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第三章[11]


 扉のきしむ音に、はっと顔を起こす。その拍子に膝の上から滑り落ちていった本が、静まり返った部屋に騒音を撒き散らした。

「なんだ、寝てたのか、カイト」

 買出しから戻ってきた相棒の声にすいません、と呟いて、カイトは床に転がった分厚い図鑑を拾い上げる。そして気遣わしげに、すぐ隣の寝台を窺った。

 あれほどの音を立てたというのに、寝台の主は起きる気配すらない。いや、起きているのかもしれないが、頭から毛布を被った状態ではどうにも判別がつかなかった。

 視線だけでどうだ、と尋ねて来るエスタスに、カイトは小さく肩をすくめる。

「半刻くらい前までは起きてたんですけど、やっぱりあの調子で。今は眠ってると思います」

「昼飯は?」

 黙って首を横に振るカイト。そうか、と呟いて、エスタスは手にしていた籠を机の上に乗せた。ふわりと漂う甘い香りに、カイトがおや、と鼻をひくつかせる。

「苺ですか?」

「こういうのなら食べるかなと思ってさ」

 食欲のない時は果物に限るよ、と露店のおばさんに太鼓判を押されて、つい買ってみたものの、果たしてお気に召すかどうか。

「これで何日目だ?」

 何が、とは言わずに問いかけるエスタスに、カイトもまた素っ気なく答えた。

「三日目です」

 食事もろくにとらず、仲間の呼びかけにも応じずに、彼女はまるで糸の切れた木偶人形のように虚空を見つめ続けている。

「三日、か……」

 苦々しい呟きが響き渡り、しばし静寂がその場を支配した。開け放たれた窓の外は光に溢れているというのに、まるでこの部屋だけ分厚い氷に閉ざされてしまったかのようだ。空気すらも凍りつき、息の詰まるような沈黙だけが部屋に満ちている。

 そんな重苦しい静寂を打ち破ったのはエスタスだった。

「それもこれも、あの妙な野郎が……!」

 憤りのままに拳を振り下ろす。殴りつけられた机が耳障りな悲鳴を上げても、寝台からは何の反応も返ってこなかった。その代わりにカイトが冷ややかな視線と共に

「壊さないで下さいよ、宿の備品なんですから」

 と、珍しくもっともらしい意見を述べたが、エスタスはふん、と鼻を鳴らしてその意見を聞き流し、手近な椅子に腰を下ろした。

「……これから、どうする?」

「どうするもこうするも、これじゃ動けませんし。今は出来る限りの情報を集めて、いつでも動けるように準備しておくしかないでしょう」

「ったく……ただでさえ出遅れてるのに、ここへ来て……」

 それ以上は口にするのが躊躇われて、ぐっと言葉を飲み込む。そして二人の視線は自然と、寝台の上に向けられた。

 折からの風に、毛布の端から覗いたこげ茶色の髪が揺れる。

 そう。あの日も、こんな柔らかな風が吹いていた。



 穏やかな風が草原を駆け抜けていく。ざわざわと揺れる大地は、まるで大海原を見るようだ。

「いい天気だなあ」

 青空を仰ぎ見て、エスタスは一人呟いた。緩やかな上り坂もそろそろ終わり、次の目的地はもうすぐそこだ。

「この調子で行けば、昼までには着けるか。あそこで情報を集めて、早くラウルさん達に追いつかないとなあ」

 何しろ首都を出た時点で既に五日も後れを取っている。まして彼らの行き先や目的が分からないから、先回りのしようもない。

「しかし、本当にこの道で大丈夫なのか? このまま行ったら大氷原にぶち当たっちまう……あれ」

 ふと後ろを振り返って、すぐ後ろを歩いていたはずの二人が見えないことに気づいたエスタスは、やれやれと溜め息をついた。

「またか」

 仕方なく立ち止まり、吹きつける風に乱れた髪を撫でつけていると、ようやく坂道を登ってくる小麦色の頭が見えてきた。えっちらおっちら、という表現がぴったりの進み具合に、呆れたと言わんばかりに口を開く。

