月と晩酌3
◆
『あれ?どうしてガイアテルスのおじさんに魔力の痕跡があるの?確かシロナ姉ちゃんはガイアテルスの生き物には受容体が無いって言ってたはずなんだけど…。まさかね。』
昔のヒカリに瓜二つの声。
酔いは一度に醒め、すぐに後ろを振り向く。
すると、そこには…。
文字通り翼の生えた天使がいた。
「え?」
白いワンピースを着た栗色の短い髪の毛の少女は「うん?」と首を傾げる。
「翼の生えた女の子が見える。飲みすぎたか?」
前を向き直し、思わず思考が言葉に出る。
いや、良く考えてみろ。普通人間に翼は生えてない。きっと飲みすぎたんだな…。そう思ってもう一度振り向いてみる。
少女の前髪は長く、両目とも隠れてしまっており表情は読みづらいが、何やら不思議そうな顔をしているのがわかった。背中の翼がピコピコと動いている。少しこちらに風が来ているのを感じた。
「…やばいな俺。やっぱり翼が生えてるように見えるぞ。気づかないうちに死んでてお迎えがきたのか?」
ヒデオはそう言って頭を抱えた。
その言葉を聞き、翼の生えた少女は驚きと共にヒデオに向かって言った。
「えー!?おじさん私が見えてるの!?」
突然耳元で大声を出されて耳がキーンとなる。
耳を抑えて彼女に言う。
「なんだようるさいな…。見えてるよ!」
「じゃあ、やっぱりおじさんなんだ!」
そう言うと、少女は妻の為に置いておいたオレンジジュースを手に取り、ヒデオの隣に座った。
やっぱりおじさんなんだ!ってどう言う意味だ?
俺がおっさんなのは間違いないが…。
「こんな時間に女の子が出歩くのは危ないぞ。早く家に帰りなさい。」
取り敢えず大人としての常套句を口にする。
「真夜中に一人いるおじさんに言われたくないよーだ!」
女の子は全く聞くそぶりもなく、ベーっと舌を出した。
なんだか騒がしい子に絡まれてしまった。しかも翼の生えたキャラクターのコスプレをしてる変な子だ…。
しかし、前髪で顔が隠れて全て見えているわけではないが、何となく雰囲気がヒカリに似ている気がした。
心の平穏を取り戻すため、酒を一口飲む。
「あれ?これってもしかして飲み物なの?」
そんな突拍子も無い質問が飛んできた。
…何だこの子。オレンジジュースも知らないのか?
少女は手に持ったオレンジジュースを見て不思議そうな顔をしている。
「そうだ。飲むか?」
「うん!飲む!」
そう言うと彼女はオレンジジュースの缶を空けようと悪戦苦闘し始めた。
…缶ジュースの開け方を知らない?
そんな人がこの世の中にいるだろうか。
彼女をみるとどう見ても14、5歳くらいの年齢に見える。今まで生きてきて缶ジュースに触れた事がないなどあり得ない年齢だ。
しばらく缶ジュースとの辛い戦いを繰り広げた彼女は疲れた表情でヒデオに向かって言った。
「もー!これどうやって空けるの!?全然わからないよ!」
その様子が面白くて、ヒデオは笑みを浮かべていたらしい。
女の子に指摘される。
「あー!おじさん笑ったでしょ!」
ヒデオは少し驚いた。自分が笑ったと自覚したのが久しぶりだったからだ。
「すまんすまん。ちょっと貸してくれ。空けてあげるよ。」
そう言ってぷんぷんと怒る女の子からオレンジジュースを受け取ると、封をあけてやった。
「へぇ。そうやって空けるんだね。ありがとうおじさん!」
少女は笑顔で言った。
「どういたしまして。」
嬉しそうにオレンジジュースを飲む女の子。彼女の気持ちとリンクするように翼が動いている。それが気になってしまい、ヒデオは翼に触れようと手を伸ばす。
「ダメ!」
女の子はそれに気がつくとヒデオを止めた。
「女の子の翼には触れちゃダメ!それは常識だよ!」
「そ、そうなんだな…。すまん。」
「わかればよろしい!」
さも常識のように言う少女。
随分と凝った設定だな…。そんな事を思いながら彼女の姿を見ていた。
ヒカリによく似た色の短めの髪の毛。最近流行りのアニメの服装なのかわからないが、ファンタジックな白いワンピースを着ており、足にはしっかりした茶色の革靴。
そして、彼女の首には銀色に光る指輪がペンダントのように首にかかっていた。
ヒデオはその指輪に見覚えがあった。
それに気がつき、再び少女の顔を見る。
少女はオレンジジュースをとても気に入り、すぐに飲み干してしまったようで、こちらを向いていた。
ヒデオにとってその姿は、妻に瓜二つの様に思えた。
僅かな希望を持ってボソリと彼は呟く。
「もしかして、ヒカリなのか?」
そんなヒデオの想いを乗せた一言に少女は可愛らしく答えた。
「ぶー!残念でしたー!
