人と妖怪の恋の道-十壱-
✿―✿―✿―✿
「……んじ……真司、起きよ」
「……ん、んん?」
肩を揺らされ目を覚ます真司は眠たげな目を擦り体をゆっくりと起こした。
「……あれ? 僕、縁側で寝てなかったけ……?」
「なんじゃ、寝ぼけておるのかえ?」
クスクスと笑う菖蒲に真司は覚醒しきれていない頭でボーッとすると、自分が船酔いして眠っていたことを思い出した。
「あ、そっか、僕船の中で眠ってたんだ」
「ふふっ。縁側で寝る夢でも見たのかえ?」
「…………うーん……夢の内容は全然覚えてませんが、そんな気がします」
船もいつの間にか止まっているおかげで気持ち悪さもすっかり無くなった真司は、菖蒲から帽子を受け取り被ると雛菊達を探した。
「あれ? 雛菊さん達は?」
「もう降りて行ったの。やから私達も後を追うぞ」
「え、そうなんですか!? 早く追わないとっ!」
慌てて立ち上がり雛菊の後を追おうとする真司の腕を掴み菖蒲は真司を引き止める。
「これこれ、そんな慌てんでも二人が出たのもつい今し方やから大丈夫じゃ」
「そ、そうなんですか……?」
菖蒲は「うむ」と呟きながら頷くと腰を上げ椅子から立ち上がった。
「まぁ、私達はもう少し後からでも大丈夫やと思うが……船から降りて姿が見えんとそれはそれで困るからそろそろ私達も降りるかの」
「はい」
それぞれバッグを持つと船から降りた真司と菖蒲。稔に見つからないように物陰に隠れてはコソッと覗き込む姿に、通り過ぎる人達は「なにあれ?」という表情で菖蒲達のことをジーッと見ていた。
真司は周りのそんな視線に気がつくと慌てて菖蒲の名前を呼んだ。
「あっ、菖蒲さん、菖蒲さん! ものすごく今更ですが、僕達……傍から見たら怪しくないですか……?」
「そうかえ? 変な格好でもしてたかのぉ?」
キョトンとしながら首を傾げる菖蒲に真司は苦笑する。
「いえ、そういうわけではないんですが――」
「む! 真司、雛菊達が店に入って行ったぞ! 私達も行かなければ!」
「えぇ!? ちょ、菖蒲さん!? 待ってくださいよ!」
真司が最後まで言う前に菖蒲がコソコソと物陰に隠れながら雛菊の後を追い、稔と雛菊が入って行ったお店へと菖蒲も後を追った。真司も慌てて菖蒲を追う。
(うぅ……周りの視線が痛い……)
すれ違う人との視線を感じ俯きながらそそくさと歩く真司も菖蒲と一緒にお店へと入って行く。
雛菊と稔が入ったお店は、お店というお店ではなく水族館近くにあるホテルだった。そのホテルの一階が、どうやらビュッフェ形式のレストランのようで雛菊達はそこでお昼ご飯を食べることになったのだった。
「水族館の後にここに来るつもりでしたが、丁度、お昼の時間で良かったですね」
「はい! 私、こう言った食事は初めてなので楽しみです♪」
「え? ビュッフェ初めてなんですか?」
稔の質問に雛菊はニコリと微笑みながら「はい」と返事をする。
「普段は…………あ、いえ、えっと……そう! 普段は菖蒲さんのお宅でご飯をいただいているので」
思わず『普段は食べない』と言いそうになった雛菊が慌てて訂正しながら稔に言った。
雛菊は桜の精霊、桜の妖怪なので普通の人間や食べなくては生きてはいけないような妖怪でもないのだ。雛菊の場合は宿っている桜が朽ちない限り消えることは無く、飲食も好きな時に食べれるので普段は食べないことが多かった。
『いつも食べない』と雛菊の正体を知らない者なら驚くだろう。だからこそ雛菊は慌てて言葉を訂正したのだった。
稔に怪しまれなかったか不安になる雛菊。しかし、稔はこれと言って気にしていない様子で話を続けていた。
「ビュッフェというのは、簡単に言うと沢山ある料理の中から好きな料理をお皿に取り分けることです」
「そうなんですか」
雛菊が納得すると稔は思い出したように「あ、そうだ」と言った。
「後、ここは期間限定ビュッフェも結構やってるんですよ。ハロウィンの季節だったら、ハロウィンビュッフェだったり、秋だとお芋系のスイーツが出たり」
「へぇ! ビュッフェって色々あるんですね!」
「それで今は春なんで花のビュッフェらしいですよ」
その言葉に雛菊が嬉しそうな表情をこぼす。
「本当ですか? ふふっ、実は私、お花が好きなんです」
「そうなんですか? ならここに来て正解だったなぁ〜」
頭を掻きながら「あはは」と笑う稔。
この時の稔は知らないフリをしているが、もちろんこれは稔の嘘である。真司から雛菊の好きな物を聞いて、稔はネットでこのビュッフェのことを知りここに来たのだ。
稔は最初、水族館とこのビュッフェの場所が遠ければどうしようかと思っていた。遠ければ、それだけ雛菊を歩かせることになってしまうからだ。しかし、ビュッフェの場所が水族館から近くてホッとしたのだった。
稔は店員さんに「二名です」と言うと、店員の案内に従い席に座る。その間、雛菊は物珍しそうにしながら並べられている食べ物を見ていた。
「凄いですね! あんなに美しい食事を見たのは初めてです!」
「ですね! いや〜、どれも美味しそうだなぁ。ほら、あそこにある薔薇の形をしたケーキとか凄いですね!」
「はい!」
二人して楽しそうに話す様子を見て、雛菊達から離れた席に座りクスリと笑う真司達。
「先生も楽しそうだなぁ。まぁ、ここ甘い物多いもんね」
「雛菊も嬉しそうな顔をしおって、ふふっ。さて、私達もここの食事を楽しもうじゃないかえ」
「はい」
真司と菖蒲は同時に席に立ち、稔達より先にご飯をお皿に取り分けていく。サラダにサーモンのクリームパスタ、一口ハンバーグに一口オムレツ。大きなお皿に好きな物を入れていく真司は、ふとこの場にお雪がいたらと想像する。
「ここにお雪ちゃんがいたら凄く喜びそうだなぁ。お皿に山盛りにご飯を乗せそう」
「ふふっ、確かにそうじゃな」
真司と菖蒲がそんなことを話しながら笑っていると、後ろから稔と雛菊の話し声が聞こえてきた。
「まぁ、稔さんは甘い物がお好きなんですね」
「はい。いや〜、最初はそうでもなかったんですが禁煙していると甘党に目覚めちゃったんですよ」
「ふふっ」
「あはは」
笑い合う二人の声を聞いて真司も菖蒲も顔を強ばらせる。
「まっ、まずい! 雛菊達が来おった!」
「早く戻りましょう!」
「うむ!」
真司達は慌ててフォークとスプーンを取ると雛菊達の前から去ったのだった。
真司達には気づいていないが、雛菊は菖蒲達の後ろ姿を見つけると稔に気づかれないように安堵の息を吐いた。
菖蒲達が側にいてくれるだけで、まるで家族といるような安心感があったのだ。
そして、雛菊の初めてのビュッフェ体験は楽しい時間と共にあっという間に過ぎて言った。初めて使うフォークとスプーンも菖蒲との勉強会のおかげで上手く使うこともでき、稔との会話も次第に緊張せずに話すようにもできたのだった。