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月と晩酌


月が輝く深夜。

街灯がスポットライトとなる公園のベンチで、くたびれたスーツ姿の中年男性が、1人晩酌を始めようとしていた。


普段は子供達の遊び場となっている賑やかな公園も、今は誰もいない。風情もなければ景色も殺風景だ。それなのに、男性はどういうわけかこの場所を選び、晩酌をしている。


男性の隣にはコンビニの袋。その中から彼はまずオレンジジュースを取り出すと、少し離れた位置に封を空けないまま隣に置いた。


男性は続いて袋から缶ビールとつまみを取り出す。ビールの側面には、三番絞りと書いてある事から、あまりグレードの高いものではなさそうだ。


「はぁ。」


彼は、時折ため息を漏らしては、缶ビールを一口のんだ。しきりに時間を気にしている様子で、腕時計を見てはため息。そして、酒を飲み、つまみを食べるを繰り返している。


「今日は金曜日だから、ゆっくり飲めるな…。」


飲み干した一本目の缶ビールを置き、ベンチにもたれかかった。


雑に置かれた空き缶は虚しい音を立ててベンチから滑り落ちた。


「ヒカリ…。俺はどうしたらいいんだ?」


中年はボソリと呟き、薄い頭を掻いた。



彼の名前は飯田いいだ 秀雄ひでお

現在、戸籍上は独身であり、年齢は45歳。


年齢相応に老け、身長は高いが、腹は出ており、頭頂部の毛は薄い。青年時代は凛々しい目をしているとも言われたその瞳は、今は目つきが悪いとの評価に留まる。つまり、彼の見た目は普通にハゲてデブなおっさんである。


今でこそ、小汚いおっさんの見た目である彼であるが、以前は爽やかで正義感の強い青年で、結婚もしていた。


そんな彼の人生が変わったのは、15年前の出来事が原因だった。



かつてヒデオには妻がいた。

幼い頃より、両親が不在であり、施設で育ったヒデオは、同じ施設に保護された女の子に一目惚れしたのだった。


妻の名はひかり

彼女は、ヒデオが14歳の時に、彼が倒れているのを見つけ、その後、施設に保護された。彼女の生活環境は劣悪だった様で、保護された時ヒカリは言葉は話せるが、平仮名すら読めなかったし、歩くことすらままならない。そんな状態だった。


そんな彼女にヒデオは手を差し伸べ、少しずつ傷ついた彼女の心を溶かし、仲を深め、結婚するに至った。


ヒカリは日本人離れした美しい緑色の瞳と、長い栗色の髪の毛を持っていた。


子はいなかったが、彼女の為に毎日必死に働いたヒデオは、若いながらも爽やかでスマートな敏腕な営業マンとして、多くの顧客から信頼を得る存在となっていた。


___そして、15年前。運命の日。


その日、8月15日は2人の結婚記念日だった。

事前に予約しておいたホールケーキと、彼女が好きな花を受け取ると、ヒデオは帰路を急いだ。左手の薬指に光る銀色の指輪を見てニカッと笑う。


「よしっ!準備完了!待ってろよヒカリ。」


ローンで買った自慢の一軒家までは車で30分程度の道のりだ。ヒカリが買ってくれたお気に入りのCDを聞こうと車の中をあさる。


「あれ?ないな。家に置いてきたっけか?」


いや、そんなはずはない。思い出してみると、今日の朝、そのCDの曲に合わせて歌いながらご機嫌に出勤した筈だ。


「まぁいいか。」


少し不審に思いながらも帰路へと急ぐ。


しばらくして、自宅に着いた。駐車場に車を停め、玄関へと向かう。しかし、再び違和感を感じる。


仕事で疲れているのか家の形が変わっているような気がしたのだ。その上、妻がいるはずなのに家には電気すら付いていたない。


…まぁ、夜だしな。ヒカリ疲れて寝ちゃったのかな。


そう思いなおし、自宅の鍵を開けて明かりをつけると、驚愕の事実がそこにはあった。


「ただい……は?」


ヒデオは驚きと、そして恐怖感を覚えた。


今日の為に用意していたケーキと、花束を思わず落としてしまう。


おかしい。そう。おかしいのだ。

持っていた鍵で玄関が開いた。ここは自分の家で間違いない。


しかし、明らかに間取りが違う。自分の家は正面にトイレなんてなかったはずだ。


ヒデオは幼少期、ギリギリ間に合わずに小便を漏らした経験があり、トイレを玄関前に設置しようと提案したが、妻に正面にトイレがあるのは嫌だと言われ、結局思いなおしたはず。


