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薬姫と呼ばれた   作者: 夏みのる/もく
精神の帰還
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6




 アリアの師、オーギストとは、あまり自分の事を話さない人間であった。

 バスカディル王国クリスタル城の薬師長として、城に仕えている人物であるということ、アリアが出会った当初はそれぐらいの認識だった。


 父が、母が、兄弟が、日々の生活を贅沢に過ごし、豚のように怠惰に暮らし、それが当たり前のように仕える召使いたちとは違い、オーギストは熱心に薬学棟に篭もり研究に勤しんでいた。


 バスカディル王家に逆らった人間は、例外なく皆同等に死が待っている。

 あれほどまでに『死刑』を軽く執り行い、命を甘く見ている者たちに、アリアは恐怖した。

 アリアが『おかしい』と思うことは、彼らにとっては『常識』であり、逆に彼らが『おかしい』と思うことは、アリアにとっての『常識』だったのだ。


 民とは、この国の未来。――否、民とは、王家に繁栄をもたらすための道具であり、奴隷。

 泣く子どもには、手を差し伸べよ。――否、耳煩く喚くのなら、死刑に処する。

 すべてはバスカディル王家の人間の思いのまま。

 王族が言い放つ『死刑』は、必ず実行される。


 十年前、こんなことはやめて欲しいと、口にしたアリアは『異常者』となった。

 

 オーギストに出会ったのは、本当に偶然だった。

 逃げるように人を避けてたどり着いた林の奥で、何かを必死に探している見かけ不審な男がいた。それがオーギストだったのだ。

 雑草を抜いているように見えたアリアだが、どうやら薬草を摘んでいたらしい。

 警戒していたアリアだったが、すぐにわかった。

 オーギストは、他の人間とあきらかに違った雰囲気を持っていることに。


 目覚めてから、初めて笑いかけてくれた存在に、アリアは大声で泣き出した。

『みんな変になってしまったの』、『怖いこと言ってるの』、『あんなの、絶対におかしいのに』。

 思っていたこと全部を吐き捨てるアリアを見て、オーギストはただ頷いて聞いていた。


 おかしいのは自分の方なのだろうか。

 酷く追い込まれていたアリアは、そんなことを口走るほどに精神がボロボロに削られていた。


『君は何も、おかしくないんだよ』


 その言葉に、アリアはどれほど救われたことか。

 アリアが悪夢の世界でも懸命に生きようと思えたのは、オーギストがいたから。彼の優しさと、忘れられない家族の温かさを重ねていたのだ。


 オーギストの一人息子が『人喰い』という病魔に侵され亡くなったとアリアが知ったのもその頃だった。

 アリアにとっては初めて聞く病だったが、オーギストが宮廷薬師になったのは、その病気を治す特効薬の研究が目的だったらしい。

 薬師でありながら、助けられなかった息子にせめてもの罪滅ぼしが、特効薬の開発だった。


『僕の息子はね、犬が苦手だったんだよ。傷付いた野犬を助けようとして腕を噛まれて、痕も残っちゃっていたなあ』

 

 アリアはよく、オーギストに彼の息子の話をしてくれとねだっていた。

 理由があるとすれば、息子の話を口にする時のオーギストが、父親の表情になるからかもしれない。それが密かに羨ましく感じていたのだと、後からアリアが思ったことである。

 死んだ息子の話をさせるというのは、ある意味残酷なことだったが、オーギストは思い出に浸るようにアリアに教えてくれていた。

 若くして亡くなった子どもについて、誰かに知って欲しかったのかもしれない。これも、アリアが後から思ったことである。


『ねえ、先生。そういえば、その子の名前は?』

『……名前、は』


 その時が初めてだった。

 オーギストが息子の話題で、顔を曇らせたのは。




 ――本当はね、知っていたの。

 先生はわたしに何か隠していることがあるんだってこと。

 それでも聞けなかったのは、わたしが臆病だったんだ。もしかしたら、聞いてしまったら、先生がどこかに消えてしまうような気がして、恐れていた。

 この悪夢の世界で生きることに精一杯で、余裕もなかった。


 けれど。


『先生……!』


 ――あんなことになるのだと、知っていたら。


 悲惨な運命を、変えることが出来たのだろうか。




 ◆



「――げほっ、げほっ」


 二度目のアリアの目覚めは、殆ど喉の激痛で起こされたようなものだった。

 

(また、同じ場所)


