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第三章[6]

 その墓は、墓地の片隅にぽつん、と佇んでいた。

 伸び放題の雑草を引き抜き、近くで摘んできた野花を添える。そうして王女は、墓標に刻まれた文字を見つめて感慨深く呟いた。

「ひさしぶりだな、オーグ」

 その名を紡ぐのは、およそ五年ぶりであろうか。母の側近であり、王女の良き教師でもあった老魔術士は、母が身罷る二年ほど前に病に倒れ、最期の時は故郷の村で迎えたい、と城を辞した。その数ヵ月後に彼が亡くなったという知らせを受けて、悲嘆に暮れる母と一緒に一晩泣き明かしたことを、つい先日のことのように覚えている。

 節くれだった手、深い皺の刻まれた顔。薬草の匂いが染み付いた長衣をまとった魔法使い。かつては宮廷魔術士の長であったという彼は、城の皆から「長老」と慕われていた。

 そんなオーグの墓は、生前の地位からは考えられないほどに質素なものだった。ろくに手入れもされていないのだろう、墓標はすっかり苔むして、名前の下に刻まれた墓銘などは半分以上隠れてしまっている。その辛うじて見えている部分に顔を近付けて、王女はおや、と眉をひそめた。

(これは、魔術語……?)

 魔術士のみが使用する複雑な言葉、それが魔術語ルーンだ。王女には魔術の素質こそなかったが、独特の抑揚と単語の響きが大好きで、無理を言って教わったことがある。その遥かな記憶を頼りに、王女は記された文字の意味を読み取ろうと試みた。そう、最初の単語は、確か――。

「月、は……鏡、なり?」

 先が気になって、手が汚れるのも構わずに苔を剥ぐ。そうして現れた全文は、辞世の句にしては少々変わった文章だった。

『月は鏡なり 故に心せよ 月に映るは汝が真実』

 随分と昔に教わった言葉にもかかわらず、それはするりと唇から滑り出る。そんな自分に吃驚しつつ、不思議そうに墓標を見つめる王女。

(月は鏡なり……? どういう意味だろう)

 考え込む王女の背後で、影が動いた。

 はっと振り返れば、さきほどから姿を消していた二人がそこにいた。土いじりでもしていたのだろうか、彼らの手はすっかり泥塗れになっている。

 何をしていたんだ、と問いかけようとして、王女は不思議そうにこちらを見つめているラウルに気付いた。

「どうした? 用心棒」

「いや……。今の、何の歌だ?」

 魔術語を解さない彼には、彼女の呟きはさながら異国の民謡か何かに聞こえたのだろう。王女は違う、と答え、ラウルの間違いを訂正するべく言葉を続けた。

「今のは魔術語だ。『月は鏡なり。故に心せよ。月に映るは汝が真実』……オーグが遺した言葉だ」

 ほら、と墓標を示す王女に、ラウルはへぇ、と呟きながら身を屈める。

「まるで謎かけだな。月は鏡、か」

 確かに、冴え渡る夜に浮かぶ満月などはよく鏡に例えられる。月はそれ自身が光を発している訳ではなく、太陽の光を反射しているのだというから、その性質だけを見れば、なるほど鏡とも言えるだろう。かといって、姿見に使うには遠すぎるし、夜にしか使えないのでは不便で仕方ない。とんだ鏡もあったものだ……などと下らないことを考えつつも、ぼそぼそと祈りの文句を紡いでいたラウルは、ふとあることを思い出して詠唱を切り上げた。今まで聞く機会を逸していたが、このオーグという魔術士の話を聞いた時から、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。

「なあ、この爺さんは第二王妃の側近だったと言っていたよな」

 唐突な問いかけに驚きつつ、こくんと頷く王女。

「ああ、そうだ」

「なんで王妃の側近が魔術士なんだ?」

 これが王の側近というなら話は別だが、第二王妃の側に魔術士を置く、というのも些か妙な話だ。不思議そうに尋ねてきたラウルに、王女は苦笑いを浮かべて呟いた。

「そうか、用心棒はあまり王家の事情に詳しくないんだったな」

「どういうことだ?」

「何も不思議なことはない。母も魔術士だったんだ」



* * * * *



 ローラの生母にしてヴァシリー三世の第二王妃たるソフィア・ジェイメインは、ずば抜けた才能を持つ魔術士だった。現在は廃止されてしまった役職である『宮廷魔術士』の中でも一、二を争う実力の持ち主だったという。

 そしてオーグこそ、北の小村で細々とした暮らしを営んでいたソフィアの才能を見出して宮廷魔術士に推挙した人物であり、後ろ盾のない彼女の後見役だった。

「へえ……じゃあ、お前の母親は、王宮で働いてるところを国王に見初められたっていうわけか」

 相槌を打ちながら杯を傾けるラウルに、王女は苦笑いを浮かべながら頷いた。

「それはもう、熱烈に求婚したらしい。今でも宮廷内での語り草になっているくらいだからな。母は身分が違うからと何度も断ったそうだが、あまりのしつこさに根負けしたと笑っていた」