「遅いぞ、カイト。早く来いよ」

「ち、ちょっと待ってくださいよ、エスタス」

 息も絶え絶えにやってきたカイトの背中には、ぱんぱんに膨れた背負い袋。それを押してやりながら登ってきたらしいアイシャも、顔には出さないものの、その足取りに疲れが見て取れる。

「だから言ったろ、余計な買い物はするなって」

 再三の忠告を無視してあちこちで本を買い漁っていたカイトは、呆れ顔の相棒にえへへ、と笑ってみせた。

「すいません、つい……」

「ったく……。ほら行くぞ。昼はあの町で食べて、情報収集を終えたらすぐに出発だ」

 彼方に見える小さな町並みは、この辺りではちょっと名の知れた宿場町だ。あそこには確か冒険者ギルドがあったはずだから、うまくすれば何か情報が掴めるかも知れない。

 ほら行くぞ、と歩き始めるエスタスに、カイトは慌てて声を上げた。

「わわ、待ってくださいよ。ちょっとだけでいいから休憩しましょう。ねっ」

「あとちょっと歩けば着くだろうが!」

「そんなぁ~」

 無情に歩き出そうとしたエスタスだったが、すっかり息の上がったカイトと、そしてその後ろで無言のまま汗を拭っているアイシャを見て、仕方なく背負い袋を肩から外す。

「少しだけだぞ」

「はいっ」

 心底嬉しそうに荷物を下ろし、その場に足を投げ出すカイト。そして同じように荷物を下ろしたアイシャは、おもむろに懐から何かを取り出した。

「笛ですか?」

 必死に汗を拭きながら問いかけるカイトに頷いて、褐色の肌の少女は吹き口にそっと唇を当てる。

 静かに流れ出す調べ。低音から始まり、歌い上げるように一気に高音へ。魂を揺さぶる旋律は風に乗り、大空の彼方へと響き渡っていく。

 友を呼ぶ笛。その力強く、それでいてどこか物悲しい音色を聞くのは、これで何度目だろう。卵が孵った日から幾度となく奏でられた旋律。しかし、友は未だ現れない。

 そして今日もまた、最後の高音を響かせて曲は終わりを告げた。静かな余韻が風の唸りに融け、そして消える。

 かける言葉が見つからず、ただ拍手を贈る二人に小さく頭を下げて、アイシャは笛を唇から離した。

 何も言わずに荷物を担ぎ出すアイシャに、エスタスも大きく背伸びをして立ち上がる。

「……よし、行くか」

「えー、もうちょっと休んでいきましょうよ」

 抗議の声を右から左に聞き流しつつ、背負い袋を肩に掛けようとして、エスタスはぴたり、と動きを止めた。

「町はすぐそこなんでしょう、そんなに急ぐこ――」

「下がれ!」

 カイトの言葉を遮り、鋭く叫ぶ。そうしてその場を飛びのいた三人の目の前で、まるで小石を投げ込まれた水面のように、ぐにゃりと歪み、揺れる風景。

(陽炎――? いや、違う!)

 揺らいでいるのは大気ではなく、空間そのもの。そしてその揺らぎの中心からすぃ、と浮かび上がったのは、青い影――。

「これはっ……!?」

 アイシャに引っぱられるようにして後ずさったカイトが驚きの声を上げる。

 それは、一人の男だった。長身を紺色の外套に包み、目深に被ったつば広の帽子が風に揺れている。魔術士にしては少々体格が良すぎるし、旅人というには世間擦れした様子もない。その姿を見た瞬間、エスタスの脳裏に閃いたのは「隠者」という言葉だった。

