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第三章[3]


 報告書をぱさり、とめくって、ナジードはやれやれ、と肩をすくめた。

「恐喝に食い逃げ、掏りに万引き、ねえ。まったく、華々しい戦歴だな。で、しまいには宿屋で暴れて突き出されたと。被害にあった客の方はどうした?」

 大隊長とは思えないほどざっくばらんな物言いに、しかしこの町の警備隊を取り仕切っている中年男は恐縮しきった表情で、素っ頓狂な声を上げる。

「ハッ! 特に怪我もなく、数日前に出立しているそうでありますっ!」

 首都にほど近いとはいえ、主街道から外れたこの町に守備隊の大隊長が訪れることなど滅多にない。それ故に、気の毒なほどに緊張しきっている男の言葉に、ナジードはふん、と鼻を鳴らす。

「それは何よりだな。……ああ、終わったのか」

 ちょうど扉を開けてやってきた配下の兵士にそう尋ねると、まだ年若い兵士は強張った表情でこくり、と頷いた。

「それじゃ、とっとと次へ行くか」

 ナジードがこの町に立ち寄ったのは、何も町に蔓延る不逞の輩を検分するためではない。部下が町の警備隊と協力して捜索をしている間、暇つぶしに報告書を見せてもらっていただけだ。どんな治安のよい町でも、ゴロツキの一人や二人は存在する。たった今読んでいた報告書の三人もそんな類だった。彼らは三日ほど鉄格子の中で過ごした後、すでに釈放されている。きっと今頃は、どこにいるとも分からない旅人へと怒りを募らせていることだろう。

「本隊はマール広場にて待機中です。ご指示を、ナジード隊長」

 つい先日ナジードの隊に配属になったばかりの彼はどうにも堅苦しい感じが抜けないでいる。困ったものだが、まあ致し方ない。

「はいよ。分かってるさ。そう焦るな」

 立ち上がろうとして、書類を手にしたままだったことに気づく。慌てて机の上に戻そうとして、ナジードはふと目を細めた。

「ほぉ……」

 そこに記されていたのは、絡んできたゴロツキをあっさり叩きのめした張本人の名前。風変わりなその響きが、ナジードの好奇心を刺激する。

「藍色狼たあ、随分としゃれた名だな」

「は?」

 ナジードの呟きに首を傾げる兵士。しかしナジードはなんでもない、と手を振って、書類を元の位置に戻した。

「それじゃ、邪魔したな」

 まだ何か聞きたそうな兵士を手で制し、足早に部屋を後にする。それを直立不動の体勢で見送っていた部屋の主は、彼らの姿が廊下の向こうに消えた辺りで、ようやく肩の力を抜いた。

「しかしまあ、大隊長自ら捜索隊を率いてくるとはなあ」

 随分な力の入れようだが、王女がさらわれたとあってはそれも妥当に思える。しかし、

「なぜ、こんなところに……?」

 この町を通る街道が行き着く先は北部の山脈。そこからは別の街道が大氷原方面へと伸びているが、進めば進むほど集落は減り、街道も寂れていく。

 しかしまあ、大隊長ほどのお人がわざわざ出向いてきたのだ。なにか思うところがあるに違いない。

 何はともあれ、この捜索によって、この町に怪盗の姿はないと証明された。これで警備隊も通常の業務に戻ることが出来る。そうすれば、彼も安心して日課の昼寝に勤しめるというわけだ。

 心地良い午睡のため、まず彼は机の上に散乱した書類の整理に取り掛かった。

 ヒューゴは、つい最近ナジードの下に就いたばかりの新参兵だ。それだけに、この風変わりな大隊長の言動に振り回されてばかりいる。

 警備隊の詰め所から少し離れたところでぴたり、と足を止めたナジードに、ようやっと追いついたヒューゴは怪訝な顔で問いかけた。

「ナジード大隊長、いかがされましたか?」

 馬鹿丁寧な口調に、思わず苦笑いを浮かべるナジード。

「そんなしゃちほこばった物言いをしなくてもいいんだぞ」

「は、すいません。つい、癖が抜けなくて……」

 そんな答えに、そういえばと呟く。このヒューゴはもともと守備隊の兵士ではなく、王宮を守る近衛兵だった。それがどういうわけか捜索隊に志願してきたのを、面白いからとナジードが引き取ったのだ。

