表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/31

終焉の鐘の音(3)

 サグーンとの国境沿いだ、と聞いたのに。

 ここから聞こえてる鐘の音はどんどん南のほうへ広がっている。

 おかしい、と思う。

 森の中だと聞こえてくる方向が分からなくなることはあるが、海を背にした風車の上にいれば、惑わされることもないはずだ。

「師匠!」

 いまでは引き留められるどころか、見張りすらいない風車を滑り降り、こちらへ向かって来たヴァートへと駆け寄った。

「おや、いないと思ったらこんなところに」

 目が合うとヴァートはにこっと笑いかけてきた。

「昼でも君の眼には星が見えるのですか」

 牧草月の青い空を師匠が見上げる。

「星じゃなくて鐘の音。なあ、北の国境沿いって、あんたは行ったことがあるのか? 遠いのか? そっちの音はいまここまで届いているのか?」

 まくしたてるようにたずねると、風車技師の師匠はおやおや、と目を丸くした。

「またまた。僕の弟子がいっぱしのことに気づいちゃいましたね?」

「……え?」

 茶化して話をそらしたのかと思ったが、そうではなかった。反対だ。どうやら、ど真ん中だったらしい。

「ええ、いま僕も聞いてきましたよ。トスカが大変なことになっているらしいです」

「は? トスカ? って、東の港町?」

「ええ、そうです」

 ヴァートの口から出てきた地名にツァイがぽかんとする。

 王都は内陸の町だった。それから北の国境と聞いていた。

 大変だということはわかるけれど、どちらも行ったことのない遠い世界だったのに。

 いきなりトスカはないだろう、とツァイは思う。この南の海岸近くに点在する集落の人々にとってみると、トスカは身近にある一番大きな町なのだ。

「大変なこと……て?」

 おそるおそるたずねる。もう自分の想像の範疇ではない。とっくに超えている。

「市場の複数の場所で火の手が上がり、町全体に広がったと聞いています」

「は……?」

 なんだそれは?

 ツァイはぽかんとした。いや、もう何度目かわからないけれど。

 でも、だっておかしいだろう?

 変だ、奇妙だ、とツァイにだってわかる。なのになんで、師匠はこんな、いつも通りの余裕ぶった顔をしているのだろう。

「そうですか?」

 そのことをたずねると、ヴァートは意外そうな顔をした。

「落ち込んでいるピークが過ぎただけですよ。それに僕は……なんだか一番運が良かったようなので、ちゃんと考えて見届けないといけないな、と思っているだけです」

 この国の命運を、とはヴァートは口にはしなかったけれど、つまりそういうことなのだろうな、と感じてしまった。

 運が良かった。師匠はそう言った。もしかしたら彼は王都にいて巻き込まれたかもしれないのだ。トスカにも立ち寄っていた。

 でも、師匠はここにいる。

「君の見ている星、というのは、どんなことがわかるんですか」

 海風を受ける風車の下で、師匠がたずねてきた。

「え……えっと」

 見えることが自然のツァイにとって、それを見えない人に説明するのは難しい。

「君は確か……ここへ来てすぐに言いましたよね、危ないって。この国は平和なんじゃないのか、て。あのときはまだなにも起こってなかった。そしてあの夜まで君はそんなことを言わなかった。それは、つまり?」

