桜の下で‐十四‐
雛菊が二人の支えを借りてでも向かう場所――それは、八郎と約束を交わした桜木の下だった。
足を引きずってでも歩き続ける雛菊。
どんなに時間が経っても歩むことを止めない。そして、桜木が見え始めると雛菊は目に涙を溜めて歩いていた。
「あぁ、やっと……やっと来れた」
「雛菊、ここはお前にとってかけがえのない場所なんだな」
雛菊の嬉しそうな表情に父親がそう尋ねると、雛菊はコクリと頷いた。
「えぇ、父上。……父上、もう少ししたら私は独りで向かいます」
「お嬢様、いけません!」
「よい、お春。雛菊の好きにさせよ」
お春の言葉を制す雛菊の父親。
雛菊はそんな父親に笑みを浮かべお礼を言う。
「……父上、ありがとう」
徐々に桜に近づいてくると雛菊は二人の手を離す。ふらつきながらも一人で桜の下へと向かう背をお春が心配そうな顔で見つめていると、雛菊の父親が肩に優しく手を置いた。
「お春……見守ろうではないか。最後まで」
「旦那様……っ……!」
父親もまた気づいていのだ。雛菊の命がもう目の前まで来ていることに。
まるで娘の結婚式を見るように父親は雛菊の歩く背中を見ていた。
雛菊の父親は、真っ直ぐと雛菊の背中を見る。
「私は、あの子を幸せに出来ただろうか……? こんな父親で腑甲斐無いと思う。菊も怒るやもしれぬな……」
父親の弱気な言葉にお春が「そんなことありません!」と言うと、お春は無礼とわかりながらも父親の手をギュッと握った。
「旦那様は、お独りでようやられました。このお春、旦那様がまだ幼子の頃からお側にいました。旦那様のことはよう知っているつもりです。旦那様はお嬢様と八郎の交際もお許しになられました。お嬢様からにしたら、それだけで嬉しゅうございましょう」
「……そうか」
自傷気味に笑うと何処か愛嬌のある顔になる。普段は目つきの怖い感じがし近づき難い印象を持っていたが、笑うとそれが消えていた。
それでなくても雛菊の父親は使用人や娘に優しい人だ。雛菊の母親は、もしかすると、こういう心根の持ち主だからこそ愛し、この父親と結婚したのかもしれない。
真司はそう思うと、雛菊の方を向き後を追うように走り出した。
雛菊のそばまで来ると、雛菊は息を荒くしながら前だけを見て歩いている。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
筋力が衰えた細い足で千鳥足になりながらも一生懸命に桜木へと向かう雛菊。少しずつ少しずつ雛菊は桜の木へと近づいていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
桜との距離は、もう数メートルまで来ている。雛菊は桜貝が入っている巾着をギュッと胸に握り締め、また一歩もう一歩と歩き続けた。
そして、やっと桜木の下へと辿り着いた。
雛菊は木の根本まで来ると、その場に座り込み、適当なサイズの石を見つけ土を掘り返す。細く色白い手には土がこびりつき、折角お春が着せてくれた綺麗な着物も土で汚れてしまった。
それでも雛菊は、頭の片隅でお春に謝りながらも掘り返す作業を止めなかった。
ある一定の深さまで掘ると雛菊は桜貝が入った巾着を穴の中に入れ上から土を優しく掛ける。
「これでいいの……」
雛菊は桜の木を背もたれにして木を見上げる。スッカリ葉が落ちてしまっているこの木は、冬をもう迎えているようだ。
「また、来年には美しい花を咲かせてね」
目を閉じ、雛菊は桜に話しかける。
「私、幸せよ。あの人に出会って、美しい桜を毎年見れて……ありがとう」
風が吹き枝が擦れる音が、まるで雛菊に返事をしてしているみたいに聞こえる。雛菊もそう思ったのかクスッと笑うと、桜の根にそっと触れた。
「また、あの人に会えるわよね……? ううん、今度は私から会いに行くの。体が朽ちて魂だけになっても、私はもう一度あの人に、あの人を……こぼっ、ごほっ!!」
口から血が飛び出し、呼吸をする度に小さな音が鳴る。もう、その時が近くなっていた。
「ごほっ、ごほっ……!! はぁ、はぁ……何年かかっても……わた、し――――」
雛菊の手が力なく地面に倒れた。
お春と父親は慌てた様子で雛菊の元へと駆けつける。父親は雛菊が逝ったと知ると、その場に崩れ落ち涙を流した。
「雛菊さん……」
真司の瞳にも一筋の涙がこぼれ落ちる。その瞬間、真司のポケットから強い光が溢れ出した。
「……っ!?」
あまりの眩しさに目を瞑ってしまうが、真司はポケットに手を入れ中の物を取り出した。
取り出した物は、菖蒲から貰った鈴だった。
「鈴が光って――」
「――じ」
「え……?」
鈴を手にした瞬間、頭の中で声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。
「――んじ。――じ」
「菖蒲、さん?」
「――じ、私の声が――」
そう。その声は菖蒲だった。
真司は頭の中で自分に語りかける菖蒲の声に耳を傾ける。しかし、声はハッキリとは聞き取れなかった。
まるで誰かに遮られているように、菖蒲の声にはノイズが走っていたのだ。
「菖蒲さん! 僕はここです!」
菖蒲にこの声が届いているかはわからないが、それでも真司は鈴に向かって話しかけた。
菖蒲も真司に話続けるが、やはり、所々しか真司には聞き取れなかった。
「――じ。その鈴の光を――」
「鈴の光?」
「――りの先へ――辿れ!」
菖蒲が強く何かを言った瞬間、光っていた光は一筋の光へと変わり一直線にどこかを指していた。
ふと、真司は周りの景色に気がつく。冬の空も桜や雛菊の傍で涙を流すお春達の姿もいつの間にか消え、辺りはまた深い霧に包まれていたのだ。
そして、記憶の中の雛菊が倒れていた場所には桜の精であるもう一人の雛菊が倒れていた。
真司は慌てて雛菊の傍に駆け寄る。
「雛菊さん! 雛菊さん!」
「…………」
雛菊は気を失っているのか返事は返ってこなかった。
真司はなんとかして雛菊を背中に背負い、一筋の光を見る。きっと、この先に菖蒲がいるのだ――真司はそう思った。
確証はないただの直感だ。それでも、進まないよりかはマシである。
「よし……!」
真司は雛菊が落ちないようにシッカリと腕で支えると、光が指す場所へと目指すのだった。
✿―✿―✿—✿―✿
菖蒲は幹から手をそっと離す。額には薄らと汗が滲んでいた。
「ちっ……厄介極まりないねの。しかし、真司の声は聞こえた。真司も恐らく……」
菖蒲は「はぁ」と溜め息を吐く。あの鈴の役割を真司に伝わったはずだと菖蒲は思い、真司が帰ってくることを期待した。必ず真司の元に戻ってくると。
「真司……決して、惑わされるな。光を信じるのじゃ」
菖蒲は目を閉じ真司の帰還を願う。菖蒲は自分の手が微かに震えているのだと実感すると苦笑した。
「この私が、よもや恐れるとはね……」
震えを抑える為にギュッと手を握る。桜を見上げる菖蒲の目は、ここではないどこか遠い所を見ているような気がした。
それは過去を思い出すように……まるで、その過去を哀しむような儚げ瞳をしていた。
しかし、菖蒲がそんな表情をしていることは誰も知ることはなかった。




