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第一章[2]


「それじゃあ、遠縁のお子さんを……大変ですね」

 紅茶を傾けながらのティーエの言葉に、ラウルはいえ、と首を横に振る。

「この村の方々はあの子にとてもよくして下さいますし、ここには遊び相手もいますから」

 ラウル達の視線は、店の隅っこで歓声を上げている子供達に向けられていた。この『見果てぬ希望亭』の女将であるレオーナの子供は総勢六人。そのうち真ん中の三人と少女が、先ほどから木のおもちゃで遊んでいる。今の時間はお客もいないから、店の中はまさに絶好の遊び場だ。

 おもちゃを取り合い、はたまた積んだり崩したりしながら騒いでいる子供達。今、話に上った「ラウルの遠縁の子供」ルフィーリは、まるで兄弟の一人であるかのように仲睦まじく子供達と戯れている。

 レオーナの子供達、おしゃまなアルナは十二歳、ちゃっかり者のピートは十歳と、少女より大分大きい。まだ母親べったりなロイは六歳で同じくらいだが、彼女より大分達者な口をきく。

 六兄弟の中でも比較的年の近い三人が遊び相手を務めてくれることは、ラウルにとってかなりありがたいことだった。ラウルとてまだ若い部類に入るが、子供と一日中外を転げ回る体力も気力も、とうの昔に失せている。

「でも、卵に続いて今度は子供の世話をされるなんて、神官さまって本当に優しい方ですね」

 目をキラキラさせて言って来るティーエに、ラウルは笑顔を引きつらせながらもありがとうございます、と答えておいた。その横では食事を終えたカイトとエスタスが、その言葉を聞いて吹き出しそうになるのを必死に堪えている。

「? どうかされました?」

 きょとん、としているティーエに、二人はわたわたと取り繕う。

「い、いや、ホントにラウルさんは面倒見のいい人ですよ。ねえエスタス?」

「ああ、まったくだなぁ」

(こいつら……あとで覚えてろ)

 机の下で拳を固めつつ、顔はにこやかにティーエを見つめている。ティーエの方は、残っていた紅茶をぐいっと飲み干すと、ごちそうさまでした、と元気にレオーナに声をかけて椅子を立った。

「それじゃ、私はこれで」

「おや、もう行かれるんですか?」

「そうよ、もうちょっとゆっくりしていけば?」

 まだ、村にやってきて一刻も経っていない。エルドナから二日をかけて飛んできたのだ、いくら途中の村で一泊しているとはいえ、ずっと飛び続けていれば疲れもするはずなのだが、ティーエはいいえ、と首を振る。

「まだ配達が残ってますし、それに何より、今日はこんなにいい天気なんですもん。じっとしてられないんです」

 疲れなど、飛べる幸せの前では吹き飛んでしまう。そう言って笑う空人の少女に、レオーナはふう、と小さくため息を漏らす。

「ならいいけど、あんまり無茶しないのよ」

「はいっ! それじゃ、また十日後に!」

 元気よく別れを告げて、ティーエは軽い足取りで店を出て行った。すぐに外から力強い羽ばたきが聞こえたかと思うと、それはあっという間に遠ざかっていく。

「相変わらず元気な子ねぇ」

 そう呟きながら、レオーナは食卓の上を片付け始めた。

 伝令ギルドの配達再開は、それ自体が春を告げる報せでもある。そして、それはまた、噂話に花が咲く季節の到来をも告げていた。即ち。

「……知り合いの子だなんて説明で、本当に通るかしら」

 ティーエによって、竜が孵ったこと、そして去って行ったことは一気に広まるだろう。そして、卵を孵した神官の元に今、めっぽう可愛い一人の少女がいることも。

 その少女をラウルは「年末、遠縁に不幸があって、身寄りをなくしてしまった子供を預かっている」と説明した。本人はまだ幼くて、両親の死を理解していないらしいのだとも、また西大陸の生まれで共通語があまり話せないのだ、とも。

 そう聞かされたティーエは、無邪気に遊ぶ少女を見て涙ぐみながら、

「あんなに小さな子が……なんて可哀相……」

 と呟いていたくらいだから、ラウルの物言いはかなりの信憑性があったらしい。世の中をうまく渡りたいのなら、演技力は磨いておくものだ。先ほどからラウルの話に肩をひくつかせっぱなしのカイトなどには、こんな芸当は死んでも出来まい。

「大丈夫だろ。それにまさか、事実をべらべらと話すわけにもいかないしな」

 レオーナの呟きにそう答えつつ、食堂の隅で遊ぶ子供達に目を向ける。おもちゃ遊びに飽きたのか、今度はみんなして頭を突き合わせ、絵本をめくっている四人の子供達。その中でも一際目を輝かせて絵本に見入っている金髪の少女。

