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第四章[13]


 ガタン、と大きく馬車が揺れて、柔らかな金髪がふわりと宙に舞う。

「ふぇっ!?」

 奇妙な声を上げて体を震わせる様は、まるで昼寝を邪魔された子猫のようだ。ごしごしと目をこすりながら辺りを見回し、未だ夢と現の境を彷徨っているような声でぽやんと呟く。

「あれえ、けーきはぁ……」

「夢だ」

 冷やかな声に一刀両断されて、ぱちくりと緑色の双眸を瞬かせる。そうしてようやく現実世界へと帰還した少女は、目の前に座る長身の男に向かって口を尖らせてみせた。

「わかってる、もん!」

「よだれが出ているぞ」

 容赦ない指摘に、慌てて口元を手の甲で拭う。その拍子に、華奢な手首を飾る紺色の腕輪が肘の辺りまでずり落ちた。細い紐を複雑に編み込んで作られた腕輪は、再会の記念にと男から贈られたものだ。

「ねしうす、これ、おちちゃう」

「少し大きかったか。なに、じきに慣れるだろう。それは迷子にならないための『おまじない』だ。それをつけていれば、万が一はぐれてもお前の居場所が分かる。――決して外さないように」

 穏やかな、しかし有無を言わさぬ声音に、頬を膨らませる少女。しかし、こっそり外して捨ててしまうようなことは思いつかない辺り、実に彼女らしい。

「すっかり目が醒めたようだな。――それでは、続きを話そう」

 その言葉に、むむむと眉根を寄せる少女。しかし、男は意に介する様子もなく、淡々と言葉を紡ぎ出す。

「これ以上、『民』に関わるな、小さな光よ。必要以上の干渉は禁じられているはずだ」

「だって、るふぃーりは、らうと、いっしょ、いたい」

 まっすぐな瞳で、そう答える少女。その答えは、男がどんなに言葉を重ねても変わることがない。意見は平行線のまま、そして肝心な話に行き着く前に少女が眠ってしまって会話終了。それがもう、二日も続いている。このままでは、話が終わらないうちに馬車を乗り換える羽目になりそうだ。

 しかし、今日こそはきちんと理解させなければ。そう心に誓い、男は小さく息を吐いた。

「――小さな光。お前と『民』とでは、生きる世界が違う」

 唐突な言葉に目を瞬かせる少女。この二日間続いた押し問答から一転した話題に驚いたのだろう、難しい顔をしてしばし考え込んでいたが、やがて難解な数式を解き終えたかのように瞳を輝かせて、自信満々に口を開く。

「おんなじだもん! らう、るふぃーり、このせかい、いきてる、もんっ」

 どうだ、と言わんばかりの回答に、とうとう男は頭を抱えてしまった。

「それは――」

「おなじ、せかい。みんな、なかま。ちがう?」

「――!!」

 思わず顔を上げて、息を呑む。

 きらきらと輝く瞳。夢と希望に満ち溢れた笑顔は、かつての自分そのもの――。


 ――こうして同じ世界に生きる者が、触れ合えないはずもない――


 それが全ての過ちだったと知る由もない、あの頃の――!


「違う――」

 片手で顔を覆い、搾り出すような声で呟く男に、少女はきょとんと首を傾げた。

 この男は時折、苦しげな表情を見せる。二日前、突然目の前に現れた時もそうだった。太陽を直視してしまったような、あるいは深い沼に沈みかけているような、苦痛と悲哀に満ちた顔。

「ねしうす、くるしい?」

 そう尋ねると、男は決まって首を横に振り、何でもないと言うのだ。その時にはもう、いつもの顔――無関心という名の無表情――に戻っているけれど、その心はずっと、深く暗い水底に淀んでいることを、少女は知っていた。いや、感じ取っていた、という方が正しいだろう。

「……話を戻そう」

 何かを振り払うように軽く頭を振って、男は逸れてしまった話題を強引に引き戻した。

「お前と、あの者達は――」

「なかま、だもん!」

 諭される前に、きっぱりと言い切る。

「みんな、なかま。らう、るふぃーり、ろーら、みんなみんな! ねしうすも、なかま。ちがう?」

「仲間、か――」

 自嘲めいた笑みを浮かべ、静かに目を伏せる男。そして、詩の一節を諳んじるように言葉を紡ぐ。

「お前は『光』。世界を照らし、命を育むもの。『民』を慈しみ、惜しみなく愛を注ぐ。そう、『民』を愛するのはお前達一族の特性のようなものだから、それを今更どうこういうつもりはない」

