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桜の下で‐十二‐

 ✿―✿―✿—✿―✿


 次の季節は春。

 雛菊は八郎と一緒に、あの桜の下で幸せそうにしているはずだった。しかし、現実はそうはいかなかった。

 雛菊は桜貝をギュッと握り、布団の中から庭に植えられている小さな桜を見る。


「八郎さん……どこにいるの? ……ごほっ、ごほっ!」


 あれだけマメにくれた手紙も来ず、春になっても訪れない八郎に対して真司は不安になる。そして、風景が変わる事に雛菊の咳き込む回数も増えていた。


「どうしたんだろう……お互いあんなに愛し合っていたのに……」


 八郎に何かあったのだろうか、と思う真司。

 八郎を探しに行きたいが、これは雛菊の記憶なので探すことは出来ない。出ようとすれば、また同じ場所に戻ってきてしまうのだ。

 季節が過ぎる度に雛菊の顔色は悪くなり、真司は雛菊の姿を見てられなかった。

 身体は普段から細いのに、腕も足も更に細くなり顔色は薄らと青い。栄養が行き届いていないのか、髪の艶も消えていた。

 それでも、雛菊の心は美しかった。八郎への想いが強いからだ。

 だからこそ、真司はこれが記憶だとわかっていても何とかして雛菊を八郎に会わせたいと思った。


「雛菊さん……」


 真司がそう呟いた瞬間、目の前の風景が変化した。

 次の風景も時間が経っている。季節は秋に変わり、部屋も雛菊の部屋では無く雛菊の父親の部屋に変わっていた。

 部屋の中央で雛菊の父親は手紙を読んでいた。


「なんて事だ……」


 雛菊の父親は手紙を読み終えると額を押さえながら深い溜め息を吐いた。

 真司はその様子に「どうしたんだろう?」と、思い首を傾げる。

 それほど何か大変なことが起きたのだろう。


「あの子に何て説明すればいい。……いや、こんな事は言えるはずがない。まさか……八郎が死ぬなんて――」


『八郎が死んだ』

 確かに雛菊の父親はそう言った。

 その言葉に真司は絶句する。


「八郎さん、が……。なっ、なんで……」


 真司は父親の傍に行き、開かれている文を読もうとした。

 本当はこんな事してはいけないのだけれど、真司は八郎に何が起こったのか知りたかったのだ。

 しかし残念なことに、手紙の文字は達筆過ぎて真司には全てを読むことはできなかった。

 それでも何とかして読み解く真司。


「えっと……山、崩れ……? これは『不明』かな? まっ、まさか……!!」


 読めるワードを呟き頭の中で考える。そして、真司は一つの推測に基づいた。


「山崩れにあって死んだってこと……? でっでも、不明ってどういうことなんだろう……?」


 真司が考えていると、またもや風景が変化した。

 季節は変わらず秋のままだった。それでも時間だけは進んでいた。

 八郎が雛菊の前に現れなくなってからは、雛菊の世話は馴染みの使用人に代わっている。結核の患者には誰も近づきたがらないが、この使用人は雛菊の乳母だったので雛菊のことは実の孫のように思い、雛菊が結核に罹った今でも、雛菊に近づき、接し、世話をする唯一の人だった。


「お嬢様、お体はどうですか?」

「大丈夫よ……ありがとう、お春さん。お春さんも、私の世話なんてしなくてもいいのに……移ってしまうわ」

「何を言っていますか。私は、お嬢様がお産まれになった日に抱き上げた一人ですよ。お嬢様は、私の孫同然です」

「お春さん……」


 皺を寄せ微笑むお春。お互いの歳を考えると確かに雛菊は孫でお春は祖母に近かった。


「そうなんだ……良かった、雛菊さんの傍にいてくれる人がいて」


 誰も近づきたくない――故に、結核の患者の最期は独りで死ぬことが多い。周りには誰も居ず、動けない体で最期を迎える……それはきっと想像以上に寂しく、苦しいものだろう。だからこそ、真司な傍に八郎だけではなくお春が居てくれたことに内心ほっとした。


「ねぇ、お春さん」

「なんですか?」

「今、八郎さんは何処にいるのかしら?」


 桶に入っている手拭いを絞っていたお春の手がピタリと動きが止まる。


「そ、それは……」

「お春さん?」


 どうやら、お春も八郎に何が起きたのかは把握しているらしい。恐らく、雛菊の父親が伝えたのだろう。

 お春は眉を下げ口ごもる。そんなお春の様子を見て、雛菊はお春が八郎についえ何かを知っていると悟った。


「お春さん、教えて」

「し、しかし……旦那様に口止めされているのです」

「父上が?」


 雛菊がそう言うと、お春は小さく頷いた。


「ですが、私は……」

「言うか悩んでいるのね……」

「はい……。お嬢様の想いはご存知です……だからこそ、真実を知って欲しいと……」


 だが、真実を告げると雛菊の心は恐らく崩れ落ちるだろう。その葛藤もあり、お春は中々言えないでいたのだ。

 雛菊は今にも折れそうなぐらい細い手でお春の手に触れる。

 寒い中水仕事も沢山しているので、お春手はカサカサとしていて荒れていた。


「お春さん……教えて、くれますか?」

「お嬢様……」

「知りたいの……八郎さんのことを。このまま何も知らずに死ぬなんて……私は嫌」


 雛菊の真っ直ぐな瞳にお春も決心がついたのか、雛菊の目を見て小さく頷いた。例えそれが、雛菊の心が崩壊したとしても。

 お春は雛菊の手を優しく握り返し、残念そうな顔で雛菊に言う。


「お嬢様、あの方は……お亡くなりになりました。……旅の途中、山が崩れ生き埋めになったとか……ご遺体は行方不明で見つかったのは、いつも背負っていた薬箱と草履が片方……そして、その薬箱の中にお嬢様宛の手紙が入っていたそうです」

「そん、な……」


 お春の手から力なく離れていく雛菊のか細い手。雛菊は涙をツゥと流しお春から顔を背けた。


「お春さん、ごめんなさい……一人にしてくれる?」

「はい……」


 スっと立ち、頭を下げるお春。その顔は、とても悲痛な面持ちだった。

 部屋を出る際に一度振り返り、お春は雛菊に何か言葉をかけようかと思い口を開いたが、結局、何も言えずそのまま雛菊の部屋を出たのだった。

 部屋に一人きりになると、雛菊はポロポロと涙をこぼす。


「うっ、うぅっ……どうして? どうして、こんな私よりも先に逝ってしまうの……? うっ……っ……八郎さんっ」

「雛菊さん……」


 傍にあった桜貝を握り締める雛菊の姿を見ると、真司の心はぎゅっと締め付けられる想いになった。

 触れられず声も届かないとわかっているはずなのに、それでも何か声を掛けたかった。

 そして、真司が崩れるように泣き続ける雛菊の肩に触れようとした瞬間、また景色は変わった。

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