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薬姫と呼ばれた   作者: 夏みのる/もく
精神の帰還
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4



 弟ルイスが産まれてからというもの、夜寝つけなくなったアリアの寝かしつけ役は年の離れた兄ウォルドの役目だった。


「ねえ、おにーさま。きょう、この絵本よんで」

「……読むのは構わないが、私の音読など退屈だろう」

「ふふふふ」

「なにが面白いんだ?」


 寝台の枕に頭を預けたアリアは、サイドチェアに腰を下ろす、渋い顔のウォルドを見て面白おかしく笑っていた。

 不器用ながらも、まだ小さなアリアを気遣って毎晩のように部屋に訪れてくれるウォルド。

 棒読みでも、照れくささから言葉につっかえて上手いとは言えない読み聞かせであっても、アリアは気にしなかった。


「アリアはウォルドおにーさまが来てくれることが嬉しいの。おにーさまがいてくれれば、なんだって楽しいの」

「……やはり今日はもう、寝なさい」


 そう言ってアリアの前髪を邪魔にならないように横に流すウォルドは、こほんと一つ小さな咳払いをした。

 冷静で淡々とした口調は一見冷たい印象を与えてしまうかもしれないが、アリアは知っていた。


「……へへ」


 その仕草が照れ隠しであることを。

 両親や、長く勤めている城の使用人たちも密かに知っていることである。

 ウォルドという兄はとても不器用だが、同じくらい妹や家族を大切に思っている優しい人なのだ。


「ウォルドおにーさま、おやすみなさい」

「……ああ、おやすみ」


 アリアが瞼を下ろすと、おでこにあたたかな温度が二度三度と触れる。

 その優しい心地に包まれるのは、妹であり、家族であるアリアの特権となった。



 そう、だから。


『ウォルド、お兄様?』

『ふん、なんだその呼び方は? 気にいらんな。私のことはウォルド様と呼べと言っただろう! 今度言い間違えでもしたら父上に言いつけてやるからな』


 自分の知る兄であるはずなのに、目の前の人間は別人だった。

 近づくことすら禁じられ、すれ違えば頭を垂れる。


 『――ウォルド様』


 いつからか、当たり前のように口に出せるようになった。




 ◆




「……あっ」


 ウォルドを『お兄様』と声に出した瞬間、アリアは我に返った。

 自分はなにを馬鹿なことを考えているのだろう。つい先ほどまで広間にいたはずなのに、目の前の人間がアリアの焦がれる『ウォルドお兄様』なわけが無い。


(ありえない、そんなのありえない、ちがう、ちがう、ちがう)


 錯乱したアリアは再び斬られたはずの首に手を回し、じくじくと熱く疼いたままの首筋を掻きむしり始めた。


「なんで、ど、して……切れてないの。うそ、助かるはずない! わたしは死んだ! わたしだけ助かるはずない!」

「なっ……なにをしている!」


 アリアの首周りは彼女が掻きむしったせいで酷い有様となっており、見ていられなかったウォルドは咄嗟に手首を掴んで自由を拘束したのだ。

 だが、それはアリアにとって逆効果でしかなかった。


「ああああっ!」


 アリアは悲鳴に似た叫び声をあげる。

 それをウォルドが押さえ込もうしている光景を周囲は息を呑んで呆然と見ていることしか出来ないでいた。

 泣き叫ぶアリアの姿は、驚きを通り越して恐ろしく感じてしまうほどに激しく荒れていた。どうすれば彼女が落ち着くのか、突然なぜ暴れ始めたのか皆には分からない。

 こんなアリアの姿を見るのは誰もが初めてだったのだ。



 ――今度こそ、悪姫(・・)はお終いかもしれない。


 言葉には出さないが、その場に居合わせた家臣や兵士、騎士や侍従ら全員がそう思った。

 悪姫とは、アリアに付けられた別称である。その呼び名は王城に留まるどころか今や国中、いや隣国にも知れ渡っている事実だった。


 そう呼ばれるようになった事の発端は、十年前に遡る。

 当時、アリアは自分が起こした事故により一週間の意識不明の状態に陥った。

 明るく活発で、城を下りては身分関係なく街の人間たちから可愛がられていたアリアの事態に誰もが心を傷めた。

 だが一週間後、アリアは何事もなく眠りから目覚めた。幸い後遺症も残らず笑い話で済ませられたかのように見えた出来事だったが、それだけでは終わらなかったのだ。


 目覚めた姿を心配してくれていた民に見せるよう提案され、アリアは一週間ぶりに街へと下りた。

 まだ記憶が混濁してぼうっとした様子のアリアの刺激になればという理由も含まれた提案だったのだが、その日を境にアリアは民から恐れられる『悪姫』となってしまう。


『ひめさま! 早く元気になってまた遊んでね!』

『お見舞いのお花、摘んできたの!』


 街へ来て早々、アリアは遊び相手になってあげていた街の子どもたちに囲まれた。

 野に咲く小ぶりの花をアリアに差し出す子どもたちの姿に、微笑ましく見守っていた周囲の人間たち。

 しかし、次のアリアの行動で顔色を変えることとなる。


『……もの』

『姫さま?』

『どーしたのー?』

『――この無礼者!! いったい誰にそんな口をきいていると思ってるの!? 下民の分際で!!』


 顔をあげたアリアは凄まじい形相のまま、差し出す子どもの手を叩き花を地面に落としたのだ。

 なにが起こったのか付いていけていない周囲をよそに、アリア一人だけは傲慢な口調で地面の花を踏み潰していた。


『……小汚い餓鬼。服が汚れちゃった。ねえ、あなたのせいよ。そこのあなた』

『……え? ひめ、さま?』

『そう、あなた。――だから、死刑』


 そこから先は酷い話である。

 止めに入った騎士に向かってまた同じように「死刑死刑!」と口にするアリア。捲し立てるように「早く首を落としてよ」と当然のように命令するアリア。

 八歳という年齢の少女が口にするにはあまりにも物騒で、場は大騒ぎとなった。


 アリアは人が変わってしまった。

 事あるごとに『死刑』と発するようになり、街の人々の心は数年かけてアリアから離れていったのだ。


 いつしかアリアは『悪姫』と呼ばれるようになっていた。その頃にはアリアは城から外に出られない生活を送っていた。

 何度も体に異常がないか調べ、出来る限りのことを行ってアリアの更生に周囲は努めたが、アリアは元に戻らず、城の人間からも距離を置かれるようになっていった。

 部屋付きの侍女には手をあげる始末。

 ついには城の端に建設された塔に幽閉されたのだ。


 何もアリアを閉じ込めたかったわけではない。

 王妃は胸を痛め寝込んでしまうほど、アリアを大切に思っている。だからこそ、民の命を簡単に奪うよう命令をする、王女という立場にあるアリアは隔離する必要があった。

 塔に隔離しながらも、腕の良い薬師や心理学者、はたまた占い師に、自称霊能者、少しでも評判を話耳にすれば城に招きアリアと会わせたりと、可能性を捨てきれない王や王妃はいつかアリアが元に戻ることに賭けるしかなかった。


「ああああ!!」


 そして、この日。


 アリアが変わってしまってから十年目のこと。

 彼女の悲痛な叫びが、城内に響き渡る事態となったのだ。




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