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 夏へと移ろいゆく晩春。

 気持ちの良いほどにどこまでも澄み渡った青空。世界のどこまでもそうじゃないかと思うほどに雲一つなく、青い絵の具の濃淡だけで頭上の世界か表現されている。

 肌に触れる風もまたこれまでの旅同様に涼しく本当に快適な気候。これだと戦いに最後まで集中することが出来るだろう。


「それじゃあ、これからは別行動だ。バネッサは軍を指揮し、ここへ攻め寄せているという魔物達を駆逐してくれ。私達はその間に偽勇者一行を倒して来るよ」


 高いレンガの外壁に囲まれたヴァレーゼのすぐ外。霧の森方面だ。ハルト達を率いるキルシェは同僚へと情報と指示を与えた。


「ええ、了解致しましたわ。偽勇者一行と戦えないのは残念ですが、多くの兵を率いるのに相応しいのはガリバルディ家息女の私の他におりませんからね」


 門の奥、町の大通りにたむろした多くの勇士や駐留騎士を背にバネッサは自信満々な笑みを浮かべる。一昨日の晩に受けたキルシェの言葉が相当に効いているようだ。

 全部で五百人ほどの小さな軍隊。その総指揮官はバネッサであり、脇に控えたブラウリオがその補佐を務めている。彼女の言葉通り、キルシェがバネッサをそう持ち上げることであっさりとこの役回りを受けてくれた。

 城に残っているという偽勇者一行と戦う為に別行動を取ることになったキルシェの言葉はしかし嘘ではない。

 この戦争に参加する勇士を集めるのに必要な褒賞を王国に求めるのは貴族であるキルシェにこそ出来ること。そして、全体の二割ほどを占める駐留騎士を率いるのにも、名門ガリバルディ家の威光ほど使えるものないのだ。


「それでは攻めて来る魔物達は私達が倒しますので、あなた方は偽勇者一行との戦いに集中して下さいませ。なんてったって私が指揮しているのです。一人も倒されることなく勝って見せますので、あなた方は自分達の敵のことだけを見ていて下さいませ」

「ああ、助かる。バネッサのおかげでそうすることが出来る」

「うん、ホントにありがたいね」


 キルシェに続いてシルヴァも感謝を告げ、


「あ、ありがとうございます」


 アルティアも遠慮がちに頭を下げた。


「それじゃあ行って来るよ」


 目の合図にハルトが頷きで答えたことでキルシェは話を締めた。

 いつものようにダイヤ型の陣形の先頭で自分達の戦場へと向かい始めた彼女の腰には新調した剣。特別高いものではないが、敵の槍術士に折られるつもりはない。目的を成し遂げたい気持ちでは勝てないかも知れないが、奴にもう二度と負けるつもりはない。自分の剣が軽くないことを今度こそ示してやりたい。

 快晴の下であって不自然に真っ白く広がる霧の森。一歩足を踏み入れれば冥界に迷い込んでしまいそうな異質な存在感を誇っている。

 こんな危険な匂いを放つ森へと一度でも入ったことが今さらながらに信じられないとハルトは考えていた。一方で、人が近寄りそうのないここでなら、故郷の森のように誰にも邪魔されずのんびりと過ごせそうな気もした。あくまで魔物達の脅威がないという前提でだが。


「お待ちしておりました」


 まだ霧の薄い森の入り口付近。ハルト達を出迎えてくれたのは二日振りに会う水の精霊オルト。魔物の情報を伝えに部下を派遣してくれたこの森の長だった。


「私達の力で魔物を遠回りさせていますが、霧を抜けるのも時間の問題です。勇士達が敗れてから三百ほどに増えた全てはもう城から出ていますので、この隙に私が一気に運びます」

「そんなことが出来るのか? それに私達に直接的に協力しても良いのか?」


 精霊を前にまたうっとりとしているアルティアを横目に、キルシェは変わらずの対等な言葉遣いで尋ねる。


「あなた達をコピーすることが出来るのです。もっと体を大きいものになることすら簡単ですよ。それにただ運ぶだけです。別に深く関与はしていませんからね」


 穏やかな笑みを浮かべそう言ったオルトの小さな体は輪郭を失って行く。空中に漂いどんどんと質量を増していく水溜まり。初めからそうなることを決めていたようにほどなくして木々の間に現れたのは、四人を乗せてもずいぶんと余裕がありそうなほどに大きなオオワシだった。


「おお、それで一気に運んでくれるのか。はは、精霊の力は想像以上でやっぱり面白いな」


 半透明の輪郭だけで構成されたオオワシ。表情を一切持たないオルトの姿にシルヴァは嬉々とした声を上げた。


「ああ、さすが精霊様」


 アルティアもまた目の前で起こった奇跡に手を合わせた。こんな状態で狂戦士化出来るかは不安だが、そうなって貰わない訳にはいかない。偽勇者一行との戦いでの火力源として、バーサーカーのアルティアは必要不可欠だ。


「空から行けるなら魔物と途中で邂逅することもないだろうし疲れることもないか。俺としてはかなりありがたい。戦いが終わればそのまま家まで乗せて帰って貰いたいね」

「ふふ、ハルトらしいな。まあ、そんな冗談は置いておくとして、今は勝った後のことは考えずに奴等を倒すことだけに集中しよう」


 ハルトとして冗談のつもりはないのだがキルシェは気を引き締めると、


「ただ、皆が自然体で良かったよ。これだと少しでも気を張ってる私がバカみたいだからな」


 そうは言いながらも全く力の籠っていない涼しい笑みで仲間達を見回す。自らを圧倒した槍術士への怒りには溺れてはおらず、リーダーとしてしっかりと指揮することが出来ている。

 急遽編成されたヴァレーゼ軍を率いるのにバネッサほど相応しい者が居ないなら、この個性豊かなパーティを率いれるのもキルシェ以外には居ない。特に面倒くさがり屋なハルトを操れるという点を考慮すれば尚更。キルシェはこのパーティにおける唯一無二のリーダーなのだ。


「それではお運び致します。落ちないようお気を付け下さい」


 オオワシと化したオルトのひんやりとした背中に乗ったハルト達は上空へと一気に舞い上がった。


「おおー、雲の上に居るみたいだ」

「ホントだ、雲の海だな」


 景色に目もくれずオルトの体にガッチリと掴まっているアルティアとは対照的に、興奮した様子のシルヴァとキルシェ。ハルトも声にこそ出さないが、壮大な光景に目を奪われていた。

 霧を超えただけで遥か上空とまで行ってないものの、眼下の森をすっぽりと覆い隠した霧はまさに雲の海。快晴とあって空に雲がないだけにどちらが上で下なのか、変な感覚を抱いてしまう。


「あれが霧の城か」

「ああ、それっぽいな」


 首に掴まり指差すキルシェの言葉に、尻尾に近いハルトは身を乗り出し頷いた。

 雪の積もった大地から頭を覗かせるふきのとうのように、霧の中にあってわずかに先の部分が見える五つの白い尖塔。四方に囲まれたその中央に見えるのが、かつては国王が采配を揮った天主塔だろう。


「四つの見張り塔に別れて待っているということはないよね?」

「それぞれとタイマン勝負を望んでるということか?」


 苦い笑みを浮かべたシルヴァにキルシェが聞き返す。


「うん、それだと補助魔法士である私にはきついな。あ、あと、一応アルちゃんもか」

「う、うぅー」


 付け加えられハルト達の視線を集めたアルティだが、シルヴァと並んだ彼女は目を閉じ唸っている。狂戦士のアルティアは崖から飛び降りていたので高い所が大丈夫なのだろうが、治癒魔法士の本体は苦手なようだ。オルトの背中に乗る際に全く抵抗しなかったのは、単に迷惑になると思ったからだろう。


