マナと受容体
しばらくは楽しそうにヒデオの様子をチラチラ見ながらスカートを揺らして歩いていたシルエだったが、しばらく経ってもヒデオが全く反応を示さないのにつまらなくなってきたのか普通に歩きだした。
「むぅ…」
シルエはなんだかほっぺを膨らませ、すごく不満そうな顔をしている。
「もう!見たり見なかったりなんなの?おじさん?今がチャンスだよ!?」
何を言ってるんだこの子はと、じっとりとした視線をシルエに送りながらヒデオは言った。
「俺はもうおっさんだからな。さすがに自分の娘でもおかしくないくらいの年齢の女の子に興奮なんてしないよ。」
「もう!せっかくお姉ちゃんに教えてもらった方法をおじさん相手に試して見たかったのに!反応が無いんじゃ面白くないよ。」
はぁ。とシルエはため息をついた。
…この子の保護者は一体彼女に何を教えているのだろう…。後、幼い頃のヒカリに似ている分少し妙な気持ちになったのは心の中に秘めておこう。
ヒデオは心の中でそう思った。
「もう!おじさんのとーへんぼく!」
「なんだそれ。」
ヒデオは笑い。シルエは不満げに歩き始めた。
それにしても、随分と険しい道のりだ。
苔や草に覆われた金属の残骸を見るに、どうやらこの場所は遥か昔に戦場になった様に見える。
大きなクレーターや、大きな力で盛り上がった地面。
そのほとんどが草や苔で覆われているが、地形を変えてしまうほどの戦いがあったというのを感じることができた。
「ここは戦場だったのか?」
ヒデオはシルエに話しかける。
シルエは少し翼を広げ、少し羽ばたくと魔法を使うまでもなくひょいと段差を飛び越して、ヒデオに言った。
「うん。そうだよ!でもすごく前の事なんだ。大体千年前くらいかな。」
「…千年か…。気が遠くなるな。」
ヒデオもそれにならい、巨体にも関わらず段差を難なく飛び越す。
「そうだね。その戦いで多くの文明が滅んじゃって、千年前の文明は今じゃ前時代って呼ばれてるんだ。
昔の方が文明が優れていたから今の技術じゃ作り出せない物も遺跡からたくさん発掘されるんだよ。」
「へぇ。それはなんだかロマンを感じるな。」
古代遺物。太古の文明。それらにロマンを抱かぬ男が存在するだろうか?
ヒデオも例にもれずその手の物は大好物だった。
しかもこの世界。エレウテリアは魔法すら存在する異世界。どんなアイテムが存在するのかとヒデオの心は嫌でも高まった。
…それに、もしヒカリが病に伏していたら、それを治すマジックアイテムなんかも存在するかもしれないしな。
「…なんだかおじさん嬉しそうな顔してるね?」
「ん?まぁな。そんな話を聞かされたらワクワクするのが男ってもんだよ。」
「へぇ。そうなんだ。私にはよくわからないや。」
「男のロマンってやつだよ。男はいつまでたってもロマンを求めるのさ。」
ヒデオふふん。と楽しげに言った。
「ふーん。変なの。」
◆
そのまましばらく歩いていると、シルエが何かを見つけた様でそれに駆け寄っていった。
「あー!」
「ん?なんか見つけたのか?」
地面に座り込んで何かを捕まえた様子だ。ヒデオはそれを回り込んで見てみる事にした。
「ほらっ!可愛いでしょ!」
少女の腕に抱えられていたのは、何やら緑がかった丸い球体だった。シルエの腕の中にすっぽりと収まっている。
逃げようとする素振りもなく落ち着いた様子だ。
「…なんだそれ?生き物なのか?」
「うん!エルフだよー!」
「ん?エルフ?」
昔からゲームなどは比較的好きだったヒデオはその言葉に聞き覚えがあった。
エルフと言えばよくファンタジーな世界に登場する見目麗しい種族だ。耳が長く、精霊の声が聞けたりして、深い森などに住む神秘的な種族のはず。あと、長寿でどちらかと言うと排他的な性格。
しかし、目の前の丸い球体の事をシルエはエルフだと言う。人型ですらない。まぁ、この世界はヒデオがいた世界とは違う場所だ。もちろん言葉が同じで別の意味を持つ物もあっておかしくはないが…。
ヒデオはその丸い球体に触ろうと人差し指を近づけた。すると…。
突然球体の側面が裂け、鋭い牙をむき出しにした。
「うおわっ!びっくりした。口はあるのか…。」
まるで子犬に噛まれそうになった様な反応のビデオを見てシルエは愉快そうに言った。
「残念!おじさんの個性は欲しくないんだってさ。」
「どう言う意味だ?」
ヒデオが聞くとシルエは待ってましたと言わんばかりの表情で人差し指を立てて話し始める。
「それじゃあ!いまからシルエ先生の授業を始めます!」
「お、おう。」
「じゃあまず!あれは何でしょうか?」
そう言ってシルエは木に止待っている何やら色々な物をミックスした様な緑色の鮮やかな鳥を指差して言った。
「ん?あれか?鳥だろ?」
「それじゃあ、これは?」
シルエが次に指差したのは子犬サイズの巨大な緑色のカブトムシだった。しかし、足はバッタの物が付いておりかなり不恰好な感じだ。
「うわっ!これデカイしきもいな。なんでこんなにミスマッチな身体してるんだ?
