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黒姫(5)

 昨日とはうってかわって、天気の良い朝だった。

 朝日が王宮と美しい大風車を夜から目覚めさせる。

 一晩中風車を見ているのは骨の折れる仕事なのだが、ヴァートはこの夜明けの瞬間が好きだ。

 世界が夜から朝へと切り替わると、ヴァートは立ち上がった。

 いつも座っている椅子で一晩過ごすのは、ここへ来た時の常で、設置してある仮眠用のベッドを使ったことはない。そんな仮眠ベッドに、今日はすやすやと寝息を立てている人がいた。

 振り返って見下ろして、どうしたものか、と思う。

 こんなに気持ちよさそうに寝てくれちゃって。起こすのが少し、気が引けるではないか。

 とはいえ、起こさないほうも問題なので、ヴァートはそっと手を伸ばす。呼びかけようとして……名前がわからないことに気付き、むっとする。仕方ないので彼女の肩に触れ、揺さぶった。

「起きてください、お姫さま」

 すると、彼女はすぐにうっすら目を開けた。

「ああ、おはようございます。ちょっと早いですが、夜が明けたので起こさせていただきました」

 だんだんと明るくなっていく小屋の中で、黒の彼女はのそりと体を起こした。

「僕はもう研究所のほうに戻りますから」

 ヴァートの言葉を考えるように聞いて、それから彼女は頷いた。

 そしてごそごそと簡易のベッドから降りる。

 黒い制服は乾かないまま横になったためかしわくちゃだった。それに気付いたらしい黒姫が、手で伸ばそうとしながらやや頬を赤らめる。なんだか普通の女の子らしい仕草に、ヴァートはまた微笑んだ。

「貴女も早く戻ったほうがいいみたいですね。大丈夫です、この時間には人なんていませんから」

 笑いながら自分の雨避けを手に取る。

 暖炉の火もとをもう一度確認してから、ヴァートは小屋を出ようとした。

「あの……」

 その時後ろから声をかけられた。

 驚きつつも平常心を保って振り返る。

「はい?」

「ありがとうございました」

 ぎこちなく彼女が礼を述べる。

「どういたしまして。風邪ひいたりしないでくださいよ」

 微笑みつつ言えば、彼女はゆっくりうなずいた。

「ごめんなさい」

「なにがです?」

「あなたのベッドを使ってしまいました」

「ああ……」

 どうやらそのことに恐縮しているらしい。

 それでこうして話をしてくれるのだったら大歓迎だ、などと思ってしまう。

「平気ですよ。僕はそのベッド、使いませんから、普段から」

 さらっと言うと彼女は首をかしげた。

 なぜ、と視線で問いかけてくる。

 それがわかって苦笑する。

 彼女の表情から、彼女の言いたいことを読みとるのに慣れてしまった自分がいる。

「僕は風車を見守りにここへ来るのであって、こんなところで眠ったりしません」

 答えると彼女は眼を瞬かせ、ベッドに目をやり、そして……頬を染めた。

「ああ」

 彼女の表情の意味に気付いて急いで付け足す。

「いいんですよ、貴女は眠ってくださって。風車は僕がちゃんと見てましたから」

 同じ目的でここにいたのに、すっかり眠っていた自分を恥じているらしい彼女が、とても微笑ましく見えた。

「ごめんなさい……」

 また、消え入りそうな声で呟く。

 ヴァートは早足に彼女に近寄った。

「気にしないでください。それよりいい機会だから貴女にぜひ、お聞きしたいことがあるのですが」

 ぐい、と顔を覗き込むと、彼女の黒い瞳に自分の姿が写りこんだ。

「貴女の名前、教えてください」

 その言葉に彼女がびくりと身をすくませた。

 でも、視線は外さなかった。

 相手の息遣いが届きそうな距離で、答えを待つ。

「……ナツェル」

 ぽつり、と紡がれた言葉。

 それは彼女の、名前。

「ナツェル」

 ヴァートは口に出して呟いた。

 不思議な響きだ。

 そして、にこりと笑った。

「安心してください。絶対誰にも言いませんから」

 彼女が、いやナツェルが頷くのを確認するかしないかのうちに、ヴァートは踵を返した。

「それじゃ、また」

 どこかほっとした表情の黒姫を残して、ヴァートは研究所への道をたどる。

(ナツェル……)

 その名を声に出さず呟いて、そして大切に胸の奥にしまった。

 誰にも見せない、誰にも知らせない。

 そして誰にも、教えない。

 黒姫と二人だけの秘密は、今朝の空のように透き通った色をしている、と思った。

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