「さすがにそれはないだろう。奴等の求めるタイマン勝負に私達が乗る保証は全くないんだからな」

「まあ、普通はそうだよね。この戦いは単なるお遊びではなく本当の戦争なんだからね」


 キルシェの言葉で安堵したシルヴァだったが、


「面白そうだと気楽に参加した偽勇者一行の討伐がまさか魔国との戦争になるとはね……」


 自分が戦争に巻き込まれている現状に、誰に向けるでもなくしみじみと呟いた。


「不安か?」

「うーん、いや、不安は全くないかな。私の補助魔法で皆が躍動し、奴等に競り勝つ場面をこの目で見るのが楽しみで仕方ないね」

「ふふ、そうか」


 シルヴァの艶やかな笑みにキルシェは穏やかな笑みで頷く。


「わ、私も、不安はないです」


 唸っていたアルティアもシルヴァに続いて心境を口にする。


「人々を傷付ける魔物や偽勇者一行を倒すことは絶対的に必要なことです。教会を運営する褒賞の為だけではなく、私としても純粋に皆さんと一緒に勝ちたい気持ちでいっぱいです」


 臆病なところはなく、しっかりと自分の胸の内を明かしてくれたアルティア。ビクビクと未だに震え俯いてなければ完璧だった。

 ただ、そんな姿がいつものアルティアっぽくて、ハルトでさえも心が温かくなった。


「戦いが始まりそうです」


 飛んでいる間はずっと黙っていたオルトは突然と口を開いた。

 それに釣られてアルティア以外の視線が一斉に背後に向けられた。

 霧と森の切れ目。アリのような小さな黒い群れが森から真っ直ぐにヴァレーゼへと向かっている。ただ行進するアリとは違い、群れに列などの規則性はない。偽勇者一行がお土産として持ってきた武器を手にごっちゃごっちゃになって向かっている。三百ほどという軍隊の中に優れた指揮官は居ないのか。それとも人間如き相手に戦略は要らないということか。網状の陣形で迎え討とうとしている即席ヴァレーゼ軍とは対照的だ。


「バネッサなら上手くやってくれるはずだ。奴に言われた通り、私達は目の前の敵に集中しよう」


 すぐに前方に向き直ったキルシェのバネッサを信頼する言葉。昨日の敵は今日の友という訳ではないが、一昨日の晩に聞いた彼女の覚悟が心に染みたようだ。


「ふふ……」


 成長したなぁと、改めてそんなことを思いながらハルトは幼馴染みの背中に視線を向ける。

 その時だった。後は城へと降下するだけだったオルトが急旋回した。

 前後左右に揺れる体。沸き上がる驚きの悲鳴。必死に体勢を整えよとするハルト達の脇を抜け上空へと伸びる細い雷。


「気付かれたようです」


 真っ先に体勢を整えたオルトはこの雷の正体を教えてくれた。ハルト達には分からないでも、この霧を生み出した本人である水の精霊は霧を見通すことが出来る。


「奴等の中に居る魔法士か」

「すっごく危なかったなー」


 冷静に分析するキルシェと単純に息を吐いたシルヴァ。アルティアは蒼い顔でさらにぶるぶると必死に掴まってる。


「俺達を狙ってる訳じゃないよな……」


 奴等のパーティ内に居る魔法士は空から近付く気配に漠然と気付き、適当に魔法を放ったのだろう。それがたまたま命中しそうになっただけか。

 しかし、ハルトの考えは正しくなかった。


「また来ます」


 再びもたらされるオルトの言葉。次いで霧の中から放たれた雷を難なく避けた半透明のオオワシへと間髪入れずに三度放たれた雷。


「やっぱり俺達の居場所が完全に分かってるみたいだな。いや、分かってるじゃなく、オルトのように深い霧を見通すことが出来てるのか」

「その通りだと思います」


 一時的にでも奴等の攻撃が止んだところでオルトは肯定した。


「彼等のリーダーと思しき魔法士は、私達のコピーである幻影を一目で打ち破り、霧に惑わされることなく一直線に城まで到達しておりました。彼だけは他の者達とは比べられないほどの力量を持っています」

「私達では勝つのは厳しいと?」

「……ええ、今さらで申し訳ありませんが、二日前のあなた達の戦いを見た限りでは力を合わせても厳しいかと」

「そうか……だったら勝機はまだあるな」


 オルトの素直な言葉に二度三度とゆっくりと頷いたキルシェは口元を緩めた。


「何か秘策でもあるのですか?」

「ああ、私達女性陣で他の三人を相手にするから、その魔法士はハルト一人で戦えば良い」

「……はあ? ちょっと待て。何で俺が?」


 唐突な作戦が理解出来ず一瞬固まっていたハルトは思わず声を荒げた。


「そりゃあ、お前が本気を出すことが唯一の秘策だからだよ」


 キルシェはハルトの抵抗を歯牙にもかけない。もう決まったかのように斬り捨てた。


「いや、まあ、確かに誰かが引き付けないことには勝ち目はないことが分かっているが、だからって俺じゃなくても……」


 それこそ狂戦士化したアルティアが一気に勝負を着けた方が良いのではと思うのだが、いつまでも最後の作戦会議を続けることは出来なかった。 

 着陸することも出来ず、城壁沿いに上空を旋回していたオルト。当然それをも分かっていた偽勇者一行のリーダーである魔法士。かつてユエを治めていた領主の息子は、また雷撃を放ち始めたのだ。今度は一発ずつではない。一度に三筋の雷光が何度も何度も続く。

 雲のような霧から放たれる雷で余計に分からなくなる上下感覚。ハルトは直撃するものを障壁で防ぐのだが、全てを防ぎ切ることは出来ない。


「避け切るのはもう無理そうです」

「ああ、運んでくれてありがと。それじゃあ、私達はこのまま突撃するぞ!」


 苦しそうに漏らしたオルトに答えると、キルシェは仲間達を見回し我先にとオオワシの背中から飛び下りた。


「よし、アルちゃん行くよっ!」

「えっ、え、あ、い、いや……」


 一人残されれば絶対に飛ぶことが出来ないだろうと、混乱するアルティアをの手を取ったシルヴァはキルシェに続いた。

 自ら居場所を教えているアルティアの大悲鳴。それでも雷撃を受けることなく、がむしゃらに振るった杖が上手く防いでいる。風魔法で移動したり剣で華麗に防いだりしているキルシェとは大違いだ。


「はぁ、面倒だが仕方ないのか……」


 敵のリーダーと戦うことを決定付けられたハルトもまた溜め息混じりにその後を追う。

 キルシェが成長したからとハルトも成長するつもりはないが、自分がやらなければ誰もやらないんであれば自分がやるしかない。

 故郷の森でのんびりと過ごすこと以上に望んでいることはないが、意外と居心地の良かった仲間達との関係が崩れて別れるのだけは避けたい。

 仲間達を守ることがバネッサ達や国民、王国を守ることにも繋がるが、そんなことまでは考えない。安穏と暮らせる故郷と仲間を守れれば良い。それが今のハルトの心を支える全てだ。


 ――俺が終わらせに行くか……。


 敵のリーダーを倒す為に全力を尽くす覚悟を決めたハルト。キルシェの父親から貰った杖を手に雷の発生源へと向かう。

 最初に飛び下りたキルシェがもうすぐ霧の中へと落下するタイミング。城を覆い隠していた蓋のような霧は、メインディッシュの登場かという風に一瞬で晴れ城を露わにした。霧が敵の魔法士に優位になるとオルトが消し去ったのだ。