「らう?」

 視線に気付いたらしく、絵本から顔を上げてこちらを見てくる少女に、ラウルはいいからいいから、と手を振る。そして改めて、すっかり子供達の中に馴染んでいる少女を観察するように見回した。

 白金の髪に白い肌、まるで緑柱石のような輝きを持つ瞳。愛くるしい顔立ちは、微笑むとまさに花が咲いたかのようだ。五、六歳に見えるが、喋る言葉はもっと幼く、単語を一つ一つつなぎ合わせるようにたどたどしく話す。それがまた可愛いのだと村人達は言うが、ラウルからしてみれば「まだるっこしい」の一言に尽きる。

 そんな少女の実態を知るのは、この村の人間達だけとなっている。それは、少女を狙うような輩が横行することを案じて、ラウルと村長が決めたことだ。取り越し苦労だとは思うが、前例があるだけに慎重にならざるを得ない。そう、せめて、ある程度の力を取り戻すまでは。

「孵りさえすれば、もう何も心配することはないと思ったのによぉ……」

「そうよねぇ」


 去年。

 この村に赴任してきた若い神官は、一つの卵を拾った。

 光を放ち、あまつさえ奇怪な鳴き声を伝えてくる卵を、その神官は手厚く保護し、孵そうと務めた。

 やがて卵が竜のものだと判明すると、その貴重な卵を狙う輩が横行し始めた。

 その中には、かつてこの村を恐怖に陥れた「影の神殿」も含まれていたが、神官は懸命にそれらの手を跳ね除け、そして紆余曲折の末、卵は孵った。

 孵った、のだが。


「るふぃーりっ、おひめさま、なるっ」

「何言ってるんだよ、お姫様になんてなれるわけないだろ」

「やー! なるっ」

「ばっかだなあ、お姫様ってのはなあ……」

「もぉ、ロイったら、チビちゃんをいじめないのっ」

「だって姉ちゃん……」

 ラウルの苦労などお構いなしに、子供らと無邪気に絵本を読んでいる少女。まだ文字は読めないのだが、挿絵のお姫様にうっとりしているところなどは、どう見てもごく普通の、どこにでもいる少女である。

 アレが、偉大なる光の竜だなどと、誰が思うだろうか。

 いや、恐らくは想像だにしないに違いない。例え本人の口から正体を明かされたところで、一笑に付されるのがオチだ。

 それほどまでに人間社会に溶け込んでいる光の竜ルフィーリだったが、完全にただの子供なのかと言うとそうでもなく、

「ああっ! ずるいぞ、チビっ!」

「チビちゃん駄目よっ!」

 そんな声にはっと振り返ると、ロイの手から絵本を奪い取ったらしい少女が、天井近くまでふわりと飛び上がって、本を取り返そうとするロイの手から逃れようとしていた。

「こっ……!」

 一目散に少女のもとへ走り、頭より上の位置でふよふよ漂っている少女の首根っこをひっ捕まえるラウル。

「らうっ!」

「このチビっ! 何度言ったら分かるんだっ! 飛ぶなっ!」

「やー!!」

 ラウルの手から逃れようと足をばたつかせる少女。駄々のこね方までまさに子供そのものだ。

 しかし、飛ぶ、叫ぶ、光ると、およそ人には為し得ないことをいとも簡単にやってのけるところは、流石は竜の端くれである。本当に"端くれ"なのがラウルにとっては腹立たしいばかりだが。

「ったく……お前には、命を狙われてた自覚はないのか! あんな危険な目にあってるのに、どうして懲りないんだっ!! お前が竜だって知られたら、またえらい目にあうかもしれないんだぞ!?」