「ここは王宮じゃないし、今のお前は近衛兵でもない。もっと楽にしていいんだぞ」

「はあ……努力します」

 頭を掻くヒューゴの背中をぽんぽんと叩いて、ナジードは懐から煙草を取り出すと、口の端にくわえる。近年になって普及し始めた紙巻き煙草は、まだ庶民には手が出ない高級品だ。火をつけなければ意味がないはずだが、彼が紫煙を吐き出しているところをヒューゴはまだ一度も見たことがない。

 街路樹に背を預け、ぼんやりと空を見上げるナジード。どうやら一服するのだと察して、ヒューゴも休めの姿勢を取る。そんな生真面目さに苦笑を漏らしながら、青い外套の大隊長は流れ行く雲に目を細めた。空はどこまでも広がっている。誰もみな、同じ空の下で泣き、笑い、それぞれの人生を歩むのだ。そう、あの怪盗も――。

 王女ローラを連れ去った怪盗《月夜の貴公子》の行方は杳として知れない。手配書を回し、守備隊を各地に派遣して事に当たっているが、足取りすら掴めていないのが現状だ。各地の警備隊も警戒・捜査に当たっているが、今のところ有益な情報は入ってきていなかった。

 そんな中、主街道を外れたこの町にナジード率いる捜索隊がやってきたのは、勿論理由があってのことだ。

 首都から西に伸びる主街道には、すでに厳重な警戒態勢が敷かれている。そこを王女連れで突破しようとは、さしもの怪盗も考えないだろう。そう考えたナジードにノレヴィス公爵も同意を示し、そうして騒動の翌日には守備隊を中心とした捜索隊が編成された。当然の如くナジードはその内の一隊を率いて首都を発ち、街道を北上してこの町までやってきたのだ。

 この街道を選んだのは、ナジード自身の勘もあったが、何より公爵の一言によるところが大きい。

 対策会議の席上で彼はこう言った。

「怪盗の真の目的は、王家に伝わる秘宝なのではないか」

 それは歴代の王と第一王女にのみ伝えられる財宝。隠し場所については王が、そして鍵は王女がそれぞれ継承するのだと言われている。しかし三百年の歴史の中でそれらは伝説と化し、今となっては財宝の存在を信じる者は少ない。

 しかしそうとは考えなかった怪盗が王から隠し場所を聞き出し、王女を連れて財宝を奪いに向かったのでは、というのが公爵の推測で、更に彼は何かの折に国王が呟いた「至宝は氷冠にあり」という言葉を覚えていた。

「その時は何かの言葉遊びと思っていたが、今となってはこの言葉が唯一の手がかりだ」

 氷冠と言われて思いつくものと言えば、国の北端に広がる大氷原。そしてその先に広がる氷の海。どこまでが大地でどこからが海かもはっきりしない凍てついた北の地に、その至宝は眠っているというのか。

 こうして、彼らは怪盗の足取りを辿るべく、北へと伸びるこの街道を進んでいる。しかしここまでで、それらしき人物の目撃証言はまだ上がって来ない。

「定期連絡はあったか?」

 ふと問いかけると、ヒューゴは慌てて頷いてみせた。

「はい! つい先ほど」

「どうせ、ろくな手がかりはつかめてないんだろ?」

「はい……そのようです。賞金稼ぎもあちこちで動き回っているそうですが、まだ……」

 指名手配書には莫大な賞金が掲げられている。情報を提供した者にも報酬が与えられるとあって、賞金稼ぎだけでなく市民達も怪盗探しに躍起になっているが、その一方で奇妙な噂を聞くようになった。曰く、実は怪盗は王のご落胤で、王位継承権が得られなかった腹いせに王女を誘拐したのだとか、はたまた王女と怪盗は恋仲で、手に手をとって駆け落ちをしたのだとか……。

 お陰で怪盗と王女に同情する者まで出てきて、「人の恋路を邪魔しようなんて無粋だねえ」などと言われることもあり、ヒューゴの胸中は穏やかではなかった。

(王様が襲われたことを知らないから、皆そんなのんきなことを……!)