これは虫だろ?」
「ぶっぶー!どちらも不正解でーす!
正解はどちらもエルフなのでしたー。」
シルエはヒデオの回答を聞くと、待ってましたとばかりに言った。
「え?そうなの?」
「エルフはエレウテリアの中でもとても変わった生態を持つ生き物なんだ。初めは丸くて白い球体なんだけど、近くにいる生き物の個性を学習して、1世代で何度も進化する面白い生き物なんだよ。」
「へぇ。1世代で何度もか…。それは面白そうな生き物だな。」
「でしょ!ちなみにこの子達のマナの受容体は全身の細胞全てなんだって。だから、学習する生き物の個性によっては凄い力を持つ個体も存在するんだってさ。」
「受容体って何だ?」
ヒデオは聞きなれない言葉に首を傾げた。
「あっ!そうか。おじさんガイアテルスから来たからマナの受容体も知らないんだね。これだよ!これ!」
そう言ってシルエは後ろを向くと、翼をぴこぴこと動かした。
「私の種族は翼だけど、尻尾だったり角だったり、種によって結構違うんだ。」
「それでマナとやらを吸収してるんだな。」
「うん!そうだよ!受容体はエレウテリアの生き物には大切な部位でそれが無いと死んじゃう事もあるんだ。」
「そうなのか…。」
ヒデオは少し考える様に言った。
「ちなみに魔法を使う時にもマナを吸収する必要があるんだ。それで、吸収したマナを私たちの体の中にある魔臓の中にある魔力と合わせて、魔法を発動させるんだよ。」
「へぇ。そうなのか。
…ところでシルエはいま何してるんだ?」
先程からシルエはヒデオの質問の回答をしながらぷにぷにとエルフを触っている。ヒデオはそれを訝しげに見ている。
「ん?そりゃあ!私のかわいい個性を分けてあげようと思ってさ!あとこの子ってとっても触り心地がいいんだよ!」
シルエはニッと笑った。
「そ、そうか。」
ヒデオは心の中で「この子は全然ブレないな」と思った。
しばらく夢中で触った後、シルエはぷにぷに地獄からエルフを解放した。
「じゃあねー!私の様なかわいい女の子になるんだよー!」
手を振りながら満足げなシルエ。
エルフは特に反応もせず、フヨフヨと空中をクラゲの様に漂っていった。
「これであの子の人生は勝ち組だよっ!」
シルエはヒデオの方を向いて親指を立てた。
「そ、それは良かったな。」
◆
そんな事もありながら、少しずつあの巨大な大陸の方へと近づいていく。
もう少しで、大陸の前に来る。と言ったところで突然目の前に壁が現れた。
「うわっ!なんだこれ!?」
「ふふっ!驚いたでしょ!」
シルエはヒデオが驚く様子を見ると愉快そうに笑った。
現れた壁は見る限り石造りでとても古い様に思える。
それにしてもさっきまで見えなかったのは一体どう言う事なのだろうか…。
何やら翼の様なシンボルマークの刻まれた壁には、何やら不思議な感じがする。
「じゃあ、のぼろっか!」
シルエが唐突に言う。
「へ?どうやって?」と振り向いて聞こうと思った矢先、シルエは言霊を唱えた。
「おじさん!心の準備してね!