 だが、と吐き捨てるように呟き、男は冷ややかな口調で続けた。

「理を違えてはならない。それが定めだ」

「ことわり? なに?」

「魚と木が愛を語るか? 蛙と鳥が愛し合うか? 同じファーンの空と大地と海。同じ世界に生きていても、交われぬものはある。交わってはならぬものがある」

 そこまで一息に喋ったところで、少女が固まっていることに気づいた男は、こほんと咳払いをして言い換えた。

「つまり――同じ世界でも共に生きられないものはいる、と言いたかったのだ」

「なんで?」

「遠からず不幸を呼び、悲劇を生むからだ」

 感情のこもらない声で言い切り、深く息を吐く男。そんな男に向かって、少女は不思議そうに尋ねた。

「なんで?」

「だから――」

「なんで、ねしうす、なく?」

 虚をつかれたように押し黙り、そして怒ったように首を振る男。

「泣いてなど、いない!」

「ねしうす、ないてる。ずっとずっと、ないてるよ? くるしい、かなしいの、るふぃーり、じゃない。ねしうす、だよ」

「な――んだ、と――」

 濃紺の瞳を見開いて、そして男は喉の奥から搾り出すように、哂った。そう、初めて笑い声を上げたのだ。

「は……はは、そうか。そうだったな。小さな光。お前は――お前達は、心を読む。そんなことすら忘れてしまうとは――!」

 狭い車内にこだまする乾いた笑声。こちらを見ようとせず、自身の愚かさを嘲るように低く笑い続ける男に、少女はこの時初めて怒りを覚えた。

「ちがう!」

 だんっ、と椅子を蹴り、両の足で床を踏みしめる。小さな拳を握り締め、そして少女はきっぱりと言い放った。

「よんでない! るふぃーり、らう、と、やくそく、した! こころ、よまない! ことばで、つたえる!」

 それは、大切な約束。

 守らなければ、共には生きられないと、そう告げられたから。

 だから、二人から引き離され、こんな馬車に押し込められても実力行使には出なかった。

 力ではなく、言葉で――この心を、思いを、伝えるために。

「また『約束』か! そんなも――」

「よまなくても、わかる。つたわる。ねしうすの、こころ。つらくて、かなしい。どうして?」

 まっすぐな言葉。まっすぐな瞳。

 真正面から突きつけられた言葉にたじろぎ、瞳が揺らめく。

「私が――私は……泣いている、のか――?」

 呆然と呟く男に、少女はそっと手を伸ばした。ぐいと背伸びをして、緩くうねる髪を掻き回すように、少々乱暴な手つきで頭を撫でる。

「なみだ、がまんする、だめだって。そういうとき、こうする、いいって」

 そう、いつだって、泣いている時は頭を撫でてくれた。髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまうけど、全然気にならなかった。いつしか涙は引っ込んで、暖かい気持ちが胸いっぱいに溢れる。嬉しくて、つい顔が緩んでしまうと、もう笑ってやがる、と呆れられたけれど。

(らう……)

 急に寂しさがこみ上げてきて、途端に手が止まる。それを見計らったかのように、男はゆっくりと顔を上げた。小さく驚く少女の手を掴み、掠れた声で呟く。

「……もういい。大丈夫だ」

 素気無い態度とは裏腹に、見つめてくる瞳は穏やかに凪いでいた。やはり頭なでなでは効果覿面だ、と満足げに頷いて、手を引っ込める。

「小さな光、お前は――」

「るふぃーり! ちいさなひかり、なまえ、ちがう!」

 頬っぺたを膨らませて抗議すると、男は小さく肩をすくめ、そして律儀に言い直した。

「――ルフィーリ。私は、お前を困らせたいわけではない。私は――お前を泣かせたくないだけなのだ。それだけは、分かってくれ」

「……うん。でも――」

 言いかけて、視界の端に飛び込んできた景色にばっと目を奪われる。

「わあっ、まち!」

 歓声を上げて窓にへばりつけば、草原の彼方に白く浮かぶ街並み。土煙の向こうに揺れる景色は、まるで蜃気楼のように儚げだ。

 馬車に揺られて二日、久々に見る草原以外の光景に見惚れていると、男が淡々と語り出した。

「あれはティーザの町だ。三本の街道が交わる宿場町。ここから琥珀街道を南に進むが、今日はこの町に泊まる」

「やどや、とまる?」

「勿論だ」

 その言葉に、心の底から歓声を上げる。長く馬車に揺られていたから、揺れない大地と体を伸ばせる寝台が恋しかった。

「ふかふか、ふとん♪ おいしい、ごはんっ」

 即興の歌など歌い出してから、はっと我に返る。

「るふぃーり、らうのとこ、かえる」

 喜んでいる場合ではなかった。こうしている間にも、二人との距離はどんどん広がっている。どういうわけか、呼びかけても全く返事がないけれど、きっと探してくれている。心配してくれている。

「らう、ろーら、まってる。だから、かえるの」

 しかし、男は静かに首を横に振った。

「戻ってどうする? あの怪盗と王女の逃避行を手助けするとでも?」

 ちがう、と言いかけて、続く台詞に心を奪われる。

「ちなみに、ティーザの名物はチーズの焼き菓子だ」

「おいしい!?」

 思わずぐっと身を乗り出せば、男は一瞬息を呑んで、それから大仰に頷いてみせた。

「勿論だ」

「たべる~!! はやく、いこっ!」

 かくして、食欲という名の落とし穴にあっさり嵌まった少女は、陽気な鼻歌など歌いながら、馬車がティーザの町に着くのを今か今かと待ち侘びることとなった。


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