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第一章[8]


 晴れ渡る空。穏やかな風。街道はどこまでも真っ直ぐ、遥かエルドナの街まで伸びている。

 まだこの季節では旅人の姿もまばらな街道に、無邪気な声が響いていた。

「あれ、なに!?」

「ツグミだ」

「これは?」

「…ハコベ」

「あっち、なにぃ?」

「……森だろ」

「なんで――」

 ぴたり、と先頭を行く青年の足が止まる。そして、

「ええぃ、いい加減にしろっ!」

「ぶぅ~」

 すでに聞き慣れたラウルの怒声と少女の拗ねた顔に、エスタスが笑い声をかみ殺した。このやりとりは今日だけでも三度目だ。次に来る台詞まで予想できてしまう。

「何なにってうるさいんだよ、お前は! 少しは黙って歩けないのか!」

「だってぇ」

「だってじゃない!」

 怒鳴るラウルの手にぎゅっとしがみ付いて、少女はきらきらした瞳を向けてくる。

「おそと、しらないが、いっぱい。しりたい、だめ?」

「……」

 ぐっと詰まるラウル。と、それまで静観していたカイトが訳知り顔で少女の援護に回った。

「そうですよラウルさん。子供の好奇心を潰すようなことをしてはいけません。この「なに」「どうして」こそが子供の想像力や思考力を養う大切な……」

「だったらお前が答えてやればいいだろうが!」

 至極もっともなラウルの言葉に、カイトはいやぁ、と頬をひくつかせる。

「僕、一昨日いっぱい答えましたし」

「あ、オレは昨日で懲りましたから」

 聞いてもいないのにちゃっかり言ってくるエスタスは無視して、ラウルはもう一人の旅の仲間に目を向けた。

「アイ――」

 呼びかけようとして、その冷たい視線に言葉をなくす。彼女の瞳は如実に語っていた。そう、私でいいのか、と……。

「……もういい、分かった」

 がっくりと肩を落とし、ため息をつくラウル。その様子を少女は面白そうに見つめている。

 彼女が「なぜ・なに」博士に変身したのは、エストを発ってすぐのことだ。

 空を行く鳥から道端の草木、すれ違う人々から雲の形まで、目に止まったもの全てを口にして、無邪気に「なぜ」「なに」を繰り返す。

 最初はこれも勉強だ、と丁寧に答えていたラウル達だったが、初日を終えた頃にはぐったりと疲れ果てていた。知識欲の権化、雑学の塊であり、日頃子供達に勉強を教えている立場から質問攻めには慣れているカイトですら一日で音を上げたのだから、彼よりも慣れていないラウルやエスタスに相手が勤まるはずもない。まして、アイシャは論外だ。何しろ、

「あいしゃ、あれ、なに?」

「水。」

 遠くの湖を指差す少女に、アイシャの答えはこれである。間違ってはいないが何か違う。

「せめて『湖』くらい言ってやれよ……」

 頭を抱えるエスタスの肩をカイトがぽん、と叩いて首を振る。

「水溜りって言わなかっただけマシですよ」

「はぁ……」

 ため息をつきつつ、しかしラウルは嬉しそうな彼女の横顔を見て、無理もないか、と口の中で呟いた。

 何しろ、彼女はこれまで村から一歩も出たことがなかった。彼女にとって今は、見るもの聞くものすべてが新鮮なのだろう。

(そういや、村に来てしばらくもこんな感じだったか……)

 雪に埋まったエストの村で、外に出られない日々が続いていた折。小屋にある物を片っ端から尋ねて回り、ラウルを辟易させていたのが、もう遥か昔のことのように思える。すぐに落ち着いたのですっかり忘れていたが、あれは辛い日々だった。

「でもラウルさん、チビちゃんの記憶力は大したものなんですよ」

 ふとカイトがそんなことを言ってきた。

「だって、一度聞いたことは二度と聞き返しませんからね」

「そうか?」

 この三日間で余りにも色々なことを聞かれ過ぎて、そんなことまで気が回らなかった。そんなラウルの顔を見て、カイトは少女を手招きする。

 アイシャから離れてパタパタと駆け寄ってくる少女に、カイトはすっと道端の花を指差して尋ねた。

「チビちゃん、あれはなんですか?」

「すみれ!」

「はい、正解。じゃあ、あれは?」

「すずめっ」

「それじゃ、これは?」

 そう言ってカイトが差し出したのは、彼が今朝から小脇に抱えている本だった。どうしても持っていくのだといって出立直前までエスタスと揉めていた、分厚い百科事典である。

(何て答えるんだ……?)