風魔の1。エアフロウ。」
「へ?」
見ると、ヒデオの足元に魔法陣が描かれている。
まさか!と思った瞬間、凄まじい勢いの風がヒデオの体を空へと持ち上げた。
「うわああああぁ!!」
中年イイダ ヒデオは太っている。その上身長は180センチもあるため、比較的大きな人だと言えるだろう。しかし、シルエの軽く唱えた魔法は、そんな巨漢のヒデオを軽く持ち上げるほどの力があるのだ。
どうやら魔法の力はヒデオが思ったよりも非常識な物らしい。
宙に持ち上げられたヒデオはある高さまでくると、浮かんでは沈む、浮かんで沈むを繰り返していた。
「うぷっ!気持ち悪い!早く降ろしてくれ!」
ヒデオは車酔いに近い感覚を覚えシルエに助けを求めた。その時、壁の上からの景色に思わず視線を奪われる。
大陸と壁に囲まれた場所はとても幻想的だった。大陸下は真っ暗で、地面の裂け目から覗く亀裂から光が漏れ出し、真っ暗な世界に木漏れ日の様な光を生み出している。所々青白く光る街灯の様なものがあり、地上なのに星空の様な美しい光景が広がっていた。
「どーん!」
「ぶっ!」
見たことのない景色にぼーっとしていると後ろから思いっきり壁の上に落とされた。ヒデオは準備をしていなかったため、顔面から落ちてしまった。どうやら後から飛んできたシルエに押された様だ。
シルエは無様に落ちたヒデオを尻目に、華麗に壁の上へと着地した。
「たっ!とうちゃーく!」
「何すんだよ!」
ドヤ顔で着地したシルエに顔を抑えながらシルエの後頭部にチョップをお見舞いしてやった。
シルエは頭を抑えながら言う。
「痛っ!おじさん!何すんのさ!」
「もう少しおっさんを労ってくれ。この歳になると受け身とか綺麗に取れないんだよ!」
「でもなんで私を叩いたの!おじさんの運動神経が悪いのがいけないんだよ!」
…くそ!これは非を認めそうにないな…。しかし、彼女がいなければここまで来れていないのも事実。ここは俺が折れることにするか。
「ああ。わかったよ。俺が悪かった。すまんな。」
ヒデオがそういうと、シルエはヒデオの頭にジャンプしてチョップをくらわせた。
「えいっ!」
「いだっ!何しやがる!」
「これでおあいこだよ!べーっだ!」
反撃を喰らわない様に少し距離をとってあっかんべーするシルエ。
ヒデオは少しイラッときたが、おさえることにした。
…相手は子供だ。俺がムキになってどうする。
「はいはい。わかったよ。それで手打ちにしてくれ。」
小さなため息を吐き。シルエに言った。
「うん。わかればよろしい!優しいシルエちゃんは許してあげるよ!ほら。おじさん。感涙にむせび泣いてありがとうございます!シルエ様って跪いてもいいんだよ!」
そのドヤ顔にまたしてもイラッときたヒデオはシルエを追いかけ始めた。
「このやろう!下手に出てりゃあ!このっ!待てっ!」
「待たないよーだ!」
シルエは素早く逃げだした。ヒデオは必死で彼女を追いかけたが運動不足の彼にシルエは捕まえられそうになかった。
壁の上でしばらく追いかけっこをした後、ヒデオは諦めて降参した。
「はあ…。はぁ。もういいや…。俺の負けでいい。降参だ。」
「ええー。もう諦めちゃうの?せっかく楽しくなってきた所だったのにー。」
そう言って勝ち誇った顔で空から降りてくるシルエ。
彼女が降りてくるのを見計らって着地の瞬間にヒデオはシルエを捕まえた。腰のあたりを掴んで持ち上げる。シルエは軽く簡単に持ち上がった。
「馬鹿め!罠にかかったな!」
「あっ!おじさんだましたね!」
「騙される方が悪いんだよ!」
「きゃーー!!助けてー!おじさんに襲われるー!」
ヒデオの腕を掴んで楽しそうにもがくシルエ。
「やめろ!シルエ!変なこと言うなよ!」
ヒデオは必死にシルエを抑えるのだった。
◆
「なんか疲れた…。」
「やー。楽しかった!追いかけっこなら負けないよ!」
二人のじゃれ合いも終わり、疲れ具合も対照的な様子の二人は床に座り、景色を眺める。
壁の上からの景色は外から見たものと全く違う景色だった。一面草原の景色から、暗い闇の中に差す光がとても幻想的な非日常的な景色。ヒデオはまるで、空に浮かぶ大陸と地面の額縁に入った巨大な絵画を見ている様な不思議な気持ちになった。
「やっぱりここからの景色はいいねぇ。」
「そうだな。しかし、壁の外からと壁の上からの景色が違うのは一体どう言うことなんだ?」
「この場所は隠されてるらしいからね。認識を阻害する魔法が壁に掛けられてるんだって。
さっきの草原も実は危ない場所って言われててあまり人が寄り付かなくなってるからこの場所に気がつく人も多くはないよ。」
「そうなのか。しかし、不思議な所だ。地面は浮いてるし、魔法はあるし。全く、おっさんは新しい事を覚えるのが苦手だって言うのに。」
「まぁまぁ。新しい事を始めるのに遅いなんてことは無いよ!何事も楽しまなくちゃもったいないもんね!」
シルエはまるで当然の様に言う。
「まぁ、確かにな。新しい事を楽しめないのはもったいない…か。その通りだな。」
ヒデオは立ち上がった。
「そろそろ行こうか。早くしないと日が暮れそうだ。」
「ここから先は真っ暗だからね。昼も夜も関係無いよ!」
「まぁ、それもそうか。」
少し休んだ後、二人は壁の内側にある階段を降り始めた。
壁の中は深淵の世界。
二人は闇の中へと歩みを進めていく。