 何年振りなのか、陽の光を見ることとなった森の中に建つ広い城壁都市。閑散としながらも原型を留めた、苔の生えたレンガ造りが並ぶ中央には五本の尖塔が伸びる、宮殿と一体化した典型的な城館。塔から幾分も下がった、なだらかな白い三角屋根の天辺に奴は居た。

 杖を手に深紅のローブを纏った、肩をも超える黒い長髪の男性魔法士は一人きり。どんどんと姿の大きくなる奴の仲間三人が居るのは幸いにも城館前に広がる石畳の大きな広場。ヴァレーゼに面する正門側を警戒している。わざわざハルトが引き付ける必要もなく、最初からキルシェの望む戦場が二つ用意されていた。

 もしかしたら槍術士や弓術士などはハルト達の襲撃に気付いていないのかも知れない。雷撃を視認出来なかった奴等は霧が晴れたことを驚き辺りを見回してこそいるが、向かって来ているキルシェ達を捉えていない。

 リーダーは独自に行動しているのだろう。もしくは、奴は常にそこに陣取っており、どこから敵が来ようとも迎撃出来る自信があるのか。


 このチャンスをキルシェが逃すことはない。ハルトへと攻撃を絞った魔法士への意識をシャットアウト。バネッサに言われた自分が戦うべき敵達を睨み付ける。

 黒鉄の鎧で全身を包み、黒い兜で顔を閉ざした初めて見る騎士。武器を一切持たず、左手には体をすっぽりと隠せるほどに大きな黒い盾を持っている。

 性別不詳の騎士に並ぶのは緑を基調とした軽装備の童顔蒼白の中性的な弓術士。そして、白銀の鎧を纏った黒髪短髪の槍術士。キルシェにとっては絶対に打倒すべき相手だ。

 奴を視界に捉え感情が昂ってないと言えば嘘になる。しかし、奴等相手にどう戦えば良いのかと冷静に考えられている。ハルトに格上の敵のリーダーを任せた手前、自分達が勝てるよう最善を尽くさなければならない。


「……ん」


 強い意志を胸に宿していると、キルシェの体を淡い光が包んだ。シルヴァの補助魔法だ。いつの間にかアルティアの手を放していた彼女は空中に漂い舞っている。

 重力落下する二人とどんどんと離れ行く彼女の足元には透明な舞台があるような錯覚。もしかしたら本当にあるのかも知れない。後衛担当にとってそこが一番安全な場所だと、自ら大気か氷の足場を作っているのだろう。

 兎にも角にも、シルヴァを守る必要のなくなったことは良いことだ。普通の弓術士の矢は届かないまでも、優れた弓術士であれば届くほどの高さ。それでも、距離があれば避けたり防いだりすることは難しくない。これで存分に突っ込むことが出来る。


 迫り来るキルシェ達の存在に気付いた奴等は顔を上げ、手にしたそれぞれの武器を構えた。リーダーへと向かっているハルトを一瞥しただけでもう見向きもしていない。奴等も自分達のリーダーはやられないと確信しているのだ。

 後衛の弓術士はすぐさま炎を纏った矢を放った。ターゲットはシルヴァ。キルシェとアルティアに掛けられた補助魔法は厄介だと早い内に潰そうとしている。

 真っ直ぐにシルヴァを狙う矢は半分の距離を詰められないまま散った。シルヴァと手を放してからか、敵が魔物でなくとも目覚めたアルティアは棍棒もとい杖を一閃。最も親しい仲間を守ると、空中で加速し弓術士へと勢いのままに杖を振り下ろした。

 一切避けようとしない弓術士の前に立ちはだかったのは大きな盾。黒騎士が寸前で間に割り込んだ。


「くぅっ……!」


 強化した杖を弾かれ僅かにたじろいだ狂戦士アルティア。黒騎士の背後に隠れた弓術士は近距離から彼女へと三連発の火矢を放った。

 黒騎士の横を抜け曲がって来る矢を地面に転がり間一髪で避ける。だが落ち着くことは出来ない。


「はぁああああああああああああ!」


 石畳の戦場へとこだまする野太い低温の声音。武器を持っていない黒騎士はトレーを手にしているかのように大きな盾を両手で軽々と振り回し、しゃがみ込み眼前で両腕をクロスするアルティアを殴打した。

 鈍い鉄の音が響く激しい衝撃。両腕が粉砕されてもおかしくない攻撃も、強化されたアルティアには効かない。しゃがんだ体勢のまま足払いで黒騎士の体勢を崩させると、


「散れぇっーーーー!」


 盾でガードしきれないでいる脇腹へとしならせた杖を叩き込んだ。

 再び響く鈍い衝撃音。防がれることなく完璧に入った杖で鎧を砕くことはしかし出来ない。揺らめいた奴への追撃を防ごうと放たれる炎を纏った矢。

 連発される攻撃を無視して黒騎士を散らすのは厳しく、だからと言ってその場で防ぐことも出来ない。アルティアが弓術士に気を取られている間にも体勢を立て直した黒騎士が盾をまた軽々と振り回したのだ。

 スピードはなくとも弓術士との連携により輝く文字通りの盾役。シルヴァを無視しても大丈夫だと悟った二人はどんどんと攻撃を重ね、反撃を試みるアルティアの杖を盾で防ぎ城館の石壁へと追い詰めて行く。

 もう完全に後がない状況。狂戦士でありながらも逃げることしか出来なくなったアルティアはこのままやられるしかないのか。

 もちろんアルティアが抵抗しない訳がない。

 十何度目かとなる黒騎士の盾による攻撃。常に奴の背後から曲がり現れる矢への対応を止め、アルティアもまたカウンターとばかりに杖を振り上げた。

 初めてぶつかり合う互いの正面からの攻撃。刹那のぶつかり合いに勝ったのはどちらでもなかった。激しい衝突で二人共に体勢を崩した。そうなれば優勢なのは偽勇者一行側。弓術士は最高のチャンス到来と、魔力を込めた渾身の三連撃を中距離から撃ち放った。

 これでアルティアは終わりだ。

 一対二での勝負ならそうだっただろう。

 この勝負はアルティアにとって数的不利な勝負ではない。

 一気に距離を詰めた矢は寸前で散った。軌道上に現れた大気の障壁が阻害したのだ。

 初めからそうなることを分かっていたのか、それともただがむしゃらだからか、その時には既に杖を振り被っていたアルティア。


「散れっ散れっ散れっ散れぇーーーー!」


 シルヴァの生み出した障壁により事無きを得た彼女は、まだ体勢を整えられずに居る黒騎士の脇腹へと再び叩き込んだ。

 先ほどはビクともしなかった黒鉄の鎧はガラスが割れるように脆く砕け、黒騎士は苦しそうな嗚咽を漏らした。

 シルヴァにより強化された体でぶつけたのは先ほどと寸分違わず同じ位置。一撃こそ防げようとも、アルティア自身でも強化した杖の二撃目を防ぐことは出来なかった。

 石畳に膝を突き完全に隙だらけとなった黒騎士。アルティアは剥き出しとなった奴の脇腹へとさらに杖を振り被る。

 防ごうと眼前に出された大きな黒い盾。何度も反撃を無効化していた盾は壊れることはない。しかし、咄嗟にもう一歩踏み込んだ横殴りの杖は側面を叩き、奴の手から盾を弾き飛ばした。

