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陽もだいぶ傾き夕暮れに染まった馬車の外の世界。どんどんと王都から離れ、偽勇者一行が正体を現したという町へと向かっているが、暖かな過ごし易い気候に変わりはない。たまに吹き込む風は気持ち良く、揺れさえなければとても快適な旅である。
「馬車の大きさから考えても、あと一人が妥当というところだな」
全く会話のない荷台の中。後ろで両肘を突き、遠ざかって行く景色を眺めるハルトの耳にキルシェの言葉が届いた。
「あ、ああ、新たに加えたいお仲間のことですね」
「ああ、偽勇者一行は四人ということだからな、三人だと心許ない」
肩越しに振り返れば、ハルトに背を向けたアルティアの言葉にキルシェが目を合わせ頷いていた。
アルティアを仲間にしてから一週間ほど。ほぼ常に三人で居るということもあり、彼女は少しずつだが心を開いてくれている。と言っても、それはキルシェに対してだけ。ハルトとアルティアは必要最低限の会話しかない。アルティアもハルトの性格を認識し、放っておいてくれているのだ。
「新しいお仲間ですか……。キルシェさんは前線で戦う騎士で、ハルトさんは攻撃魔法に優れた魔法士で私は治癒魔法士ですから、他にどんな方を求めてるんですか?」
チラッとハルトを振り返ったアルティアは至って真面目な顔で尋ねている。キルシェとハルトが求めている新たしい仲間に共通認識を抱いていることなど全く気付いていない。
それもそのはずだ。あれから立ち寄った二つの町で手頃な任務を受けた際にも狂戦士と化し敵を散り尽くしたアルティア。戦闘の中心となって大活躍した彼女に残った記憶はやっぱり皆無だった。いつでも治癒魔法士として活躍したと信じている。
「ああ、うん、より補助魔法に特化した魔法士が必要だろうな。アルティアだけに治癒を頼っていると万が一のこともあるし、治癒魔法も使える補助魔法士だな」
「俺もキルシェも治癒魔法は苦手だからな、そこら辺が妥当だな」
こんな展開にしているのは治癒魔法を受けられずにピンチに陥っている当人達。事実を明かしたらシスターである彼女はショックを受けるはずだと話を合わせている。彼女の為になるかは分からないが、狂戦士と化した彼女以上に心強い仲間も居ないので、これで良いと考えている。
「そうですよね、周りが見えなくなっていたせいで戦闘後にお二人を治癒することもありますもんね……」
「いや、まあ、アルティアは私の期待以上に頑張ってくれてるから別に責めたりはしてないよ」
シュンと俯いたアルティアにキルシェはすかさずフォローを入れる。
「ただ、新戦力を加えるんであれば、前線で戦うことも出来るハルトとのバランスも考えて補助魔法士が最適だというだけだから」
「は、はあ、そうなのですか……?」
「ああ、とりあえずは次の目的地であるトレノに到着したら仲間を募集し簡単な面接でも行おう。大きい町だから、偽勇者一行の討伐に参加したいと思いながらも踏ん切りがつかず燻っている者も居るだろう」
それから二時間ほど経過し闇の帳が下りた頃。キルシェがトレノの灯りを見つけたことで、ハルト達は翌日にでも新メンバーの面接を行うことにした。
◇
ロマノ王国でも三番目に栄えているというトレノ。人口十万人を誇る町は王都にも劣らないほどに賑わっており、人口密度だけで言えばこちらの方が高いのかも知れない。
やっぱり国王が出した御触れが理由だろう。高い外壁に囲まれた町はこれまで寄って来たどの町以上に地元民の割合が多いが、勇士達も少ない訳じゃない。
