初めてのステージ
文化祭も佳境。
そろそろ、俺たちも野外ステージのスタンバイの時間が近づいた。
ステージの袖から、客席を見渡す。
学食棟裏の小グラウンドに設えられた客席は、満員で。食堂へと通じる石段にまで、人が居る。去年よりも、多い気がするのは、俺自身が緊張でビビッて居るせいかな。
石段のあたりに数人居る、女子。一番背が高いポニーテールの子が由梨のような気がする。気がするけど、ちょっと遠くって顔がはっきりしない。
うん、でも。来てくれたって思おう。ギター聴いてもらうのって、そういえば初めてだな。
ストラップをかけていない方、右肩に重みが乗った。リョウの指の長い左手が肩に置かれて、肩口に顔を伏せるようにもたれ掛ってきている。
「おい、どうした? 食いすぎか?」
右手で口元を押さえている姿に焦る。
リョウは、フルフルと頭を振ると
「何で、ここにいるんだよ」
って、小さな声が聞こえた。
「はぁ?」
何でって。一緒にやるためだろうが。
「朝から……どれだけ俺の心を乱しゃ、気が済むんだ」
「おい? 大丈夫か?」
フォローのしようもないから、分かるように話せよ。
腹の底から、吐き出すように深呼吸を繰り返して。体を起こしたリョウは、頭をそらせて天を仰いだ。
「よし、がんばろう!!」
そう言ったかと思うと、肩のストレッチを始めた。
ああ、もう。由梨の口癖じゃないけど『わけ、わかんない』
「大丈夫なのか?」
「うん。せめて、格好いいところ見せる」
「誰に?」
そう尋ねた俺に、リョウは泣き笑いのような笑顔を見せた。
「二度と話すこともできない、好きな女に」
〈 さて、皆さんおまちかね、去年の一番人気。ジンとリョウがパワーアップして登場だ 〉
司会の声に呼ばれて、ステージに出る。
パワーアップって。
誰だ。そんな、恥ずかしいこと言ったのは。
ジンを真ん中に挟んで、ステージの上手に立つリョウと目を合わせる。
目でカウントをあわせて、最初の一音を弾く。
流れるイントロにジンの声が乗る。
今まで練習してきた狭い部屋とは違う野外のステージに、歌声がどこまでも伸びていくのが見える気がする。
ああ。リョウの言ってた言葉が、実感を伴って俺に浸みる。
確かにこの声は、世に出ないといけないよな。
俺たちが、この声を世に出せたらいいよな。
俺たちが演奏したのは、コピーを三曲。
最後の一曲は、日本語のバラードを選んだ。
これまで英語の曲ばかり歌っていたジンが歌う、初めての日本語詞。
今まで放射状に広がり続けていたジンの声が、見えないドームを作るように会場を包み込む。
客席が、静まり返る。
けれども、視線が熱い。
最後の一音が、消えたとき。割れるような拍手に俺たちは包まれた。
さっき、ステージの袖で俺にすがりつくようにしていた姿がうそのように、晴れやかに笑うリョウと目が合う。
〈 今年も、聞いてくれてありがとう。ジンとリョウそしてマサ でした 〉
ジンの言葉で締めくくって。俺たちはステージを降りた。
やり遂げた充実感にフワフワしながら、校舎へと向かう。この後はギターを部室に戻して、少しだけ模擬店を見てから、クラスのほうの当番をして……って、段取りを考えていたら、隣を歩いていたリョウが振り向いたかと思うと、ピタッと足を止めた。
「チョイ、待った」
言われるがままに、俺とジンも立ち止まる。
後ろから、私服の男子が小走りに近づいてきた。他校生、だよな。リョウの友達か。
「どうだった? バージョンアップだろ?」
彼が近づくのを待って、リョウが言い出した。
「ああ。すごかった。特に最後のバラードが」
返ってきた言葉に、ふふん、と、リョウが得意げに笑う。うん。あの選曲はナイスだ。
昇降口のほうからジンを呼ぶ声がして、運営委員の腕章をつけた奴が手招きをしている。
「ごめん、はらぐち。ちょっと行ってくるわ。今日は聞いてくれてありがとうな」
そう、言い残して、ジンが走り去る。
ジンとも知り合いなんだ?
ジンの後姿を見送る奴の顔を改めて見直して、どこか見覚えがある気がしてきた。
どこで見たっけ?