 感情を出さない蒼白の弓術士の抵抗はもう意味を為さない。放たれた矢の全てがシルヴァの障壁により防がれる。諦めずに放っても無駄。アルティアが追い詰められる間に矢を放つ癖を掴んだのか、全てをシルヴァが上手く潰している。黒騎士にも劣らぬ盾の使い手となっている。

 結果的にタイマン勝負となったアルティアと黒騎士の戦い。二人の実力差は大きかった。仲間との連携でこそ水を得ることが出来る黒騎士は圧倒的な攻撃力には敵わず、アルティアの度重なる鈍撃で倒れた。

 一人となった弓術士との戦いはもう勝負とは言えない。


「散れ」


 真正面からぶつかって行ったアルティアは冷静に言い放ち、腹に打ち込んだ杖であっさりと倒した。二人ともに死んでこそいないが、目覚めても立ち上がることは出来ないだろう。それこそ自分を倒した杖により、本来の使い方である治癒魔法を受けないことには。

 殺しはしないということは、やっぱり相手が魔物でないということに狂戦士としてのアルティアは加減をしたのだろう。乱戦状態でなら仕方ないが、最後には加減をするだけの余裕があった。

 四人の勝負と同時進行で行われていた石畳の上での勝負。


「アイツ等の勝負は終わったみたいだな」


 その一人である槍を手にした男は対峙する女へと笑みを漏らした。


「仲間がやられたことに何も思わないのか?」


 剣を手にするキルシェは槍術士を睨み付ける。


「復讐を成す為に一緒に育ってきた仲間だろ?」

「ああ、お前達が倒さなければ今も仲間だったさ。雑魚は仲間に要らないんだよ、雑魚なんかはな」

「最悪なクソ野郎だな」


 冷徹に表情を歪ませる槍術士の言葉にキルシェは怒りを隠せない。ただ、奴はそれを言えるだけの強さを持っているのは確かだ。

 今回はシルヴァの補助魔法を得て優位に進める気だったのだが、二日前に圧倒されたように、結局は奴のペースに持っていかれている。強い覚悟を持った今ですら勝てるどうかは分からない。


「ふん、最悪なクソ野郎ねぇ。お前もアイツ等と同じようなことを言うんだな」

「アイツ等?」

「ああ、アイツ等だよ」


 キルシェとは対照的に、名も知らぬ槍術士が怒りを浮かべることはない。


「身の程も弁えずこの城に攻め寄せた雑魚共だよ。使えそうな奴等は殺さず捕らえてやったがどいつもバカな奴等ばっかりでな、はは、全員殺してやったよ。ホント、王の出したお触れなんかに乗らなければ平和に暮らせたのにな」

「お、お前……」


 怒りでわなわなと震わせる肩。絶対に許さない。コイツだけは自分の手でトドメを刺してやる。キルシェの中での想いは焚き火に薪を入れて行くようにどんどん熱く燃え上がる。


「私と、二撃勝負をしないか?」


 ここでアルティアと合流しても良いが二日前のリベンジを果たしたいと、リーダーの立場でありながらもキルシェは提案する。


「二撃?」

「ああ、一撃目でぶつかり合い、二撃目で隙を作った相手を殺すんだ。良い勝負だろ?」

「ふん、確かに面白い。だが、良い気になるなよ。仲間に肉体を強化してもらっただけで、お前の剣の重さは到底俺には及ばない。ここで無様に散るんだな」


 顔を引き締め両手で得物を構えた槍術士。


「はぁ、最後にお前の本性を知れて良かったよ」


 対するキルシェは怒りを吐き出すように肩の力を抜く。


「お前達が本当に家族や故郷を滅ぼされた理由で復讐を企んでいるなら同情の余地はあったが、少なくとも今のお前にはそれを感じることはない。お前はもう殺人を楽しんでいるだけの殺人鬼だよ。復讐なんてただの偽りだろ?」

「ふん、挑発のつもりか?」


 奴は一切の動揺なくキルシェを睨み付ける。


「いや、事実だよ」


 キルシェもまた一切の動揺なく睨み返すと、


「いつでも掛かって来い」


 ゆっくりと両手で剣を構えた。


「良いだろう。すぐに終わらせてやる。今度は手加減なしだ」


 言い放つや否や石畳を蹴った槍術士。キルシェもまた少し遅れて石畳を蹴った。

 一気に縮まる互いの距離。

 勢いの乗ったままに重なる互いの刃。

 キルシェはその第一撃目に全神経を注ぎ込む。全身に広がる魔力、心から溢れ出る魔力、その全てで強化し奴の槍へとぶつけた。

 激しくこだまし耳を刺す金属音。

 二人共にすぐさま二撃目に入ることは出来ない。


「軽いな……」

「く、くぅ……!」


 体勢を崩した奴へとキルシェは言い放つ。枝割れのない鋭く尖った奴の槍先は砕かれていた。


「終わりだ」


 キルシェだけは二撃目へと入り、奴の体を斬り上げる。


「ぐっぁ、あっ、あっ、あぅ、く、くそっ……」


 寸前で身をよじった奴は強化もしていない左腕を突き出した。鎧を砕き、骨にも達した刃により噴き出た鮮血。


「し……死ねぇっ!」


 奴は痛みと苦しみで顔を激しく歪ませながらも、先の折れた槍を残りの力で必死に薙ぎ払う。


「二撃勝負なら私はもう防げないんだけどな……」


 そう言って背後へと飛び退き簡単に避けたキルシェ。自分から二撃勝負と言い出した手前、言葉の通り奴がその攻撃で止めたならば、弓術士同様に死を以て罪を償わせなくても良いとさえ頭の片隅で思い始めていた。槍を砕くことが出来ただけで、心がだいぶ浄化したのだ。


「死ねっ死ねっ死ねーーーーーーーーー!」


 千鳥足でふらふらになりながらも奴は三撃目を突き出した。突き出してしまった。


「悪いな。私はここでは死ねない」


 キルシェは奴の犯して来た罪を裁く為、白銀の鎧ごと剣で奴の左胸を貫いた。

 それでこの城館前広場での戦いは終わり。左腕とは比べられないほどに大量の鮮血を噴き出し槍術士は倒れた。

 幼い頃の奴が抱えていたものには到底及ばないキルシェの小さな復讐の成就。だが、晴れ晴れとした気持ちはない。極悪人であれ人を殺して良い気なんかはしない。


「ハルトは……?」


 キルシェは殺人を一時的にでも忘れるように目の前の死体から顔を上げると、大仕事を任せた幼馴染みの居る城館の上へと視線を移した。

 そこから広場を見下ろしていた一人の男。しかし、それはハルトではない。深紅のローブを纏い杖を手にした黒い長髪の魔法士。故郷であるユエを同胞に滅ぼされた偽勇者一行のリーダーだった。


     ◇


 最も高い塔から幾分も下がった、白いレンガの積まれたなだらかな三角屋根の天辺。深紅のローブを纏った黒い長髪の魔法士は、漆黒の杖を手に際限なくハルトに攻撃を浴びせる。

 仲間の下へと向かうキルシェ達こそ狙わないが一切の遠慮はない。二十代半ばほどの端正な顔立ちの男は、落下するハルトが防ぐ度に新たな魔法を生み出している。放つのは雷撃だけではない。炎弾、氷柱、風刃、様々な角度から狙っている。

 その中でも奴が得意にしているのは雷撃だろう。精霊魔法の雷は本物の雷には到底及ばない。相当な使い手でなければ感電死するほどの威力はなく、目でしっかりと追うことが出来るほどのスピードしかない。

 奴の雷撃もスピードはそうなのだが、防いだ時に弾けた一端に触れれば背筋をピンと刺激するほどに威力は高い。直撃すれば感電死こそしないが、患部が黒く焦げるのは間違いないだろう。シルヴァの補助魔法を受けてないので、当りどころが悪ければ神経を奪われるかも知れない。


 ――俺を試しているのか……?


