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第四章[14]


「一体何をやっているんだ!!」

 腹の底から轟く怒声に、水面がぐにゃりと歪む。

 映し出されたナジードの顔も愉快に歪んで、ますます腹立たしい面構えになったものだから、もうニ、三言どなりつけようとしたら、先手を打たれた。

『声がでかいぞ。耳鳴りがする。年寄りは労わって欲しいねまったく』

 耳に指を突っ込みながらの台詞に、ますます腹が煮え繰り返る。

「何を呑気なことを! 目の前で王女を連れさらわれた挙句に、今の今まで報告をよこさなかったとはどういうわけだ!!」

 ばん、と広げてみせたのは『奇怪!? 旧街道を覆う漆黒の闇』の見出しが躍る瓦版。これがヴァレルの手元に届けられたのは昨日の夜。渋り顔のナジードが連絡をよこしてきたのは、瓦版が示す事件の日付から優に六日が経過した、今日の昼過ぎだ。

『分かってるわかってる。悪かったって。こっちも色々あったんだよ』

 悪びれた様子もなく、それでも形だけは頭を下げてみせるナジードに、ますます腹が立つ。大体この男はいつだってそうなのだ。のらりくらりと逃げ回って、肝心のことを言わない。

「どうせお前のことだ、怒鳴られるのが嫌だから黙ってたとか、後で挽回すればいいんだから内緒にしとけとか、そんなことを言って先延ばしにしたのだろう!」

『よく分かってるじゃないか』

「貴様――!!」

「落ち着かれよ、近衛隊長殿」

 水鏡に殴りかからんばかりのヴァレルを諌めたのは、傍らに控えていた魔術士だった。

「そのように激昂されては、集中が乱れますでな。お静かに願いますぞ」

「むっ……すまない。私としたことが、取り乱した」

 素直に詫びるヴァレル。ごほん、と咳払いをして、水面に映るふてぶてしい顔へと向き直る。

「それで、色々とはなんだ!? 包み隠さず話してもらうぞ!」

『分かってるさ。連絡が遅れたのは、足取りを追っていたからと、別件で調べ物があったからだ。そっちはまあ置いておくとして――王女と、話した』

「話した!? それで!? 王女はお元気だったか!? よもやお怪我など――いや待て、話す暇があったのに助け出せなかったのか!?」

 途端に噴きあがる怒気に、ナジードは大仰に肩をすくめてみせた。

『すぐ沸騰するなよ、話が先に進まんだろうが』

 確かにその通りなので、ばつの悪い顔をしながら大きく息を吸い、腹の底から湧き上がる怒気ごと吐き出す。修行時代によくやらされた、敵を前にしての精神統一法がこんなところで役に立つとは、まったく皮肉なものだ。

「……悪かった。続きを話してくれ」

『ああ。最初は旅人を装っていたんだが、この俺が王女の顔を忘れるわけもない。だから先手を打ってけしかけたんだが、王女を盾にされてな。手も足も出なかったんだ』

「なんと卑怯な――!!」

 震える拳から伝わる振動で、水面に細波が立つ。そのせいか、水鏡に映るナジードの顔がせせら笑っているように見えたが、伝わってくる声は真剣極まりない。

『王女はこう仰った。「どうか追わないでくれ。私は必ず戻る。そう信じて、今は待っていてくれ」とな』

「なんと……なんと健気な……!!」

 鬼の形相から一転してほろりと涙ぐむヴァレルを冷ややかに見つめながら、ナジードはおいおい、と頭を掻いた。

『感動に浸ってるとこ悪いんだがな。――おかしいだろうが』

「何がだ?」

 むっとして顔を上げると、ナジードはまるで内緒話でもするように、ぐいと顔を近づけてきた。その無精髭までもが大写しになって、思わず顔をしかめる。

「いい加減に髭を剃れ、鬱陶しい」

『やかましい。これは俺の男気の象徴だ、おいそれと剃れるかってもんだ。おっと、話が逸れたな。――いいかヴァレル。あの神官は怪盗《月夜の貴公子》じゃない」

 くわえ煙草を揺らしながら、さらりと言ってのけるナジードに、ヴァレルは今度こそ水面に拳を突きたてた。

「ふざけたことを言うな! それではなぜ、奴は王女をさらって逃げたんだ!!」

「聞こえておりませんぞ、ヴァレル殿」

 はっと見れば、千々に乱れた水面には、びしょ濡れの拳がむなしく映っているのみ。しかも金属製の水盤を力いっぱい殴りつけたせいで、今頃になって鈍い衝撃が腕を伝って上がってくる。

「す、すまない……つい、かっとして……」

 拳を引き上げつつ言えば、魔術士はいささかわざとらしく、水盤が壊れていないか確かめながら、ぼそぼそとぼやいてみせた。

「あなた方は魔術を、単なる便利な道具のようなものだと思われているのでしょうが、それを行使する我々魔術士とて生きた人間ですぞ。しかもこのような年寄りだ。多少は労わっていただきたいものですな」