値上がりしている酒場や飲食店では武装した若者達で溢れ、宿も満室の所が多かった。集会所で受けられる任務の数は基本的に町の大きさと魔国との近さに比例しているので、この町に留まり資金と武具の調達をしているのだろう。
端にステージがあり、反対側にはカウンターのある木張りのフロア。薄暗い中であって一点だけにランプの灯りが落ちた等間隔に並ぶテーブル席。その一つにキルシェを中心にハルト達は並んでいる。
安い宿は軒並み満室とあって、ハルト達が泊まったのは少し割高な地上四階建ての一際目立った木造建築のホテル。酒場となった地下一階は夕方からの営業とあって、ハルト達はその一角のテーブル席を借りて仲間の面接を行わせて貰うことにしたのだ。
昨夜到着した時にこの酒場にその旨を記載したビラを貼らせて貰い、食事に出た際にもそこかしこに貼らせて貰ったことで、二十人ほどの若者達が朝から集まってくれた。
「はぁ……それなりに数は集まってくれたが、魅力的な奴は居なかったな……」
一人ずつの軽い面接が終わったのは二時間ほど経過したお昼時。最後の一人が階上へと上がるのを見送ったキルシェが最初に漏らしたのはそんな言葉。彼女のお眼鏡に敵う者は一人も居なかったようだ。
「どいつもこいつも似たり寄ったりで面白味が全くなかったな。中には補助魔法が使えない奴も居たし」
部屋でだらだらしていたかったものの、無理矢理起こされキルシェの隣に座らされたハルトも意見は同じ。
「そうですね、私が口出しするのもあれですけど、安易なお金儲けしか考えてない方ばかりで信頼出来そう方は一人も……」
キルシェの奥側の席に座ったアルティアも同調し、尻すぼむように自分の意見を口にした。自分が仲間になる試験を受けた際に厳しい言葉を言われていたので、中途半端な考えを持った者は相応しくないと考えていたのだろう。
もちろんシスターである彼女は優しいので、そんな者達を死の危険のある場所には連れていけないと思っている故の言葉だ。
「はぁ……で、これからどうするんだ? 諦めて次の町にでも行くのか?」
大きな溜め息を吐いたハルトは面倒くさそうに両肘をテーブルに突くと、幼馴染みの顔を見上げる。面接はキルシェに任せきりでも、聞きたくない話をずっと聞かされていたせいで、疲れは討伐依頼を一つこなしたほどに溜まっている。
「いや、トレノを出た後は小さな町ばかりだから仲間集めは期待出来ない。偽勇者一行が正体を明らかにしたヴァレーゼは少し大きいが、さすがにそこまで到達してからの仲間はな……。
馬車の大きさの問題はなくなるから一人に絞らなくても良くなるが、そうなるともう同盟みたいなもので連携を期待出来ないから駄目だな」
「それではまだこの町に留まって仲間集めをするんでしょうか?」
「うーん、どれだけ時間が掛かるか見当も付かないが、それが一番効率的だろうな」
「はぁ、まだこんなことを続けるのか……」
もう一つ溜め息を吐いたハルトはテーブルに突っ伏した。
「俺はもう同席しなくても良いんじゃないか。居ても居なくても同じだろ?」
「確かにハルトは一度も口を挟まなかったが、お前を放置してたら午後からの討伐依頼前に姿を眩ます可能性もあるから駄目だ。ただで泊まれる駐留施設で良いところをお前の希望でこんな高いホテルに泊まっているんだ。それだけの仕事はこなしてもらうからな」
「いやいや、別に俺がこのホテルを望んだ訳じゃないし、ちゃんと討伐依頼には参加するからさ」
「駄目だ。お前は信用出来ない。ほら、昼飯を食べてから今日の任務に行くぞ」
キルシェはハルトの言い分などあっさり斬り捨てると、腕を取り早速と出て行こうとする。
