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薬姫と呼ばれた   作者: 夏みのる/もく
精神の帰還
5/24

5



 不安定な精神状態となっているアリアには、周囲の人間が全員、敵のような、悪魔のような、どちらにせよ恐ろしいものに見え始めていた。


 助からなければよかった。

 目覚めなければよかった。

 首を斬られた自分に意識があるとするなら、オーギストはどうなったというのか。


「先生はどこなんですか。 私が助かったというなら、先生が助からないはずない!」

「何を言っている? 何のことだ!」

「アリア……」

「母上! 近づいてはいけません。この者は今、何をするか分からない状態です。……皆、一度この部屋を出るんだ!」


 戸惑いながらも、ウォルドの荒々しい声音に部屋の中にいた者たちが退散していく。王陛下と王妃は護衛の騎士に促されるまでその場を動けずにいたが、最終的には扉の外へと出ていった。

 訳の分からないことを叫び、自傷行為を起こしている酷い調子の今のアリアには何を言っても無駄だとウォルドは判断したのだ。


「はな、してください! お願いだから離して!」

「……アリア。仕方ない」

「うっ……な、あ」


 髪を振り乱すアリアのうなじ付近を目掛けて素早く手刀を打ったウォルドは、もう一度意識を失い倒れ込んだアリアをそっと抱きとめる。


「衛兵、手枷と鎖を持ってくるんだ」


 寝台にアリアを寝かせると、ウォルドは外で待機している兵士に拘束用の鎖を持ってくるよう指示を出す。

 もともとアリアの片足首には足枷が嵌められていた。塔の中でのみの生活だったが、万が一のことがあってはならないため、念には念ということで付けられたものである。


「ウォルド、まさかそれをすべてアリアに?」

「こうするしか方法がないのです、母上。今のアリアの手足を自由にしてしまっては、何を起こすか分かりません。父上も、分かってください」

「……ああ、分かっているよ。アリアを傷つけないためにも、そうするしか方法はないんだろう? 嫌な役回りをさせてばかりですまない、ウォルド」


 申し訳なくする父の言葉に、ウォルドは軽く目を伏せるだけで何も応えなかった。




 ──同時刻頃、バスカディル王国クリスタル城内 薬学棟にて。


「アビィ薬師長、よろしいでしょうか」


 肩の長さに伸びた藍色の髪を半分ほど取って紐で束ね、制服と白衣を併用した服に袖を通した垂れ目よりの優美な青年は、薬師長室と彫られたプレートの扉を叩いた。


「ああ、開いてる」


 声高い返答後、青年はドアノブを回した。

 中へ入ると、青年と似たような衣服を身に包む十歳ほどの見た目の幼い少女が、熱心に分厚い資料を読み込んでいる最中だった。

 青年は机を挟んで少女と相対し、姿勢を正して一礼をする。


「北の地スノーデンより宮廷薬師ルドガー・オルフェノク、ただいま戻って参りました」

「……。プッ」


 ガッチガッチに畏まった堅苦しい態度のルドガーに、我慢ならず吹いたのは言わずもがなアビィ薬師長である。

 資料から目をそらし、表情を引き締めたルドガーがそれほど面白かったのか、設けられた執務席にどっぷり腰を下ろすと、堪らずけたけたと腹を抱えて笑い始めた。


「そのご様子、息災のようでなによりです」

「息災だったとも青少年よ。いや、もう少年という歳ではなくなったか? この三年ですっかり成長したようでなによりだよ。まあ、なんだ……似合ってないがな」

「余計なお世話ですが?」


(そりゃ、あんたから見ればそうだろ。年増女め)


 しれっとした顔のまま、心ではそんなことを思っているルドガーは、三年前と変わりない姿の彼女に目をやった。


 バスカディル王国宮廷薬師長の座に就くアビィは、少女というには些か適さない年齢にあり、この青年ルドガーにとっては薬学の師にあたる人間であった。


 嘘のようで本当の話だが、アビィ薬師長は遠の昔に二十歳という年齢を超えている。

 また城の宮廷薬師たちを束ねる薬室長だけあって頭脳明晰、薬師としての実力もさることながら、学び途中の見習い薬師たちは、彼女が書き記した薬学書を争奪戦をしてまで拝読する価値あるものだと豪語し、筆者のアビィを尊敬して讃えているほどであった。