ヒカリは専業主婦の為、家の中は今朝も含めていつもきっちり片付いていた。しかし、今の家はどうだ。脱いだ洗濯物はほったらかしでしかも落ちているのはヒデオの物ばかり。どう見ても朝の様子と異なるのだ。


「な、なんだこれ!?」


ヒデオは混乱した。


「もしかして泥棒でも入ったのか?…。でも、どうして部屋の形まで変わってるんだ!?」


「そ、そうだ!ヒカリッ!!」


ヒデオは家の中を落ちた洗濯物に引っかかりながら走り、妻を探し始めた。


急いで奥の部屋へと向かう。


明かりをつけるとそこは妻の要望で大きめのカウンター付きのキッチンが併設されているリビングだった。いつも、ヒカリはそこでヒデオのために料理を作ってくれていた。


しかし。


「どういう事なんだ…。」


妻のために奮発して大きく作ったはずのキッチンがカウンターも無く、こじんまりとしている。冷蔵庫も明らかに1人用サイズで、物自体が異なるのだ。


ふとヒデオは食器棚を見る。そこには高校生の時にバイトで貯めたお金で買ったお揃いのマグカップがあるはずだった。


…しかし、それも無い。どういうわけか妻のものだけが。


「…なんなんだ…。」


ヒデオは急いで二階へと向かう。

リビングにもヒカリはいなかった。それなら、二階の寝室で眠っているはずだと。


「頼む…ヒカリ居てくれ。頼む…。」


ヒデオは祈るように呟きながら電気もつけずに階段を駆け上る。


そして寝室の明かりをつける。


そこには…。


1人用のシングルベッドと、ヒデオが趣味で聞いている膨大な量のCDが並べられている棚。そして、買った覚えのない高級オーディオが置かれていた。


「なんだ…これ?」


「どういう原理でダブルベッドがシングルに変化するんだ?しかも、あのスピーカーは俺が昔から金が溜まったら欲しいと思っていたものだ…。ヒカリに怒られるからもちろん買ってない。


どうして、そんな物がどうして家にあるんだ…。買った覚えもないのに。」


今日の朝までダブルベッドで妻と一緒に寝ていた。それは間違いない。しかし、現状目の前にあるのは全く手入れすらされていないシングルベッドだ。


奇妙な状況。そして、嫌な事に気がつき、冷や汗が頰を伝う。


そうヒデオは気がついてしまったのだ。


『今、自分の家から消えているものは妻に関わるものだけである。』という事実に。


「なんだ…。なんなんだよ!

ヒカリ!どこだ!返事してくれ!」


心臓が悲鳴を上げている。それは間違いなく恐怖だった。妻がいなくなってしまったのではないかという恐怖。


ヒデオは仮に妻とケンカをしても仲直りする自信があった。それだけ、自分と妻は深く関わっている。彼女のことならなんでも知っていると言う自負が。

しかし、今回の出来事は明らかにおかしい。自宅の間取りが半日足らずで変化するなんて事がありえるのか?それも、変化しているのは妻と関わりのあるものだけなのだ。

ヒデオは、世界が自分の妻の存在を抹消しようとしているような気がしてならなかった。


ヒデオの弾かれるように家を飛び出した。靴も履かずに疾走する。


「さ、齋藤さん!助けてください!!」


「う、うぉ!なんだヒデオ!」


ヒデオがまず、助けを求めた先は町の交番だった。


そこに居たのは齋藤巡査。当時30歳のヒデオより年上で、正義感が強すぎるが故に、すぐに手が出てしまい、なかなか出世できない人だった。


「おい、落ち着け。何があったか話してみろ。」


齋藤巡査はヒデオに向かって落ち着くように促した。


しかし、ヒデオは落ち着けるはずもない。


「妻が…ヒカリが家にいないんです!もしかしたら誘拐されたのかも…。」


その言葉を聞いた途端。齋藤巡査は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔をした。そして、呆れたように話し出す。


