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第一章[3]


「フェル……なんだって?」

 聞きなれない長い名前に、ラウルが首を傾げる。レオーナも眉をひそめて、カイトが告げたその名前を口の中で反芻していたが、すぐに首を横に振った。

「聞いたことないわ」

 レオーナがいうのだから、間違いはない。カイトもそうですよねえ、と首を傾げてみせる。

「そんな貴族みたいな名前を持った人が、この村にいるとは思えないよなあ」

 エスタスの言葉に、ラウルも同感だ、とばかりに頷いてみせた。この辺りでは、きちんとした名字を持つものすら少ない。家名などここでの生活では必要ないし、あったところで名乗る機会もないだろう。なにしろこの辺りには住人が少ないからして、何なに村の誰だれ、で充分通じてしまう。

「差出人が住所を間違えたんじゃないのか?」

「僕もそう思ったんですけど……」

 カイトは書簡の宛先を指差す。そこには確かに、「ローラ国エスト村」と流暢な文字で書かれていた。この国に「エスト」という名の村は一つしかないし、似たような名前の村も存在しない。

「差出人は……あら、書いてない」

 カイトから書簡を受け取り、裏面を見てレオーナが呟く。通常なら、こういった手紙には表に宛先と宛名、裏に差出人の住所と名前が書かれているはずだが、この書簡の裏にはそういったものは何一つ書かれていなかった。

「普通、伝令ギルドで差出人を確認するはずなんだけど……」

 庶民に親しまれている伝令ギルド。空人達による配達組織である伝令ギルドの掲げる標語は、「信頼・迅速・誠意」の三つである。ただの手紙も時には犯罪手段に用いられることがあるため、ギルドでは配達物の請負に、常に慎重な姿勢で臨んでいる。

 そもそも、この伝令ギルドは各地に支部を持ち、複数の空人が中継して品物を輸送することにより、遠距離を迅速につなぐ空の便だ。かつては戦時中に情報を素早く伝達するべく編み出されたものだというが、現在では庶民が利用する配達手段としてファーン全土に普及している。

 この伝令ギルドが設立される前は、手紙や小包などは旅人に託されるのが常で、それが目的地に届かないことも多々あった。運良く届いてもかなりの時間がかかり、折角の知らせが無駄になることも多かったという。

 それがこの伝令ギルドの登場によって、情報伝達速度は格段に上がり、また良心的な価格設定のおかげで誰でも気軽に手紙や物を送ることが可能になった。

 しかし、伝令ギルドにも欠点はある。彼ら空人は寒さに弱く、この北大陸においては冬場の配達がほぼ不可能となる。もともと、冬になれば道も雪に閉ざされ人々の行き来が途絶える場所だ。連日続く猛吹雪の中を飛ぶことは命取りにもなりかねるため、春までは伝令ギルドは休止となり、配達物はそれぞれの支部に留め置かれる。かくして、ティーエが持ってきたのはこの冬、溜まりに溜まった郵便物だったわけだ。

「まあ、怪しいものじゃないとは思うけど、宛先不明じゃあねえ……」

 次の便で送り返しましょうか、と言いかけたレオーナは、扉の開く音にぱっと振り返った。

「いらっしゃい、ってあら、村長さん」

「いやぁ、皆さんお揃いで」

 カランッという涼やかな鐘の音と共に、相変わらずの笑顔でやってきた村長は、ラウル達を見てそんな言葉をかけてくる。そしてばらばらと挨拶を返す彼らに答えながら、机の上の手紙の山を見て、おや、と目を細めた。

「配達が再開したんですか。今年はちょっと遅かったですねえ」

「あ、村長さん宛のはこれです」

 山から選り分けた束を差し出すカイト。ありがとうございます、とそれを受け取った村長は、ふとレオーナが手にしている書簡に目をやる。

「それはどうしました?」

「ああ、これ? 誤配みたいなのよ」

 そう答えつつ、書簡を渡すレオーナ。そこに書かれた宛名を見て、ラウル達と同じく首を傾げるかと思いきや、村長は意外にも、ああ、と懐かしそうに声を上げた。

「久しぶりに見る名前ですね、これは」

「知ってんのか? 村長」

「そんな人、この村にいたんですか?」

「知らなかったわ」

 口々に言う彼らに、村長はにっこりと、極めて穏やかに、衝撃の事実を告げた。

「ゲルク様ですよ」



「え?」

 沈黙の後、最初に口を開いたのはラウルだった。

「ゲルク様?」

 続いて、カイトが信じられないという顔で村長を見上げる。

「どういうことよ?」

 レオーナの言葉に、村長はうーん、と顎に手をやりつつ、

「ご本人に聞くのが一番だと思いますけど、要するにゲルク=ズースンというのは通り名らしいんですよ。本名がこちらだと伺ってます」

「フェルディナンド・ウィル・アルデロイ=ラグラス……」

 呪文のように呟くカイト。その顔が奇妙に歪んでいる。

「……フェルディナンドってツラかよ」

 ラウルも吹き出す寸前だ。

「……まあ、名前は自分で選べるもんじゃないし」

「確かに」

 エスタスは苦笑を浮かべているし、アイシャといえばいつも通りの無表情。レオーナはさすがに笑い出しはしなかったが、書簡をまじまじと眺めている。

 フェルディナンド・ウィル・アルデロイ=ラグラス。

 まるで貴族のように鮮やかで洗練された名を持つのが、あの当村きっての頑固じじいとは、にわかに信じがたい。いやはや、これほどまでに本人にそぐわない名前もないだろう。

「しかし、その本名で送られてきた手紙ってことは……」

 ひょい、とレオーナの手から書簡を取り上げたラウルは、ふと書簡に入れられた透かしに気付いた。暗い室内では見えにくいそれを、窓から入り込む太陽の光に透かす。

 そこに現れたのは、見慣れた意匠。

「神殿、か……?」

 ラウルの呟きにアイシャが眉を動かす。

 彼が神殿というならば、それは即ちユーク神殿を指す。

「なんか……嫌な予感がするぞ……」

 書簡を握り締めるラウル。

 こういう時の予感は大抵当たる。しかし、それを知りつつ、あえてラウルは心の中で願った。

(……頼むから……外れててくれよ……!)


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