 言葉こそ丁寧だが、端々から棘が突き出ている。深く被った頭巾で隠されていても、かろうじて見える口元が「呆れて物が言えませんな」と静かに物語っていたから、ヴァレルは今度こそ心から謝罪の言葉を口にした。

「本当にすまない。あまりに衝撃的なことだったので、感情を抑えられなかった」

「……確かに、ナジード隊長殿の話は実に興味深いものでしたな。途中で切れてしまいましたが」

 誰のせいですかな、と言いたげな魔術士に、ヴァレルは深々と頭を下げた。

「……面目ない。もう一度繋いでもらえるだろうか」

「やってはみますが、水盤がへこんでしまっておりますでな、きちんと繋げるかどうか……」

 まずはきちんと点検をしなくては、と言うジェドーを手伝って水盤を持ち上げながら、先程もたらされた衝撃の事実を頭の中で反芻する。

(あの神官は、怪盗ではない――? では誰が、王を――?)


* * * * *


 唐突に途切れた映像に面食らっている若い魔術士を横目に、ナジードはやれやれ、と肩をすくめた。

「やれやれ、水鏡越しにぶん殴られるかと思ったぜ。繋ぎ直すのにどれくらいかかる?」

「は、はい、すぐに取り掛かりますっ! そうですね、こちら側の作業だけでしたら十分ほどで……」

「ああ、急がなくていい。頼むぜ」

 慌てて準備に取り掛かる魔術士に労いの言葉をかけながら、どっかりと椅子に腰掛ける。

「まったく、熱血野郎と話すのは骨が折れるねえ」

 おかげで核心に辿り着く前に話が終わってしまった。

「怒らせるような言い方をするからですよ」

 部屋の隅で控えていたヒューゴが呆れ顔で言ってくる。

「駄目ですよ、ヴァレル隊長は真面目なんですから」

「お前が言うか」

 思わず笑ってしまったら睨まれた。まったく、若者というのは扱いが難しいものだ。

「あの神官さんが怪盗ではないなんて言ったら、ヴァレル隊長でなくても驚きますよ」

「そうかね? お前さんはあんまり驚いてなかったみたいだったが」

 にやり、と笑うナジードに、ヒューゴは一瞬目をまん丸に見開いて、それから苦笑いを浮かべた。

「そう見えましたか?」

「ああ。というよりは、最初からあの神官が怪盗だなんて信じられない、って顔をしてたからな。それなのに捜索隊に加わるなんておかしなやつだと思ってたが――お前さん、前にあの神官と会ってるんだな」

 机の引き出しからおもむろに取り出してみせたのは、『影の神殿』関連事件の報告書だ。もちろん原本からの写しだが、事件の詳細を最初から綴ってあり、途中エスト村の収穫祭に乱入した王立研究院の研究員の件までもが詳細に記されている。

「近衛隊所属、ヒューゴ=バートラム。あのドニーズが引き連れていった兵士の一人だったな」

 普段は守備隊と全く関わりを持とうとしない王立研究院の一研究員が、いきなりやってきて兵士を貸せと言ってきたのは去年の秋だったか。『ルーン遺跡近郊の村に匿われているという、世にも恐ろしい怪物を接収に行くから護衛として兵士を貸せ』という、なんとも珍妙な要請に面食らったのを、はっきりと覚えている。

 結局は要請を断り切れず、渋々守備隊から数名をドニーズの護衛に当てることにしたが、ただ一人、近衛隊から志願した兵士がいると聞いて、物好きなやつがいるもんだと笑ったものだ。

「しかし、なんでまた志願なんかしたんだ?」

「俺はエスト近郊の出身なんです。故郷のすぐそばで、そんな怪物が匿われていると聞いて、居ても立ってもいられずに志願したんですけど……」

 なるほど、と肩をすくめるナジード。故郷に被害が及ぶ前に自分の手でどうにかしようと躍起になった少年の心意気は認めるが、随分と貧乏くじを引いたものだ。

「俺のところへ直談判に来ていれば、『やめとけ、どうせろくなことにならんから』って言ってやったのによ」

 ははは、と頬を掻くヒューゴ。

「そうすれば良かったですよ。あんな、おぞましい光景を目撃する羽目になって……本当に、志願したことを後悔しました」

 今でも鮮明に覚えている。無言で襲い来る、死人の群れ。彼らには剣など通用せず、頭を切り落としても、胴を払っても、それこそ手足の一本になるまで向かってくる。

 一人また一人と倒れていく仲間達の後ろで、当のドニーズは恥も外聞もなく取り乱し、『北の塔』の魔術士が張った結界の中で震えるばかりだった。

「あの時、神官さんはそこにいる全ての人間を守るために、懸命に戦っていました。戦いが終わった後は、負傷者の手当ても率先してやっていました。直接言葉を交わしたわけじゃありませんし、神官さんは俺のことなんて覚えてないと思いますが、俺にとっては命の恩人です」