「はぁ?何言ってんだヒデオ。お前元々【独身】だろ?妄想してんなよ。疲れてんのか?」


「え?」


ヒデオは驚愕した。齋藤巡査は今まで、散々お世話になってきた人だ。彼にはお礼を兼ねて自宅に呼び、妻の手料理をご馳走した事もある。ヒカリを知らないわけがない…。


しかし、そんな彼が、ヒカリの事を知らないと言うのだ。


彼の様子を見る限り、嘘をついている様子も、からかっている様子も見えない。


「なんだその驚いたような顔。おま…、本当に大丈夫か?」


青ざめたヒデオの顔を見て齋藤巡査は心配そうに顔を覗き込んでヒデオに尋ねた。


「う、うわあぁぁぁあ!」


ヒデオは顔を引きつらせながら再び走り出した。


「お、おい!ヒデオ!待てっ!」


そう。彼は悟ってしまったのだ。


【だれに助けを求めようとも、その全ては無駄だと言う事に。そして、世界を含めて自分以外、妻の存在を認識できていないと言う事実に。】


キッチリ整えていた服装を無様に乱しながら夜の町をひたすら疾走し、たどり着いた場所は公園の前だった。二人が高校生の時、何度もデートを重ねた思い出の場所でもある。


「はぁ、…はぁ…。クソッ!」


息を切らし、膝に手をつく。すると、何か、バチバチと音をたてているのに気がついた。


ふと、公園の中を覗いてみると、そこには長方形の何がが宙に浮いていた。


その公園は広いグラウンドがある公園だ。よって、遊具なんて何もなかったはず。明らかに怪しい。


不審に思い長方形の黒い何かに近づく。


近づいてみると、それは真っ黒な扉だった。

公園のわずかな街灯に照らされるそれには、銀色のドアノブがついており、怪しい模様が描かれていた。


ヒデオはそのドアにゆっくりと手を伸ばす。

彼には何故か確信があった。その扉こそ、妻に関わる何かである。という謎の確信が。


バチバチと電気を帯びるそれに徐々に手を近づけていく。


ヒデオの手がドアに届きそうになった瞬間。不意に高い声が聞こえた。


『あれ?もしかしてお兄さん。そのゲートが見えてるの?』


ヒデオは勢いよく振り向いた。そして、1人の女性と目が合う。


そこに立っていたのは身長の高い女性。

底の厚いブーツを履いているとはいえ、180センチあるヒデオより少し低いくらいの身長である。女性にしてはかなり高い身長だと言えるだろう。


しかし、その身長すら気にならないくらいの違和感をヒデオは感じた。姿形は美人な女性と言って差し支えないが、明らかに人間ではないと、一目でわかる。


陶器を思わせるほどの、純白の肌。

そして、その美しい顔の額縁である長い髪は対照的に真っ黒だった。髪の毛はまだしも、肌が白い人の場合、頬が紅潮しているなど、少なからず血が通っているような様相を見せるはずなのだが、彼女は違った。


彼女の肌は完全なる白。

更にその陶器のような美しい肌に宿る宝石のような瞳は、右眼が赤、左眼が青と妖しい雰囲気を醸し出していた。


ヒデオはその無機質な彫刻を見ている様な異様な美しさに飲まれ、少し彼女から足を引く。


しかし、その目は引き寄せられるように釘付けになっていた。


「ふふっ。どうしたの?

そんなに見つめられちゃ照れるじゃない。

どう?珍しいかい?」


彼女はサラサラと揺れる繊細な髪の毛をかき上げながら妖艶に言う。


「な、何者なんだあなたは…。」


「ん?」


その女性は何か気がついたようなそぶりをした。


「お兄さんにシルエの魔力の痕跡を感じる。へぇ。あなたがそうなんだ。」


白い女は含み笑いをする様に愉快そうに言った。


「何わけのわからない事を言ってるんだ?」


「ええー。もしかしてわかんないのー?お兄さんってほんとにシルエの旦那さんなの?」


何となく自分を馬鹿にされているような気がして、ヒデオは少し怒気を強めて言った。


「さっきからシルエシルエってなんのことを言ってるんだ?俺の妻の名前はヒカリって言うんだよ!

