眠り姫を目覚めさせる魔王
街の西側——。黒く切り立った建物からは煙が生み出され
けたたましい騒音は獣の咆哮の様で、防音障壁の内側は一匹の巨大な獣に見える
ここはアスティア帝国の魔法による叡智の結晶
工業区だ——
「ここが工業区の入り口だ。今朝渡した紋章を掲げてくれたまえ」
クロノスが紋章を硬く閉ざされた鉄の扉にかざす。と、
金属が擦れる音と共に扉が開いた
「厳重なんだな」
「あぁ、アスティアの技術は大陸1でありつづけなければならないからな」
自慢気に指先で孤を描く
「なぜ1番にこだわる?」
「アスティアが崩れたら大陸全土に被害が及ぶことになるだろ?皆が血眼になって守ってくれるからさ」
「自分で守ればいいじゃないか」
「何を言う、僕は忙しい身なんだ」
「惰眠を貪ることか?」
「悪いか?」
「いや、ほんとお前ら姉妹は似てるよな」
「僕と『アレ』を一緒にするのはやめてくれないか?」
言い終わると軽く舌打ちをして遠くを睨んだ
彼女は妹のことを嫌っているのだろうか?
「さぁ、着いたぞ?ここが治療薬『ポーション』を作成する場所だ」
目の前には巨大な窯で真っ赤な液体が煮えくり返っている
窯の底から1滴、また1滴と広げられた布に落ちていく
布が滴るころには滑車で巻かれ、運び出される
隣の部屋では布が1枚、また1枚と氷系統のマナで凍らされてゆく
「あれは何をしてるんだ?」
「赤い液体は冒険者ギルドから受け取った、魔物のマナを溶かしたものだ。それをろ過し、純粋なマナを布に染み渡らせ、保存の為に凍らせている」
「ほー、よくできているな」
「次はこっちだ」
扉を1枚抜けると凍った布を鑢のような大きな機械が擦りおろし、
見たことのある容器に少量ずつ注ぎこまれていく
「これは?」
「布はエコーという神聖な羊からとった羊皮紙だ。マナを治癒系統に変換し、容器に注ぐ。そこに薬草を擦りおろした水を加え完成する」
「動力は?」
「ファイアレイドを鉄結晶に施し、消えない炎で電力を発電している」
「治癒系統は確認されてないんじゃないのか?」
「あぁ、疑似的なものだ。薬草などの効力を増幅させているにすぎない」
「よくできている」
その後も状態異常、病、呪い等に対処する薬品の工場を一通り周った
「どれもこれも知恵を絞りだした産物だな」
「あぁ、この世に万能な物など存在しないからな。考えや要望を持ち寄り、対策を練り、まとめあげたものだ」
「叡智というより、努力の結晶だな」
「まぁ、どれも僕が1晩で構図を作り上げたが」
自慢げに胸をはる
「俺の感動と褒め言葉を返せ」
「ありがたくうけとるよ」
ベルフェは静かに微笑んだ
——ダンッ
凄まじい音で応接室の扉が開かれる
「来客中だぞ?静かにしないか」
息を切らす大臣に言葉を静かに突きつける
「失礼、急を要するものでして」
「何があったんだ?」
「はい、南の森で薬草をつんでいた少女が魔物に襲われまして!」
「馬鹿な、立ち入り禁止にしておいたものを。容体は?」
「外傷はさほど……ですが、未確認の毒が」
「ポーションは?」
「効き目がありません」
「研究室にて隔離、随時状態を観測したまえ」
「ですが、死に至る可能性が」
「未確認なんだ仕方がないさ。それよりも結果を次に生かすのが懸命だ」
——ダンッ
クロノスが机を叩き立ち上がる
「大臣、その子の所へ連れてってくれ」
「はぁ、構いませんが……この方は?」
「僕の知人だ。連れて行ってくれて構わない」
「では、こちらへ」
部屋に着くと少女が腕から血を流し横たわっていた
「どいてくれ」
状態を記していた学者をどける
「ディレイ」
少女の傷口から滴る血液が、止まったかのようにゆっくりと流れだす
よく見ると血液は空気に触れて紫色に変わってゆく
「魔法に詳しい奴は一人も?」
「はい、お恥ずかしながら……」
「これは毒じゃなくて呪いだ。なぁ、話せるか?」
「は……はい」
少女は息苦しそうに応える
「出くわしたのは蛇のような女の魔物か?」
「はい……」
「ラミアか……ちょっと待ってろ」
クロノスは空間を開くと、ソファに腰掛けてクッキーを頬張るジンがいた
「何事ですか?クロノス様」
「ジン、悪いがベルゼを連れて南の森でラミアを狩って来てくれ」
「呪い……ですか?」
「あぁ、急いでくれ」
「すぐに向かいます」
クロノスは少女に向き直る
「ちょっとの間我慢してくれ」
「あなたは……何者?」
