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第二章[12]


 じめついた地下道に、二人分の足音だけが響く。

 まだ歩き始めてさほど経っていないというのに、すでに二人の顔には疲労の色がありありとあらわれていた。

 無理もない。なにせ、環境が悪すぎる。

 ただ湿気が酷いだけならまだしも、ここは鼻が曲がりそうなほど強烈な異臭が充満している。それだけでなく、気を抜けば湿った石畳に足を取られ、傍らを流れる汚水の中にまっさかさまだ。実際幾度か転びかけ、その度に隣を歩く青年に手を借りていた。

 首都ローレングの地下を縦横無尽に走る下水道。ローレングは古くから下水道が整備されており、街中の汚水はやがて一点に集められ、近くを流れる川へと注ぎ込む。

 そしてそれは時に、影に生きる者達の抜け道となっていた。しかしそれだけではない。

「王家に伝わる秘密の抜け道なんだ」

 誇らしげに言う王女に、成り行きで同行する羽目になった黒髪の青年はけっと毒づく。

「王族専用の脱出経路ね。ならもうちょっと綺麗に作っとけよな。まるでドブネズミになった気分だ」

 城壁の東端、王が丹精込めて育てているという花壇のど真ん中に置かれていた石をずらすと、その下には地下道への入り口がぽっかりと口を開けていた。それを延々と下った先はこの下水道――ではなくて、王女曰く「王家に伝わる秘密の抜け道」である。

 とはいえ下水道を利用していることには変わりないから、悪臭はするわ妙な熱気が充満しているわ、あちこちに虫やら小動物の気配はするわで、とてもではないが好んで長居したいような場所ではない。

「……これなら堀を泳いで渡った方がましだった気がする」

 ぼやくラウルに王女は何を言うか、と口を尖らせた。

「こんな季節に水泳などしたら一発で風邪を引くぞ」

 まだ春も浅い。まして、例え泳ぎ切ったところでずぶぬれの体で逃げ回るわけにもいかない。

 だからこそ、彼女は脱出経路にここを選んだ。というより、ここを知っていたからこそ一連の計画を思い付いたというのが正しい。

 わざと城壁に縄をかけ、石を水堀に落としてみせたのは、警備兵達の目を欺くためだ。こうしておけばまさか抜け道を使って城を脱出したとは思うまい。どうせいつかはばれるだろうが、とにかく今は一刻も早く首都を出たかった。

「このまま首都の外に出る。すまないが、もうちょっとだけ私につき合ってくれ」

 角灯の明かりを頼りに歩を進める王女に、ラウルは肩をすくめて頷いた。

「嫌と言ったところで無駄だろうからな。だけど、そろそろ事情を聞かせてくれたっていいだろう?」

「それはここを出てからだ」

 ぴしゃりと言い放って、彼女はそれきり口を閉ざしてしまった。仕方がないので、ラウルもまた黙って歩き続ける。

 狭く暗い下水道の中はどこも同じような風景で、しかも複雑に入り組んでいる。そこを進む王女の足には迷いなど見られないが、その割にはいくら歩いても出口に行きつかない。

 半刻ほども歩き続けた辺りで、さすがのラウルも心配になって口を開いた。

「なあ、あんたちゃんと道を……」

 その言葉にくるり、と振り返る王女。そのバツの悪そうな顔に、戦慄が走る。

「お、おい、まさか……」

「迷ったみたいだ」

 てへっと笑う王女。次の瞬間、

「ふざけんな!!」

 ラウルの怒声が下水道にこだました。



「らう?」

 ひょこっと寝台の上に半身を起こす少女に、机に向かっていたカイトはおや、と顔を上げた。

「チビちゃん、ようやく起きましたか?」

 昼頃にこの宿に着いてから、少女は昏々と眠り続けていた。長旅の疲れが頂点に達していたのだろう、昼食ばかりか夕食時にも目を覚まさない少女に、、仕方なくカイト達は交代で食事を済ませ、神殿へと出かけていったまま帰って来ないラウルを待っていたのだ。

「お腹空いたでしょう? こんな時間じゃもう下の食堂も閉まってるでしょうから、携帯食でがまんして……」

 そう言いながらカイトが荷物をごそごそと漁っている間も、目をこすりながら少女はきょろきょろと薄暗い部屋の中を見回して、

「らう……?」

 と呟いている。と、その声で目が覚めたのか、隣で寝ていたアイシャがもそもそと起き出してきた。そして同じように部屋を見回して、カイトへと声をかける。

「帰ってないのか」

「ええ、まだなんですよ。ああ、ありました。はいチビちゃん。よく噛んで食べるんですよ」

 荷物から引っ張り出した乾パンを差し出すカイト。しかし少女はそれを受け取ろうとせず、アイシャにすがりつきながら泣きそうな声を出す。

「らう、どこぉ?」

「えっとですねえ……」

 説明しようとしたカイトの横で、むっくりとエスタスが寝台から起き上がってきた。

「どうしたカイト、ってああ。おチビ、起きたのか」

 戦士だけあって寝起きが抜群にいいエスタスは、すぐさま状況を把握して少女に笑顔を向けた。

「あのな、ラウルさんはお仕事で出かけてて、まだ帰ってこないん……て、おいカイト。今何時だ?」

「えーっと、確か……闇の三刻の鐘を大分前に聞いた気がしますね」

 仲間二人が眠った後も、カイトだけはラウルを待って起きていた。暇潰しにと読み出した本につい夢中になっていたが、気づけば真夜中も真夜中。少なくとも仕事で遅くなるような時間ではない。

