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冬の訪れ

 あの日、ジンとリョウの二人と一緒に入ったファストフードで、互いの自己紹介から始めた。

「今田 (ひとし)。Call me ”ジン”な」

 きれいな発音で、そう名乗るジン。そう言えば、ステージの歌もきれいな発音の英語だった。

「ん、俺、英語コース」

 ああ。なるほど。

「俺は、山岸 (とおる)

「リョウじゃないんだ」

「ああ。あれは、なんて言うか……ちょっと、格好つけてみただけ」

 照れたような顔でリョウが笑う。高校生男子とは思えない、ほのかな色気が上る。ステージでは分からなかったけど。こいつ、結構もてるんじゃないのか?

 ま、それはいいとして。

「どっちで呼べばいい?」

「好きにすれば?」

「ジンは、リョウって呼んでないんだよな?」

「俺たちの部に”ショウ”が居るからな。試合中、どっちが呼ばれているのか、分からなくなるだろ?」

 ポテトを摘みながらそう言ったリョウに

「あ、それ。もしかして敵を撹乱するいい作戦かも」

 なんて、アイスコーヒーのストローで遊びながら、ジンが『いいこと思いついた』って顔で提案する。

「あのな。混乱するのは俺とショウだろう?」

「あ、そうか」

「おまえ、どこまでがボケなんだよ」

「いや、マジだったし」

 笑い声を立てながら、ジンが肩をすくめる。うーん。この笑い声は……ゆうりちゃんの”う”に匹敵する、絶妙な音だな。

「で、おまえは?」

「中尾 正志」

「まさか」

「はぁ?」

「呼び方。マサ、かなって」

 アーモンドのような目をくるっと回して、ジンが言う。最初の”まさ”は音程がおかしかったぞ。 

「だな。音読みだと、”ショウ”が二人で俺たちが混乱するし」

 リョウが、目を細めるようにしてうなずく。ま、いいか。

「”リョウとショウ”もややこしいんだろ? いいよ。マサで」 

 さっきの会話を思い出して、俺もOKをだす。

「って、ことで。よろしく」

 ストローを銜えながらジンが笑いかけてくるのに、ついつられて

「こっちこそ」

 って答えたけど。

「あれ?」

「なに?」

 小首をかしげながら、ジンが尋ねてくる。どうも、こいつのペースは訳わかんない。

「”なに”がよろしく?」

「ん? 何って。来年、一緒にやるんだろ?」

「決まり?」

「だよな、亮?」

 ジンに問いかけられたリョウが、塩のついた指を舐めながら俺を見る。

「この前の文化祭のステージ。俺は午前も、午後も見たから、そこそこお前の腕前は分かっているつもり。お前が、やりたいって言ってくれるなら俺たちに拒む理由は無い」

「ああ、なるほど」

「まぁ、一年あるし。試しにあわせてみたりしながら、ゆっくり考えれば良いんじゃねぇの?」

 そう言って、リョウは微笑んだ。



 それ以来、時々。帰りにバレー部の部室に立ち寄っては、途中で買い食いをしつつ打ち合わせのようなものを重ねた。

 同じ更衣室を使う関係上、ゆうりちゃんは部員より一足先に着替えて、彼らが着替えている間に、練習中に使ったヤカンやコップを洗うらしい。

 廊下でボーっと待っているのも手持ち無沙汰で。部室棟の横の洗い場まで彼女にくっついて行っては、何とか会話をしようと試みる。

 何度か繰り返すうちに、どうにか会話らしくなってきて、ささやかな前進に胸を躍らせる。


「中村さ、何でマネージャー始めたの?」

 『あんた』呼ばわりで、苗字すら呼んでくれない彼女を、俺もまだ苗字で呼んでいる。いつか、『由梨(ゆうり)』と呼べる日を心に思い描きながら。

「別にいいじゃない。なんだって」

 夕闇にほのかに赤くなった気がする顔を、ブンブン振って洗い物に戻る彼女。

 いつだったか切なそうな表情で見送っていた男子は、バレー部の中に居るようには思えないんだけど。


「ゆり、みんな部室か?」

 かけられた声に弾かれたように、彼女が頭を上げる。

 うわぁ。

 花が開くような笑顔って、これかぁ。

 一瞬、見惚れて。

 声をかけてきたのが、彼女のあの切ない表情の元凶だと知れる。

「はい。丁度、着替えているところです。今日は、どうしたんですか?」

「英語の補習授業」

 三年の学年章をつけた二人組みのうち、背の高いほうが答える。

「放課後ずーっと、英語聞いてたら、頭おかしくなってきた」

「ジンって、化けモンだな。あれ、毎日やってるんだろ? 英語コースって」