「あ、お、おいっ!」
もちろんハルトに抵抗の余地はない。為す術もなく連れて行かれる。
アルティアは二人のそんなやりとりにも見慣れ、笑顔で後に付いて行く。
表面的な部分では全くやる気がないとはいえ、キルシェがせっつくことで嫌々ながらも応じてくれるハルト。その責任感が強い所がこのパーティが上手く回っている秘訣だと、短い共同生活を楽しく送っていたアルティアは理解していた。
◇
昨日から泊まっているホテルの地下一階。フロア丸ごとを使った広い酒場には多くの人々が集まり賑わいを見せている。
彼等の視線の先は、左右にエスニックな音楽を奏でる楽団の並んだステージ上。そこでは煌びやかに着飾った踊り子達が美しい舞を見せ、男女問わず観客達を湧かせている。
ステージを楽しむ為に集まっていると言っても過言ではないこの酒場。しかしただ一人、ハルトだけは目もくれない。
「はぁ……」
ステージに背を向けるカウンター席。席に着いて以来一度も振り返ることのないハルトは溜め息と共にグラスを置いた。グラスに半分ほど満たされているのは特産品であるリンゴの炭酸水。酔っているからではなく、本当に興味を惹かれないから振り返らないのだ。
食事は三時間ほど前にキルシェ達と済ませているが、少しでも独りきりの時間を堪能する為にここに来た。多くはないが懐にも余裕はある。アルティアの境遇を思いやってか、討伐依頼の余った稼ぎをキルシェが分配しているおかげだ。
――いつまでここに留まることになるのか……。
溜め息の理由はこれからを憂えてのもの。キルシェはこの町で補助魔法士が見つかるまで本気で留まるつもりのようだ。早くに討伐依頼が終わってからは、少しでも安い宿が空いてないかとアルティアを伴って探しに出ていた。結果は言うまでもないが。
確かにアルティアの隠れた力を考えれば、治癒魔法にも秀でた補助魔法士は不可欠。王国を騙すほどの実力を持った偽勇者一行の討伐には絶対に欲しい戦力だ。
キルシェに聞いた話では、偽勇者一行の四人は騎士団長を圧倒するほどの実力とのこと。未だに討伐されたという話が出て来ないのは、どこに逃げたか分からないのか、返り討ちにされているからだろう。
「はいよ」
そんなことを考えていると、恰幅の良いおばさんがハルトの目の前に皿を置いた。載っているのは一個丸々の焼きリンゴ。デザートではあるが、特産品を用いた看板メニューの一つである。
「ふふっ……」
昨晩ビラを貼らせて貰いに来た時から気になっていた料理。笑みを零したハルトは早速としっかりした実にフォークを入れようとする。
その時だった。体を震わせるほどのドッとした歓声が背後から上がった。
何があったのかとフォークを宙で固定し初めて振り返れば、観客全ての視線がステージ上の一人に向けられていた。
バックダンサーを付けず一人きりで舞を見せるのは赤髪を後ろで纏めた麗しい女性。へそ出しの青いドレスに身を通し、大きな胸を激しく揺らす情熱的な舞で見る者を魅了している。
鋭い魅惑的な瞳によって誰もが抱かされる自分を見つめているような錯覚。ハルトもそうだ。一番遠くから見ている自分の視線と彼女の視線が合っている感覚を覚えた。
――さすがはここのトップと言ったところか。
ハルトも素直に彼女の舞は美しいと、心の中でその実力の高さを讃えた。
しかし、対象を自分に惹き付けるチャームの魔法にも似た舞はハルトには通じない。
捻じった体をカウンターに戻したハルトはフォークをリンゴに入れる。まさに花より団子。他人に興味がないハルトは当然彼女に対してもそうであり、出来立ての焼きリンゴを堪能することにした。
