サクラサク 春
春を目前に、受験、卒業式と日は過ぎて。
今日は、総合大学の合格発表だった。
最初の予定どうり、リョウと原口と俺の三人は総合大を受けた。ジンは英語コースの特別枠推薦で、一足先に第一志望の外大に合格。なので、今日の結果は各自がジンに報告して、ジンからそれぞれに連絡してもらうことにした。
一緒に見に行って、誰かが落ちてたら気まずいだろって、ジンの心配りに乗せてもらう。
一番乗りで結果を見に行ったのは原口だったらしい。俺がジンに合格の電話をしたら、奴の合格も知らされた。
〔亮は、まだだな〕
〔アイツが落ちるわけ無いだろ。とりあえず今から学校にも報告に行くから、そっちで会うかもしれないけど〕
〔ああ、そうか〕
先生によろしくー、って言ってるジンの声を聞いて、受話器を下ろす。
家にも報告の連絡を入れて。
俺は高校へ向かった。
職員室で担任と吉村先生に報告をして、ウロウロと時間をつぶしたけど。リョウがやってくる風でもないので諦めて、帰ることにした。
校門の手前で、俺と同じように報告に来たらしい、リョウと由梨に出会った。リョウが小さく、Vサインをしてみせる。ほーら、やっぱり。合格、だろ?
ひとつ頷いて見せて、由梨の方を見る。
彼女も確か、今日は看護大の発表。
彼女は、俺にとって懐かしい表情をしていた。
昔、昔の大昔。まだ楽しそうにレッスンに通っていた頃の、曲を仕上げて先生に合格を貰った時と同じ顔。『やったー。花丸!!』って、歌うようなはしゃぎ声まで聞こえてきそうだし、ポニーテールも、心なしか弾んでいる気がする。
これは、合格だなって思いながら、彼女に声をかける。
「由梨、どうだった?」
「出会いがしらに、訊く? 私が落ちていたら、どうする気よ」
結果も教えてくれずに、文句を言う由梨。
いや、落ちてたら文句を言う元気も無いだろうから、合格だな。ほんとに判りやすいんだから。
どう見ても受かった顔だよなって、リョウに尋ねたら
「いや、微妙。俺、ここまで訊けずに来たし」
首をかしげるようにして、返事が返ってくる。
えぇ? 判らないかな?
あ、だから。”こっそりVサイン”だったのか
そんなリョウの答えに、デリカシーが無いとか何とか由梨に責められながら、
「で、受かった顔だろ? ダメだった時の顔じゃない」
何気なさを装って、”彼女の表情をよく見ている俺”をアピールする。
「はいはい、正解です。合格しました」
怒ったような声で返事を返しながら、彼女の視線がそれる。
「ほら、見ろ」
って笑いながら、俺は由梨の頬がほのかに上気していることに気づいた。
二人と一緒に、職員室に引き返す。
昇降口の横の大木は確か……八重桜。
サクラ、咲いたな。
春から、みんなで大学生だ。
春からの生活をどうするか。発表の日の夕食後、両親と話し合った。大学までは、通って通えなくは無い距離で、このまま家から通うのか一人暮らしをするのかって。
「正志は、生活が不安よね」
父さんに食後のお茶を渡しながら、母さんが失礼なことを言ってくれる。
「そう?」
「ええ。学校も行かずに、楽器を弾いてそうで」
親の目が無かったら、どこまでいい加減になるかしら。
自分のお茶を手に、母さんがため息をつく。
「高校、ちゃんと行ってたじゃないか」
「家事、何も教えてないし……」
そりゃぁ。勉強とギターで高校生活を埋め尽くしたようなもんだけど。
「母さん。それでもいつかは、出て行かさないと」
父さんが、笑いながら言う。
「何十年か先には、独りになるんだ。俺たちは不死身じゃない」
「それまでに、お嫁さんが来てくれたら安心だけど」
「このまま、”何もできない”じゃ、お嫁さんも来ないぞ」
「そうよね。こんな状態で来てもらったら、相手に気の毒かしら」
何気に、ひどいことを両親が言い合っている。
将来、由梨と結婚することができたとしたら……。うわ。ボロカスに文句言われてそうな様子が、目に浮かぶ。確かに駄目だな。今のままじゃ。
俺が、予想というより妄想に近い世界に意識を遊ばせている間に、両親の間で話が進んでいた。
「ってことで、正志」
「え? なに?」
「聞いてなかったのか」
父さんに目で叱られる。
「はい、ごめんなさい」
「まぁ、いい。大学の四年間で、必要なことを身に着けろ。で、社会人になったらひとりで生活する。いいか?」
父さんの言葉に、身を引き締めて頷く。
これからの四年間は、音楽を学ぶだけじゃなくって、一人の人間として立つための時間になる。
入学式を目前にした平日、学園町まで遊びに行った。大学の周りをちょっと探検って。
駅で、電車を降りて。さて、どっちへ行こうかって思っていると
「まっくん」
聞きなれた声に、聞きなれた呼びかけをされた。
「よう。どうしたんだ?」
「『どうした』って。昼ごはんの買出しに」
そう答えた由梨は、小さなバッグを目の前に掲げてみせる。
「昼飯? わざわざ?」
電車乗って、楠姫城まで?
