第22話 覚悟を決めよう
俺は呆然としながらブルベアーと対峙する。
ブルベアーは四足状態で、ゆっくりとこちらに接近してきている。
彼我の距離は30メートル程度、オークの亡骸に囲まれたちょうど広場の中央にそいつはいた。
俺たちの真後ろに位置していたとはいえ、こんな目立つ場所まで近づかれていたのにまったく気配に気付かなかった。
それだけでも自分より明らかに格上の相手だと本能的にわからされてしまう。
「レティ!? レティ!! しっかりするのだ!!!」
「……クレア、大丈夫。かすっただけよ」
まずった、レティにはリーゼの声が聞こえていない。
今のブルベアーが放ったであろう衝撃波に被弾したようだ。
レティの様子を横目で確認すると、右手足を切り刻まれる負傷をしているようだった。
クレアと共に地面に座っていて、魔物がいるのに未だ立てないところを見ると決して軽傷ではないようだ。
しっかりとレティの状態を確認しておきたいが、今の俺にその余裕はない。
ブルベアーはゆっくりとだが、俺を見定めながら一歩一歩近づいてくる。
俺はごくりと唾を飲み込み、下がることも前に出ることもできずに無意識に剣だけは構えた。
……ダメだ。伊達にBランクの魔物じゃねぇよ。
存在感が圧倒的だ。俺じゃこいつには勝てねぇだろ。
「リーゼ。レティを回復してきてくれ」
「……よいのか?
もうヌシの魔力ではこの一度で魔法は打ち止めじゃ。
それにさすがに直接回復すればレティはワシの存在に気づくかもしれんぞ」
「へへ、四の五の言ってられる状況じゃねぇだろ……」
ブルベアーの動きは速い。捕捉されたら並みのハンターでは逃走は不可能だ。
戦って勝つ以外生き残ることはできない。
「わかった。ならばベネットよ、もう負傷するでないぞ」
「おうよ」
完全な空返事だ。
レティへと向かうリーゼを見送る余裕はない。
硬直気味の身体を叱咤して、俺はどうにか一歩ずつ前に踏み出す。
俺とブルベアーが互いに歩み寄り、距離がゆっくりと近づいていく。
そこまできて俺はブルベアーの左脇に何かが刺さっていることに気づいた。
……あれは、折れた剣か?
こいつ人間と戦闘になっていたのか?
「……ああ、そうか」
オークの群れの中を半狂乱で走ってきたハンター。
あの人の剣か、それとも仲間のものか……。
よく見りゃ、ところどころ毛が赤く染まってやがる。
しかし奴が負傷しているのは左脇の剣くらいしかわからない。つまり返り血の可能性が高い。
このままだと俺も……俺たちもそうなるってことか。
「……は。…………冗談じゃねぇよ!!」
気を吐いて、俺はブルベアーに突っ込んだ。
それを簡単に上回るスピードでブルベアーが向かってきて、勢いそのまま右前足を振り下ろしてきた。
迫る爪を避ける間もなく俺は剣で受け流す。
「ちぃ!! パワー差ありすぎんだろ!!」
ボールのように弾き飛ばされて俺は地面を滑る。
追撃が来る前にすぐさま立ち上がり再び立ち会う。
「ガアアアアアア!!!」
ブルベアーの咆哮を無視して、俺は素材採取用の短剣を引き抜き口内に投げ込む。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
短剣が口内に刺さったのかブルベアーは口を閉じて両手で押さえる。
すぐさま間合いを詰めて、俺はブルベアーの目に斬撃を見舞うが顔を逸らされた。
ブルベアーの左の前足が振られる。
俺はバックステップで躱しながらブルベアーに斬撃を放つが、毛皮が邪魔をしてまともに斬れずにいた。
たったそれだけの動きで俺はどっと汗が吹き出してくる。
速さ、力、どっちもまったく及ばねぇな。
直撃を喰らえば一溜りもねぇ。
普通に斬撃で倒すのは堅い毛皮が邪魔で無理そうだ。
かといって突きでもしたら剣を引き抜く前に奴のターンであっという間に御陀仏だ。
まったく、どうすりゃいいんだよ!
ブルベアーが再び吼えるためか口を開ける。
奴の喉に刺さる短剣が小さく見え、瞬間、奴の口の前から白銀の光が高速で放たれる。
「がぁ!?」
俺は吹き飛ばされて木に叩きつけられた。
衝撃で息が止まり激しく咳き込む。
口内が切れたのか、咳き込んだ先には血が散っていた。
……これが最初の衝撃波かよ。
ホントにシャレにならねぇな。革の胸当てとはいえズタズタじゃねぇか。
幸いまだ身体は動く。
俺は多少よろけながらも剣を構えるが、その姿はブルベアーには弱々しく映っているのだろう。
奴は嗤うように顔を歪ませて、ゆっくりと歩を進めてきた。
「ウインド・アロー!!」
風の魔法を付与して連続に放たれた高速の矢がブルベアーの身体に次々と突き刺さる。
しかし毛皮に阻まれたのか大したダメージはないようで、矢を放ってきた方に首を向けてじっくり値踏みしている。
「可愛げのない熊ね」
レティは軽口を叩いて再び弓を構える。
余裕そうに振舞っているが、滴る汗が隠しきれない緊張を伝えている。
レティの横で座り込んでいるクレアは、地についた手を握りしめてブルベアーを睨みつけている。
「ベネット! ヌシめ、負傷するなと言ったそばから怪我しおって!!