 様々な系統魔法と何発も放たれる雷撃。途中で軌道を変えるだけに大きな障壁をずっと生み出している訳にもいかず、その度に新たに防がなければならない。城へと落下し距離が縮まっているだけに、ハルトの胆力を試す我慢勝負となっているような感じがするのだ。

 奴の攻撃が止んだのはハルトが風魔法で衝撃を緩和し屋根に着地した時。


「それなりの力はあるようですね」


 霧が先ほどまで広がっていたせいで春先の朝のように冷たい霧の森。奴はゆったりとした声で杖先を下げた。


「ああ、お前を倒しに来たからな」


 塔を背にする奴と大きく距離の開いた屋根の端。バランスを崩さないようすぐさま構えたハルトは突き放すように答える。ここで倒すべき相手。面倒な会話は要らない。


「そうですか、頑張って下さい」


 整った綺麗な顔立ちの魔法士は笑みを浮かべていながらも、その表情に柔らかな雰囲気はない。うわべだけの笑みでしかないことを隠さずむしろ溢れ出させている。ハルトと同じように敵と会話を楽しむ気はないようだ。


「そうか、面倒だが頑張るしかないな」


 ハルトは適当に言うと杖を払い、ナイフほどの十本もの氷柱を水平に放った。

 それを防ぐ奴の魔法もまた十本の氷のナイフ。鏡写しのように杖を軽く払い、正面から全てを撃ち落とした。

 これまでの魔法を見ただけでも奴の実力の高さが分かるが、今の防御もまた地味だがかなりのインパクトある魔法。単純に障壁で防がなかっただけに奴の余裕ぶりが伝わって来る。

 もちろん、こんなことでハルトは物怖じしたりはしない。次に放つは風の刃。奴へと突風を放つ。だが、それを打ち消したのもまた風の刃。同威力の風刃が奴の杖から放たれた。

 それならと何度も振るった杖。二十はあるだろう炎弾を放ち、風の刃をぶつける。迎撃される前に爆発した炎弾。さらに放った風魔法は高温の熱風で奴を包んだ。

 白い煙で包まれた魔法士。ハルトはそれでも手を緩めない。氷柱、風刃、炎弾、雷撃と、奴に向けられた魔法を今度はハルトがぶつけた。

 奴はどうなったのか――。


「はぁ、この程度ではお前には通用しないか……」


 さすがに無傷では居られないだろうというハルトの期待は裏切られた。


「魔法勝負で私に勝とうとは無謀ですね」


 ジワリと、この一帯を覆っていた霧よりもゆっくりと晴れた白煙。決して目の笑っていない笑みを浮かべた魔法士は全くの無傷。深紅のローブにも破れや焦げ痕はない。

「ただその力は人間の中では素晴らしいものです。貴方の実力は充分に分かりましたので一気に終わらせましょうか。私が興味あるのは貴方の死体だけですから」

 言い終えるなり奴は笑顔のまま杖を振るう。現れたのは地を這う雷撃。あっと言う間に屋根を駆ける一筋の雷撃はハルトを襲う。

 死体とはどういう意味なのか。考える間もなく氷柱で打ち消し白いレンガの足場を割った。傾度の低い屋根でバランスを保ちつつ反撃に移るということは当然の如く許されるはずがない。

 一筋から三筋へと増えた屋根を這う雷撃。杖を薙ぎ払い氷柱で防げば次は五筋。楕円を描くように屋根を這いハルトへと向かって来る。


「くぅっ……」


 さすがに防ぎきれなくなり、残った一撃を避けようとハルトは屋根を転がった。

 なだらかなおかげで一気に落ちることはないが崩れたバランス。その隙を逃すまいと奴は再び五筋の雷撃を放った。

 放たれた雷撃はただ真っ直ぐにハルトとの距離を詰める。競争するように並んで這う攻撃は一見して防ぎやすそうであるのだが、途中でその考えは消える。その内の一つが透明なジャンプ台でも上ったかのように、ハルトの体面へと向かい浮き上がったのだ。

 真っ先にそれを氷柱で防ごうが、他の雷撃もまた最初からその指示を受けていた生き物のように跳ね上がった。

 距離を詰められる中でそんなアクセントをつけられれば防ぐのは容易くない。ハルトは迎撃することを止めその場から飛び退いた。

 逃げた先は左右の傾斜が重なる天辺の真ん中。最初に舞い下りた一番バランスの保てる場所。ただ戻って来たと考えれば良いのだが、一度でも攻撃を避けた代償は大きい。体勢を整える前に奴を包むように空中へと放たれた二十は超えるだろう小さな雷の玉。その一つがまさに雷のようにハルトへと斜めに落ちた。


「ぐっ……」


 一撃を避けようとも続け様に何度も落ちる人工の雷。シルヴァの補助魔法が掛かって居ないハルトは自ら肉体を強化し狭い三角屋根を駆け回る。どうしても避けられないものだけを強化した腕で弾いた。


 ――一か八か攻めるしかないのか……。


 全く攻めることの出来ない苦しい展開。奴の周りにどんどんと雷弾が補充されており近付くことも出来ない。だが、このまま避けていても疲れが溜まり隙を増やすだけだ。

 意を決したハルトは雷撃への注意を遮断。全力で駆け出し奴の側面へと向かう。キルシェに嫉妬されるほどに才能のある近接戦。魔法勝負で勝てないなら、自信のあるもう一つのスタイルで奴の懐へと飛び込んで行くしかない。


「ぐっ、くっぅ……」


 途中で何度も反射的に避け、沸騰した熱湯を掛けられたような雷撃を浴びようとも構わずに詰めた距離。捨て身の覚悟で間合いに入ると、さらに肉体を強化し一気に加速。笑みを消した真顔の奴を見据え、強化した杖を剣のように両手で振り下ろした。

 しっかりと感じる手応え。それでも油断せず顔を上げたハルト。


「え……な、なんだ……?」


 眼前に捉えたものにハルトは呆けた声を漏らしてしまう。


「貴方如きでは私には敵いませんよ」


 再び目の笑っていない笑みを浮かべた魔法士。背後に下がり無傷である奴を守るように、さっきまで奴が居た所に立ちはだかるのは真っ黒い塊。肩口から反対の腰の辺りまでを裂かれ、上下二つに分かれたのは人型。実体化した影のようなものだ。