「ふぅ……」
滞在時間は三十分ほどか。食事を終えそろそろ帰ろうかと、三杯目のリンゴサイダーを飲み干したハルト。ニッカポッカのポケットから銅貨を取り出そうとしていると、
「私と彼にもう一杯同じものを」
突然とハルトの脇に現れた長身の女性はそう言って、ずっと空いたままだった隣に腰を下ろした。
「ん……?」
誰なのかと覗き込んだハルトが見たのは、大きな胸に掛かる赤髪に、魅惑的で妖艶な大人っぽい顔立ち。年齢は五歳から十歳ぐらい上だろうか。異国的な雰囲気を醸し出しており、ハルトの目にはよく分からない。もしかしたらまだ二十歳ぐらいかも知れない。
「えぇっと……」
彼女の印象的な顔立ちは何となく最近見た憶えのあるもの。だが、どこで見たかを思い出すことも出来ず、ハルトはすぐに思い出すことすら止めた。
「どなたか存じ上げませんがありがとうございます」
思い出せないということは重要な人物でないと察したのだ。どうせこのホテル内で擦れ違った程度の人だと。
「はは、さすがは私の踊りよりも食事を優先する奴だ。私の顔すら憶えてないとはね」
ハルトの失礼な言葉にも、彼女は嫌味一つないカラッとした笑みを浮かべる。少し幼く見える笑った顔も美しくまた魅力的だ。ハルトでなければその笑顔だけで心を射抜かれたことだろう。
「私はさっきまでそこで踊ってた踊り子のシルヴァーナだよ。シルヴァとでも呼んでくれ。それで君の名前は?」
「え、ああ、ハルトですよ。あなたがさっきの青いドレスの人ですか」
髪を解いた彼女が纏っているのは、胸元を強調した膝上丈の青いノースリーブワンピース。色は同じで共に露出は多くとも、服装が違えばハルトが憶えているはずもない。
ただでさえ彼女の激しく揺れる胸と、ドレスの短い裾から伸びるしなやかな脚しか見ていなかったのだから。
「うん、青いドレスを着た美しい女性のシルヴァだよ。ってこれ、ただのリンゴサイダーじゃんっ!」
サラッと自分を美しいと表現した彼女は運ばれてきたグラスを一口。驚きの声を上げると、
「すみません、私にはリンゴ酒をお願いします。仕事上がりはやっぱり酒じゃないとね」
カウンター内のおばさんに注文を告げた後で、再びハルトに笑顔を向けた。まだ後ろではステージが行われているので、今夜の出番は終わり一足先に上がったのだろう。観客をあんなにも惹き付けていたのを思えばオオトリでもおかしくないが、どうやらトップではないようだ。
「で、何の為にここに来たんですか? 文句を言いに来た訳じゃないですよね?」
「いやいや、私は単にハルト君に興味があっただけだよ。あんなにも私をサラッと無視して料理に夢中になってるのは目にするのは久し振りだったからね。踊り子としてのちょっとしたジェラシーで君と話してみたかったんだよ」
「はあ、そうですか」
自分も一口飲んだハルトはつまらなそうに溜め息を吐く。運ばれて来たから飲むものの、もう帰る気であったハルトにとってその理由は面倒くさいもの。相手が美しい女性であれ、初対面の人と話したいパーソナルな話題なんてない。
すぐにでもサイダーを飲み干そうとするのだが、わざわざ尋ねずとも彼女は話題を持ち合わせていた。
「ハルト君は仲間と一緒に今話題の偽勇者一行の討伐に出てるんだって?」
ぷはぁーと至福な顔でリンゴ酒を口にしたシルヴァは、ハルトのこの旅の目的を既に知っていたのだ。
「詳しいですね」
「私達に全く興味がない君を誰が最初に振り向かせられるかって同僚達で賭けをしてたんだよね。そしたらオーナーが来て君のことを教えてくれたんだよ。仲間を募集する面接を今朝ここでしてたってね」
「はぁ、そんな賭けを」