「こんな時間まで帰ってこないなんて、神殿で何かあったかな?」

 首を傾げるエスタスに、カイトはうーん、と顎を掴む。

「もしそうなら伝言くらいあると思いますけどねぇ。僕らだけならともかく、今回はチビちゃんがいますから」

「そうだよなあ」

「らうぅ……」

 不安げに呟く少女の頭をぽんぽんと叩いて、エスタスはカイトの手から奪い取った乾パンを差し出した。

「大丈夫だ。きっとお仕事が長引いてるんだよ。ほら、腹減ったろ? これでも食って待ってような」

「……らう」

 しばしエスタスの顔と乾パンとを見比べて逡巡していた少女だったが、流石に腹が減っていたのかおずおずと乾パンに手を伸ばしてきた。それを一口かじるなり、それまでの不安げな顔はどこへやら、嬉しそうにひたすら乾パンを食べ始める。

「こら、そんなんじゃ喉に詰まるぞ」

 慌てるエスタスの手から次々と乾パンをもぎ取っては口に運ぶ少女。そんな少女の様子に苦笑しながら、カイトは扉へと歩き出した。

「僕、何か飲み物がもらえないか聞いてきますね」

 食堂はとうに閉まっているだろうが、水の一杯くらいは調達できるだろう。

 カイトが出て行った後も、少女は黙々と乾パンに噛り付いていた。そんな彼女を横目に寝台から立ち上がったアイシャは、すたすたと部屋を横断して窓辺に立つ。

「開ける」

 と一言断りをいれ、ぐいと窓を大きく開けるアイシャ。途端に差し込んできた月明かりが、暗かった室内を一気に明るく照らし出した。

「満月か」

 晴れ渡った夜空に煌々と輝く満月。降り注ぐ月明かりに青白く照らされた夜の街は、静寂に包まれている。

 爽やかな夜風が窓辺に立つアイシャの髪を揺らす。しばしその風に身を任せていた彼女だったが、ふと表情を動かした。

「ん? どうかしたか」

 エスタスの問いには答えず、アイシャはぐい、と身を乗り出す。そして吹き過ぎる風にしばし耳をそばだてていたアイシャは、すぐに体を部屋に戻して言ってのけた。

「城でなにかあったらしい」

 夜風の精霊が彼女に告げた事実。それを証明するように、まもなく遠くから喧騒が響いてきた。

「……何があったんだ?」

 眉をひそめるエスタス。その隣で少女もまた、乾パンを口に運ぶ手を止めて虚空を見つめていた。眉をひそめ、何かにじっと聞き入っているような彼女の様子にアイシャがおや、と首を傾げる。

 そして。

「らう!」

 食べかけの乾パンを口に突っ込んで、少女がばっと寝台から飛び降りる。

「おチビ!?」

 突然の行動に驚くエスタスを尻目に、少女は窓辺に佇むアイシャへと走って行った。

 いや、違う。彼女が目指しているのは、アイシャが開け放った窓。

「こらっ、駄目だ!!」

 慌てて立ち上がり、手を伸ばしたが遅かった。

 床を蹴り、ぽぉーんっ、と窓枠を飛び越えていく少女。闇夜に揺れる金の髪が視界から消え、一瞬遅れて窓辺に辿り着いたエスタスは顔色を変えて叫んだ。

「おチビ!!」

 ここは三階だ。何の訓練も受けていない者が飛び降りて無事ですむ高さではない。

 しかしエスタスの心配は杞憂に終わった。少女はまるで羽のようにふわり、と音もなく地面に着地したかと思うと、一目散に駆け出していく。

「おチビ、どこへ行く気だ!」

 頭上から降ってくるエスタスの怒声に、少女は振り返り、さも当然の如く答えた。

「らう、ところ!」

「何言ってるんだ! 戻ってこい!」

「やっ!!」

 盛大に首を横に振って、少女は再び走り出す。まるでラウルの居場所が分かっているかのように、その足取りには微塵の迷いも感じられない。

 少女の小さな体はあっという間に角を曲がり、そして見えなくなった。

「おチビっ……!!」

 訳が分からない、という表情で窓の外を見つめているエスタスに、アイシャは小さく肩をすくめながらその背中を叩いてみせた。

「大丈夫」

「何がだよ!」

「ちゃんと繋がってるから」

「はぁ?」

 訳の分からないアイシャの言葉に首を傾げているエスタス。と、今度は廊下側からけたたましい足音が響いてきたかと思うと、扉がばんっ、と開いてカイトが飛び込んできたではないか。

「たた、大変ですっ!!」

「こっちもだ!」

 思わず怒鳴り返したエスタスは、カイトの後ろにもう一人いることに気づいて、首を傾げる。

「あんた達、黙って言うことを聞いておくれ」

 深刻な表情でそう告げたのは、この『幻獣の尻尾亭』の女将だった。有無を言わせぬその迫力に思わずごくり、と喉を鳴らして、エスタスは彼女をまじまじと見つめる。

 彼らが押し黙ったのを見て、彼女は口を開いた。

「いいかい? 今ね……」


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