絨毯のへこみ
外は晴天。ちょっとウザイくらい暑い。
事が済んだら涼しい喫茶店から出て、この炎天下の下出なくてはいけないかと思うとそれだけでうんざりする。
冷房で冷えたストッキングが肌に心地よい。
でも窓の外から容赦なく路地のタイルは日光を照り返す。
ウザイ・・・・心底ウザイ・・・・。
やっぱり紅茶よりも冷たいジュースにすればよかったかしら。
ついオーダーを選ぶのも考えるも面倒に感じて「紅茶」と言ってしまった。
向かいに座ってるやつのグラスの氷が羨ましい。
といっても彼女はちっとも飲む気はないみたいだけど。
ていうか、彼女は喋る気もないみたい。
いつまで私を待たせる気だろうか。
「話がしたいのできてください。顔を見て話をしないと気がすまないので電話では話せません」とか言ってたくせに。
・・・・私から話し始めるべき?
もう迷うのも、面倒くさい。こちらが気を使う必要のない相手だと思うし。
「あの。わざわざ人を呼び出しておいてずっと黙られるのも訳わからないですけど。
どういうお話なのかを話していただけないのならもう帰りますけど」
「・・・・・・・・」
だんまりかよ。って泣き出したよ~なんでだ~~?
あなたが私に話をしたいから呼び出したんでしょうがぁ~?!
「じゃあ私は失礼させていただきます」
そう告げながら隣の席に置いたバックと上着を手に取った。
「待って!待ってください!!こんなの酷すぎます!!」
アナタ・・・すっごい大きい声が出るのね。びっくりしたわ。
「あなたが自分勝手で・・・冷たい怖い人だってたっくんから聞いていて呼び出したけど怖くて!
怖くてなかなか話出せなくて!!なのに帰るなんてひどいです!!やっぱりたっくんが言ったとおりの人ね!!」
いやいやいやいやなに言ってるの?
「あの、声は抑えてください。周りの方に迷惑です」
「本当に自分が周りからどう見られてることしか考えないんですね!」
「おっしゃってる意味がわかりません。少し落ち着いて話してください。アナタの話を聞きに私は来てるのだから、話してくれるなら聞きますから」
「あなたが自分の事しか考えない!あんなやさしいたっくんを自分の欲望だけで押さえつけて自由にさせないとかっ!
働かせても給料を独り占めとか!」
「・・・・・」
「共働きっていってもそちらはご自分の親の会社で名前だけのブショで働いてて、えっと座ってるだけで、たっくんは自分で起こした会社を毎日頑張っているのに!
ちょっと酷すぎます!なのに離婚にも応じないって!いくら離婚が嫌だからってたっくんに怪我までさせて酷いです!
たくんの事が好きで離婚しないんじゃないんでしょ?自分は他にも男がいるくせに!!」
さっきまで黙っべそかいてやがったのに、スイッチが入ったかのごとく猛烈に喋り始めましたよこの女。
っていうか、えっと、たっくんって私の夫である大志の事だろうけど。
お話されてる内容の一つも私と大志の結婚生活と一致するところがないのですが・・・・。
「だから!!たっくんと離婚してください!!」
・・・・うん。いいけど。一応確認しておこうかしら?