 初めて見る魔法に驚き、ほんのわずかに空白となったハルトの頭。それは強敵を前にしては絶対的に見せてはいけない隙だった。


「ふふ、驚きましたか。私はもう魔国の人間です。貴方の知らない魔法もたくさん使えますよ」


 そう言って嘲笑う魔法士の代わりにハルトの首を片手でガッツリと掴んだ影。いつの間にか体を再生した影は決して獲物を逃さないワシのように鋭く首を絞めた。


「ぐっぁ、くっぁ……!」


 どうにかして逃れようともがこうとバタつかせる手足。ハルトのその望みに応えるように、突然と解放されたハルトの体は宙を舞った。


 ――なぜこのまま絞め殺さないのか。


 苦しそうに息を吐いたハルトがそんなことを考えるのも一瞬のこと。


「あっ……がっ、ぐっぁ……」


 ずっと空中に残っていた二十近い雷弾から一気にハルトへと落ちた雷。本物にも劣らぬ威力の雷により杖を握る力をも失ったハルトは城の中庭へと墜ちた。

 意識を奪われたであろうハルトが五階ほどの高さから生き残ることはほぼ不可能。万が一に死なずとも全身骨折は必至。これ以上戦いようはない。

 結局、奴の体どころか深紅のローブをも傷付けられずに終わった戦いはハルトの完全なる敗北。偽勇者一行のリーダーである魔法士の完璧な勝利だった。


「ふふ……」


 軽く笑みを漏らした奴はすぐに真顔に戻ると、仲間達が戦って居るはずの城館前の広場を見下ろした。

 ちょうどそっちも戦いが終わったところだった。その結果は自らとは対照的に偽勇者一行側の完全なる敗北。二人が意識を奪われ、一人が命を落としていた。


 ハルトは負けてしまったのか……。

 無事なのだろうか……。


 反対に奴を見上げるキルシェ。彼女は顔色を曇らせ、声にはならない声を呟いた。

 白い紙に零したインクがどんどんと広がるように胸の中で大きくなる不安。それほどまでにオルトの言っていた奴の実力は高いのか。

 広場を見下ろす深紅のローブを纏った奴の隣に立つは黒い影人間。魔法で生み出された一体の魔法体は杖で指揮されることもなく一気にキルシェ達の下へと飛んだ。

 影に戦わせ、自らはその援護や遠距離魔法で攻撃する気か。

 キルシェだけでなく奴には突っ込まず身構えていた狂戦士アルティア。二人の考えは正しくなかった。

 影が向かった先は敵対する二人ではなく地に伏した仲間の下。倒れ息を失った槍術士に重なった影はそのまま吸い込まれるように奴の中へと入って行った。

 まさか体内から再生を試みようとしているのか。

 ほどなくして立ち上がった槍術士。目は開いていながらも虚ろな黒い瞳には気力が全くない。本当に再生したのか。血が未だに流れ出る死体がただ立ち上がっているだけのようにしか見えない。それでも敵であることに変わりはない。


「散らす」


 キルシェが魔法士を警戒していることもあり、アルティアが杖を手に奴へと対峙する。

 しかし、奴の視線はアルティアにはなかった。先の折れた槍を手にした槍術士はアルティアの脇を一瞬で掛け抜けた。そして、気を失っていた黒騎士の鎧が砕け肌の露わとなった脇腹を勢いのままに刺した。


「え、な、何を……?」


 アルティアだけでなくキルシェも固まり、奴の行為に顔を顰めた。

 気絶していただけで死んではいなかった黒騎士から流れ出る大量の鮮血。小さな嗚咽を漏らしただけの黒騎士の、兜で閉ざされた顔からその表情を読み取ることは出来ない。ただ、もう立ち上がることはないだろう。

 だが、奴はすぐに立ち上がった。霧が晴れたことにより石畳に落ちた槍術士の影が伸びたかと思えば黒騎士を侵蝕し、その中に収まると同時に影もまた槍術士の足下に戻った。


「死体を操っているのか……?」


 やっぱり表情が見えないので分からない黒騎士の顔。敵のリーダーである魔法士を視界の隅に保ったキルシェはポツリと漏らした。

 傷付けているにも関わらず立ち上がったということは、死んでないと意味がない魔法だからだろう。

 仲間の命をこんなにもあっさりと奪ったことは信じられないが、仲間を冒涜する槍術士の言葉を聞いていただけに有り得ないことではない。むしろ奴自身も敵に敗れた仲間をもう仲間とも思っていないのだろう。

 困惑するキルシェを余所に槍を手にした槍術士と、盾を拾い上げた黒騎士の視線が倒れた弓術士に向けられる。気絶中の最後の一人の命をも奪い傀儡とするつもりなのだ。

 短い距離を再び一瞬で詰めようとする二体の死体兵。しかし、最後の仲間を殺すことは出来ない。


「散らせるかっー!」


 今度こそ奴等の好きにはさせないとアルティアは弓術士の前に立ちはだかった。体を包む光はこれまでで一番と言って良いほどに輝いている。

 それでも構わず互いの武器を手に突進してくる槍術士と黒騎士。自らの血にまみれた奴等は代わる代わるアルティアを攻め続ける。

 単調な物理攻撃だけでは二人を相手にしても狂戦士アルティアは後れを取らない。正面から全てを往なしている。

 その間に広場へと舞い下りたシルヴァ。


「私がコイツを守るから、二人はそいつらと魔法士に集中してくれ。ちゃんとサポートも忘れないから」


 彼女は強化した体で自分よりも小柄な弓術士を抱き抱え広場の端へと移動。ゆっくりと下ろしその前に立ち塞がると、早速と華麗なステップで舞い始めた。

 奴等はアルティアを無視して向かおうとするのだが、


「散れ散れっ!」


 お馴染みの言葉を口にするアルティアは決してそれを許さない。杖と言う名の鈍器を振り回し鈍撃を叩き込んでいる。

 死体を動かす動力源が魔法体ゆえか、魔法を使えず血の通っていない脳では大した戦術もない奴等はむしろ本物の劣化体。唯一勝っているのは耐久力。倒れても倒れても起き上がっている。魂を失った死体は完全に体を潰されるまでは四肢を失おうとも主の命に従い続けるのだろう。

 ここはアルティアに任せても大丈夫だと、シルヴァの補助魔法で強化されたキルシェは再び城館を見上げる。

「ふふ……」っと、聞こえてきそうなほど余裕に溢れた笑みを浮かべ広場を見下ろす魔法士。その姿は罪人同士が闘技場で殺し合うのを楽しむ貴族のようだ。


「くそ……」


 ハルトを倒した敵とどう戦うべきなのか、良い考えは全く思い浮かばない。魔法士に対して優位な近接戦闘に持ち込もうとも負ける気しかしない。自分が常に羨み憧れ、嫉妬していたハルトの敗北はそれほどまでにキルシェにとっては衝撃的だった。


「……ん?」


 突然と地面が微かに揺れるような感覚をキルシェは抱いた。地震だろうか。そんな考えはすぐに捨てる。奴が何かを企んでいるのだろう。その通りだった。

 東西南と三方に延びる馬車が通れるほどの石畳の道。石造りの建物が並ぶ全方面から黒い集団がこちらへとゆっくり向かって来る。まだ城に残っていたゴブリンやオーク達だろうか。


「ま、まさか……」


 視界の奥から徐々に迫って来る敵。キルシェが捉えた者達は魔物ではなかった。塊の中に存在する見慣れた一つ一つの生き物。それは確実に人間。いや、人間だった者と言うべきか。

 歩み来るのは虚ろな瞳にゆっくりとした足取りの、体が所々腐敗し黒い血に染まった死体兵。旅の道中ででよく見て来た服装に鎧を纏っている奴等はここに攻め寄せた勇士達だろう。槍術士や黒騎士を操っている力を、返り討ちにした勇士達にも使っているのだ。

 剣や槍、斧など手に三方に別れたその数は全部で三十人ほどか。オルトから聞いたここを攻めた百人には程遠いが、手駒として使えるのがそれだけということなのだろう。


「くぅ、くそっ……」


 着々と距離を詰める圧倒的な兵数を前にキルシェはもう一度舌を打った。単調な攻撃しかしてこないとはいえ、耐久力の高いこれだけの敵を三人だけで相手にするのは不可能。しかも奴等には死体兵を率い、ハルトをも倒した優れたリーダーも居る。勝つことはおろか、ここから逃げることすら難しい。


