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星を詠む弟子(3)

 港町トスカに着いたのは、王都を出て三日目だった。

 国紋を身に付けた二人連れというのはいろいろと優遇されて、食事や休憩も最短で通り過ぎていった。

 歩いて旅をし、食べ物を手に入れるために列をなしている人々を追い越して行くのは多少罪悪感がなくもなかったけれど、まわりまわって風車に関わる仕事は彼らのためだから目をつぶってほしい。

 というか、王宮でくだらないことまで議論してなかなか前に進まない人たちに較べたら、ヴァートの仕事の早さは褒められてしかるべきだ、まったく。

 トスカに着くと、ヴァートは市場をひとりで歩いていた。

 ここに来るまでに黒の彼女に教えてもらった料理の、簡単でかつ保存食にもなるという食材を買い足しておく。

 ここから先はひとり旅で、距離はここまでの倍ほどあるのだから。

 トスカはこれでも国で一番大きい商業都市なのだが、ヴァートが買い物と見学を済ませて宿場まで戻っても、彼女はまだ姿がなかった。この町を治めている太守館へ行くと言っていた。黒姫たちの組織はやはり支配側にあるのだろう。王宮にいるくらいなのだから。

 待つこと少し、間もなく彼女は戻ってきた。すぐにヴァートを見つけてくれる。

「おかえりなさい。この町は思っていたより活気がありますね」

 驚くような嬉しいような。機嫌をよくしたヴァートの前に立った彼女は、けれど、張り付けたようないつもの表情で、でもなにかを訴えていた。 ヴァートは、読みとって立ち上がる。

「馬車の中でもいいですか」

 たずねると頷いてついてくる。

 あれは彼女が話がしたいと思っている顔なのだと、そのくらいすぐに読みとれるようになっていた。

 馬車の室内は、この書類がなにより大事と言わんばかりに、大事に大事に置かれていて、人が座れるスペースのほうが少ないくらいだ。

「この町に活気があるのは」

 戸を閉めるとすぐに彼女は口を開いた。ちょっと急いでいる……あるいは焦っているのかもしれない。……なにに?

「昨日、港にサグーンの船が立ち寄ったらしいのです」

「サグーンの?」

 ヴァートは驚いた。サグーンとはヴィンダリアと北の国境を接する、北方の大軍事帝国だ。

 現在のところは収まっているが、国境付近では小競り合いの報告もたまにあるくらいで、両国は仲が良いとは言い難い。こんな森ばかりで、人ものんびりした国なのに、ちゃんと軍があるのはただサグーンに対抗するためだけなのだ。その軍も、ほぼすべて北の国境地帯に配備されている。なのに……この南の港にサグーンの船が立ち寄った?

「よく騒ぎになりませんでしたね」

「サグーンの船は軍艦ではなく、アンデルシアへ向かう祝祭使節だったので、立ち寄りを拒否できなかったのです」

「ああ、なるほど」

 世界最大の領土と強さをほこる隣国、光の王国アンデルシアの、第一王女の生誕祭が迫っている。

 世界各地から祝祭使節団がかの国に集まるのだが、その行く手を阻むものはすなわち、アンデルシアに対する妨害ともなる。だから補給に寄港したいと言われたら、不仲な国でも受け入れるのが普通だ。アンデルシアとはそこまで特別な国なのだ。戦時中なら話は別だろうが、今はサグーンを拒否しようものならそのほうが戦争になってしまいそうだ。

 ちなみに。戦争になどなろうものなら、ヴィンダリアには勝ち目はない、とヴァートは思っている。軍の装備の問題だけではない。人材というか……国柄というか。

「サグーンの船はもう出たのですか」

「はい。補給だけしてすぐに出向したとのことですが……」

「なにか問題でも?」

「いえ」

 短く言って、彼女は口をつぐんだ。ヴァートには言えないことだろうか。

 この少しくらい室内でじっとしていると、彼女はそのまま溶けてしまいそうだ。

 黒い制服、黒い髪、瞳まで目立たないように塗りつぶしたような、黒。

 彼女は黒姫。

「なにか、危ないことをするんじゃないでしょうね」

 ヴァートが少し強い口調で言うと、彼女は驚いたようにぱっと顔を上げた。

「黒姫はそういうこともする、ともっぱら噂ですが」

「そうなんですか」

 言葉の表面の意味にだけ、表面的に答えを返して、彼女は終わりにしようとした。

 ヴァートは、手を伸ばした。

 彼女の腕を掴んで少しだけ引き寄せる。少しかがんで彼女の耳元に顔を寄せる。

「……ナツェル」

 もしこの場に他の誰かがいたとしても、聞こえなかったくらい小さな声で。

 彼女にだけ届くように彼女の名を呼んだ。

「あなたはそれで、僕にどうしろと?」

「どうって……ことはないけれど」

 彼女はうつむいたまま、でも逃げはせず。

「大丈夫だとは思うけれど、あなたは早くこの町を出たほうがいいと思う」

「どうしてですか」

「検問とか身体検査とかするかもしれない。町から出るのに時間がかかるかも」

 そうなったらそれはただならぬ事態だと思うけれど、でも彼女がそういうからには本当なんだろうか。

「あなたは? この町に留まるのですか」

 やわらかくたずねると彼女はちらりとヴァートを見上げた。

「はい。人手がいるそうなので」

「そうですか。……でも、ところで」

 納得しかけて、ふと、思考を巻き戻す。

「でもこれは、予想外の突発事項ですよね」

「はい」

「じゃあ元のあなたの要件は?」

「もとの、ですか?」

 ヴァートの言った意味がわからなかったのか、彼女は少し首をかしげた。あるいは、なんだっけ、と言っているようにも見える。

「そうですよ。わざわざ三日もかけて来たんですから、なにか仕事があったはずでしょう?」

 まさか忘れてませんよね、わざと睨むような顔をしてみせると、彼女が視線を少しさまよわせた。

 誰もいないことなんてわかっているはずなのに、まわりを気にするように。

 そして、表情をわずかに……ゆるめた。

 例えるならほっとしたときのように、少し力を抜いたような感じ。それが、微笑んでいるのだとは、ヴァートはすぐには思いいたらなかった。気付いて、あわてた。

「ここへ来たのは……ただ、あなたを見送りたくて、ついてきただけです」

 そして告げられたことに、目を丸くした。

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