「おいおい……ったく、あの押しの強さはその頃からか」

 何しろ、ヴァシリー三世といえば、いきなりラウルを城に呼びつけては、急な話にも関わらず盛大な宴を催し、あまつさえ冗談半分に王女との縁談を持ちかけるような人間だ。

 その押しの強さを確実に受け継いだのだろう王女は、そうみたいだなあ、と笑いながらパンをちぎる。村に一軒しかない食堂の献立は、豆と野菜の煮込みにパンが二つという質素なものだが、朝から歩き通しだった三人には何よりも勝るご馳走だった。

「ろーら! ぱんっ!」

 王女の隣で待ち構えていたルフィーリは、ほら、と差し出されたパンの欠片を次々と口へ運んでいく。次第に栗鼠のように膨らんでいく頬を見て、ラウルは溜め息交じりに忠告した。

「お前なあ、そんな食い方して、いつか喉詰まらせるぞ」

「だいじょぶ、だもんっ」

 あっという間に飲み下し、更に期待のこもった瞳で見上げてくる「妹」に、王女は快く残りのパンを渡してやった。歓声を上げてパンに齧りつく少女に呆れ果て、ラウルは王女をじろりと睨みつける。

「あんまり甘やかすなよ」

 すぐつけ上がるんだから、とぼやいた次の瞬間、

「まるで父親の台詞だな」

 と真顔で指摘されて、ぐっと言葉を詰まらせるラウル。そんな彼を尻目に、王女は閑散とした店内をぐるり、と見回した。

 時間が遅いせいか、客はラウル達しかいない。そのお陰で、暇を持て余していたらしい店主から散々質問攻めにあったりもしたが、その後店主はやってきた村人と込み入った話を始め、しまいには「ごゆっくり」と声をかけて、村人と共に奥へ引っ込んでしまった。

 なんて呑気な、と呆れたラウル達だったが、周囲を気にすることなく話が出来るのだから、むしろ都合がいいというものだ。

 時折笑い声が響いてくる奥の扉に目をやりながら、王女は再び語り出した。

「どこまで話したか……ああ、父上が求婚をしたところまでだな。半ば押し切られるような形で結婚したわけだが、二人はとても仲睦まじい夫婦だった。見ているこちらが恥ずかしくなるくらいにな」

 一方、第一王妃エディセラは隣国の王家にも繋がる公爵家の令嬢で、故にその婚姻は政治的な意味合いが強かった。それでも二人の仲は比較的良好だったと伝えられる。二人の間にはほどなく王子ロジオンも生まれ、王宮は喜びに包まれた。しかし、生まれつき病弱だった王子は幾度も大病を繰り返し、二十歳まで生きられないとまで言われていた。それでも、王も王妃もロジオンを慈しみ、惜しみない愛情を注いだという。

 ――ところが。

 ロジオンが生まれてすぐ、宮廷魔術士であるソフィアに一目惚れをした王は、彼女を第二王妃に迎えたのだ。

「……しかも、第二王妃が産んだのは極めて健康な王女だったってわけか。なるほど、熾烈な後継者争いが起こってもおかしくない状況だな」

 そんなラウルの言葉に、王女はきょとん、と首を傾げた。

「後継者争い? 何のことだ?」

「なんのことだ?」

 王女の口真似をしてみせる少女の頬を引っ張りながら、シルビアから聞いた話を思い返す。

「なんでも、王子と王女のどちらが王位を継ぐのか、王宮を二分する争いが巻き起こってるとか……しかも、王子と王女は大層仲が悪くて、それがどうのってな」

 その言葉を聞いた途端、王女は驚いたように目を丸くし、そして顔をしかめてみせた。

「どうしてそうなる? 第一、私と兄上の仲が険悪だなんて、一体誰が言い出したんだ」

「それじゃあ、仲がいいのか?」

 そう問えば、王女はこれまた難しい顔をしてうーんと首を傾げる。

「いいも悪いも、ここ二年ほど、まともに顔を合わせていないからなあ。昔はよく、中庭で一緒に遊んだものだが」

 かつては、ロジオンの具合がいい時を見計らって、こっそり部屋に忍び込んだこともあった。ロジオンはとても頭が良く、色々な本を読んでくれたり、駒を使った遊びを教えてくれたりした。

(そういえば……最後に会ったのはいつのことだ……?)