「ただの旅人だ」
そう言って少女の頭に手をかざす
「アンチェインドロア」
少女は眠りに着いた
「何を!?」
「心配ない。時系統上位魔法で、時間の体感速度を揺らして眠らせただけだ。終わるまで眠っていたほうがこの子の為だ」
学者達は一連の出来事に呆気にとられていた
クロノスは休むことなく少女の傷口に詠唱を続ける
すると、傷口から流れる血が赤く戻った
「やってくれたか」
ポーションを傷口の上からかけると、ベルフェが入ってきた
「まさか呪いだったとはね。手間をかけた、あとは僕がやろう」
ベルフェがとても短い杖を差し出す
蛇が絡みつき、先端には氷で出来ているような水晶があしらわれている
杖が傷口に近づくと、みるみる塞がっていった
「アスクレピオスの杖か」
「流石といったところか。この杖の存在を知っているとは」
「お前が持っているのも知っていたよ」
「ほぉ、さしずめレヴィア辺りか」
「あぁ……初めから使ってくれれば良かったんだがな——」
クロノスはベルフェの腕をとりアストラルゲートに身を落とした
「君はいきなり何をするんだ!」
ベルフェが起き上がり周りを見渡す
とても大きな城の中……豪華な内装であっただろう全ては綻び、爛れている
崩落した王位の果てのような城だ……
だが、この場所には見覚えがある
「なるほど、ゲーテ城か」
「あぁ、当りだ」
クロノスが玉座に座っている
「ここで何を?」
「俺はお前の怠けっぷりに怒っている」
「それで?」
「あー、あれだ。レヴィア風に言うなら、おしおきが必要だ」
ベルフェはポカンと口をあけ
笑い出す
「くだらない。もし断れば?」
「魔王の怒りを買ったんだ、予想がつくだろ?」
「僕を殺すと?」
「さぁな」
「僕もなめられたものだね。いいだろう、例え殺されたとしても、腕の1本位は冥府への土産としようじゃないか」
「いや、『ここから』俺を動かせたらお前の勝ちでいいよ」
ベルフェの瞳から光が消える。と、共に——
「笑わせるなー!」
ケリュケイオンを地面に突きつける
——カツンッ
「シャッフルファング」
玉座の周囲を無数の牙が襲う
クロノスは両手を広げる
「ライトニングノヴァ」
閃光の弾丸が牙を打ち抜く
—カツンッ
「レイジングフレア」
数多の火球が降り注ぐ
クロノスは両手を上にかざす
「プリズムロア」
突きだした氷柱がクロノスを守る
—カツンッ
「エアリアルバレット」
玉座を嵐が包み収縮していく
クロノスが指で孤を描く
「ロックサークル」
地面から岩壁が周囲に突き上がり嵐を受け止める
—カツンッ
「ライトニングノヴァ」
無数の閃光の弾丸が魔法陣から射出される
クロノスは肩肘をついたまま、右手を前に伸ばす
「リフレクトレーション」
空間が弾丸を飲み込み吐き出すと
ベルフェは横へ飛び退く。そして—
—カツンッ
「ヒュプノ——」
「アルテミス」
クロノスが先に大きな鏡を召喚し、ベルフェのヒュプノスを呑み込み
おおきな光が射出された
「っあああああ」
「人間相手だと効力が低いからな。火傷ですんだだろ?」
ベルフェの服はボロボロになり、全身に火傷を負っている
すると腰元からアスクレピオスの杖を取り出し掲げると
火傷がみるみる治ってゆく
「自分には躊躇なく使うんだな」
「死んでは元も子もないからな……くっ」
ベルフェが膝をつく
「君はそこまで何に怒りを覚えたんだい?普段は怒りとは無縁に見えるが」
クロノスは頭の後ろで手を組み、空を見上げる
「お前は何と戦っているんだ?」
「なんのことだい?」
「怠け腐って、怖がられ、いつでも冷静なフリをして、気丈に振る舞う」
「誰のことをいっているんだい?」
「お前だよ、ベルフェ」
「な、何を言っているんだい?」
「朝は誰よりも早く起きて工場に行き、一通りのチェックをして遅い工程にはマナを注ぐ。夜はずっと起きたまま書籍を読み漁り国の内政に取り組む。昼間は寝ていて当然だろうな」
「まるで見ていたかのように言うんだね」
「あぁ、見ていたからな」
「き、君はずっと寝ていたじゃないか!」
「あれはマーモだ」
「な、」
「俺を隣の部屋で寝かせていたのは一番警戒していたからだろ?だから毎晩寝たふりをして、マーモと交代していたわけだ」
ベルフェからはいつもの冷静さが消えている
「もし、そうだとするなら何がいけないんだ!?」
「もっと周りに頼れよ、信用しろよ」
「え……?」