まさか、お前は何か俺の妻について知ってるのか!?」


「そっかぁ。そう言う感じね。シルエは優しいなぁ。やっぱり自分より旦那さんが大切だったんだねー。よっ!この幸せ者!」


白い女は一人で納得した様子でヒデオの返答を意にかえさずヒデオの肩をにこやかに笑いながら叩いた。


…なんだこの女は。話しが通じない。


「あ、そうだ!私は優しいから少しだけ時間をあげちゃおうかなぁー。どうしよっかなぁー。」


両手を後ろに組んで、こちらから少しだけ距離を取りつつ女は話す。


「さっきから何いってるんだ?全く意味がわからないんだが。」


「あ?そう?それなら教えてあげるよ。」


そこまで言うと、どう言う仕組みか不明だが、女は左手で、空中に見たことのない文字を描き出した。


「お兄さんの奥さん。えーと。シル…じゃなくて、ヒカリを攫ったのは私達なの!それで、最期のお別れをさせてあげよっかなぁーって…。」


白い女がにこやかにそこまで言った瞬間。ヒデオの中の温度が上がる。それは間違いなく怒りという感情だった。ヒデオは素早く女の手を掴もうと手をだした。


しかし…。


「は?」


突然女が消えた。

そう。文字通り消えた。


まるで、空間に吸い込まれる様に。


女は空いた右手で空中に線を描くと、その中に消えていったのだ。


「おお、怖い怖い。お兄さん?話は最後まで聞くもんだよ。せっかく奥さんに合わせてあげようかと思ったのに…。」


黒い扉の方から声が聞こえた。


見ると、女がドアノブに手をかけているところだった。


「逃げる気か!待てっ!」


「じゃねー。お兄さん。奥さんの分も幸せに生きるんだよ。」


なんなんだそのセリフ。まるで妻が死ぬみたいじゃないか…。ビデオはそう感じた。


そして、扉が開こうという瞬間。


『待て。』


どこからともなく男性の声が響く。


その声は、勿論ヒデオのものではない。


『待てシロナ。お前はいつも言葉足らずなんだよ。さっさと変われ!』


ヒデオは気がついた。

低い男の声で話しているのが目の前の白い女である。という事に。


女はやれやれ、と言った表情でドアノブから手を離した。


突然白い女が光を放つ。


ビデオは思わず目を背けた。


そして、次の瞬間。白い女は別の存在に変わっていた。


先ほどとは打って変わって漆黒の肌に純白の短髪。髪の毛は短くなっているが、身長が伸びてヒデオと変わらないくらいになっている。赤い左眼と青い右眼で彼はヒデオを見る。


「先ほどはバカ女がすまなかったな。あいつは空気が読めずに自分勝手なんだ。」


ニッと鋭い牙を見せて男は笑うとヒデオに言った。


「な、なんなんだあなたは。さっきの女はどこに行った…。」


ヒデオは混乱していた。無理もない。いきなり女が男に変身したのだ。それに、非現実的な光景を目の当たりにして、普通でいられるほど今のヒデオの精神状態は良くない。


そんなヒデオの様子を見て黒い男は言った。


「悪いがお前達に残された猶予は3分だけだ。それまでにお別れを済ませてくれ。それ以上は彼女の命が持たない。」


黒い男は悲しそうな顔をすると、空中に縦の線を描いた。


すると、空間が裂け、中から何かがゆっくりとヒデオの方に倒れ込んできた。ヒデオはそれを強く抱きしめた。


栗色の長い髪の毛。ヒデオの妻。ヒカリだった。


「ひ、ヒカリなのか!?」


「う…、ヒデなの?」


ヒカリだ…。ヒカリだ!

ヒデオは嬉しさのあまり彼女を力強く抱きしめる。


しかし…。


背中側に触れていた抱きしめた手にぬるっとした感触、そして、血液の匂い。


「なんだよ…。これ。」


ヒカリを抱きしめたヒデオの手は血で濡れていた。


急いで地面に座り、ヒカリを楽な体勢にさせる。


「お前がやったのか!!」


ヒデオは黒い男をキッと睨んだ。

男は少し俯いて何も言わない。


「ヒデ君…。」


ヒカリがヒデオの名前を呼ぶ。


「ヒカリ!喋るな!あいつから逃げてすぐに病院に連れて行ってやるからな!」


「ち、違うの…。彼は悪くないの。古傷が開いただけよ…。」


ヒデオは知っていた。ヒカリの背中には大きな傷がある事を。


肩甲骨に沿うようにハの字に付けられた大きな二つの傷を。


どうして今更…?


「ごめんなさい。ヒデ君。私、言わなくちゃいけない事があるの。あなたに隠し事してた…。本当に、ごめんなさい…」


「どうした!?ヒカリ!」


「あのね…。あのね…。」








「私…


この世界の人間じゃないの。」





「へ?