キルシェが面接でここの利用とビラ貼りの許可を頼んだ優しそうなオーナーの顔は既に頭から消え、自分を賭けの対象にしていた話しかハルトの頭に残らない。
「うん、もちろん私が勝ったんだけどね」
悪びれもせず純粋に楽しそうな笑みを浮かべたシルヴァ。別に怒ってる訳ではないのだが、そんな笑みを見せられればツッコむ気さえ失せてしまう。
「でさー、良かったら私を仲間にしてみない? 一応は私も君達が求めているという補助魔法士で実力もそれなりにあると自負しているよ」
笑みを浮かべたままの彼女は唐突と本題に入った。ハルトに興味があるというよりも、最初からそれを頼みに来ただけなのだろう。
「はぁ、仲間ですか。ここでの仕事は良いんですか?」
「私は流れの踊り子で、ここでの契約も終わればまた旅に出るつもりだったから大丈夫だよ。それに次の町に行くよりも、君達がやってる偽勇者一行の討伐の方が面白そうだからね、褒賞金も出るようだし」
「踊り子としての稼ぎで旅をする旅人ですか」
「いや、稼ぎは全て酒に使ってるよ。移動費なら私のこの抜群のプロポーションを使った色仕掛けを使ってね、馬車を持ってる人に同乗させて貰ってるよ。あ、もちろん私は生娘だからお触りNGだけどね」
「随分危ない橋を渡ってますね」
生娘が本当かは分からないが、一人で旅をしてるということは言葉通り、それなりの実力を持っているからだろう。稼ぎの全ての酒に費やすのはどうかと思うが、その欲望に素直な性格は好感が持てる。
「はは、まあね。私のこんな性格を認めなかった両親に与えて貰った唯一誇れるものだからね、それぐらいは最大限に利用しないと」
旅に出ている理由は親との確執か。言い辛いことを話す彼女の顔にはやはりカラッとした笑顔が浮かんでいる。自分が美人であると強く認識していながらもそこまであっけらかんとしていると逆に嫌味に感じさせない。
「それじゃあ、うちのリーダーにでも紹介しましょうか。こっちとしても実力のある補助魔法士が仲間になってくれるのはありがたいんで」
キルシェやアルティアと仲良くやっているビジョンはまるで想像出来ないが、この旅が一日でも早く終わることはハルトが一番望んでいるもの。あとはキルシェに判断を仰げば良いだろう。
「このホテルの二階の最奥に俺は泊まってるんで、明日にでも訪ねて来て下さい。その時に面接や実力を見る試験を行うと思うんで」
四杯目のサイダーを一気に飲み干したハルトは立ち上がると、ポケットから出した銅貨をカウンターに置いた。
「それじゃあ、俺はここら辺で」
「うん、それじゃあ、また」
笑顔で小さく手を振るシルヴァに見送られ、振り返ったハルト。
しかし、このまま帰ることはやっぱり出来そうになかった。
「あ、あなたはっ!」
階段の方からこちらへと歩いて来ていた女性はハルトを見るなり声を荒げた。
見覚えのあるウェーブ掛かった長い金髪の女性。すぐ脇には金髪長身の優男が控えている。
「ああ、キルシェの同僚と付き人か」
気品に溢れた彼女達の素上はすぐに思い出したものの、例の如くハルトが名前を思い出すことはなかった。
「バネッサ・ガリバルディとブラウリオですわ! はぁ、一応はあなたのご学友でもあったのですから名前ぐらいは憶えて下さい……」
ハルトの性格を知っているバネッサはあからさまに呆れている。
一方で、斜め後ろに控えたブラウリオはハルトを眼光鋭く見つめている。ハルトに瞬殺されたことを相当根に持っているようだ。
「あら、そちらのお方は新しいお仲間ですか?」
不自然なほどに上機嫌だった防具屋の時とは一転し、バネッサは余裕に溢れた高慢な態度に戻っている。この十日ほどの間に気持ちを持ち直したのだろう。
