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風と炎が出会うとき(2)

 ガルシアは太守館から出ると、辻馬車があると聞いたほうへと急いだ。太守館から歩いてすぐのところだ。

「あ!」

 片眼鏡を押し上げて、ばたばたと走り出す。

 その気配に気付いたのだろう、ガルシアの視線の先で、少女が振り向いた。

「またお会いしましたね!」

 声をかける相手は黒い制服の娘。ガルシアを見返す黒い瞳には、なんの感情も浮かんでいないように見える。

「あなたも王都へ?」

 駆け寄って並ぶと、大人と子どもにしか見えないが、ガルシアは少女を子ども扱いなどしなかった。

 黒の少女はちらりと馬車に目をやったが、首肯することなく黙ってガルシアを見返した。

 御者の男が顔を出した。

「出発するよ、そこの兄ちゃん、乗るのかい?」

「えっ? あ、はい、王都へ行くんですよね、これ?」

「そうだよ、乗んな!」

「はいはい乗ります」

 ガルシアはへらへら答えると、黒の少女に向かっておかしな手招きをした。

「ほら乗りましょう。ご挨拶は馬車の中でゆっくり……」

 今にも彼女の背中を押して乗り込もうとするガルシアの前で、少女はゆっくりと、でもきっぱりと首を振った。

「へっ?」

 きょとんとしたガルシアに、再び御者が顔を出す。

「ほら兄ちゃん、時間だよ!」

「えっ! あ、わ、すすす、すみません! 大変です、忘れてることがありました!」

「はあ? なんだよ、乗らないのか。じゃあ行くぜ」

 ガルシアがすみませんとぺこぺこするのを見もせずに、御者は馬に鞭を入れた。

 ふたりの横を人が数名乗った荷台がのろりと動き出し、がたがたと音を立てつつ遠ざかって行った。

「……はあ」

 それを見送ってガルシアは肩を落とした。が、自ら気合いを入れ直して顔を上げ、傍らの少女を見下ろした。身長差があるので、ガルシアは少し腰をかがめて覗きこんだ。

「どうしました? 馬車、行ってしまいましたよ? なにかお忘れ物ですか? は、もしかしてお金が足りなかったとか! えっと……わたしのフトコロでふたりぶんは……。いえ! 銀行に行けばありますよ! まかせてください!」

 勢いよく顔を上げ、きょろきょろと周囲を見回す。そこらへんに銀行が……。

「あるわけないですよねぇ。えっと、どこへ行けばお金はおろせますかねぇ?」

 再び肩を落とし少女を覗きこむ。

 黒髪の小柄な少女はじっと無表情にガルシアを見返していたが、しばらくして小さく、でも大きくため息をついた。

「そうではありません」

 少女が小さな声で言った。

「え? ではなぜですか?」

「なぜでもいいでしょう。あなたこそなぜ馬車に乗らなかったのですか。次の便は夕方ですよ」

 黒の少女が……まるで無理をして喋っているのを、ガルシアはちっとも気にしたふうでもなく胸を張った。

「女性が困っているのに助けないのを、紳士とは言いません」

 えっへん、と自分に酔ったようなガルシアの鼻の上で、片眼鏡がずるりとずれた。いつものようにそれを手で押し上げて、ガルシアは元の笑顔に戻る。

「お金がないのでなければなんですか、忘れ物? もしかして待ち人来たらず?」

 思いつくままにたずねるが少女は黙ったまま、背を向けた。

「ひえっ? あ、あの、無視ですかっ? 待ってくださいよぅ」

 ガルシアがあわてて追いかける。もちろんすぐに追いつき、すぐ後ろを歩く。

「どこにいくんですか? エスコートはいりませんか? いえいえ、へんな下心はありませんよ、本当ですっ」

 ひとりで勝手にわめいてひとりで勝手に焦っているガルシアを、少女はしばらく歩いてやっと……立ち止まり、振り返った。その幼い顔は、少し眉がひそめられている。ガルシアは意味もなく両手をあわあわと動かした。

「ご、ごめんなさい。うっとうしがらないでくださいっ! 女性は繊細で困るなあ……あ! いえいえなんでもないです!」

 それでも、少女は何も言わない。

「あの……」

 ガルシアが肩を落として少女を見つめる。まるで捨て犬かなにかのようだ。

 ひょろりとのっぽの男が、小柄な少女を前にして。

 ぐーきゅるるる。

 妙に音が響いた。

「……あ」

 しぱしぱとガルシアが目を瞬かせる。

「あのー」

 ぼりぼりと薄い色の金髪を掻く。それからへらり、と照れたように微笑んだ。

「よろしければお食事をご一緒しませんか」

 ずっと無表情のままだったけれど、黒い瞳の少女は困ったように少し、首をかしげた。



 風の王国ウィンダリアの最大の商業都市、港町トスカは、明るくて活気のある町だ。

 ものが多い町には人も多く集まる。

 国柄でもあるのだが、店も人々も開放的な雰囲気であることが多い。

 そんな中でこの黒い制服は不思議なくらい目立たなかった。

 何でも受け入れるのも国民性だろうか。

 目の前の料理をかきこみつつ、ガルシアは頭の隅で考える。考えていると。

「……ぅわちっ!」

 口の中に入れたものがものすごく熱くて、悲鳴を上げた。

「あちっあちっ」

 ひーひー言っていると、すいっと水の入ったコップが差し出され、ひったくるように水を口の中に流し込んだ。ごくごくあおってやっと一息。

「た、助かりました……」

 涙目でテーブルの向こうに礼を言う。それからあらためて料理を指差す。

「これ、チーズですよね」

 こくんと目の前の少女が頷く。

「ご飯の上にチーズをのせて焼くなんて、初めて見ました。とんでもない組み合わせだと思いましたが、なかなかイケますね」

 こくん、と目の前の少女がもういちど頷く。

 ただ、とガルシアは涙目でもう一口水を飲んだ。

「こんなに熱いものとは知りませんでした」

 無表情な少女が、わずかに呆れたような色を目の奥にちらつかせたが、一瞬だった。

 彼女は食事も頼まず、グラスを前にしているが、それも口をつけたかどうかわからない。

 ガルシアはというと只今三人前を完食目前にしている。

「すみません、わたしひとりで食べて。あの、それ、お好きじゃなかったですか、ココナッツミルク」

 注文を取りに来た女性が、今だけのおすすめだと言って示した飲み物が甘そうだったので、彼女のために注文したのだけれど。

「……」

 ガルシアが覗きこんで返事を待つ。

 少女はしばし沈黙のままだったが、やがてためらいがちに口を開いた。

「嫌いじゃないのですが……ちょっと、いまは、理由があって飲めないんです」

「ええっ? そうなんですか? そ、それはかえって悪いことをしましたかね?」

 あたふたするガルシアに、彼女はほんの少し、微笑んだ……ような気がした。

 ガルシアは最後の皿をきれいにたいらげると、ふーと息を吐いた。

「さぁて、腹ごしらえもしましあし、次こそ王都行きの馬車に乗りますよ!

 拳を突き上げるガルシアを、黒髪の少女はじっと見ているだけだった。

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