「えっと、あなたの言うたっくんとは『蔵前大志』に間違いない?アロンフDDの代表の・・・・」
「そうです!なにしらばっくれてるんですか?そんなそぶりでごまかされませんから!!」
「あの一応あなたのお名前伺ってもいいですか?」
「えぇっ?あたしの名前を聞いて何するつもりですか?!脅しとか!負けませんから!!」
「いや、そうじゃなくてて、あの新顔さんだし・・・一応資料と間違ってないか確認しておこうかと思って。だからお名前」
「はぁ?なにいってんの?いみわかんないこといわないでよオバサン!なめてんの?離婚しろっていってんの!!」
「因みに、そのたっくんが怪我した日っていつか覚えてます?」
「はぁ?あんたがやったんでしょ?しらばっくれる気?サイテー!」
「覚えてないんですね?」
「覚えてるわよ!!」
彼女が叫んだ(いい加減に叫ぶの辞めてほしい)日付は、確かにともやん(友人で探偵業)の報告と一致してた。
そうか、急遽入った出張の行き先はこの子のとこって事ね。
まぁ本人は隠してたけどあんな顔で絶対に出張ではないとばれてましたけどね。
「それはね、私がやったんじゃなくて三番目の仕業ですね」
「はぁ?サンバンメぇ?なに言ってんの?たっくん殴ってあんな傷つけといて!!」
彼女が叫びながら自分のジュースが入ったグラスを掴んだ。
「は~い・・・そこまで」
ばさっと大きめの茶封筒がテーブルに置かれた。
正にリングに投げられた白タオル。
ん~まだ私はギブアップじゃないですけどねぇともやん。
「ちょっと早くない?」
「いいのいいの。彼女もアホ旦那に騙された上にお前に手をだして~の『傷害罪』とか、かわいそうでしょ」
「あらお優しい事ですわねぇ」
「俺は紳士なのよんっと。どもお嬢さん。わたくしはこいう者です」
さっと彼女に自分の名刺を渡すと、私のバックや荷物を手にとってその椅子に座るともやん。
「え?え?」
「順をおって説明させてね。今度は私が話をする番。逃げも隠れもしないから」
「そうそう。だからもうこれ以上は大声は無しね」
私の言葉にまた大声上げるべく口をぱっくり開けた彼女の顔の前に、ずいっと身を乗り出して話かけるともやん。
うん、お前の整いすぎた面はそうやって使うのか。なるほど。
探偵なんて家業にはそのイケてる面は邪魔なんじゃないかと思ってたけど、こういう使い方があるのね。
「お前・・・また変なとこに感心してるだろ?」
その言葉にへへへと笑って誤魔化しておく。
まぁ彼女が黙る気になったので説明を始めよう。
「あなたのお名前は工藤愛華さんで間違いない?お勤めはここね?」
彼女の前に一枚のショップのカードを出す。
すっと彼女の顔色が変わるのがわかる。
ゆっくりと頷いた。
自分自身の身元がはっきりされると、冷静を取り戻す人は多い。
違います私じゃありませんなんて言われなくて良かったわ。これ以上増えるのは勘弁だわ・・・いや、一人でも勘弁して欲しかったけど・・・ね。
「まずね。私の夫である蔵前大志に対して、既に私から離婚届は渡してあります。
大志との結婚はは確かに家業同士の政略的な目的で成立しました。だから愛情あっての結婚ではありません。
だからと言って愛情が全く湧かないわけではありませんでした。夫婦生活はありましたし・・・・。
しかし、繰り替えされる浮気に・・・今現在も複数の女性との関係が続いています。
その果てまでは業務横領まで起こされては、こちらとしてもこの関係を解消しプライベートの事だけでなく業務など様々な事の見直しもしなくてはなりません。
もちろん彼の資産は今現在はわれわれが抑えさせていただいてます。
これは私の一存ではありません。もう『妻がお小遣いをあげない』というものではないのです」
「嘘・・・嘘でしょ?」
彼女は泣いていいのか怒っていいのかと、うろたえてはじめた。
「詳しいことはこの封筒の中の資料を読んでね。これにはあなたの個人情報もばっちり載ってるのがあるから、これをその辺に捨てて帰らないこと。
読んで落ち着いて考えて、中にこの件を担当していただいてる弁護士の名刺も入ってるからね。そこに連絡してください。
もう直接私に連絡しても、もう応じませんので」
「・・・・ほうりつ・・・事務所」
「そうよ、大志が私との離婚に応じないし、言ったけど他にも色々とやらかしてるから、もう間に弁護士を立てて話うしかないの。
あいつは逃げ回ってるけどね。だから私のところには大志はいないのよ」
「・・・・そっちに帰ってるんじゃない?」
「うん、怪我をおった後から帰ってきてないの。帰ってきてないというよりも逃げ回ってる?