このバカ者が!!!」
「無茶言うなよ。ブルベアーを相手にしてまだ動けることを評価してくれ。
……おい、どうしたんだお前」
レティの様子からして無事回復できたのだろう。
だが、戻ってきたリーゼは透き通っていた。リーゼの向こう側の様子が普通に見える。
「ちぃとはりきりすぎただけじゃ。
……本当にこれで打ち止めじゃからな」
「お、おいリーゼ!?」
リーゼの手が光り、回復魔法が発動されたと同時、リーゼの姿がどんどん薄くなっていく。
「ヌシは緑精であるワシに名を与えたのじゃ。名は命、魂。
……であれば、あの程度の魔物になぞ狩られるでないぞ」
「お前どうなってんだよ! 大丈夫なのかよ!?」
いつもリーゼが肩に乗っているときは、その感覚がちゃんとあって触れることができる。
だが今リーゼに触れようとしても、何も存在しないかのようにすり抜けてしまう。
「バカ者……ヌシの魔力が戻れば、ワシはすぐに顕現できる。
……ヌシは自分の心配だけしていればよいのじゃ。
まったく…………もう怪我するで……ないぞ…………」
最後まで小うるさいことを言って、リーゼの姿は完全に見えなくなった。
気づけば、俺の傷は完治とまではいかなくても動くことに支障はなくなっていた。
「…………リーゼ……」
……なんだよ、ちくしょうが! 本当に大丈夫なんだろうな!
くそ、とにかく今は奴をぶっ倒さなきゃどうしようもねぇ!!
俺はレティと睨み合うブルベアーに向けて疾走する。
「レティ!! 生半可な攻撃は奴には効かねぇ!!
連射よりも一発重視で頼むぞ!!」
レティの返事を待たずに、俺はブルベアーに飛びかかり剣をまっすぐに振り下ろす。
当然奴の爪に阻まれるが、そこに僅かに亀裂が走る。
ブルベアーに前足を振り抜かれて俺は飛ばされるが、どうにか着地する。
ブルベアーが口を開け、すぐさま光の衝撃波が放たれる。
「来るとわかってりゃよけられんだよ!!」
奴が口を開けた瞬間には俺は左に跳んでいる。
着地と同時にブルベアーに突撃する。
「ウインド・アロー!!」
「グァアアアアアアア!!!」
衝撃波を放って僅かに硬直しているところに、横からレティの弓が飛来しブルベアーに突き刺さる。
限界まで弓を絞ったのか、先程放った矢よりも深く刺さっている。
「そらよっ!!」
俺は奴に刺さっている折れた剣に、渾身の力で剣を振り叩きつける。
俺はそのまま走り抜けて振り返ったところ、ブルベアーは身を捩って俺から距離をとった。
しっかりと痛覚はあるのか、さすがに刺さった剣をドつかれると痛いようだ。
何度かあの剣をぶっ叩いて、奴の意識が完全にそっちに向いたところで本命の一撃を入れるか。
ブルベアーにも俺の狙いが刺さった剣であるようわかるように、そちら側へ大きく回り込んで接近する。
俺に合わせて奴も回転し、そこへ再度矢が飛来しブルベアーの背に突き刺さる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
人間相手に翻弄されイラついていたのか、ブルベアーはレティに向かって疾走する。
「させるかよ!!」
俺は横を向いて隙だらけのブルベアーに飛びかかりその背に渾身の突きを入れる。
俺の剣が半分ほど突き刺さりブルベアーは大きくぐらつくが、そのままレティへと突進した。
「レティ!!」
「平気!! ベネットは離れて!!」
逡巡は一瞬。
俺はブルベアーから剣を引き抜いて跳び、奴の後方に着地する。
「こっちよ!!」
レティが横へと跳び、ブルベアーに矢を連続で射る。
ブルベアーは吼えて前足で矢をすべて弾き、跳躍してレティに襲いかかった。
やられる!? と思ったときには、レティは弓を投げ捨て両手を前に突き出していた。
「いらっしゃい……バースト・フレア!!」
耳をつんざくような爆裂音。
ブルベアーは至近距離からの炎爆魔法に直撃され、俺を飛び越えるほど吹き飛ばされる。
地に叩きつけられて転がるブルベアー。
大きなダメージを負っているだろうに、それでも奴は殺気立った眼で立ち上がろうとする。
「しつけぇんだよ!!!」
俺は疾駆して勢いのままブルベアーの額に剣を突き差す。
奴は動きを止め、断末魔の声をあげることなく地に伏した。