「るふぃーり、つおい」

 自信満々の表情で言ってのける少女。しかし、舌足らずな口調でそう言われても、甚だ説得力に欠くというものだ。

「どこがだ!」

「つおいのっ!」

 そして再び舌戦が始まって、レオーナ達はやれやれ、と一斉に肩をすくめた。

「しっかし、懲りないなあ、ほんと」

 毎度のことに苦笑を禁じえないエスタスに、それまで手紙の束に向かっていたカイトが、物知り顔で言ってのける。

「あれは、あの二人なりの愛情表現なんですよ。きっと」

「違うっ!」

 途端にラウルの怒声が響き、慌てて手紙の束に戻ったカイトは、ふと偶然手に触れた書簡を取り上げて、まじまじと見つめた。

「あれ、これって……」

「ん? どうした」

「いえ、この宛先なんですけどね……ってアイシャ!」

「どれどれ」

 ひょいっとカイトの手から書簡を奪い取るアイシャに、カイトが抗議の声を上げる。エスタスは相変わらずの二人にため息をつきつつも、あえて傍観を決め込んだ。

 そんな三人組を尻目に、レオーナがパンパン、と手を叩く。

「はいはい、そろそろお昼時だから、上に行きなさい」

 はーい、と答えておもちゃを片付け出す子供達。レオーナの声を聞いた少女も、ラウルとの不毛な言い争いをすっぱり切り上げ、子供達に続いて二階に上がっていこうとする。

「おい、もうちょっとしたら帰るぞ」

 その背中に声をかけると、少女はその場でいやいや、と首を激しく横に振った。

「いやじゃない! 次の鐘が鳴ったら降りて来い、いいな!」

 次の鐘まではもう、半刻もない。その頃にはこの食堂も混んで来るだろう。村に一軒しかない食堂兼酒場である『見果てぬ希望亭』は、村人達の憩いの場となっている。

「ぶぅ」

 不満げな声に、今度はレオーナの声が飛んだ。

「また後で遊びにくればいいでしょう? ラウルさんはお仕事があるんだから、わがまま言っちゃ駄目よ」

「らうぅ……」

 渋々、といった顔で頷く少女。そして、子供達の声に呼ばれて階段を駆け上がって行った。

「やれやれ……」

 疲れた顔で椅子に腰掛けるラウル。ほどなく子供達の部屋から歓声が聞こえてきた。今度は何をして遊んでいるのやら、やけに楽しそうな声が響いてくる。

「こぉらっ! 少し静かにしなさいっ!」

 天井に向かってレオーナが一喝すると、すぐに声が小さくなった。とはいえ、どうせそのうち怒られたことなど忘れて騒ぎ出すのだろう。

「わりぃな、うるさくして」

 ラウルの言葉に、レオーナは楽しげに首を横に振った。

「いいのよ。半分以上はうちの子が騒いでるんだし。ま、おチビちゃんが増えて大分やかましくなったのは事実だけどね」

 いつでも元気いっぱいの少女。天真爛漫を絵に描いたような彼女を、しかし最初の頃、村人達はどう扱っていいのか分からなかった。

 なにしろ、曲がりなりにも彼女は竜である。竜といえば、神々の創り出した偉大なるもの。神の力を世界に行き渡らせる重要な役目を担っており、本来ならば人前に姿を現すことすら稀有な存在だ。

 ところが、その偉大なる竜であるはずの彼女は、日がな一日子供達と転げ回り、いたずらをしてはラウルにこっぴどく叱られてしょげたり、めそめそ泣いたり、かと思えば懲りずにラウルにまとわりついて仕事の邪魔をしたりと、まるでそこいらの子供と変わらない。

 そんな彼女を、敬ってへつらえと言われても無理な相談だ。そもそも少女自身がまず、それを望んでいないらしく、ごく気軽に人々に声をかけ、遊んでもらったり頭をなでてもらったりしては嬉しそうに笑顔をこぼす。

 そんな彼女に、村人達も次第に慣れていき、今ではもう、金髪の少女を慈しみこそすれ、畏れたりする者はいない。

 彼女、そしてその保護者であるラウルは、すでに村の一員として受け入れられていた。

(とはいえ、なあ……)

 卵から孵って凡そ三月。その間、少女はラウルの元を離れることなく、もう恋人以上にべったりな毎日を送っている。ラウルにとっては迷惑この上ないが、最早とやかく文句をつける気力すら失せていた。

 一緒に暮らすのは別に構わない。小屋は一人で住むには広いくらいだったし、食い扶持が増えたくらいで身代が傾くわけでもない。ヤンチャ盛りなのは困り者だが、仕事やお祈りの邪魔はしない(というより、それだけはこっぴどく叱ってやめさせた)し、何しろ子供だ、日が落ちれば寝てしまうから、やかましいのは日中だけだ。最初のうちは調子が掴めず苦労させられたが、今ではなんとか、うまく付き合っているのではないか、と自分でも思っている。

 それなら何を困っているのかというと。

(この状況に慣らされちまってる俺が怖い……)

 このままでは、すっかり「保父さん」もしくは「お父さん」の印象が定着してしまうではないか。

 都では名の知れた女たらしで通っていた自分が、今では北の僻地で子供相手に振り回される毎日。しかも、次第にそれが日常と化し、この異常事態に疑問を覚えることすらなくなってきているなんて。

 これでいいはずがない。

(このまま一生つきまとわれたら、どうしよう、ホント……)

 とほほ、と落ち込んでいるラウルの耳に、不意にカイトの声が飛び込んできた。

「レオーナさん」

「何?」

 くるりと振り返るレオーナに、カイトはようやくアイシャから取り返した一通の書簡を掲げてみせる。

「フェルディナンド・ウィル・アルデロイ=ラグラスって、どなたですか?」


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