「なぁ、さらにバージョンアップする気、無いか?」
リョウにそう話しかけながら、左手の指先をこすり合わせる。奴のその仕草は……数年前の俺もしていたことがある仕草。ギターだこができて、それが気になってつい触ってしまうときの。
ギターしてる奴か。
……いや。違う。
「おまえ、笠嶺のベースだよな。軽音部の」
去年、南隣の市で見た、なかなか良い腕をしてた奴。そうか。ジンってあっちから通ってきてたよな。確か。
「マサ知ってんの?」
「去年、笠嶺の文化祭で見た」
俺の答えに、ふぅんと頷いたリョウは、改めて奴に向かい合った。
「はらぐち、今年の文化祭っていつ?」
「再来週の土日」
「ステージは?」
「日曜の午後2時から出る予定」
ポンポンと短い質問と答えを繰り返した後、リョウは、んー、と宙を睨んで考えだした。
「練習が午前だから、ぎりぎり行けるか?」
行くつもりなんだ、笠嶺まで。って、俺も行くつもりだったけど。
ブツブツと当日の算段をしているリョウは、放っておいて。
「名前、聞いていいか?」
俺だけ名前を知らないってのも、居心地悪いし。って、尋ねると、
「原口 朔矢だ。お前は?」
「中尾 正志。おれも軽音部でギターをしている」
「お前だけ、音読みじゃないんだ」
「リョウに、ショウじゃ、かぶるだろ」
リョウたちと初対面のときに、そんな会話をしたな、って思い出しながら俺と身長の変わらないような原口を見る。
口元に握りこぶしを当てるようにして、ちょっと考えていた原口は、ああ、なるほどって、つぶやいてニッと笑った。
考えがまとまったらしいリョウが、原口に声をかける。
「じゃ、今度は俺たちのほうが原口のステージ見せてもらいにいくから。お前の腕前、見せてもらうよ」
その言葉に、さっきまで口元においていた握りこぶしを、リョウの顔の前でぐっと握ってみせた原口は、いたずらっ子のような顔で言った。
「よっしゃ。見てろよ」
二週間後。俺たちは、原口の通う笠嶺高校の文化祭を訪れていた。
午前中部活動だったジンたちと、駅で落ちあって。電車を待つ間のプラットホームで、俺が買ってきた菓子パンで昼飯にした。
制服姿の二人に合わせて、俺も制服で行ったんだけど。
「しくじった」
リョウが、心底疲れ果てた、って声をだす。文化祭以降、うちの校内でも何度も見た光景が、ここでも再現されていた。
次々と、女子がリョウに声をかけてくる。
『柳原西のリョウ、だよね。付き合ってる子いるの?』だの、『彼女いないんだったら、付き合わない?』だの。
「笠嶺まで、柳原西から電車で三駅しか離れてねぇけどよ。市外から、わざわざ文化祭に来てる奴がいるとは思ってなかったぜ」
どっかで着替えて、私服で来るんだったって、ため息をつくリョウに
「だって、原口が来てるんだから。不思議は無いだろ?」
慰め半分、呆れ半分の顔でジンが肩を叩く。
そのジンはといえば。人並みはずれた大きな体をどうやったものか、存在感を消しているし。
ようやく体育館前の階段ににたどり着いたところで、
「ね、あれ。おっさん?」
どこかから聞こえた小さな声に、リョウが苛ついたように眉を跳ね上げたのが、俺からは見えた。
「ジン、マサ。さっさと入るぞ」
そう言うと、わき目もふらずに十段ほどの階段を小走りにあがるリョウ。その直線的な動きに、それ以上声をかけてくる子はいなくなった。
俺たちが追いつくのを待って、リョウが体育館の入り口ドアを、グイっと開く。
「どうした? 急に」
「いい加減、疲れた」
リョウはジンの問いかけにボソッと答えると、暗幕を掻き分けてスルリと暗い体育館の中へ入っていく。その後を、ジンと二人でついて入った。
でかい俺たちだから、後ろからの視線の邪魔にならないようにと、壁際に固まってステージを見る。
原口の出番に、ぎりぎり間に合ったって感じで、四人組が出てきた。
お、一年で腕、上げたな。
原口の演奏技術に、ここの軽音部がうらやましくなる。きっと、みんなで一生懸命練習してるんだろうなって。本人のセンスもあるんだろうけど。