 怪盗が王に呪いをかけたことは、まだ公にはされていない。王女が誘拐されただけでも大事なのに、王までが倒れたと知らされたら民を無駄に混乱させるだけだと、探索に当たっている守備隊の人間にも一部を除いて知らされていないのだ。平隊員でこの事実を知っているのは、恐らくヒューゴ一人だろう。何故なら彼はあの日あの時、騒動の渦中にいたのだから。

 顔を曇らせているヒューゴを見て、ナジードは小さく肩をすくめてみせた。

「しかし、お前みたいな奴も珍しいな。わざわざ捜索隊に志願するなんざ」

 からかうような口調に顔を上げ、ヒューゴは真剣な眼差しでナジードを見上げる。

「ナジード隊長、自分は――」

 無理を承知で捜索隊へ志願した時から、いや、その前から、彼はとある思いを胸に抱えていた。それをはっきりさせるべく、隊に志願したといっても過言ではない。

 目の前で王女をさらわれた悔しさというのもある。怪盗の顔を見ているから、役に立てるはずだと言ったのも嘘ではない。しかし一番の理由は――。

「俺は、どうしても不思議で仕方がないんです」

 あの時は気が動転していたが、落ち着いてあの出来事を思い返した時、ヒューゴの胸にとある疑念が芽生えた。

(……あの時の、声……)

 暗闇の中、駆けつけた近衛隊めがけて札を投げつけ、高らかに呪文を唱えたのは――。

(あれは、あの声は……)

 近衛隊に属するヒューゴが、その声を聞き間違えるはずもない。その朗らかな声はいつも、城内のあちこちで響いていた。彼女は城に仕える者達へと気さくに声をかけ、庭師と一緒になって庭いじりをしたり、厨房で料理長から菓子作りの手ほどきを受けたり、兵士と共に剣の練習をすることもあった。ヒューゴも何度か相手を務めたことがあるから、間違えようもない。

 そう、あれは確かに王女本人の声だった。となれば、此度の怪盗騒ぎは、そしてあの神官は――。

「あの時、神官さ――!」

 唐突に口を塞がれて、目を白黒させるヒューゴ。目にも留まらぬ早業で新参兵の口を塞いだ大隊長はそっと顔を寄せ、彼にだけ聞こえる声で囁く。

「ヒューゴ。長生きしたかったら、不確かなことをうっかり口にしない方がいい」

 それは、いつもの飄々とした大隊長ではなかった。鋭い眼光を備えた、精悍な戦士の顔。しかし恐れを知らぬ年若き兵士は、負けじと言い返す。

「……言いたいことが言えないっていうなら、俺、長生きなんかしなくていいです」

「おやおや、親不孝な奴だな。まあいい。とにかく、不用意な発言は避けた方がいい。特に、誰が聞いているとも分からない場所ではな。それに……」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべ、ナジードは続ける。

「怪盗に「さん」付けはよくないんじゃないか、ヒューゴよ?」

「あ……」

 バツの悪い顔をするヒューゴを面白そうに見つめていたナジードだったが、ふと紙煙草を指に挟み、何気なく言ってきた。

「まあなんだ、野営中だったらお前さんの昔話を聞いてやってもいい。ヴァレルの悪口なんか、いっぱい溜まってるだろう? あいつは悪い奴じゃないが、どうも固くっていけない」

「隊長?」

「……この一件、一筋縄にはいかなそうだ」

 やれやれ、と肩を回しながら呟く彼に、ヒューゴは心の中で安堵の溜め息を漏らした。一連の事件に疑問を抱いているのは自分だけではないのだ。それが分かっただけでも、この捜索隊に志願した甲斐があった。