違いまーすー!」
その言葉にあからさまにヒデオは落胆する。
「そ、そうだよな。すまん。」
しかし、少女は気にせず話を進める。
「何がっかりしてるの?こんな可愛い女の子と一緒にお酒が飲めて喜べないなんて、おじさん人生損してるよ!」
どんな自信だ。と、彼女の言葉に少し笑みを浮かべる。
「普通は自分で可愛いとか言わないんだよ。へんな子だな。」
「えー?そうかな?私は自分の事かわいいって思うよ。それを言って何が悪いの?」
そう言って彼女は可愛らしいポーズをとってみせた。
…違う。間違いなくヒカリじゃない。すげーへんな子だ。ヒカリはそんなこと言わない…。
「何その顔ー!とっても失礼だよ!」
そう言って怒る少女が面白くて自然と笑みがこぼれる。
「ああ!ごめんごめん。君は面白い子だな。ところで、俺の名前は飯田 秀雄と言うんだが、君の名前はなんって言うんだ?」
「うん?どうしたのさ?突然名前なんて聞いて?
あ!さては私の魅力に気づいたね?」
そう言って少女はぷくくと笑うと言った。
「仕方ないなぁ。一人で寂しそうなおじさんに私の名前を教えてあげるよ!
私の名前はシルエット!気軽にシルエちゃんって呼んでね!」
ヒデオはその名前に聞き覚えがあった。
白い女と黒い男がヒカリの別名の様に口にしていた名前だ。
「シ…ルエ?」
「そう!もっと心を込めて!」
「シルエ?」
「うん!そうだよ!おじさん!」
なんだこれ?そんな事を思いながら彼女を見る。
自らをシルエと名乗った少女は凄く楽しそうだ。
その姿をみると自分も楽しくなってくる。
…虫の心地よい歌声が聞こえ、空には美しい満月が輝いている。
高校二年の夏。
妻と行った祭りの後に公園で二人でベンチに座っていた事を思い出す。
『今日は楽しかったな。』
『うん!また行こうね!』
灰色だった世界が再び鮮やかに色づいて行く。
止まっていた時間が動き出していく様な気がした。
「どう?少しは寂しさが紛れた?」
「ああ。少しな。」
ヒデオはふっと笑うと缶ビールをベンチに置いた。
缶はしっかりとベンチの上に立った。
その言葉に少女嬉しそうに口角を上げた。翼が嬉しそうに動く。
「じゃ!行こっか!」
そう言ってシルエはヒデオに手を差し伸べた。
「ん?何処へ?」
ヒデオは少女の手を掴む。
「私達の世界。エレウテリアへ!」
少女の指差す先には見覚えのある黒い扉が佇んでいた。
◆
こうして失意の中にいた中年は少女に連れられ異世界へと旅立つ事となる。
妻の生まれた場所。
『エレウテリア』へ。