「誰だ?!」

 エスタスの問いかけに答えようともせず、男は品定めでもするように三人を見回していたが、その視線がふと一点で止まる。

「!」

 氷のような瞳に見据えられて、小さく肩を震わせるアイシャ。しかし、彼の視線はアイシャ自身ではなく、その手に握り締められた古びた笛に注がれていた。

「ちょっとあなた、一体……」

『まだそのようなものが残っていたとはな』

 奇妙な響きを帯びた声。内容は理解できるのに、何故か言葉そのものには聞き覚えがない。そんな不思議な感覚が三人を襲う。

(なんだ、この感じ……。確か、前にも――)

 戸惑いを隠せないエスタスをよそに、男はアイシャを睨みつけて続けた。

『そのようなもので<大いなるもの>を繋ぎ止めようとは、愚かな娘よ』

「なんだっ……!」

 思わず掴みかかろうとして、エスタスは自分の体がぴくりとも動かないことに驚いた。辛うじて目と口は動くが、まるで突如金縛りにでもあったかのように体が硬直してしまっている。

「こ、これは……!?」

 後ろから上がったカイトの声に、どうやら後の二人も同じ状況に立たされていることを悟って、エスタスは目の前の男を睨みつけた。

「何が目的だ! 一体、オレ達に――」

 エスタスの怒声を完全に無視して、男はつかつかとアイシャに歩み寄っていく。

『かの一族はとうの昔に滅びたと聞いたが……。まだ生き残りがいたか』

 独り言のように呟きながら、怯えた瞳で立ち尽くす少女の前に立つ。そして男はすい、と手を伸ばし、硬直したアイシャの手からするりと笛を奪い取った。

「返して。それは、父の形見。私の、大事な――」

 珍しく慌てた声を出すアイシャに構わず、男は取り上げた笛をまじまじと見つめ、おもむろに両の手で握り締める。

「おい、何を……!」

 思わず声を上げた次の瞬間、パキ、と乾いた音が鳴り響いた。

「―――!!」

 目を見開き、息を飲むアイシャの前で、男はまるでゴミを捨てるかのように、それを地面へと叩きつける。そればかりか手についた破片をわざとらしく払い、あまりのことに声も出ない三人に冷ややかな一瞥をくれてから、男はくるりと踵を返した。

『人は人らしく、地面に這いつくばって生きるがいい。人と竜とは違う世界に生きるもの。決して交わってはならぬ。それが掟だ』

 そんな言葉を残して、再び虚空に消えていく男。その後姿を食い入るように見つめていたエスタスは、ふと体を拘束していた力が解けたことに気づいた。

 途端に均衡を崩して転びそうになり、慌てて体勢を立て直す。次の瞬間、背後から聞こえてきた鈍い音に振り返ったエスタスは、途端に言葉を失った。

「………」

 そこには、地面に膝をつき、半ばから真っ二つになった笛の残骸を見つめているアイシャの姿があった。

「アイ、シャ――」

 一歩踏み出しかけたエスタスを、カイトがそっと引き止める。

「……今は、そっとしてあげましょう」

 囁くような声に頷き、改めて少女へと視線を注ぐ。

 唇を噛み締め、アイシャは震える手で折れた笛を拾い上げていた。修復は恐らく無理だろう、それでも黙々と破片を拾い集める少女の姿が痛々しい。

 たかが笛一本、と慰める気にはなれなかった。

 砕かれたのは、少女の遠い祖先が長い年月をかけて築き上げた、友愛という名の絆。

 それを、あの男はいとも容易く打ち砕いてみせたのだ。小枝を折るように、薄氷を割るように。――まるで、端から仮初めのものだったとでも言わんばかりに。

 集めた破片を胸に押し抱き、俯くアイシャ。その鮮やかな茶色の瞳から不意に溢れ出た透明な雫に、エスタスとカイトは揃って息を飲んだ。

「お、おい……」

「あの……」

 うろたえる二人の前で、少女は唇を震わせ、そして――


「ぅあぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」


 初めて聞くアイシャの泣き声。その悲痛な響きに、二人は成すすべもなく立ち尽くす。

 丘に響き渡る少女の嗚咽。

 褐色の頬を滑り落ちる涙は、止むことなく流れ続けた。



 丘の上で泣き崩れた彼女に気の利いた言葉すらかけられず、ただひたすら見守るしか出来なかった二人は、やがて泣きつかれて眠ってしまったアイシャを背負って丘を下り、近くの町に宿を取った。