リョウが薄暗がりの中で、俺の顔を見て、”Good”て右手の親指を立ててみせる。
合格、ってところか。
さて、じゃぁ。次の段階だな。
演奏を終えた原口を、体育館の入り口で待つ。
多分、楽器の片づけがあって……と、自分たちの段取りから予測をしていると、やっぱり校舎のほうから戻ってきた。
差し入れのスポーツドリンクを渡して。早速口をつけている原口に、リョウがひとつの提案を出した。
一緒の大学に入って、そこでバンドをしないか? と。
うちの文化祭の日。終礼の後、打ち上げと称して入ったいつものファストフードで、俺たちは進路の相談をした。
ジンは英語コースらしく、楠姫城市の外大を狙っていると言う。俺は、そこと隣接している総合大学で音楽理論の勉強がしたい。そんな話から、じゃぁリョウも総合大学を狙うか、って。
「リョウって、成績は?」
「ん、普通科の学年トップだよな?」
俺の質問に、ジンが代わりに答える。
「えぇ? トップ? マジで?」
「えー。あー……うん」
なんで、恥ずかしそうな顔をするかな。そこで。
こっちが照れるわ。
「亮は文系ならどこの学部にしても、総合大学は楽勝だろ? 原口も、そこそこ頭良いはずだぞ。笠嶺だし」
「ジン、判るのか?」
「まぁな。原口とは中学の同級生だし」
あー。なるほど。そう繋がるんだ。
そんなやり取りを原口に説明すると、奴はまだ進路については、何も考えてなかったとかで。リョウの提案に、
「つまり腕を磨きつつ、成績もってことか」
差し入れのスポーツドリンクを手の中で弄びながら、なるほどって顔でうなずく。
「そ。一年半後か。一緒にやろうぜ」
さっきのリョウみたいに右手の親指を立てたジンが、いつもの笑顔で笑いかける。
少しだけ考えた原口は。
俺たちの提案に乗った。
原口と別れて、駅に向かう。ジンだけは反対方向になるので改札で分かれて、リョウと二人で電車を待つ。
「マサ」
「うん?」
「相談なんだけど」
小首をかしげるようにリョウが俺の顔を覗き込む。
来年のステージのことかな、くらいの感じで
「なに?」
聞き返した俺に、リョウは思いもよらぬ言葉を投げてきた。
「ちょっと、ゆりを貸して」
俺が貸し出しするもんじゃないだろ。
どんな返事をしたにしても、由梨が聞いたら『なんで、まっくんが決めるのよ! わけ、わかんない!』って叫ぶぞ。
「今日の女の子たちみたいなのが、文化祭からずっと続いててさ」
ああ、確かに。
「断る口実に、”彼女”の存在が欲しい」
「ちょっと、待て。なんで、そこで由梨だ? お前の好きなやつに頼めばいいだろうが」
で、そのまま付き合ってしまえば良いんじゃないのか?
「頼めりゃ、苦労しねぇよ。けんか別れみたいになってるって言っただろ? 文化祭をアイツが見に来てて、トドメさされたんだよ」
「あー」
ステージ前に様子がおかしかったのは、ソレか。
丁度、到着した電車に乗り込みながら考えていると、リョウが言葉を重ねる。
「その直後で、誰かと付き合えるほど俺、器用じゃねぇし。ゆりだったら話が通じやすいかなって。お前が言うように噂になってたみたいだから、信憑性もあるだろうし」
「通じやすいか? 『わけ、わかんない』って、言われるんじゃないか?」
「そんなこと、言うか?」
言ってないのか。リョウには。
もしかして。俺だけに言ってたりする?
「それに、ゆりは俺たち部員を男として意識してなさそうだから。頼んだからって、妙な期待させることは無いかなって、計算もあるけど」
男扱いされてないのは、俺も同じ、か。
俺が駄目だしをしたとしても、きっと由梨には俺の嫉妬心とかは通じない。
夏に、小耳に挟んだ会話がよみがえる。
『山岸の女だってよ』『あー、だったら無理か』
リョウの彼女らしいって、思い込む奴が増えれば。
由梨にちょっかいを出そうとする奴が減る、か?
リョウの方も、妙な期待はしなさそうだし。
「由梨に聞いて」
積極的にアプローチもできない小心者の俺が、心の中で小ずるい計算をした結果の返事は、そんなものだった。