 ――ここでもう終わりなのか。


 新たな敵の存在を知ってか知らずか、目の前の敵と対峙し続けているシルヴァとアルティア。頑張っている二人を余所目にキルシェの心は折れ掛けている。ハルトの仇を取りたい気持ちは強いが、どうにもならない現実もある。

 目の前に突き付けられた絶望。不可能に近くてもリーダーとしてここは撤退を考えるべきなのか。

 しかし、逃げる選択肢など最初から残されていなかった。


「くっ!」


 キルシェの考えを読んだ魔法士の雷撃に咄嗟に転がって避けた。すぐに体勢を整えよとしている内に飛来する雷撃。オルトの背中に乗っている時にも放たれた雷撃は、死体兵が到着するまで逃がさないという繋ぎだ。

 ステップを踏むように避けながら奴を見れば、楽しそうな笑顔で杖を振るっている。勝った気でいるという次元にはもうなく、負けることなど万に一つもないと確信している。

 ハルトが死んでいなければ、ハルトがもう一度奴と戦うことが出来るならば状況は変わるかも知れない。窮地に陥った現状を打破出来るのはハルトだけ。やっぱりハルト以外に頼れる者は居ない。

 太陽のようにキルシェにとってずっと輝き続けていたハルト。ハルトも影の兵士に不意を突かれてしまったのだろう。


 不意を突かれなければ……。


 命を懸けた戦いにおいて〝もしも〟ということはないが、もう一度戦えれば絶対にハルトは負けない。その確信はキルシェの中にある。

 だが、そんな奇跡は起きようがない。

 アルティアやシルヴァもまたそれは同様で、絶対的不利な状況に置かれていることに気が付いている。

 今なお続く槍術士や黒騎士の物理攻撃。魔法士の雷撃。どうにか防ぎ避けているが、近付く死体兵の足音にどんどんと大きくな不安。全身を覆い尽くそうとする死の恐怖。

 本当にここで終わってしまうのか……。

 三人の頭の中に浮かんだ勝利への絶望。


「うっ……くっ……!」


 望みなく間髪入れずに何発も際限なく放たれる雷撃をただ対処していただけのキルシェ。強化された膝に意識の外から衝撃が走ったかと思えば、キルシェは足を滑らせてしまっていた。

 傍にはナイフが転がっている。強化していたおかげで傷こそ与えなかったナイフは、今まさに広場へと足を踏み入れようとしていた死体兵の一体が投げたものだろう。

 顔を歪ませたキルシェへと真っ直ぐに落ちる魔法士の雷撃。


「キルっ!」


 耳に届いたシルヴァの叫びはただの叫びであって、それだけでは何も変わらない。一撃こそどうにか剣で防ごうが、その後に控えた雷撃は膝を落とし隙だらけとなったキルシェを襲う。


「終わりか……」


 これ以上足掻くことが出来ないとゆっくりと目を閉じ、顔を伏せたキルシェ。身に走るだろうナイフとは比べられないほどの衝撃に身構えるが、いつまで経ってもキルシェの体に電流が走ることはない。


「ん……?」


 双眸を開き顔を上げたキルシェを狙っていた雷撃は、いつの間にか姿を消していた。

 果たしてそれをやったのは、三人共に望んでいた人物だった。


「ハ、ハルト……」


 疑問を抱えたままにさらに城館の上まで顔を上げたキルシェ。彼女が目にしたのは杖を手にした黒いローブ姿の幼馴染み。


「俺はまだ死んでいない」


 城館の上に戻ったハルトは助けたばかりのキルシェには目をくれず、自分を一度打ちのめした魔法士を睨み付ける。


「生きていたのか……」


 水を得た魚のように活力を取り戻し、剣を握る力を強くしたキルシェはゆっくりと立ち上がった。


「これでどうにかなりそうだ」


 シルヴァの頭の中もキルシェと同じようで、笑みの浮かんだ綺麗な顔には自信が満ち溢れている。


「ふふ、散らす」


 狂戦士と化したままのアルティアでさえもどこか嬉しそうに杖を振り回す。

 三十を超える敵に対して、キルシェ陣営は一人増えただけなのだが、これで形勢逆転とばかりにキルシェ達の誰もが思っている。


「やっぱり生きていたのですね。ですが、今さら再登場したからといって貴方に何が出来るというのですか?」


 ハルトが生きていることに一瞬驚きながらも、すぐにまた笑みと余裕を浮かべる偽勇者一行のリーダー。三人の仲間を斬り捨てた代わりに傀儡の死体兵を率いる奴の絶対的自信は揺るがない。


「何が出来るって? ふん、今の俺が出来ることはお前に勝つことだけだよ」


 一方のハルトもまた余裕と自信に溢れた笑みを浮かべる。


「お前にだけは絶対に勝ちたい。お前に完膚なきまで敗れて俺は初めてこんな思いを抱いたよ。小さい頃にクラウスさんやキルシェに鍛えられていたおかげで、一生懸命にならなくとも適当にやっただけで俺は常に周囲の誰よりも優れていた。だから、何事にも本気にならず、適当に過ごして来た。だが、お前と戦って気付いたよ」


 淡々と口にしていたハルトは一転して笑みを消し、鋭く敵を睨み付ける。


「初めて本気になったお前との戦いであっさりと負け、悔しいという気持ちを初めて抱いた。お前に勝ちたいと俺は心から願っている。仲間達を守る為でもあるが、それ以上に俺の為にお前に勝ちたい。この悔しい気持ちを胸から取り除き、いつもの俺に戻りたい。また一人でゆっくりとのほほんと過ごしたい」


 しっかりと自分の言葉を口にしたハルト。誰かに言われるでもなく、自分から一生懸命になれること。特異な環境で育っただけにそれをすることが出来なかったハルトにとってその言葉は確実に成長の証だった。


「演説はそれで終わりですか? でしたら掛かって来て下さい。今度こそ殺します。そして、貴方の体を操りお仲間を殺しましょうか。ふふ、先にお仲間が死んでいる可能性の方が高いですかね」


 ハルトの真っ直ぐな言葉を正面から受け止めた魔法士の挑発。


「いや、アイツ等は負けない。そんなに軟な奴等じゃないし、疲れ切る前に俺がお前を殺す」


 挑発で応えたハルトは杖を広場へと放り投げた。

 受け取ったのはキルシェ。剣が本職でありながらも魔法の腕もバネッサを超える実力を持っている。死体兵が作戦なく団子となって向かって来るのであれば、魔法で戦った方が効率的だろう。

 ハルトはその代わりとして氷の刃を生み出し両手で強く握った。


「ふふ、近接戦に持ち込めば勝てるとでも?」

「まあな。お前に勝つにはこっちの方が良さそうだからな」


 騎士養成学校時代からこの旅でもずっとハルトを支え続けてくれたのは杖だが、ハルトにとっては怠惰の象徴でもある。キルシェの父親に貰った杖に頼りきりで、ちょっとした力で全てを為すことが出来ていた。


「それに元はこっちの方が専門だ。俺が剣に専念すれば負けることはない」


 自信満々に言ったハルトを薄い光が覆う。シルヴァの魔法ではない。自分で掛けた補助魔法。杖がなくともやる気を出せば魔法なんて幾らでも発現出来る。キルシェに羨まれるほどの力をハルトは持っているのだ。