 翌朝、目を覚ましたアイシャは、しかし寝台から出てくることはなかった。頭まですっぽりと毛布に包まり、二人の呼びかけにも何ひとつ言葉を返すことなく、ただひたすら虚空を見つめている姿に、彼らはもうどうしていいか分からず、やはり見守ることしか出来なかったのだ。

「やっぱり、もう一度医者に来てもらった方がいいんじゃないか?」

「無理ですよ。お医者さんも仰ってたでしょう? 体の傷なら薬で治るけど、心の傷を癒す特効薬はないんだって」

「そうは言ったって、このままじゃ体の方が参っちまうぞ。……ったく、こういう時にこそ、あの人の出番なのに」

 そう、癒すとまでは行かなくとも、心を落ち着かせる術を持つ人間を二人は知っている。目下逃亡中の王女誘拐犯こと怪盗《月夜の貴公子》、ラウル=エバストだ。

 そのラウルを追って、彼らはここまで旅をしてきた。無実の罪を着せられて逃亡中の彼は、今頃どこを旅しているのだろう。

「それにしても、なんでまた王女様と一緒に逃げるかね、あの人は」

「いやあ、ローラ姫はとても綺麗な方だと伺ってますからね、うっかり口説きでもして、後に引けなくなったんじゃないですか」

「はは、ありえるなあ、それ」

 本人が目の前にいないのをいい事に言いたい放題言って、ふうと溜め息をつく二人。結局のところ、彼らもラウルが何の目的で、王女と逃亡生活を送っているか分からないでいた。

「巷じゃ『駆け落ち説』が有力らしいですけど、そんな訳ありませんしねえ」

「まあ、何か面倒事に巻き込まれたのは間違いないだろうな。あの女将さんもそんなこと言ってたし」

 機転を利かせて彼らをかくまってくれた宿屋の女将。彼女の手引きで無事首都を出た三人は、あちこちで情報収集をしながらなんとかここまで追いかけてくることが出来た。

 皮肉にも、彼らは「怪盗《月夜の貴公子》を追う賞金稼ぎ」として、捜索隊や他の賞金稼ぎと情報を交換し合っている。もっとも、つい最近まで怪盗は王女との二人連れだと思われており、捜索はかなり難航していたから、大した情報を得ることは出来なかった。

 そんな中、彼らがラウル達の足取りをほぼ正確に辿ることが出来たのは、「もう一人の同行者」の存在を知っていたからに他ならない。

「……そう言えば、街の様子はどうでした? 何か分かったことはありましたか?」

 ふと問われて、エスタスは思い出したように口を開いた。

「そうだった。今日のことらしいんだが、捜索隊の連中のところに、三人と宿が一緒だったっていう旅人が垂れ込みに来たんだと」

 旅人の話によれば、壁越しに聞こえてきた会話から、彼らが大氷原にある洞窟を目指していることが分かったのだという。それを聞いたカイトは不思議そうに首を傾げた。

「大氷原に洞窟、ですか?そんな話、聞いたことありませんけどねえ」

「ああ、オレもそう思って冒険者の店で聞いてみたんだが、あの辺りは凶暴な妖獣が出るって言うんで、冒険者もあんまり足を踏み入れないらしい。だから詳細は分からないんだとよ」

「なるほど。まあ、洞窟のあるなしはともかく、目的地が分かったとなれば、あとはいかにして捜索隊より先に三人と合流するか、ですが――」

 溜め息混じりに寝台を見やって、カイトは目を見張った。

「アイシャ!」

 鮮やかな茶色の瞳が、真っ直ぐに二人を見詰めている。いつの間に起きたのか、少女は毛布を跳ね除けて寝台の上にちょこんと座り込んでいた。


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