「うん、今はまだだけど、仲間になる予定のシルヴァーナだよ」
ハルトに代わって答えたシルヴァはもう仲間に受かる気満々なようだ。その表情からは一切の陰りが見えない。
「ふふ、予定ということは、まだお仲間にはなっていないということですわね」
その言葉を聞いたバネッサの目尻と口元が怪しく歪んだ。
絶対に面倒事に巻き込まれるとハルトが身構えた時にはもう時すでに遅し。
「それでは、私達二人とあなた方お二人で勝負をして頂けませんか? 勝った方がシルヴァーナさんを仲間に出来るという賭けですわ」
バネッサは早速と切り込む。賭けで痛い目に遭ったからこそ、この賭けで雪辱を晴らしたいようだ。
「俺達にメリットがない賭けに乗るとでも思っているのか?」
「はは、面白そうだな」
もっともな論理でハルトは拒絶するのだが、同じ理由でハルト達の仲間になることを申し出たシルヴァは満面の笑みでノリノリ。
「どうせ明日には私の実力を見る試験を行うんだから、これで私の実力を確かめたら良いんじゃないか?」
バネッサ達の実力を分かってないにも関わらず勝つ気でいる。
「ふふ、そうですわね。ハルトさんの言う通りそちらにはメリットがないようですので、あなた方が勝った暁にはこのホテルの滞在費を全額無料にして差し上げますわ。ガリバルディ家が運営するこのホテルにいらっしゃるということはここに泊まってますのよね?」
「ああ、ここに泊まってるみたいだよ」
ハルトに代わってシルヴァは答えると、
「それで良いんじゃないか、戦う理由も出来たことだし」
バネッサだけでなく彼女自身もハルトの説得へと掛かっている。
未だに無言ながらもブラウリオもずっとハルトを睨み付けており、にたっと歪んだ口元は「逃げる気か?」とでも言いたげだ。
「はぁ……面倒だがそれで良いよ」
三人に見つめられたハルトは渋々とだが頷いた。
確かにホテルの滞在費が浮けばこの町でもう討伐依頼を受ける必要はなくなるだろう。それにバネッサ達を返り討ちにすれば、キルシェも実力をすぐに認めるはずだ。自分がまた賭けに巻き込まれるのは不本意だが、この賭けでまた楽になるなら一石二鳥にも三鳥にもなるから我慢するしかない。
トレノの中心地近くにあるガリバルディ家が運営するというホテル。目の前にはすぐに大通りがあり、五分も歩けば大広場へと到着した。
「それでは、今回のルールは相手二人を戦闘続行不能にするか、降参させるかまですわね。もちろん致命的なダメージを与える攻撃は禁止ですわ」
幾つも街灯の並んだ明るい大広場。部屋に杖を取りに戻ることもなく手ぶらのハルト達を先導したバネッサは真面目な説明を終えた。
中心に噴水が置かれた大広場は夜遅くとあって人は少なく、ハルト達の戦いを待ち望む者も居ない。前回の辱めが効いたのか、バネッサもさすがに人寄せをすることはなかった。
「今回は油断を致しません。あなた方に私達の実力を見せ付けて上げますわ!」
ブラウリオを伴い距離を取ろうとするバネッサは足を止め、闘志を剥き出しに振り返るのだが、
「――え、なんか言ったか?」
既に話し合いを始めていたハルトには聞こえていなかった。
「ふ、ふん、何でもないですわ! さっさと始めますので作戦会議は早く終わらせて下さいませ!」
「もう大丈夫だよ。大した作戦なんかなくても大丈夫だから」
誤魔化すようにぶっきらぼうに言ったバネッサの言葉も、シルヴァの挑発にも似た返答で掻き消された。