 『頭がおかしくなる』なんて言っている背の低いほうを、熱っぽい目で見ている ゆうりちゃん。なるほど。この三年生か。

 けれども、『きりゅう さん』と呼ばれたその三年生は彼女の視線にも気づかぬ風に

「洗い終わったの、持って行ってやるよ」

 そう言うと、コップ入った洗いかごを手にスタスタと歩き始める。

 ”きりゅう”さんについて行きかけて振り返った、背の高い方の

「ごめんな、ゆり。逢引の邪魔をして」

 って言葉に、

「誰が、どこが、逢引ですか!」

 噛み付くように叫ぶ ゆうりちゃん。

 そんなに、嫌がらなくったって良いのに。どっから聞いたって、冗談でしかないじゃないか。


 ホウ、っとため息をついて洗い物に戻った彼女の憂い顔に、

「また、”ゆり”」

 俺とだけに通じる会話を落とす。

「何で、そこにこだわるの?」

「だって。お前、自分で言っただろうが」

「はぁ?」

「『私は、”ゆ・う・り”なの』って」

「いつよ、それ?」

「音楽教室の初日に、先生が読み間違えたとき」

 あの日の、”う”の音は、今も俺の心の中で響いている。

「何年前の話よ」

「かれこれ……」

 ええっと。六 たす 三 たす……。

「ああー、もういいから。数えなくっても」

「そうか?」

「いいの。で、それを律儀に守っているわけ? 私自身がなんとも思ってないのに?」

「律儀って言うかさ。あのときの”う”の音程が絶妙で」

 あの音。どうにか分かってもらいたくって。

「ラのフラットよりもうちょっとだけ低いんだよな。でも、ソじゃないんだ」

 って、説明している間に、彼女の表情がどんどん険悪になっていく。

 しまった。

 聴音の苦手な彼女には、嫌味でしかない。


 派手に水を飛ばしながらヤカンをすすぎ始めた彼女の姿に、俺は口を閉ざした。


 ああ。フォローのしようもない。

 どう言いつくろえば良いのか、何も言葉が浮かばない。


 洗い物を終えて部室に戻る彼女の後ろを、黙ってついて歩く。


 コンコン、と軽いノックの後。

「ゆぅりです。開けてもいいですか?」

 かすかに聞こえた”う”は、ソの音だったけど。

 彼女が『ゆうり』と名乗ったのを聞いて。俺は廊下で小さくガッツポーズをした。



 期末試験、冬休みと時間は過ぎて。

 あれから何度か、”きりゅう” さんと話をしている彼女を見かけた。


 いつ見ても、彼女の思いに気づかず立ち去る彼の後姿を、泣きそうな顔で見送っていたり、小さく地団太を踏んでいたり。


 ここに、俺が居るのに。ゆうりちゃんに振り向いて欲しい俺が居るのに。

 どうして。想いのベクトルは重ならないんだろう。


 でも、現実に彼女が振り向いて、俺が見ていることに気づいたら。『何、見てるのよ。あんたには関係ないでしょ!』って言われることは、簡単に想像がつくから。

 彼女が振り向く前に、俺はそっと立ち去る。



 その日も、そうやって遭遇した場面から離れようと振り向くと、俺のさらに後ろにジンが居た。うわっと声を出しかけて、ジンの横で立てた人差し指を唇に当てたリョウのしぐさに、声を飲み込む。

 

 三人で、そっとその場を離れて、廊下の角を曲がる。

「マサってさ、ゆりのこと?」

 パックのコーヒー牛乳を飲みながら尋ねてくるジンの言葉に、顔に血が上るのを感じる。

 バレバレ、なのか。周りから見て。

 熱い頭を冷やすように、廊下の壁に額をつける。ああ、壁の冷たさが気持ちいい。

「ジン、よせ。他人が口を挟んだら、ろくなことが無い」

 咎めるような声に、俺がそのままの姿勢で眺めたリョウは、どこか寂しそうな顔で北向きの廊下の窓から外を見ていた。

「悪い。ごめんな。マサ」

 視線をジンに移すと、叱られた犬のような表情で俺を覗き込むようにしていた。

「いや、別に。いいけど」

 そう返事をしたところで、背後から声がした。

「亮くんたち。何やってるの?」

「ゆり、か。いやちょっと……」

 居心地悪そうな顔になったジンが答える。チラリと俺に視線を送ってくるのに、『余計なことは言うな』、って目で脅す。

「なんでもない、な? マサ?」

 フォローするようなリョウの声に、頷く。

 ”なんでもなく”ない、けど。さっきの今で、彼女と顔が合わせられない。

「なんでもないって……ホント?」

 ブレザー越しの背中に手を当てられたことを感じる。男の手ではありえない、柔らかさで。

「大丈夫? まっくん?」

 『まっくん』!!