 だからこそ、国王が彼を招いたと知った時には、顔を合わせる機会があったら是非とも、あの時のお礼を言おうと意気込んでいたし、事件の夜、廊下で出くわした時には心底驚いた。なぜ、どうしてこの人が、と。

「なるほど」

 煙草入れを覗きながら気のない相槌を打つナジード。と、扉の向こうから騒がしい足音が響いてきた。

「この足音は――」

「隊長! 来ましたぜ、例のやつ」

 扉を叩くこともせずにずかずかと入ってきたのは、古参兵の一人だ。

「やっぱりお前か、ユースフ。入る前に扉を叩けと言ってるだろうが」

「どうせもう話は終わってるんでしょうが。それより隊長、これですよ」

 ひらひらと振ってみせたのは小さな紙片。誰からだと問うナジードに、ユースフは熊のような髭面を緩ませて、にんまりと笑ってみせる。

「そりゃあもう、奮いつきたくなるような別嬪さんですぜ」

 その言葉に目を吊り上げるヒューゴ。

「またですか隊長! 私的な手紙をここに届けさせるなんて、何を考えっ――!」

 すかさずその口を塞いで、古参兵は器用にも片目を瞑ってみせる。

「野暮なこと言うなよ、少年。恋の駆け引きには、こういうまめなやり取りが大事なんだぜ、よく覚えておけ」

「ぶはっ、もう何するんですか! 大体、俺にはそんな相手なんていませんよ!」

「なんと、そりゃあ気の毒に。それじゃ、首都に帰ったら俺の妹でも紹介してやろうじゃないか」

「け、結構です!!」

 そんな微笑ましいやり取りを尻目に、渡された紙片を開き、そこに綴られた愛の言葉ににやりと笑うナジード。

「こりゃ熱烈な恋文だな。やはり黒髪の男ってな、こっちじゃもてるのかねえ」

「黒髪って、隊長はこげ茶――え、それってまさか――」

 読んでみろ、と寄越された紙片を見て、ヒューゴは今度こそ言葉を失った。

「これは――!!」

 そこに綴られていたのは簡素な一文。

『闇の侍祭と頭巾の魔術士が屋敷を闊歩し、不穏な風が漂う。侍祭はかつて卵にあたり、激しく憎んでいる』

 謎かけのような言葉だが、ナジードはふふんと鼻を鳴らし、おもむろにペンを手に取った。

「手紙ってのはいいもんだ。直接言葉を交わすより情緒があるな」

「隊長?」

 さらさらと一筆したためるナジードに、ヒューゴが怪訝な顔をする。報告書の作成も嫌がってヒューゴに代筆させるほどの筆不精が、何か書いているところを見るのはこれが初めてだった。

「なんだ、その怪物でも見るような目は。なに、俺もこのまめさを見習おうかと思ってね」

 あっという間に書き終えた手紙を封筒に突っ込み、宛書をして封をする。

「よし。これを伝令ギルドに持ってってくれ。速達で頼むぞ」

「はいっ! えっ……」

 渡された手紙の宛名を見て、ますます目を丸くするヒューゴ。思わず問い質そうと顔を上げた瞬間、悪戯小僧のような瞳と目が合った。

 隊長がこういう顔をしている時は、大概ロクなことにならない。そんな経験則から思わず後退るヒューゴに、ナジードは実に楽しそうに、こう付け加えた。

「おおっと、その格好で行くなよ、目立つから。ユースフ、適当な服を見繕ってやれ」

「はっ!!」

 今まで見たこともないくらい見事な敬礼をしてみせた古参兵は、がしっとヒューゴを小脇に抱えて、どすどすと歩き出す。

「わっ、何するんですかユースフさん!」

「何って、お前さんの服を選んでやろうってんじゃないか。そうだな、透かし編みのついた可愛いやつがいいか。きっと似合うだろうなあ!」

 がっはっはと豪快に笑うユースフに、ひいいと悲鳴を上げるヒューゴ。

「やめてくださいよっ!! わー、隊長ー、助けて下さいー!!」

「達者でなー」

 ひらひらと手巾など振って見送りながら、ナジードはさて、と振り返り、準備を終えて待機していた魔術士に笑いかけた。

「悪い、待たせたな」

「い、いいえ。向こうと繋いでよろしいですか?」

「ああ、よろしく頼む。でもまあ――」

 噛み跡がついた煙草を弄びながら、ぽつりと嘯く。

「もう繋がらないかもしれないな」


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