この世界の…人間じゃない?」


ヒデオは目を丸くして言った。


「…言っちまったか?仕方ない。流石に妻の死因も知らずにこれから生きていくのは気の毒だ。教えてやるよ。」


黒い男はため息を漏らすと仕方ない。と話し出した。


「シル…。ここではヒカリだったな。ヒカリは魔臓に込めた魔力が枯渇したんだよ。


この世界にもマナ自体はないわけではないが、彼女はマナの受容体である翼を失っているからな。」


「な、何を言っているんだ?」


まさかヒカリの背中には翼が生えてたって言うのか?…意味がわからない。


「お前の理解が及ばないのはわかっている。でも、取りえず聞いておけ。


通常、エレウテリアに住む者達は受容体と呼ばれるマナを受ける器官が備わっている。お前達の世界でいう空気を吸う肺に近いといえば分かりやすいか。


ヒカリにとってのマナは空気と同義。今まで彼女は少しずつ減っていく酸素ボンベを使いながら生きてきたという感じだ。


普通なら2年も持たないはずなのに、16年も生きたとはな。愛のなせる技というか何というか…。お陰で迎えに来るのに随分時間がかかった。」


黒い男はそう言った。


「ヒカリは…死ぬのか?」


目を見開いて黒い男に問う。


「そうだ。受け入れろ。」


無慈悲に男は言った。


「嘘だろ…。嘘だと言ってくれ。」


嫌だ。どうしてヒカリが…。何で…。


様々な感情が胸の中を駆け巡る。


「ヒ、ビデ…。聞いて?」


「な、何だヒカリ!何でも言ってくれ!」


「ありがとう。ヒデ。私、今まで幸せだったよ?」


痛みや苦しさを誤魔化すようにヒカリは笑顔を作って言う。


「やめろ!そんなこと言うな!…俺たちはこれからもずっと、ずっと幸せなんだ…。そうだろ?そう言ってくれ!」


気がつくと、ヒデオは涙を流していた。意図せずに落ちていく暖かい水の筋。


次々とヒカリへと落ちていく。


「うん。私もそう言いたい…言いたいよぉ…。」


ヒデオの様子を見て、ヒカリも涙が溢れる。


「無愛想だった私といつも一緒にいてくれたこと。文字の読み書きを教えてくれたこと。いつもあなたは優しかった。」


「それなら!!」


「ダメ。でもダメなの。ごめんねヒデ。いっぱい私の事を救ってくれた貴方と一緒に生きたかった…。


でも、もうお別れみたい。最後のお願い。聞いてくれる?」


「何だ…。ヒカリ。」


「もし、生まれ変わっても、また私の事愛してくれる?思いっきり。抱きしめて…愛してるって言ってくれる?」









「…当たり前だ!ヒカリ!俺はお前を一生愛している!!」







ヒデオは右手でヒカリの左手を握り、力の限り、左腕でヒカリを抱きしめた。


力強いヒデオの言葉に、ヒカリは満足そうに笑った。


その時。ヒデオはヒカリが一瞬輝いたように見えた。

そして、同時にヒカリの体から力が抜けていくのに気がついた。


「時間だ。悪いな人間。俺たちは使命を果たす必要がある。深く愛し合ったお前達の仲を引き裂いてしまう事を許してくれなんて言わない。


だが…。すまない。どうか思いっきり恨んでくれ。」


黒い男はヒデオとヒカリを強引に引き離した。


最後まで繋いでいたヒカリの左手がだらんと垂れる。

左手には銀色の指輪が光っていた。


黒い男はヒカリを肩に担ぐと扉のドアノブを回した。


「ひ…ひかりぃ…。」


どうして俺たちが離れなくてはならないんだ…。


どうして…。


「もし…

お前がどうしても妻のことを忘れられないのならば、毎年この時間にこの場所に来い。


そうすれば…。いつか、お前の妻と会える時が来るかもな。」


黒い男は扉を開き、素早くその中に入って行った。


扉は男が入った後、バチバチと大きな音を鳴らし、螺旋状に歪んで消えてしまった。


あたりを静寂が包む。


1人残された青年は、その扉の消え行く光景を呆然と見ていた。



そして、悲しみと、喪失感が心の中を反響する。幾度となく繰り返す自問自答。


どうして?何で?俺の妻じゃなくちゃいけなかったんだ?


答えが出るはずもない。誰が悪いのかさえわからない。しかし、妻が居なくなってしまった事は事実だ。


「ヒカリ…。」


「ひかりぃぃぃぃ!!!!」




月の輝く真夜中の公園に1人の青年の悲痛な叫びがこだました。



_______回想終

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