「なんでそこまで怠け者の嫌われ者に徹するんだ?アスクレピオスの杖もそうだ。元々お前は段違いなマナを持っている。杖の対価『所有者のマナの半分を献上する』ってのは、さしずめやんちゃな妹がいつ怪我をしてもいいようにってとこか?」
ベルフェは黙る
「でも優しさまで隠すのはいただけないな。お前が直ぐに向かっていれば、あの子は苦しまずにすんだだろ?部屋の外でずっと待機してたくせして」
「き、気づいていたのかい?」
「あぁ、気配を読んでマナを感知するくらい誰でも出来るだろ?」
「でたらめだ……」
ベルフェが涙ぐみながら顔をあげる
「僕は王には相応しくない……ベルゼの方が素直で、優しくて、いい王になれる」
「だから自分は嫌われて王位を退こうと?」
「あぁ……」
「やっぱりお前は怠け者だ」
「え……?」
「お前みたいな働き者で、優しくて、自分より他人を大事にできる。しかも妹の為に嫌われようとする精神力も器もある」
「そんなことは——」
「ある!魔王である俺が保証する。だから怠けるな!胸を張って本当の自分らしく王の仕事をしろ!」
「でも、」
「お前が今やってる仕事なんて誰でも出来るだろ?それぐらいベルゼに頼ればいいさ」
ベルフェは俯く
「今更……ベルに頼れるわけなんてないじゃないか……とうに怠け者の姉は嫌われている」
「そんなことはないぞ?なぁベルゼ」
「うん……」
「——!?」
ベルフェが振り向くとベルゼが瓦礫の陰から出てきた
「お姉ちゃん、ごめんね?ベルのこと大事に想ってくれてたことに気がつかなくて……」
ベルゼは涙を流しながらゆっくりと歩み寄る
「これはどういう——」
「まんまとクロちゃんにのせられたね~」
レヴィアがクロノスの背後から現れる
「そうか……君が連れてきたのか。ここなら誰も居るはずがないと思ってしまうしな」
「こうでもしないと素直にならないだろ?頑固者」
「胸も硬いしね~」
「い、今は関係ないだろ!?」
「お姉ちゃん、珍しく反撃してる」
ベルゼがベルフェに手を差し伸べ笑う
「うるさい……」
照れながら手をとり立ち上がると
ケリュケイオンを構え、アスクレピオスの杖をレヴィアに投げた
「あーもう、わかったよ!君の言うとおりにする。だが、僕も腹が立ったから全力で仕返しさせてもらう!」
「あぁ、全部ぶつけてこい!怒りも憎しみもなんでも受け止めてやる。だから素直になれ!お前のくだらない欲は俺が消し去ってやる」
ベルフェは杖を天にかざすと杖の周りに炎が渦巻き始める
やがて渦は大きくなり、竜の姿となりクロノスへ向く
「全てを焼き尽くせ、エンデュミオン!」
竜が大口を開けクロノスに襲い掛かる
「——」
クロノスが何かを詠唱した
すると——
火竜が大きな音を立て、弾けた
「なっ……」
「さっすがクロちゃ~ん。あったまいい~」
「火系統最上位魔法ってわかった瞬間思いついた」
「何をしたんだい!?」
「無系統最上位魔法アトモスフィアで空気を圧縮し、燃焼する空気ごと破裂させた」
「でたらめだ……」
「だよねー」
姉妹で顔を合わせて笑う
「もう充分か?」
「あぁ、参ったよ。降参だ」
「よし、じゃあ帰ってクッキーでも食うか」
「そう言うと思って焼いてあるよー!」
「さすが!いいお嫁さんになれるぞ」
「そ、そんな……じゃあクロノスさんの……」
ベルゼはもじもじする
「クロちゃん……?」
「え、何!?怖いよ?レヴィア」
レヴィアはむくれながらゲートを開きくぐる
「さ、いこっ!お姉ちゃん!」
「あぁ」
ベルゼはベルフェの手をとってゲートへ向かう
「ベル、ちょっと待ってくれないか」
「ん?」
ベルフェはクロノスの前に立ち胸倉を引っ張ると
——っ
クロノスの頬に柔らかい感触が
「あぁ!お姉ちゃん!ずるい!」
「か、勘違いするなよ!?今の僕は見習いの王だ、君にあげられる褒美はこんなものしかないが……ありがたく思いたまえ」
言葉遣いは気丈だが、モジモジしている
「なんか新鮮で可愛い」
クロノスは頬を押さえていった
「え!?クロノスさんが攻略されそう!」
ゲートの向こうからレヴィアが鎌を持って戻ってきた
「あ、ちょっ、レヴィアさん!?それはだめだって!」
クロノスが逃げて行く
「もぅ、しかたないなー。お姉ちゃん、ほっといて帰ろ?」
「あぁ、そうだな」
二人は手を繋ぎゲートをくぐる
とても暖かい温もりを感じながら
そして、もうすぐ旅立ちの朝が来る