 ヴァートが小首をかしげてたずねてくるが、そんなことツァイにわかるはずがない。

「つまり、っていわれても」

「でも君は、凶星が見えるといって僕を待ち構えていましたよね、道端で」

 なんだか棘のある言い方で、師匠はむかしを掘り返す。いや、むかしと言ってもほんの数日前のことだ。まだ月も変わっていない。

「えっと……」

 ヴァートがじっとツァイを見つめてくる。説明しろってことだよなあ、と思う。

 師匠は確かに頭のいい人だけど、自分は風車技師なので星のことはさっぱりだと言っていたけれど、でも確実に……自分より頭がいい。

 うん、そうか、とツァイは頷いた。だから、説明するのか。

「星は、星だ。夜空に見えるたくさんの星と同じ。アンデルシアは金の星、サグーンは青の星」

 手探りのように話し始めると、ヴァートは静かに頷いた。

「はい」

「ウィンダリアの星は、白い星」

「白……ですか」

 ぴんとこなかったのか師匠はまたたきした。この人、まつ毛長い。

「農作の星も白いよ」

「そうなんですか? じゃあ森の国という意味なんでしょうか?」

「さあね。僕はそうなんだって知っていることはあるけれど、詳しい人に習ったわけじゃないから意味まではわからないな」

「ああ、そうでした。どうぞ続けてください」

 師匠が促す。それから、なにを話せばいいんだろう。

「それで……その白いはずのウィンダリアの星が……もともとオレンジっぽかったんだけど、それがちょっと前から濃くなってきて」

「濃く、というのは?」

「あ、つまり、白がオレンジに変わってきて」

「ちょっと前とはいつ頃ですか。思い出せる限り正確に教えてください」

 ツァイの大まかな説明に、ヴァートが指摘する。

 いや、まるで手を差し伸べるような感じで。

「えーと。えっと」

 思い出せ、とツァイは自分の頭に命令した。

 生まれ故郷の村で、しんどいわりに収穫の少ない畑仕事を手伝って、とはいえツァイの手伝いは役に立たないとか言われて、口では怒っていたけれど、そんなの自分だって本当はわかっていたから、畑の手伝いはだんだん減って、星を見るばっかりで。

 でも芽月になって、星を見ているときの風が心地よくなって、畑に入れる肥料を運ぶのを手伝ってと言われて……あのとき。

「芽月だ。芽月の初めの頃。畑に肥料を追加するとき!」

 思い出して大きな声を出すと、師匠がへえ、と感心した。

「君でもちゃんと畑仕事の手伝いをしたんですね」

「そんなこと……!」

 師匠が感心した点に一瞬腹が立ったものの、あまり手伝っていなかったのも事実で、ツァイは急いで話をそらした。

「いやだから。芽月の初めだ。その頃に白い星がオレンジになっていって、この国は大丈夫なのかって……まあ、思ったんだ」

 今思えばずいぶんと思いあがった発言だが、そのときは本当にそう思ったのだ。

 ほんの二カ月もたっていないのに、自分はずいぶんと変わったものだ。

 そしてそのかわった原因たる人にちらりと目をやると……師匠は指をあごに当て、考え事の顔をしていた。

「師匠?」

「ウィンダリアの星が白からオレンジに変わった。それから? 僕に会ってその頃は?」

「え……と、師匠と会うまでは毎晩見てたけど、ずっとオレンジだった。でも、その、師匠と馬車で移動しているときは……」

「あまり見てませんでしたね。星を見る、というのが僕らと同じ夜空を見上げるという行為だとすると」

「う……そうなんだ」

 おやおや、と、師匠はわざとらしく呆れた表情をしてみせた。

「そして、ここに着いて、風車に登って。あのとき君は顔色を変えましたね。今度は何が見えたんです?」

 聞かれて、ぎくりとした。思わず、風車を見上げた。

「星が……」

 久しぶりに空を見上げて、見慣れた配置を目で追って……その色に、ぎょっとした。

「色が、かわっていたんだ」

「それは?」

「ウィンダリアの星が、赤くなっていたんだ」

 短い期間でそんなふうに変化するなんて知らなかった。

 ツァイには自らの少ない経験しか知識がないので、それがよくあることなのか、異常なことなのかがわからなかった。

「赤……というのは、なにか意味があるのですか」

 ツァイの様子がただならぬと感じ取った師匠は、それでも目をそらさずたずねた。

 だから、ツァイは答えなければ。

「赤い星は……星の終わり。燃え尽きて終わる星の色」

 口にして、ぞっとした。

 あまりにもいまのこの国のようではないか。

 師匠は口をつぐんで、だからしばらく静かだった。

 潮の香りと海からの風、風車が動く音しかしない。

 あたりはいつの間にか夕暮れていて、空は薄青から紺色へ塗り替わっていた。

 師匠はじっと黙りこんでいた。

 ツァイの話からこの人はどんなことにたどり着くのだろう。

 長いのか短いのかわからない時間が過ぎ、ふいに、師匠が顔を上げ、そしてまっすぐに見た。

 ツァイではない、なにかを。

 ……そして。

「話は全部聞かれましたか。僕より貴女のほうが詳しいと思うので、ぜひともご意見をいただきたいのですが、黒の姫」

 ヴァートは、風車の向こう側に向かって、声をかけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