「はぁ? 何、言ってるの。わけ、わかんない」
あれ? 会話がかみ合ってない、のか。
「お前、自宅通学だよな?」
そこから、改めて確認。
「ううん。実習とかが始まったら、遅くなるらしいから、こっちで部屋を借りた」
「ああ、そうか。それで昼飯なんだ」
なるほど。俺より三駅向こうだしな。女の子が夜道を歩くのは、危険、危険。
「まっくんたちは?」
「俺は、自宅通学。リョウは『そんなもん、通えるわけねぇだろ』って、こっちで部屋借りるって。ジンなんか市をまたぐし」
そもそも高校までが遠かった分、大学まで一番近い俺が、”かろうじて通える距離”なんだから。実家が笠嶺市にあるジンや原口は元より、高校まで電車で二駅と近かったリョウも通うのは、かなり厳しい。
今さっき俺が降りた電車はジンたちの実家のある笠嶺市から北上して、俺たちの高校があった蔵塚市の北側を馬蹄形にぐるっと回り込んでから西へと延びて、学園町に至るような路線になっている。俺や由梨が高校時代に乗っていたバスを使っても……無理そうな話だ
蔵塚市の北部に市役所のあるターミナル駅があったりするから、”大人の事情”ってやつだろうけど。まったく『誰だ? こんなふうに線路を敷いたのは』って言いたくなる。
空中に路線図を書きながら説明する俺に、由梨が『ああ、なるほど』って、相槌を打つ。
ふと見た駅の時計が、午後一時を指そうとしてる。
そういえば……
「昼、俺も食ってないんだけど。どこかお勧めあるか?」
「あ、じゃぁ一緒に食べる?」
あっさりと、お誘いがくる。お前、深く考えてないな。まあ。一緒に飯食えるなら、願ったりかなったりだけど。
二人で連れ立って、その日は由梨お勧めのサンドウィッチショップで昼飯にした。
授業が始まって、バイトなんかも始めて。
「なぁ、原口のことなんて呼ぶ?」
入学して、最初の土曜日。ファストフードで昼食をとりながら、リョウがみんなに質問を投げかける。
「お前、下の名前なんだったっけ?」
「”朔矢”だよ。忘れたのか?」
テーブルの下で、蹴られたらしいジンが顔をしかめる。
「じゃぁ、お前、中学の頃の同級生の名前って出てくるのか?」
「まずな……」
指を折りながら原口が、次々と名前を挙げる。
「原口、ストップ。お前の記憶力は分かったから。話、続けさせろ」
リョウが笑いながら、ストップをかける。
「”サク”って、音読みだっけ?」
ジンが、ポテトで原口を指しながら尋ねる。
「ああ。訓読みなら”ついたち”」
へぇ、そうなんだ。って、俺たち三人が感心の声を上げたのに対して、両手を挙げて応える原口。どこの大統領だ。
「だったら、簡単だな。『サク』だ」
リョウがあっさりと決めた。それを受けて、
「オッケー。じゃぁそれでよろしくー」
オレンジジュースを手にした”サク”が、うれしそうに笑った。
新しい生活に、そろそろ馴染んできた頃。
「マサ、ゆりと会ったりしてる?」
ジンが尋ねてきたのは、リョウの部屋で男三人、夕飯を食っていたときのことだった。サクはバイト中で、あと一時間ほどしたら合流するとか。
リョウが『カレーが食いたいから作った』とか言って、誘われるがままにリョウの部屋に集まって、ご馳走になっていた。
「いや、全然」
春に偶然駅前で会って以来、どうも彼女とは動線が重ならないようでまったく顔も見ていない。
「ゆりも呼ぶか? 一人暮らし、してるんだろ」
缶ビールのおかわりを冷蔵庫から出しながら、リョウが言う。
「いや、由梨は忙しいだろうし」
実習とかで遅くなるようなこと言ってたからって、リョウの提案を断る。
いくらお前らでも、男ばっかりで酒も入っている状態で部屋に呼べるわけ無いだろうが。
リョウのやつ、何を考えているんだ、って思いながら俺も缶ビールに口をつける。
「だったら、同窓会、やろうぜ」
「だったら、ってなんだよ」
リョウが言い出した言葉に、理解が追いつかない。『わけ、わかんない!』って、由梨みたいに叫んでみるか?
「いきなりだったら、忙しいだろうしな。前もって、都合のいい日に約束して呑みに行こうぜ。サクの紹介も兼ねて」
「サクの紹介って」
「『新入りでーす、よろしくー』って」
俺たちの会話にジンが声色を使って混じってくる。お前の低い声でやっても、かわいくないから止せって。
「マサ、TEL番知ってるんだろ? かけてみろって」
「何で、俺が」
「あ、じゃぁ、俺がかけてやるよ」
リョウの言葉に最後の抵抗をしていると、ジンが『ほら、TEL番よこせ』って手をだす。
「いいよ、俺がかけるし」
なんとなく口の周りを手で拭いて、電話に向かう。
「最初っから、そう言えよ」
ジンの声に、振り向くとビールを片手に大笑いしてる。
アドレス帳を片手に電話をかける。
初めて、だ。由梨と電話で話すのなんて。
〔もしもし?〕
〔由梨?〕
〔そうだけど。どうしたの?〕
おい、俺って分かってるのか?