だからあなた以外のところにも行く所があるの。たぶんそっちにいるわ」
「・・・・・うそぉ・・・・そんな・・・・」
「そちらには弁護士の方から連絡いく予定だけどね。蔵前さんは他の人に対して結婚詐欺まがいの事をしでかしているらしいから」
「・・・・結婚・・・詐欺・・・・」
どうやら何かしら心当たりある感じだ。
これはお金渡しちゃってるな。
「じゃあ私の話はこれで・・・・」
席を立とうとすると、ともやんがさっと伝票と私の荷物を手に持って彼女の一礼して歩き出した。
私も一礼したが・・・そのまま放心状態になった彼女を置いてともやんと喫茶店を後にした。
「はぁ~まだまだ20代ちょっとの小娘相手になにしてんだか・・・・。思ってたよりもおぼこい子でちょっと驚いたわ」
「まぁなんだ、お前ももっと早くに動けばよかったも」
「そうね、そうすればあの子は餌食にならなかったかも?そうね・・・」
河原の遊歩道を歩きながら、ぐ~っと腕を開いて深呼吸。
はぁ、草の香りが懐かしいなぁ。
「そうね・・・プライドだけ高い男の鼻をボッキリ折ってやったのも間違いだったわ」
「いや、そうだとしても腹いせに横領はねぇだろ?」
「まあね。でもあっちは『コレに懲りて離婚なんていうな』だからね。もう価値観の違いとか性格の不一致とかの範囲ではないわ」
「離婚言い渡しての報復がそれ?」
「もう笑っちゃうでしょ?実際に大真面目に言われると頭真っ白になるわよ。
話の合わない人だとは思ってたけど、ここまでずれるとなんていうの?理解の範疇を超えると無反応になるわ・・・まぁおかげで親族一同納得の離縁となりましたけどね」
「にしても、それでもさらに浮気を重ねて・・・あげくにペーパーカンパニーに結婚詐欺か・・・」
「まさか三番目の女にやられた傷を使って、新規開拓してるとは恐れ入ったわ」
「新規開拓って!!」
「そういう機動力があるなら、正しい方向で力を使って欲しかったわ」
「まぁ・・・な。ってお前、旦那に対して情とか残ってんのか?」
「え?ないない。ただお母様が不憫というか・・・」
「不憫もなにもそのご本人達が育てた結果じゃねえの?同情の余地なんてないだろ」
「うん」
「最初のうちは散々言われたんだろ?」
確かに・・・最初は『浮気は男の甲斐性だし、それを上手くやりとりするのが奥さんってものでしょ?』
ととうとうと説教されたもんな。
あいつには『外に子供作るなんてみっともないことしないのよ!ちゃんとこっちでしか作らないようにしなさいよ!!』だもん。
そうだそうだ。価値観というか頭の中身が違いすぎたんだわ。
合ってたのは資産とか会社の運営方針とかうんちゃらかんちゃら・・・・。
でもね、頭ではわかってるけど、一度家族として築いたものはやはり心になにかしらを残してしまっている。
愛情もないし子供もいないし。
あるのは奴がしでかした色々・・・・。
それでも夫婦生活もしてた頃は、情というか愛情はあった気がする。
『私と結婚したほうが大志は幸せになる!だから消えて!!』
ふっと脳内再生された声は大志の顔に青あざをこさえた三番目の女。
自分以外にも女が居て、離婚も大志が拒否しているって言う事実と、親の会社はあっても自分の会社なんて無かったとか『資金繰りの為』のお金は他の女へのプレゼントとデート代だったとか・・・
そういう事への怒りを拳にこめて、ありがたくも大志へと向けてくれた彼女。
それが発覚する前は本当に彼を愛して信じていたそうだ・・・・。
『ざまぁみろって思ってんだろぉ!』
大志を殴り倒してその足で私のところに再び現れた彼女。
私に謝りに来たと言ってたのにその切れっぷりに笑っちゃったけど。
笑いながら見事に拳を決めてくれてありがとうといったら彼女も笑い出して・・・
せっかく首根っこおさえて連れてきた大志は、私たちが泣きながら笑ってる間に逃げ出してしまったけど。
それからは腹を割って話してみたら存外面白かったので、今では友達の様になっている。