 寝台に寝かされているアリア。既視感のある形の飾り幕が、自分が先ほどと同じ部屋にいるのだとアリアに教えてくれた。

 

「いっ、た……」


 喉の内側からも外側からも、ズキズキと痛みがある。あれだけ叫んで、首筋に爪を立てていたのだから無理もない。

 アリアは自分の喉元に手を添えようとして――今の自分では、それが決して不可能であることに気が付いた。


(これは、枷? 手首も、足首にも付いてる)


 身体を軽く動かしてみれば、ガシャン、と重い鉄製の鎖が音を立てる。どうやら枷と繋がった鎖は、寝台に固定されているようで、全く手足が動かせない状態になっていた。

 これでは起き上がることも困難だ。

 喉の痛みに耐えながら、アリアは目で確認できる範囲で室内を確認し始めた。


 清潔に保たれた空間には、物が多く置いてある。

 積まれた贈り物の箱の数々、柔らかそうな手触りのぬいぐるみ、整頓された衣装掛けの棚。

 そして小さな窓辺がひとつ。そこから差し込まれた光は、ちょうどアリアがいる寝台を照らしていた。


 アリアはこの場所がどこなのかを知っている。

 部屋の雰囲気はガラリと変わっているが、ここはアリアが十年間の時を過ごしている部屋――塔の中だ。


 しかし、古く汚れた自分の部屋とは何もかもが違う。

 同じ建物、同じ場所、なのに。


「どうなっているの……」


 そう呟いたアリアの声は掠れていて酷い有様である。

 あれだけ暴れたせいか、少しだけ冷静さを取り戻したアリアだが、考えてみても答えは出そうになかった。

 アリアは首を斬られたあの、肉が裂けた瞬間を覚えている。そしてオーギストが――。


「……せん、せ」

 

 じわりと涙で霞む視界。

 アリアはぐっと堪え、頭を左右に振った。

 オーギストのことを考えると、また自我を捨てて叫び出してしまいそう。

 これ以上涙が溢れてしまわないように、アリアは唇を強く噛み締めるが、ポロリと粒が両目から落ちてしまった。


「……」


 ツンと滲みた鼻を強くすする。


 まずは考えなければ、自分が今どんな状況にいるのか。

 ここはどこで、アリアが見た兄のウォルドや、父や母の様子が違っていたのはどういうことなのか。

 

(考えるんだ、落ち着け、落ち着け……っ)


「――それで、寝台に縛り付けていると? まあ確かに、あの声は尋常ではない様子でしたが」


 アリアはハッと息を殺した。

 扉の外側から、何者かの声が聞こえる。


「ああ、彼は私の補佐役だ。本日付けで城の薬学棟勤務となっている。既に陛下には話を通しているので心配いらないよ。……ウォルド殿下がお戻りになる前に、一度ご様子を窺っておこう」


 堂々として落ち着いた話し方をしているが、トーンは高く、少女のような声音である。

 

「失礼致します、アリア殿下」


 扉が開けられた気配を感じ、アリアは咄嗟に目を閉じた。

 何者かがこちらに近づいて来る。

 アリアの心拍数もだんだんと上がっていた。


「……この方が、アリア王女殿下ですか」

「ああ、そうだよ」


 人数は二人。ひとりは男性だったようで、低い声にアリアの身体はわずかに硬直したが、不思議とその声は柔らかく耳に馴染んだ。

 

 彼らはアリアの眠ったふりに気づいていないようで、起こさないよう小声でひそひそと話していた。


「――涙? 泣いて、いたのか」


 先ほどは距離があったというのに、いきなり耳元で男性の声が聞こえアリアはぎょっとしながらも寝たふりを続ける。どうやら今のは独り言のようだ。


 アリアがじっと耳を澄ませていると、今度は目尻を優しく拭われ始めた。


(冷たくて、気持ちいい)


 濡らした布のような物でぽんぽんと壊れ物に触れるみたいに、アリアの目元に流れた涙を拭いてくれている。


(一体、誰が)

 

 危害を加えられるわけではないと判断したアリアは、意を決して恐る恐る瞳を開いていく。

 徐々に、徐々に広まっていくアリア視界には、一つの人影がぼやっと見え始める。


 そうして確認できた人影。

 次の瞬間、アリアの目がカッと開かれる。


「――せん、せい」


 

 藍色の髪に、アリアは思わず声を漏らした。


 

 


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