を改装した新政府高校、通称『政府』を作り、ここに入学した十六歳以上の優秀な若者が中心となり、国を運営していくことを通達。このシステムは後に、『一校独裁体制』と呼ばれ、そこでは天城怜樺が生徒会長に就任。実質的な国家元首として国を統治していった。
残された子供たちは英雄に従った。自ら進んで今までの何倍もの努力をし、特別な技能や知識を身に着け、過酷な労働に従事した。全ては新しくこの世界に生まれてくる子供たちのため、そして自分たちの二十年を安全に生きるため。
彼女の掲げた『二十年国家構想』の元、国家は驚異的な速度でその機能を取り戻していった。
その英雄の登場から、三年が経つ。