騎士養成学校ではハルトとキルシェに劣り、若手騎士対抗トーナメントではキルシェに敗れ、勝った気で行った賭けではブラウリオがハルトに瞬殺されてと、八ルト達絡みでは本当に不憫な想いばかりしているバネッサ。
「くぅ……」っと歯噛みした彼女はこれも今日で終わりだと、黒いワンピースと銀のプレートで覆った平べったい胸に熱い炎を宿す。この勝負に勝ってシルヴァを仲間として迎え、偽勇者一行の討伐にも勝って見せると。
余裕に溢れたハルト達はバネッサの心内を知る由もなく、一歩引いた位置にシルヴァが控えるポジションで勝負が始まるのを待っている。
わずか十秒で終わった作戦会議でシルヴァが一方的に話したことは、ハルトがぶつかってくれればシルヴァが適当にサポートするというもの。バネッサへの言葉通り大した作戦はない。
「それじゃあ、始めますわよ」
シルヴァの言葉の意味は分からないが、とりあえずは補助魔法を自分に掛けてくれるのだろうと考えていると、
「よーい、スタート」
ブラウリオの背後に移動したバネッサは勝負開始を告げた。
どちらが先に動くか、そんな駆け引きの時間は存在しなかった。
バネッサの合図が響くなり地を蹴ったブラウリオ。
「はぁああああああああ!」
前回は一歩も前に進むことすら出来なかった彼は剣を抜き、叫び声と共に真っ直ぐにハルトへと斬り掛かった。
「くっ!」
杖を持たないハルトは自らの左腕を簡易的な補助魔法で強化し正面から弾いた。腕が痺れながらも少し開くことの出来た距離。カウンターとして放つのは風の刃。魔法をブーストする杖がないせいで威力は落ちるが、小さな突風は奴の体勢を崩した。
さらなる攻撃で奴を戦闘不能にすることはしかし出来ない。拳大の炎弾がハルトを襲ったのだ。
服に隠していたのか、魔剣と思しきナイフを手にしたバネッサが放った魔法は全部で十発。背後に控えたシルヴァの為に避けることも出来ず、ハルトは同じ数の細い氷の刃で撃ち落とした。
その間にも体勢を整えたブラウリオは再びハルトに斬り掛かる。
同じように強化した左腕で防ごうとする刹那、視界の端に捉えた炎弾。奴等は連携を駆使してハルトを一気に落とすつもりでいる。
避けることも出来ず、どうするべきかとほんの一時止まったハルトの時間。
コンマ数秒程度のその時だった。ハルトの体は突然と何かに包まれた。
どんな補助魔法なのか、そんな疑問が浮かぶ一方でどんどんと高鳴る気持ち。ハルトの感情は自分でも信じられないほどに昂っている。
ハルトは見る余裕がないが、派手な花柄の扇をそれぞれの手に持ったシルヴァが背後で舞を踊っている。彼女の舞が補助魔法となり、面倒くさがりのハルトの感情を昂らせたのだ。
――いける!
今なら何でも出来るという絶対的な自信。左腕から消えた痺れ。重力を無視した軽い体。冴え渡った視神経。
ブラウリオの動きをスローモーションで見たハルトは一歩横に退き避けると、がら空きとなった腹を軽く蹴り上げた。
ぐはっと唾を吐き倒れ伏したブラウリオ。
ハルトは奴が倒れるところを見ることもない。そうなることを知っていたハルトはバネッサが放った幾つもの炎弾を風を避けるように受け流すと、あっという間に彼女の脇に移動。その両手首を瞬く間に掴み後ろ手に回した。
「まだ続けるか?」
「い、いえ、私達の負けですわ……」
冷静なハルトの言葉にバネッサが抵抗する余地はない。
ただでさえ強いハルトがシルヴァの補助魔法でやる気を出し、肉体も強化されれば勝てないとすぐに悟ったのだ。
「ふぅ、これで終わりか……」
バネッサから手を放し一息吐いたハルトは、全身を襲う途轍もない疲れに肩を落とし背中を丸めた。
「く、くぅ……」
