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薬姫と呼ばれた   作者: 夏みのる/もく
精神の帰還
7/24

7




「こんなことが……ほ、本当に先生も生きて――あっ」


 ガシャンッ、と響く重々しい音。

 アリアは感極まるあまり手を伸ばすが、もちろんそれは鎖と枷によって阻まれた。

 と同時に、もしかしたら、と捨て切れずにいられなかった希望すらも儚く打ち砕かれる。


「アリア、殿下?」


 自分の名を呼ぶ若い青年は、オーギストではなかったからだ。

 多少髪色が似ているだけの、アリアが見覚えのない人間だった。青年は薬師の制服を着ており、首からは身分証の金のプレートを提げている。

 突然、眠っていたアリアが起き上がろうとしたことに驚きを隠せないのか、色素の薄い青色と黄色が交わったような珍しい色の瞳を何度も瞬かせていた。


「御無礼をお許しください」


 アリアを見下ろしていた青年が、ハッと気が付いて姿勢を低くする。

 そのまま寝台の脇に跪くと、深々と首を垂らした。


 そうされると横になった体勢のアリアからは頭の旋毛しか見えなくなるのだが、近くで目に入る藍色の髪を確認してやはりオーギストではないのだと現実を突きつけられる。

 オーギストの髪は、薄い藍色をしていた。

 背中に届くほどの長髪で、作業時は一つに束ねていた。

 しかし、アリアに跪く青年の髪色は全体的にはっきりと濃く、毛先へ流れるに連れて薄まっており、滑らかな濃淡色をしている。

 とても綺麗な顔立ちの青年だった。

 その点ではオーギストと同じなのかもしれない。


「お目覚めですか、殿下」


 一向に顔を上げようとしない青年の旋毛をじっと眺めていると、後ろからひょっこり少女が現れる。


 それにより青年は低い姿勢のまま、一歩後ろに下がった。


「意識ははっきりしているようですね」


 少女は目を細めアリアに笑いかけてきた。


 アリアより幾分幼い年頃だと見受けられるが、その身のこなしや言動が相まって大人びた印象が残った。

 青年と同じように白い制服を着ていて、少女も薬師であることを証明している。

 赤っぽい桃色の髪を一つにまとめて、高い位置で結っているので、サラリと毛の一本一本が流れるような動きをしていた。


 警戒がすべて無くなったというわけではなかったが、ひとりはオーギストと見間違えたしまった見知らぬ青年、ひとりが少女ということもあり、アリアも呼吸を落ち着けることが出来ていた。


「……殿下、私の声は聞こえておいでですか」

「は、はい。あの、あなたは?」


 少女からの問いかけに、アリアは戸惑いながらも頷く。

 だが、アリアの示した反応に少女の表情は険しいものに変わっていった。


「……殿下、確認です。私が誰なのか、覚えておられますか?」


 ――誰、とは。

 アリアは戸惑いの表情を浮かべる。

 少女が誰なのか、アリアには全く検討もつかなかった。城の中で生活していたが一度も見たことがない。

 

 ただ、アリアには一つ気になることがあった。

 この少女と青年が着ている薬師の制服、アリアが着ていた物とは僅かにデザインに差があるものの、間違いなくバスカディル王国の宮廷薬師と認められた者のみが袖を通せる代物である。

 最もアリアの場合は、正式な薬師というわけではなった。薬学棟の倉庫で埃かぶっていたものを、勝手に拝借して着ていただけに過ぎない。


 そして、オーギストと同様に研究にのめり込んでいった。他にも薬師は多く働いていたけれど、オーギスト以外は他人を蹴落として階級を上げようとする人間ばかり。またアリア以外の王族に仕えていたので、研究の手助けをしてくれる者は一人もいなかった。



「……あ、あの」

「殿下?」

「すみません、分からないです……」


 アリアの返答に少女の顔は強ばりを見せる。

 変に間が空いたあと、再び少女はアリアに問うた。

 

「御無礼を承知で伺いますが、ご自分のお名前は覚えておいでですか」

「……アリアです。――アリア・バスカディル」


 正直、バスカディルの名をアリアは語りたくなかった。今や極悪非道の最悪な王家の名。

 名ばかりの王女。そして覚えのない所業により民からは『悪姫』と呼ばれている。それが今のアリアなのだ。


 アリアが自分の名前が言えたことにホッとしたのも束の間、まだ気は抜けないと少女は口を開いた。


「ルドガー」

「はい」

「早くウォルド殿下から枷の鍵を受け取ってくるんだ。このままでは、ろくに話も進められない」


 青年の名はルドガーというらしい。

 少女の指示を受け、立ち上がると早々に扉の方へ向かう――が、その歩みはピタリと止まってしまった。


「アビィ薬師長。鍵ならばこちらにある」

「ウォルド殿下、いらしておいででしたか」


 扉を開けて部屋の中に入って来るウォルドは、出て行こうとしていたルドガーと鉢合わせしていた。

 ルドガーは面を下げようとするが、ウォルドはそれを制止した。


「アビィが補佐役に推薦した人間というのが、お前のことだったとはな、ルドガー」

「は、お久しぶりでございます、ウォルド殿下」


 二人は顔見知りのようで、ウォルドも少なからずルドガーを信頼に置いているように見える。


 そしてウォルドの視線は、ルドガーから奥の寝台へと流れた。

 

「――目が、覚めたようだな」

「あ……あ……」


 自分に向けられた言葉だと分かったアリアは、再び目にしたウォルドの姿に、喉が乾いて干上がっていくのを感じた。

 ――全く、大丈夫ではなかった。

 ガタガタと震え始めた体に、アリアはまだ、自分が平静さを保っていられないことに気づく。ウォルドの姿を見ると、王座の間の光景が頭に酷くこびり付いて離れない。

 まるで体がウォルドという存在を拒絶しているようだった。


 その拒絶は、ただ単純な恐怖からくるものではない。

 恐れる部分も確かにあるが、この奥底からふつふつと湧き上がってくる感情には、気がおかしくなるほどの憤りと、悲嘆、そして――小さく見え隠れした、殺意と憎悪。


 それらの感情は、首を落とされる瞬間、家族に抱いていたものすべてだった。

 そう簡単に一度生まれてしまった強い思いが、消えるわけがなかったのだ。


 溢れて、溢れて、止まらない。


「ウォルド殿下、アリア様の枷の鍵をお借りしてもよろしいですか」

「そいつが奇行に走らないと分かってからでなければ許可できない」


 ウォルドは鍵を渡そうとしない。

 その後ろに控えながら、もう一度アリアが拘束されている寝台に引き返して来るルドガー。


「……奇行というより、アリア様は」

「――アリア殿下?」


 アビィとウォルドが話を交わす中、アリアの些細な感情の起伏に気がついたのは、ルドガーだった。


「……ないで」

「アリア殿下、どうされましたか」


 ウォルドから目線を外し、アリアの顔を覗き込んだアビィは、その青い顔色にただならぬ事態を感じ取った。


「来ないで! 近づかないで!」


 アリアがそう訴えるのは、ウォルドただ一人。

 ガシャン、ガシャン――ウォルドとの距離が近くなるに連れて、鈍い反響が部屋全体を埋め尽くしていく。


「先ほどまでこんなこと……」

「……いや、私や父上、母上が駆け付けた時の反応と変わらない」

「なんですって?」


 アリアのこの変わりように、アビィはもしやと思う。


「まさか、アリア殿下……」


 アリアは、この空間にいる者の中で、兄のウォルドだけを拒絶していたのだった。



 

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