「行くぞ」


 言い終える否やハルトはレンガの屋根を蹴った。


「私の所まで来られますかね」


 塔の前でニヤッと笑った奴との間に現れるは十人の影の兵士。奴の影から次々と現れた魔法を使えない魔法体は一斉にハルトへと向かってきた。


「隙さえ突かれなければこんな奴等っ!」


 感情を鼓舞するように思ったままを口にするハルトは目にも留まらぬスピードで一体目を両の肩口から斜めに二撃、さらに頭から股へと三撃目を振り下ろし無効化。殴り掛かろうとしている次の一体をも流れるままに無効化。一秒にも満たない内に二体を倒し魔法士との距離を詰める。

 ならばと、新たに二体の漆黒の魔法体を生み出し、空中に再び大量の雷弾を散りばめた魔法士。ハルトが魔法体と戦っている少しばかりの隙を突こうとその一つひとつから雷撃を落とした。

 一度目にした強力な攻撃がハルトに命中することはない。草食動物並に視野が広がり妙に研ぎ澄まされたハルトの感覚。視界の淵や頭上から落とされる雷撃をもシルヴァのようなステップで華麗に避け、次の一体を無に帰している。

 動きに一切の無駄がなく、何度も経験し体に染み込んでいるような職人芸。全く同じものを経験している訳ではないが、似たものなら経験している。キルシェとその父親であるクラウスさんとの特訓はまさに今の戦いに近く、その時のことを懐かしみ、当時の感覚を思い出しながらに剣を振り続ける。


 ――行くしかない。


 三分の一に迫った距離。一撃も貰うことなく二十体ほどの魔法体を倒したハルトは一気に加速した。

 黒い拳を振りかざす魔法体を飛び越え、連発される雷撃を転がって避ける。

 ようやくと剣の間合いに入ったハルトは眼前に立ち塞がる魔法体を避け、楕円を描くように奴の懐へと入る。


「終わらせるっ!」


 強化した肉体で勢いのままに振り上げた氷剣。


「終わるのは貴方の方ですよ」


 圧されることなく右手に持った漆黒の杖で奴は軽々と受け止めた。


「ゼロ距離になって不利なのはむしろ貴方の方ですよ」

「な、く、くそ……」


 杖に防がれ受け止められた氷剣。その両腕や両足に絡み付いた植物のように細く黒い茨。奴の影から現れる魔法体を生み出す力はこんな使い方も出来るのか。

 氷剣を消し、強く絡み付く前に退いたハルトが居た場所へと落ちた二つの雷撃。


「くっ……」


 危機を察知しさらに飛び退けばそこにまた二つの雷撃。そして、辺りに散らばっていた影の魔法体は強く握った拳でハルトに追撃を仕掛ける。


 ――やっぱりあの影魔法は厄介だ……。


 考えれば考えるほどに実感する魔法士との実力差。しかし、決して心は折れたりしない。


「はは、お前に勝てたらクラウスさんに勝つことも夢じゃないかもな」


 俄然強くなる勝ちたい気持ち。ハルトはすぐにまた石レンガの屋根を蹴り奴へ向かう。


 ――あの杖を奴の手から奪えば影魔法も使えないだろう。

 ――もしくは……。

 

 ある作戦を思い付いたハルトは視界の端から放たれる雷撃を寸前の所で身軽に避ける。そんなハルトを襲うは奴の影から伸びる黒い茨。しなった影の鞭は長さに限界がなく、雷弾を避け行くハルトを縛り上げようと背中を追う。

 一本だけでなく影から幾本も伸びた茨。クラーケンに襲われているような錯覚を抱きながらに屋根を縦横無尽に駆けるハルトでもさすがに避け切ることは叶わず、痺れるように肌を何度も叩かれる。

 それでも諦めずに奴の懐へと向かい、絡まろうとする茨を右手に生み出した氷剣で切断すると、


「オルトー! 城館を霧で包んでくれー!」


 中庭に落下した際に受け止めてくれた命の恩人へと叫んだ。


「ふふ、霧の中で私の魔法を避けられるとでも?」


 自殺行為だと魔法士は心から楽しそうに笑う。


「ああ、霧の中での方が勝機はある」


 企み顔で答えたハルトの願いに応じ、どこからともなく現れた白い霧は瞬く間に二人を包み、魔法体や雷弾をも包んだ。


「魔国のその魔法は太陽を隠され影を失っても使えるのか?」


 そう言ったハルトは氷剣を両手に真っ直ぐに奴へと斬り掛かる。向かって来る黒い茨はない。それもそのはずだ。茨は奴の影から伸びていた魔法。影がなければ使いようがないだろう。魔法体も然りだ。


「ふふ、確かにそうですが、完全に使えない訳ではないですよ」


 やんわりと姿を確認出来るほどに近付いた魔法士との距離。一度喜ばせたハルトの考えを裏切るように振るわれた杖の先から伸びた三本の黒い茨。間合いに入ったハルトの心臓を狙い澄まし、サーベルのように鋭く突き出された。それは充分にハルトを引き付けた奴の渾身の攻撃だったのだろう。

 しかし、最初から最悪の反撃を読んでいたハルトの心臓に素直過ぎる攻撃は当たらない。身をよじり心臓への攻撃を避けた代わりに左肩へと深く刺さり血に染まった霧。


「ぐ、ぐぅ、くっ、こ、これで終わらせるっ!」


 痛む体にそれこそ鞭を打ちハルトは右手一本で握った氷剣を奴の胸へと投げた。


「うぅくっ……」


 初めて漏れる奴の嗚咽。常に余裕に溢れた奴はハルトの反撃を、特に近距離から放たれる氷剣を予期していなく、心臓に向かう刃を左腕で防いだ。

 咄嗟のことにハルトから思わず視線を外してしまった魔法士。それは奴が唯一生み出した隙。

 霧に紛れたハルトは適当に落とされる雷撃を何発も浴びながらも嗚咽を漏らさず、奴の背後へと素早く移動。強化した体で奴の脇腹へと、三度生み出した氷剣を突き刺した。

 石レンガの積まれた、城館のなだらかな屋根の上。狭い戦場にこだまする敵の魔法士の声にはならない低い呻き声。辺りを包む霧は奴のローブのように深い深紅のような血にまみれた。

 ハルトの攻撃は止まらない。


「はぁあああああああああああああ!」


 小さな隙を突いて作り出した大きな隙を逃さず、氷剣で奴の体を何度も何度も斬り付ける。

 一撃一撃に嗚咽を漏らし霧を赤く染めながらも魔法士は倒れず、霧の中に残った雷弾を落としている。

 自分の攻撃は奴には通じていないのではないか。

 絶対的格下であるが故にハルトは不安を抱き、全身に響き脳を揺らす雷の振動にも耐え十回、二十回と氷の刃で斬り付ける。

 勝負が着いたのはハルトが初めて奴へと攻撃をぶつけてからどれぐらい経った頃だろうか。

 長いようでとても短い時間。短いようでとても長い時間。ようやくと落ちることのなくなった雷撃。その代わりに奴の体が石レンガの上に力なく落ちた。


「はぁ……はぁ……終わったぁ……」


 その様をハッキリと確認したハルトは後退り、ゆっくりと腰を下ろし仰向けに倒れた。

 互いに肉体強化を施し我慢勝負となった戦いは敵の油断を突いたハルトの勝利。百回戦ったら九十九回は負けるだろう実力差がある中での薄氷の勝利だった。

 オルトによりすぐさま霧の晴れた太陽の下。脱力したハルトの顔には満足の笑みが浮かんでいる。

 オルトに力を借りたとはいえ奴にリベンジ出来たこと。そして、操り手が倒れたことで広場からハルトを見上げている三人を無事に守れたことが、自分でも不思議なほどに嬉しいからだ。


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