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終焉の鐘の音(4)

 人の気配など、なかった。

 ツァイはずっとここにいた。

 ずっとひとりで、それからずっとふたりだった。

 そのはずだった。

 師匠が呼びかけても、人がいるようには思えなかった。そして師匠の視線を追いかけて振り向いた先にはやっぱり誰もおらず、なのに、その人は突然……出現した。

「うわっ!」

 あんまりにも、本物に突然そこに現れた女の子……それは自分より小さい女の子だった、に、驚いて声をあげてしまった。

「なんだ、こいつ! 魔法使いか!」

 ……けれど、そのやたらかっちりした雰囲気の黒い服を着た女の子は、ツァイのことをちらりとさえ見なかった。

「ツァイ、驚くのはわかりますが、女性に向かってこいつというのは駄目です」

 かわりになにくわぬ顔で師匠がたしなめた。

「え、う、ああ……」

 なんと答えればいいのやら、ツァイはしどろもどろだ。

 というか、この子はなんだ? 黒の、姫……?

「こんにちは、いえ、こんばんは、ですかね。ご無事でなによりです。王都に戻っていらっしゃったのでしょう?」

 師匠の、王都の知り合い、ということだろう。

 ずいぶんと丁寧に話しかけている。師匠や自分よりさらに年下のようだけど、王都の偉い人だったりするのだろうか。

 けれどそんな師匠に女の子は頷くだけで答えない。

「貴女は僕の知りたいことを知っていますよね」

 ヴァートの問いかけに女の子はまた、頷く。

 辺りが暗いからだけではなく、彼女は黒い髪と黒い瞳の持ち主らしい。それで、黒姫なんて呼ぶのだろうか。

「ツァイ、僕は戻ります。君は?」

 師匠は一緒に戻りますか、といつもと同じ顔で言ったけれど、あの全身黒づくめの女の子と一緒に歩く気にはなれず、ツァイは反射的に首を振った。

「星を見てる」

「そうですか。あまり遅くならないように」

「子ども扱いするな」

「おや、これは失礼しました。ではお先に」

 師匠はそう言って歩き出した。その背中を見送って……ぎょっとした。あの、女の子がいなくなっていた。今まで立っていた場所にも、師匠の隣にも。現れたとき同様、突然消えてしまった女の子に。

「なんだ、いまの……」

 眉をひそめて呟いた。



「ほおお、それはな、坊主」

 答え、のようなものを教えてくれたのは、ここフィンダイで長いこと風車の管理をしているという風車技師の老人たちだった。

 しわの奥に埋もれた細い目を大きく見開いて、深く感心したように頷いた。

「黒姫というのじゃよ」

 師匠が呼びかけると現れた女の子。

 でもあっという間に消えてしまった女の子。

 ここの長老格になんとなく話したら、周辺にいた老技師たちも寄ってきた。

 じいさんたちに囲まれて、ツァイはちょっと焦った。

「あ、ああ……。師匠も黒の姫って呼んでた」

 素晴らしい、おお、さすがじゃ、となんだか大絶賛が起こる。もちろんツァイにはちんぷんかんぷんだ。

「え、ちょっと待ってくれ、なんだ、その黒姫って」

 一番落ち着いていそうな長老に、ツァイは助けを求めた。

「坊主はその者の姿を見たのかの。黒き衣と黒き髪の持ち主であったであろう」

「あ、ああ……」

 あのときの女の子を思い出して頷く。

「その姿を不吉として、鴉の娘と呼ぶ国もあるらしいが、我がウィンダリアではむかしから、彼女たちを重用してきた」

「は?」

 黙って聞こうと思っていたツァイだけれど、思わず聞き返してしまった。

「むかしから? 彼女たち? どういう意味だ?」

「黙って聞け、坊主」

 で、すぐさま叱られた。

「黒姫は世界中に溶け込んだ人の闇。どこにでもいて、なんでも知っておる。けれど人とは親しからず、言葉も交わさぬものじゃ」

 そういえば、あの女の子も師匠の言葉に頷くだけで、一言も口を利かなかった。

「彼女たちにもなにか目的があるのじゃろうて、ときに人を選ぶ」

「人を、えらぶ?」

「それは彼女らの意思なれど、友好でありたいと願う我が国は、代々国王自らが、彼女たちを擁護しておる」

 ……言葉のひとつひとつの意味はわかるのに、長老の言っていることがわからない。

 それで、つまり、あの子はなんなんだ?

「エメルダ殿は黒姫とが親交あるのか」

「親交っていうか……師匠が呼んだらあの子が出てきて、師匠が言うことに頷いたっていうくらいだけど」

 長老は、目を閉じた。

「黒姫に選ばれし者、あるいは、天空の門を開かん」

 その一節を口にした。

 え、と思った。どこかで聞いたことがあった。どこか、といっても、そんな古めかしい文章は、神殿でしか聞かないものだ。

 ツァイは神殿のお祈りなんてあまり熱心ではなかったけれど、神殿の巫女が話すお話の中には、星詠みが登場することがあるので、一応一通りは耳を傾けたのだが、あまり意味は理解できなかったのだ。

 天空の門とか、月の王とか。星と関係があるのかないのか、自分の知識ではわからない。

「昔話かお伽噺か。あるいは予言なのか。神殿に伝わる物語じゃよ」

「あ、ああ。聞いたことはある、ちらっと。でもその黒姫ってのが何者なのか、結局わからないじゃないか」

 ツァイが口を曲げて再度たずねる。

 長老は、目を伏せたまま、ぽつりと答えた。

「わからんのじゃよ」

「は?」

「誰にもわからんのじゃ……何者なのか。なにをしているのか。なんのために存在するのか。どこにいるのか。彼女たちは語らぬ。ゆえに誰にもわからぬ」

「そんな……そんなもの、信用できるのか?」

 ぼそりと呟いたツァイに、けれど誰も答えなかった。

 静まり返ったのは一瞬。

 けれど……だからこそ。

 そのとき打ち鳴らされた鐘の音が、大きく鳴り響いた。

 ぎょっとして誰もが窓に目を向け、誰もが息をのんだ。

 遂にこの目に見えるところに、炎が現れてしまったのだ。

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