「どうして・・・浮気男が自分が相手なら浮気しないと思うんだろうねぇ・・・・」
「私が奥さんより勝ってると思ってるんじゃね?」
ん~なんか違う気がする。
他の人は知らないけど、大志は相手を騙す気満々だった。
そして彼女は大志が結婚してるって最初は知らなかったらしい。
でも結婚してるって判っても別れる事は出来なかったと。
その残骸というか影というか・・・ほら畳の家具をどかした時の焼け具合とかさ、カーペットの凹んだあとみたいな・・・
そんな感じのものが私の心に少しだけ跡を残しているってだけで。
『愛』そのものは無いの。
もっと別の、本当に家具の跡みたいな、どうでもいいけど煩わしいって・・・・。
「どした?泣くか?胸を貸すぞ?」
「ううん大丈夫。そこまでじゃないし」
「そこまでじゃなくても、いいんだぞ泣いても」
「平気。泣きたい訳じゃないの。ちょっと虚しくなっただけ」
「そっか」
「ん~」
「話したいことあるなら聞くぞ。今は依頼関係ではなくて友人としてだからな」
「ん~。なんというか『家具を動かしたら出てくる畳の青いところ』というか『カーペットの凹み』なんかそんな感じなの」
「はぁ?なんだそりゃ」
「どうって言われたら、そういう感じなのって事」
ともやんは笑いながら遊歩道の休憩スペースのベンチに腰をかけてタバコに火を付けた。
使い捨てライターではなくて愛用のジッポ。
仕事の時はこっちは使わない。
なんでって聞いたら『こういう個人的趣味の持ち物は、仕事でも使ってると尾行とか潜入の時にぼろが出るんだよ。へたに相手に印象が残るっていうか』
タバコを吸わないっていう選択肢はないらしい。
あまりタバコの香りは気にならないので、タバコを吸うともやんの隣に腰をかける。
「それって・・・あれだろ?」
携帯灰皿に灰を落としながら・・・
「畳みは取り替えればいいし、カーペットの凹みもスチームアイロンとかでどうにかなるだろ」
「・・・・・」
「畳を取り替えるには金がかかるしアイロンかけるのも手間がかかる。・・・・・簡単だけどさ、それなりの手間がかかる」
吸い終わったタバコを片付けて、その手で私の頭をぽんぽんと触った。
「それなりの手間。俺・・・手伝うよ?」
「ハハハ・・・・」
「お前・・・・もう少し色気のある泣き方しろよ」
ともやんは自分のお尻のポケットに入ってた帽子を私に被せて、手ぬぐいを顔に押し付けてきた。
「ハハハ・・・・汗くさいっていうかおっさん臭い」
「おっさんだからな!!」
これから梅雨が来るのが信じられない様な夏めいた風に、涙でぬれた頬がこそばゆい。
色々と片付けて、今度は自分で決めよう。
自分の立場とか境遇とか、そんなものに任せた生き方をしていたと思う。
学生の頃は「未来が決まってる自分の為に、今は自由に生きよう」とか言って好き勝手をしてたけど、それも殆ど親の金とか立場とかを利用してたしなぁ。
全てを捨てて一人で生きて行くなんて、出来ないってわかってるけど、ちょっと憧れる。
でも今の私を作ったもろもろの事も、私の一部に違いなくて。
親族の歯車っていっちゃうとあれなんだけど、でも歯車としてこの周りを回していくのも悪くないと思ってる。
立場は変わらないけど、気持が違うって言うのかな。
そんな私でも一緒に暮らしていきたいとかいう男が湧いたら、また考えるか。
「よっし!ここは一発焼肉でも行きますか!!」
「おっ!いいね!奢り?行くか高級な焼肉店!!」
かぶってた帽子を手に取ってともやんの頭を思いっきりはたく。
「イテっ!」
「ちっが~う!焼肉大将で~す!」
「はぁ~~~?あそこおごりでも嬉しくねぇっ!」
「さ!行くよ~!!」
「ほいほい」
ともやんは大きな手で私の頭をがしがしと撫で回してから、先に立って歩き出す。
昔からそうだったな。
その後姿に心がほっと落ち着く。
そしてちょっとざわめく。
落ち着かなくなりそうな小さな変化から目を背ける様にヒールをならして、ともやんを追いかける。
~終り~