 この人に全てを話そう。そしてきっとあの「怪盗」を見つけ出して、自分の口から直接問い質すのだ。あなたは一体、何をしようとしているのか、と。

 決意を新たにするヒューゴを横目に、ナジードははおもむろに煙草を懐に戻す。そして、

「ヒューゴ。広場に確か屋台が出てたな」

「は? はあ、出ていたと思いますが」

「じゃあ、胡瓜の酢漬けを一瓶、買って来い」

 懐から硬貨を数枚取り出し、ヒューゴへと放る。そして呆然とする彼を尻目に、スタスタと歩き出した。

「あ、あの、隊長?」

「兵糧に入ってないのはおかしいと思わんか? あれは俺の大好物なんだ」

 胡瓜をたっぷりの香辛料と酢で漬けた胡瓜の酢漬けは、冬の長いこの地方に古くから伝わる保存食だ。匂いも味もきついので、苦手な人間も少なくない。思わず顔をしかめたヒューゴを見て、お前も駄目な口かと苦笑いを浮かべるナジード。

「次の鐘までには戻って来いよ。遅れたら容赦なく置いてくぞ」

 情けない声を上げるヒューゴに頼んだぞ、と手を振って、青い外套は雑踏の中へと消えていく。あっという間に見えなくなったナジードの後姿に嘆息し、ヒューゴは渡された硬貨を握り締めた。

 これではまるで子供のお使いだ。しかし、上官の命令とあっては従わないわけにも行かない。

(ほんと、何考えてるのか分からない人だよなあ)

 こんな調子で、本当に大丈夫なのだろうか。先行きに一抹の不安を抱きつつ、ヒューゴは広場への道を辿り始めた。

 すっかり空になった籠を下げ、上機嫌で広場を横切っていたソーニャは、向こうから走ってきた兵士とぶつかりそうになって、思わず悲鳴を上げた。

「ご、ごめん。大丈夫?」

 咄嗟に身をひねった兵士は、思いのほか若々しい声でソーニャへと謝ってくる。その腕に抱えられた漬物の瓶があまりにも不釣合いで、目を丸くしながらソーニャは平気よ、と答えた。

「これだけ人がいるんだから、ちゃんと前を見て歩いてよね」

「うん、気をつけるよ。それじゃ」

 どうやら急いでいるらしく、瓶を抱えなおして再び走っていく兵士。あの調子ではまた誰かとぶつかるのではないか、と余計な心配をしながら、ソーニャもまた歩き出す。

 今日は思いのほか蝋燭の売れ行きが良くて、昼過ぎには籠を空っぽにすることが出来た。あとは広場の屋台を覗いて、家に帰るだけ。

「あら?」

 広場の片隅で沸いた歓声を聞きつけ、何だろうとそちらを伺う。何やら人だかりが出来ているのは、あの手配書が貼り出されている掲示板だ。

 何か進展でもあったのかと、ソーニャは野次馬に混じって掲示板へ近づいていった。人垣を掻き分けて貼り紙の前に辿り着き、新たに回ってきたらしい手配書をまじまじと眺める。書かれている内容は変わっていなかったが、今度は人相書きが添えられていた。

(こいつが怪盗《月夜の貴公子》?)

 黒髪を一本に結び、凶悪な表情でこちらを睨みつけている男。とても上手とは言えないその似顔絵に、ソーニャは小さく舌を出す。

(あんたなんか、とっとと捕まっちゃいなさい!)

 大体、《月夜の貴公子》を名乗るのならば、少しはそれらしく振舞ったっていいのに。弱きを助け強きを挫く。物語に出てくる怪盗《月夜の貴公子》は、まさにそんな庶民の味方なのだから。そう、数日前にソーニャを助けてくれた、あの旅人のように……。

(そう言えば、あの人も黒髪だったっけ)

 ふとそんなことを思い出して、まさかね、と心の中で呟く。そう、そんなことあるはずがない。

 一瞬でも恩人を疑ってしまった自分を恥じつつ、再び人相書きに目をやったソーニャは、しみじみと呟いた。

「少なくとも、あの人はこんな変てこりんな顔じゃなかったもの、ね」

 まるで子供が書いた落書きのような人相書き。怪盗《月夜の貴公子》本人が見たならば、きっと大いに憤慨するに違いない。


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