 さらに、頭に血が上る。いきなり『まっくん』はないだろうが。

「大丈夫だから」

 そう答えるのがやっとで。

 俺は彼女から顔を背けるように壁から離れて。


 そのまま、男子トイレに逃げた。



 あの日、『まっくん』と呼ばれたことが気のせいだったように、あれから彼女が俺を名前で呼ぶことは無いけど。

 ジンやリョウとの帰り道。彼女を買い食いに誘ったりしながら、俺は彼女を『由梨(ゆうり)』と呼ぶチャンスを窺う。さりげなくリョウがフォローしてくれていたり、ジンがボケつつ話を運んでくれたり。何かと彼らに助けられながら、地道に彼女との距離を縮めて。

 思い切って、『由梨』と呼んだ日。

 彼女は、一瞬俺を睨んだ気がしたけど。そのまま、スルーされたから。

 その日から、当たり前のような顔で『由梨』と呼ぶ。


 季節は、受験シーズンを目前にしていて。三年生は自主登校になっていた。

 この日も、来年のステージに向けた打ち合わせと称して、ファストフードに寄り道をしていた。由梨も一緒に。

 二階の四人がけのテーブルにトレーを置いて。席が決まっているかのように、ジンとリョウがいつも隣り合って座るから、俺の隣は絶対に由梨。

 俺のポテトと一緒に持って上がってきた彼女のバニラシェイクを手渡す。かろうじて聞こえるような小さな声で礼を言う彼女に

「どういたしまして」

 って返したら、何が気に入らなかったのか。

「自分の部活はどうなってるのよ」

 相変わらずのけんか腰。

「あっちはあっちで、やっている」

「友達づきあいとかもしなさいよ」

 じゃ無くって、一応気を使ってくれてるのか、な?

「俺の中の優先順位は、こっちが上」

 友達より恋愛が上位なのは、男の常識。なんて、由梨に分かるはずもないか。 

 そんな俺たちのやり取りを聞いたジンが笑う

「また、ゆりとマサが夫婦漫才してる」

「いつ、これ、と夫婦になったっていうのよ」

 アイスコーヒーを飲みながらのジンの言葉に、由梨は俺の目前に指を突きつけて文句を言う。

 『これ』ってな。ひどくないか。おい。

「今の会話、そのまんま夫婦だろうが」

 さらに、リョウがポテトを片手にげらげら笑う。

「ど・こ・が?」

 シェイクのストローをもてあそびながら由梨が膨れる。

「『俺の中じゃ、ゆりが一番』って」

「ジンくん、勝手に意訳しない! 音楽が一番大事、でしょうが。この、音楽馬鹿は」

 今度は『音楽馬鹿』ときたか。


「マサ、そう?」

 ジンが俺の顔を覗きこむ。

 それに苦笑を返しながら、

「ま、そういうことにしておいて。由梨がそう言うんだから」

「ってさ」

 彼女は笑いを堪えたようなジンの顔を見た後、俺の顔を睨みながらシェイクを吸う。

 ほっぺたが、ぎゅーっとすぼまって。それは、吸えてないだろう?

 案の定、唇を尖らせてストローをブスブス刺し始めた。

「お前、肺活量弱いな」

 ああ、女の子なんだな、って思いながら話しかけると返ってきたのが

「うるさい、文化部」

「俺、中学は水泳だったから、肺活量はそれなりにあるけど」

「あ、そ。良かったわね」

 シェイクを手の中で温めながら、ぷいっとそっぽを向く。ジンもリョウも、そんな俺たちを眺めて笑っている。


 時間を気にしだした彼女に、俺たちは改めて来年の文化祭の話を始めた。由梨はその間に、固いシェイクをやっつけると言っている。


 彼女の存在を意識の片隅に残していた俺に聞こえるくらいの小さな声でポツっと言葉が落ちた。

「いいなぁ。歌えるって」


 歌をなくした由梨。


 俺は、聞いていないふりをするのが精一杯だった。


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