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20/22

月、の裏側で 上

「しくじった」

 RYOのその言葉に。

 俺もただ、反省をするしかなかった。


 『好事、魔多し』と、昔の人は言ったという。

 その時の俺たち織音籠(オリオンケージ)は、まさに魔物の餌食になろうとしていた。



 芽衣の”子守唄”のMDから、インスピレーションを受けて作ったセルフカバーアルバム”Hush-a-bye”から、約四年が経っていた。

 この四年の間に、俺もYUKIも二児の親になり、 RYOは綾さんと結婚して、この夏には子供も生まれるし。JINや、SAKUの結婚も秒読みだろうと俺達は思っていた。

 織音籠の活動も順調で、ブライダル産業からCM用に曲を作って欲しいって仕事が入る程度に、名前も売れてきていた。



 そんな中。ゴールデンウィークの直前に、声の出なくなったJINが、失踪する騒ぎを起こした。

 ほぼ一日が経とうかという夜中に、RYOの元に『手術を受けるために、入院する』という内容のメールは寄越したものの、同棲している美紗ちゃんには書き置きひとつ残していなかったとかで。

 『何をやっているんだ』って言いながら、俺たちはただ、JINの退院を待つしかなかった。



 そして、JINの帰りを待つ間。まず、YUKIがおかしくなった。

 地震の後ほどの動揺ではなかったものの、『俺は、JINに何もしてやれへん……』って、一人でふさぎこんでいた。SAKUに言わせると、

「地震のときのカウンセリングの恩が返せてねぇってことだろうよ」

 ってことらしい。ムードメーカーなYUKIが落ち込んでいると、それだけで、空気が重くなる。

 

 そこに加えて、

「俺が、アイツに歌わせたのに。俺は一度もアイツの”声”を好きだって言ってやらなかった」

 RYOまでが落ち込みだした。

 ”声”にコンプレックスを抱いていたことのあるJINに、この世で唯一、『JINの声が好き』って言った人物が、美紗ちゃんだったらしい。だからJINは、そんな彼女を大切に愛して、愛しすぎて。

 声の出なくなった姿を見せることができずに、居なくなったんじゃないかって。

 情報交換、の名目でレコーディングスタジオに美紗ちゃんを呼び出したRYOは、そのときのやり取りから、そんなことを言い出した。あまつさえ、二人が付き合っていたわけじゃなくって、片思い同士の同居だなんて。

 RYOは、自分さえきちんとJINの声を、『好きだ』と言っていれば、あの二人が拗れずに済んだって。”他人の恋路”を邪魔してしまった自分を嫌悪している。


「好きな子なのに、大事にしてるって、伝わらねぇものなのかな」

 YUKIの嘘ツキ、とSAKUがぼやく。ぼやきながらも何とか雰囲気を元に戻そうと、もう一人のムードメーカーとして空元気を装うSAKU。

 俺は、SAKUを助けるだけのスキルも持たず。ただ、腑抜けたようになっているリーダー、RYOのフォローをするだけで精一杯だった。



 ようやくJINから、声が出るようになったとRYOのところに連絡があったのが、”失踪”から一ヶ月が過ぎた、六月の初旬。さらに一ヶ月の入院を経て、JINが帰ってきた。

 元の声とはまったく違う、ハスキーボイスになって。


「美紗が待ってくれているから。もう一度”JIN”として、ステージに立ちたい」

 戻ってきたJINはそう言って、俺たちに頭を下げた。歌えるようになるまで時間が欲しいと。

 あれだけ落ち込んでいたYUKIやRYOに、否やは無く。

 ドクターストップがかかっているJIN以外、俺たち四人は、他のバンドのサポートの仕事とかをしながらその夏を越した。


 