肉体強化はまだしも、感情を昂らせる魔法は掛けられた本人への負担が大きい。やる気の全くないハルトは特にだ。シルヴァの補助魔法から解き放たれたハルトは受け身を取ることも出来ず顔から石畳へと突っ伏した。
意識を失っていながらも微かに寝息を漏らしていることは、稼働限界を超えた肉体を脳がストップした証だった。
◇
「おい、ハルト! 今日もまだ起きてないのかっ!」
ガリバルディ家が運営するホテルの二階。赤い絨毯が敷かれた木造建築の最奥の部屋の前。キルシェは今日も今日とて幼馴染みの泊まる部屋の扉をドンドンと叩いている。
この旅が始まって以来の見慣れた光景である。途中から変わったのは、キルシェの隣にアルティアが居るということ。同部屋のシスターを連れたキルシェは、仲間探しに出る為にハルトを呼びに来ていた。
「…………」
もう一分ほどここで呼んで居るのだが、耳を済ませても薄焦げた木の扉の向こうからの返答はない。
「はあ、昨晩も下の酒場に行ってたみたいだしまだ熟睡中なんだろう」
「ハルトさんらしいですね」
「また窓から起こしに入るしかないか」
こんなことにならないようにと、窓は施錠しないようにと強く言っている。
「ん、あれ……」
笑顔のアルティアを連れ、一旦隣の自分達の部屋に戻ろうとしたキルシェはそんな呆けた声を漏らした。
「どうかしたんですか?」
「いや、ハルトには珍しくドアに鍵が掛かってないんだよ」
答えるが早いか、ドアを引いて中に入ったキルシェ。ハルトの部屋もキルシェ達の部屋同様に二つのベッドが奥に並んでおり、その内の片方が大きく盛り上がっていた。
「はぁ、やっぱりまだ眠ってたのか……」
アルティアを引き連れたキルシェはポニーテールを揺らし、その傍へと寄って行く。
「ハルト、起き――え……」
歩を緩め大声で声を掛けようとしたキルシェだったが、途中でその口は小さく開いたまま固まった。いや、固まったのは口だけじゃない。大きく見開かれた目も、伸ばそうとした手も、棒となった足も固まっている。
「どうかした――えっ……」
後ろに付いていたアルティアは彼女の横から顔を出しベッドを見下ろし、同じように固まってしまった。
彼女達の視線の先、盛り上がったベッドで真っ白い毛布を被っていたのはもちろんハルト。そして、その隣には美しい女性が眠っていた。
もう一つのベッドを使わず同じベッドで寝ていることだけでも驚きなのに、肌蹴た毛布から見える彼女の豊満な肉体は一糸も纏っていない。
彼女達の脳内に浮かぶいやらしい想像。
アルティアだけでなく、キルシェもまたトレノの名産品であるリンゴのように顔を真っ赤に紅潮させた。
恥ずかしさでアルティアはすぐに部屋から出て行ったのだが、キルシェがハルトの〝お痛〟を見て見ぬ振りをすることはない。
足下に転がった青いワンピースを構わず踏み付けると、ハルトの首根っこを掴みフローリングへと叩き付けた。
「い、つっ……!」
当然の如く一瞬で目を覚まし眠気が飛んだハルト。痛みで顔を歪ませ犯人を見上げるのだが、抗議することは決して出来ない。魔国に居るという鬼のように怒りを湛えたキルシェに睨まれ、理由が分からないままに説教され始めた。
ようやくと事情が明らかになったのは、キルシェの怒鳴り声でシルヴァが起きたことから。バネッサとの勝負に勝った後で倒れたハルトをここに運んだ彼女は眠気の限界に達し、いつも通りに全裸となりそのまま眠ってしまったという。
ハルトには不本意ではあるが、白い毛布を体に巻いたシルヴァと昨晩のことを詳しく説明――もとい弁解する中でキルシェに彼女を紹介すること、そして、彼女の補助魔法士としての実力の高さを伝えることが出来たのだった。