 そんな見た目少女のアビィ薬師長からしてみれば、二十歳そこそこのルドガーなど、ケツの青い小童以外の何者でもないのだろう。

 ましてや彼が変声期を迎える頃にはもう知り合っているだけあって、その頃の素行の悪い少年が今や立派な紳士風を吹かせている姿は見物である。


 そんな笑いの種にされるルドガーは、今から丁度三年前、北の極寒地スノーデンへの長期に渡る薬学研究の任をアビィより言い渡された。


 極寒か酷暑の二択で派遣先を選べと言われたときは選択に難を要したが、最終的にルドガーが選んだのはスノーデンである。

 薬学研究の中心は王都であるが、一年の半分は氷点下気温を叩き出すスノーデンは液体薬の結晶化では群を抜いて研究が進められていた。

 そして三年後、進めていた研究が落ち着くや否や、早々に王都へ呼び戻されたというのがルドガーの現状であった。


「スノーデンでのお前の成果は耳に入ってる。まさか、この三年で研究対象外の液体薬の結晶化にまで成功したとは、恐れ入った」


 アビィ薬師長が手に持ったのは、先ほど目を通していた書類とは別の、ルドガーの研究成果がまとめられた報告書だった。

 満足気に口元を緩めたアビィに、何やら妙な気配を察知したルドガーは、眉尻をピクリと動かした。


「ふむ。これなら、問題ないだろう」


 決意を固めたアビィは、執務机の引き出しから金のプレートが通された革紐を引っ張り出す。

 そしてそれをルドガーの前に突きつけた。


「ルド。これがお前の新しい肩書きだ」


 クリスタル城内にて勤務する者は、身分証としてプレートが渡される。色は役職によって変わってくるが、金のプレートは数が少なく、希少であるのは誰もが周知のことだった。

 ちなみにどの役職も、最高位の者のプレートにはクリスタルの欠片が埋め込まれている。アビィの場合は翡翠色のクリスタルであった。


「これは」


 プレートを受け取ったルドガーは、そこに彫られた文字に目を落とすと思わず声を漏らす。


 ――バスカディル王国宮廷薬師長補佐 ルドガー・オルフェノク。

 それが彼の新しい肩書きだと証明していた。

 一端の宮廷薬師から薬師長補佐、銀のプレートから分かりやすい出世である。


「いや、冗談だろ……?」


 思わず素で尋ねているルドガーに、アビィは小さく首を横に振った。


「陛下には私から推薦したんだ。納得していらしたよ。私の推薦だからな」

「二度も言うなよ」

「そういうわけだ」

「……冗談だろ」

「二度も言わなくていいぞ」


 おかしな言葉の投げ合いが繰り広げられているが、金のプレートがルドガーに渡された以上、冗談ではなく事実なのだろう。

 何度プレートを確認しても、そこに彫られているのは紛れもなくルドガー本人の名前なのだから。


 金のプレートを握り締めるルドガーはどこか複雑そうにしていた。

 それに気がついていたアビィだが、あえて見ぬふりをし、なぜルドガーを補佐にしたのか、簡単な経由を説明する。


「バスカディル王国の同盟関係にある国の一つで、奇妙な病が発見されたらしい。向こうの研究者もお手上げ状態、私に匙を投げたというわけだ。しかし城の薬学棟を長期間、薬師長が空けるのは何かと頼りないという話になった。それなら私が推薦した人間を補佐として、留守の間の代理にすることにすればいいのではないかと思ってね」

「言っていることは分かりますが」

「なあに、心配はいらんよ。城の連中はお前に協力的

な奴らばかりだ。それに、お前の補佐として二人付けることにしたからな」


 薬師長代理補佐の補佐か、ややこしいな。と、思いながらもルドガーはこの話を受け入れつつあった。そもそも拒む権利などルドガーにはない。


「基本的に仕事は変わらないから安心していいぞ。軽い書類の処理と……これは細心の注意を払ってくれれば難しいことではないが……」

「言葉に詰まってどうかしましたか」

「……アリア王女。お前も知ってはいるな」

「はい。直接のお姿を見たことはありませんが」


 塔に隔離されたアリアに面と向かって会えるのは許可を得た人間だけ。薬師長としてアビィはアリアとの面会を許可されていた。

 悪姫と名高いアリアについては、もちろんルドガーも常々耳にしている。北に派遣される三年前は王城勤務ということもあり、悪姫アリアの存在は近くに感じていた。

 ルドガーは人が変わる前の素直な性格だったアリアを知らない。彼にとってアリアは、普段接点が全くなくとも城に仕えるうえでは厄介な王族という認識でしかなかった。


「私の代理として、補佐のお前にはアリア殿下のお加減を日中の間に何度かに割けて確認し、記録することも含まれている。理解出来るな?」

「それは……分かりますが」


 アビィの仕事内容は大方知っているつもりだ。

 だが、そうと分かっているからこそ、


(悪姫のお守りなんて、やってられないな……)


 ルドガーはそう思うものの、口には出さなかった。

 それはアリア王女のことを思い出すアビィの表情に陰りが差し始めたからだった。


「アリア殿下は確かに異常だ。こちらの問いには一切答えない、だいたい噂通りの王女だが。……たまに思う時があるよ」

「……?」

「この優しい王国で、なぜ十にも満たない少女が恐ろしく豹変してしまったのか。何が王女殿下をあそこまで変えたのか、原因があるはずなんだ」

「原因、ですか」

「いや、過程に過ぎない。本当にそれが王女殿下の真の性格なのかもしれない。人の心なんて、いつどう変わってしまっても不思議ではない、が」


 ふと、アビィは部屋の窓の外に見える塔へ視線を向けた。アリア王女が隔離された、あの塔である。

 緊急事態に備え、薬師長室と塔の距離は近い。というより、どの建物からもアリア王女がいる塔とはさほど距離がなかった。


「私は時折、あの悪姫と呼ばれる方が――可哀想に見えてならない」

「それはいったい……」


 理解出来ずに、ルドガーがアビィに問いかけようとした時だった。

 

「ああああ!!」


 少女の悲痛な叫びが、窓の外からふたりのところまで伝わってきたのだ。

 アビィは瞬時にその声の主が誰なのかを察すると、窓の外から伺える塔に目を向け、声をあげた。


「薬師長、今の声は!?」

「――っ、アリア殿下だ!」



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