〔分かってるわよ。『ゆうり』って呼ぶの、あんたしかいないじゃない〕
そうか。そうなんだ。
〔どうしてる?〕
なんだそれ、って自分でも思っている後ろで、リョウが声を殺して笑っている気配がする。振り向いて、その背中を蹴りながら、由梨の声を聞く。
ざっと、互いの近況をはなして
〔で、何?〕
〔リョウが、同窓会やろうぜって〕
やっと本題に入った、って小さな声でジンの茶々が入る。
〔はぁ? 同窓会って……入学からまだ二ヶ月ほどなのに?〕
〔それは、そうなんだけど〕
『わけ、わかんない』がそろそろ来そうで。次の言葉が出てこなくなってしまった。
リョウに助けを求めた声が、向こうに聞こえたらしく。
〔まっくん?〕
受話器からの声に呼ばれる。
〔あ、なに?〕
〔今、どこからかけてるわけ?〕
〔リョウの部屋〕
〔亮くんに代わって〕
はぁ、ってため息混じりに言われて、リョウに代わる。
あー、疲れた。何で、電話だけで疲れるんだろ。
ジンが笑いながら、そんな俺の肩を叩く。
俺は、ぬるくなったビールに口をつけた。
約束の土曜日。俺たち四人は駅前で由梨を待っていた。
人ごみから、スポットライトが当たったように彼女の姿が目に入る。
そうか。制服、じゃないんだ。ハイヒール履いちゃったりしてるんだ。
薄化粧を施した由梨の顔が、驚きの形になったのが見えた。
「引いてるな」
「そりゃそうだろ、サクなんて金髪だし」
リョウとジンが可笑しそうに小さな声で話し合う。俺も含めた全員が大学に入って、髪の色を変えたし、ジンやリョウは伸ばしているし。
「ゆり、こっち」
ジンのよく通る声が、彼女を呼ぶ。
渋々ってのが丸分かりの表情で、こっちに歩いてくる。
「久しぶり。別人かと思った」
俺たちを見渡すようにして、そう言った由梨は初対面のサクに目礼をする。
「よろしく。ジンくんたちの高校の同級生で、中村 由梨です」
サクを紹介された由梨の自己紹介が、久しぶりに聞く”う”の音になっていることに、うれしくなる。
やっと、ちゃんと名乗るようになったんだなって。
次の段階は、『ジンの』友人じゃなくって。俺の……って、言って欲しいな。
リョウが予約を入れてくれていたチェーンの居酒屋にゾロゾロと向かう。
店に入って、ビールで乾杯をして。いつもの流れで飲み会が始まったけど。
俺の隣に座った由梨が、一口飲んだところで
「うえー」
と、小さく唸った。飲めない、のか?
「由梨、飲めないなら他のに変えろ」
残り、片付けるくらいしてやるから、ってグラスに手を伸ばそうとしたら、
「いーや。せっかく”飲み”に来たんだから」
ふん、ってそっぽを向いて両手でグラスを握るようにして、ビールを口に運ぶ。
そして、ひとこと。
「やっぱり、苦いー」
だから、止せって。
何とか由梨からビールを取り上げようとしつつ、互いの学校の話なんかをしていて。由梨の口から『合コン』なんて言葉が出てきた。そりゃ、な。するだろうよ、合コンも。本人が言うように、看護婦の卵なんて、やさしそうなイメージがあるから、男からしたら垂涎もんだろ?
面白くないって気持ちと、俺が止める資格もないしって思いとを飲み込むように、ビールを流し込む。
「サクくくんの」
サクを呼ぼうとした由梨の言葉が、勢い余ったって感じで妙なことになった。
「『サクくくん』、って。由梨、お前酔ってるだろ」
「酔ってない。”く”が続いて言いにくかっただけでしょ」
下から掬い上げるように、俺の顔を睨むように見る由梨。どうも意固地になっているみたいに、頑なにビールを飲もうとしてるし。
そんな俺たちを、仲裁するようにサクが
「ゆりさん。言い難かったら、無理に”君”つけなくっていいから」
なんて言い出したのに、由梨はといえば
「サクくんだって、私のこと呼び捨てじゃないから、嫌」
って、絡み出すし。お前、立派に酔ってるだろ。
なんだかんだとサクと由梨が押し問答をして。
「じゃあ、サクちゃん」
どうだ、って顔で由梨がした提案に
「OK、サクちゃんで」
サクが、調子に乗ってOKを出す。
「ええぇ、いいのかな? 酔っ払いの戯言なのに」
俺にだけ聞こえるくらいの小さな声でつぶやいて、由梨が首をかしげている。
『酔っ払い』って自分で思うくらいなら、そろそろビールのグラス、置けよ。
”看護師”に呼称が統一される前、”看護婦””看護士”時代の設定です。
未成年者の飲酒は、法律違反です。