 必死に記憶の糸を辿るが、どうにも明確に思い出せない。確か、第一王妃が急な病で倒れた辺りから次第に疎遠となり、いつしかほとんど顔を合わせないようになった、はずだ。

(どうして今まで、そのことを気にも留めなかったんだろう……。ひどい妹だな、私は)

 ふと黙り込んでしまった王女に、ラウルは気にするな、と肩をすくめてみせた。

「噂なんてのは、殆どがろくでもない与太話ばっかりだからな」

「よたばなし、なに?」

「でたらめな話ってことだ」

 ふぅん、と呟く少女を見つめて、王女もそうだなと頷いた。そして彼女の口についたパン屑を丁寧に拭ってやると、懸念を振り払うように勢いよく立ち上がる。

「そろそろ出立しよう」

 目指す石橋まではあと半日ほど歩かなければならない。今日中に橋を渡るのは無理だろうが、せめて橋の近くにある宿場町に辿り着かないと、寒空の下で野宿をする羽目になってしまう。

「お、ちょうどいい。親父さん、勘定を頼む」

 どうやら話が一段落したらしく、奥からひょっこりと顔を出した店主に代金を支払い、ついでに水と干し肉を分けてもらう。そうして外套を羽織り、荷物を担ぎ直すラウル達に、店主は心底すまなさそうに頭を下げてきた。

「大したもんも出せねえで、しかもお客さんほっぽらかして、ほんと申し訳ないこって」

「とんでもない。とても美味しかったぞ」

「ごちそうさま!」

 少女達の言葉に気を良くしたのだろう。おやつにでも、と干した果実を持たせてくれた店主に別れを告げ、三人は店を後にした。

「しゅっぱーつ!」

「おいこらチビ、走るなっ!」

 賑やかに歩き出す彼らを見送って、てきぱきと皿を片付け始める店主。それを手伝おうと店の奥から出てきた村人は、まだ辛うじて道の向こうに見える三人の後姿を眺めておや、と呟いた。

「今のお客さん達、さっきオーグ爺さんの墓参りをしてた人達か」

 え? と目を瞬かせる店主。

「そうなのかい? そいつは知らなかった」

「ああ。若い男と利発そうな女の子と、あと金髪のちっちゃい子だろ? 昼前に墓地で雑草ひっこ抜いてるのをちらりと見かけてよ」

 爺さんのだけでなく周りの墓まで掃除してくれたみたいだけど、なんだったのかなあ、としきりに首を捻る男に、店主はさあねえ、と答えた。

「まあ、荒らされたってならともかく、きれいにしてってくれたんなら文句はないさ」

 そう言って、食器の載った盆を持ち上げる店主。それに倣おうとした男は、ふと思い出したように口を開いた。

「荒らされたっていえば……一年位前だったっけねえ? ほら、オーグ爺さんの小屋が荒らされたことがあったろ」

 一瞬訝しげな表情を浮かべた店主だったが、すぐにそのことを思い出して渋面を作る。

「そういや、そんなこともあったなあ。結局、誰の仕業か分からねえままだったっけ」

 オーグが亡くなった後もそのままにしてあった小屋に泥棒が入ったのは、確かに一年ほど前のことだった。村外れにあって普段は誰も近寄らない小屋だけに、荒らされたことに気付いたのは大分後になってからの話だ。

「だいぶ引っ掻き回していったみたいだったども、結局何も盗まれちゃいなかったんだろ?」

「いやあ、何しろどこに何があったかなんて、誰も覚えちゃいなかったからねえ」

 恐らくは、元宮廷魔術士だという噂を聞きつけてのことだろうが、見当違いもいいところだ。城を辞して故郷の村に戻ってきた老魔術士は財産を全て処分し、村のために使ってくれとその全額を差し出した。そして自らは生まれ育った小屋で質素な暮らしを続け、そのまま息を引き取ったのだ。彼の小屋に残されたのは僅かな書物と、愛用していた煙管くらいのものだった。

「しかし、オーグ爺さんもなんでまた、わざわざこの村に戻ってきたんだか」

 生まれ故郷とはいえ、彼がこのザランで過ごした年月など、彼の長い人生から見れば取るに足らないものだったろう。王宮勤めをしていた彼は都に立派な邸宅も構え、職を辞しても暮らしていけるだけの財産を蓄えていた。

 そのまま都に留まっていれば、もっと長く生きられただろうに、と呟く店主の肩を叩いて、男はわざと明るい声を出す。

「爺さんにも何か、思うところがあったんだろう。さあ、過ぎたことを言っても始まらない。さっさと片付けて打ち合わせを続けようじゃないか」

 そもそも彼が尋ねてきたのは、一月後に行われる結婚式の段取りを確認するためだ。新郎の父である店主は、途端に表情を引き締めて大きく頷いてみせる。

「そうだな。もう日がないことだし、はやいとこ決めちまわないと」

「ああ。もたもたしてたら、あっという間に式当日になっちまう」

 そう言いながら、盆を手にした二人はいそいそと奥の扉に消えていった。


 そうして、式の後で振舞われるご馳走の算段に熱中する余り、不思議な旅人のことをすっかり頭から追いやってしまった二人は、やがて伝わってきた噂話にもさほど関心を抱かなかった。

 曰く、『怪盗《月夜の貴公子》は王女ともう一人、金髪の少女を伴っているらしい』と――。


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