 ちょっと興味を覚えて少女の言葉を待つ。すると、彼女はすぅっ、と大きく息を吸い込んで、

「あるからいずひゃっかじてんだいろっかん。これはしょくぶつ、とりわけやそうにかんするかんで、ここんとうざいありとあらゆるやそうがしょうさいなえとともにしょうかいされているんです。このきたたいりく、とくにこのちゅうおうぶはめずらしいやそうがおおいですからね、このきかいにいっぱいみておきたいんですよ」

 まるで呪文のような言葉の羅列。余りに早口だったので最初は何を言っているのか分からなかったが、よく聞いてみると、それは昨日辺りにカイトが言っていた台詞と一言一句違わない言葉だった。

「うわっ……」

「見事」

 呆気に取られるラウル達の横で、カイトがぱちぱちと手を叩く。

「よく出来ました!」

「るふぃーり、えらい?」

「うん、偉いですよ。でもチビちゃん、今度からは『百科辞典』とだけ答えればいいですからね。長くて言いづらいでしょう?」

「ひゃっかじてん!」

 元気よく手を挙げてカイトの言葉を繰り返す少女。一方、ラウルは青ざめる思いだった。

「おい……お前、一度聞いたことを全部覚えてるってのか?」

 驚きを隠せないラウルに、少女はこくん、と頷いた。

「らう、おぼえる、しない?」

 さも不思議そうに尋ねて来る少女に、ラウルは思わず手を口にやる。

(……おいおい、嘘だろ? そんな記憶力、普通は……)

 いや、彼女は普通ではない。しかし、まさかこんな能力を秘めているとは思いもよらなかった。

「じゃあ、俺がいつも夜に唱えてるユークへの祈りは?」

 ふと思いついて聞いてみると、少女はちょっとだけ考える素振りをして、そしてすらすらと神聖語の聖句を唱え出す。

『よるをすべるおう やみのころもをまといしもの ひかりとついなす いだいなるしょうねんしん こよいもさやかなよるを やすらかなゆめを……』

 たどたどしい喋り方だったが、紛れもなくそれはユークへの祈りだった。

 神聖語は、ただ聞いただけで覚えられるような単純なものではない。複雑な発音、歌うような抑揚。これを完全に習得するには何年もの修行が必要となる。

(こりゃ、ただ記憶力云々の問題じゃないな……)

 記憶力がいい人間ならそう珍しくもない。しかし彼女の場合は、「完璧に」覚えている。というより、情報をそのまま頭の中に取り込んで、必要に応じて取り出し、再生しているといった方が正しいかもしれない。

(懸念材料はまだあった、か……。こりゃ、ちょっと甘く見てたかもな)

 竜には人智を超えた大いなる力が備わっている。しかしそれは意識して振るうもの。即ち、本人次第でどうにでも隠せるものだ。

 しかしこのずば抜けた記憶力などは、恐らく生まれつき竜に備わる能力なのだろう。それをどうにかしろと言ったところで、どうすることも出来まい。

 しかしそれらは、彼女が「人」でないことを雄弁に物語る。目端の利くものならば、この人並み外れた力に疑問を抱くことだろう。

「らう?」

 きょとん、と見つめてくる緑色の瞳に、ラウルはいいや、と首を振った。後できちんと言い聞かせれば済むことだ。あとはラウル達が気を配ればなんとでもなる。

「なんでもない。さあ、こんなところで止まってないで行くぞ! 日が暮れる前に次の町にたどり着かないと野宿になっちまう」

 そう言って再び歩き出すラウルの前に素早く回り込む少女。その小さな体を危うく蹴り飛ばしそうになって、慌てて足を引く。

「何だよ?」

「おんぶ!」

 無邪気な笑顔に、ラウルは頭を抱えそうになった。

「歩けっ!」

「やー! おんぶっ、おんぶっ」

 足にしがみついて言い募る少女にしばし無言で拳を震わせていたラウルだったが、とうとう降参だ、とばかりに深く息をつき、その場にかがんだ。もう、怒鳴る気力すら惜しい。

 やった! とばかりにその背中によじ登る少女。おんぶどころか肩車になっているが、もうなんでもいい、とラウルは一気に立ち上がる。その拍子に振り落とされそうになって、少女は楽しげな悲鳴と共にラウルの頭にしがみ付いた。

「ったく……」

 彼女の体は、掛け値なしに軽い。小さいからというだけではなく、恐らくはその肉体自体がラウル達とは異なる要素で構成されているのだろう。だから背負おうが肩車をしようがちっとも負担にはならないのだが、なんだか無性に腹が立つ。

「似合ってる」

 ぼそっとアイシャが呟いて、ラウルが怒声を上げる前にスタスタと歩き出した。その後をそそくさとカイトとエスタスが追いかける。

 やり場のない怒りに体を震わせるラウルの頭を、少女がぺしぺしと叩く。

「しゅっぱつ、しんこー!」

(……このチビ、いつかおぼえてろっ!!)


 彼らが乗合馬車の発着点、エルドナの街にたどり着くのは、これより二日ほど先のこととなる。

 しかして、波乱の気配など微塵も感じさせることなく、道中の空は見事なまでに晴れ続けた。


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