 JINの声の回復を待つのと、これからの方向性が決まるまでの間、織音籠の活動を休止すると決めたのが九月のこと。

 織音籠が始まって以来のピンチを、俺たちはなんとか乗り越えようと、歯を食いしばる。


 由梨はといえば。

「音楽の神さまは、まだ、試練を与えるのね」

 って言いながらも、春斗の育休があけていたのを幸いと、院内保育所に子供たちを預けて、フルに働いて生活を支えてくれた。

「亮くんのところが、大変よね。綾さん、産休中でしょ?」

 帰宅して、バタバタと夕食の支度をしながら、RYOの心配をする。

 綾さんは、JINの入院中に出産。まだ、”産休”の範囲で、保育所に預けるわけにもいかない。

 生活がきついのは、一人で家族を支えるRYOか、収入の途絶えているJINか。

 って、考えたら。独り身のSAKUが、一番負担が軽いよな。

 音楽しかわかっていない俺は、その時。そんなことを考えていた。



 十月に入ろうかという頃、RYOから連絡があった。

 明日、JJINが試しに歌うのを聴きに来れるかって。

 予定を確認して、二つ返事でOKして。


 翌日、俺はスタジオに向かった。


 部屋にはいろうとして、SAKUと顔を合わせた。

 って。おい。

「SAKU? お前、飯食ってんのか?」

 俺に、言われちゃお終いだぞって、思うけど。

 面やつれって、こういうのを言うんだなってほど、SAKUの影が薄い。

「食ってる」

 SAKUは投げ捨てるように言って。部屋にはいると、倒れこむように椅子に座る。

 どうしよう。これ、大丈夫なのか?


 オロオロしている俺の首に、するりと腕が回される。

「MASA、このあと、時間あるか?」

 囁くようなRYOの声に、頷く。

「ちょっとだけ。話、しようぜ」

 そう言い置いて、RYOがSAKUの隣に腰を下ろす。俺も空いている椅子に座って。

 JINがスタンバイする。


 JINが歌い始める。声は出るようになってる。ただ、”癒しの低音”って呼ばれた、あの色気がなくなってしまったから、方向性を変える必要はやっぱりあるな。それから。ライブに耐えるだけの喉に戻せるかってところか。


「これ、売りモンになんのか?」

 ボソっと呟くようなSAKUの声が聞こえる。

 どこか諦めを含んだように見える、SAKUの顔を睨む。

 売り物にするのが、俺達の仕事だろ?

 見つけてやるよ。方向性。由梨に音楽を取り戻せたんだ。JINにだって……必ず。


 RYOがバレーを例えに、JINは段階を踏みながら進もうとしているって、説明をしている。RYOにも判っている。どちらに向けて進めばいいかが決まれば、織音籠は動き始められるって。

「ただなぁ、どんな”声”が売れるのか、がな」

 眼鏡を外して、目をこするRYO。そんなRYOを感情のこもらない目で眺めたSAKUは、

「俺、次の仕事の時間だから」

 と言い残して、部屋を出て行った。



 打ち合わせ、のような反省会、のような話し合いを四人でしてから、解散、って運びになって。

 駅前でJINと別れたあと、RYOとYUKIの二人が俺の家に来た。

 

 ヤカンに水を入れて、コンロにかける。今日の我が家は、由梨が日勤で子どもたちも保育所に行っていて留守。

 ふーっと、ため息をつきながら、RYOが台所の椅子に疲れたように座る。その隣の椅子に、YUKIがチョコンって感じで腰を下ろす。


 しばらく、誰もが無言で。

 お湯の沸いた音に、俺はもたれていた流し台から身を起こした。

 それをきっかけにしたように、YUKIが口を開く。

「で、さ。SAKUのアレ、何なん?」

「やっぱり、おかしいよな?」

 RYOが眼鏡をはずして、顔を覆う。

 そんな二人の前に、コーヒーを置く。

 俺だって、ちゃんとコーヒーが入れられるようになった。

 まあそれは、どうでもいいんだけど。

「おかしいなんてもんじゃないだろ? 俺が言うのもアレだけどさ。飯、食ってなさそうじゃないか。倒れるぞ、そのうちに」

「うん。MASAに言われたら、お終いやな」

 コーヒーに砂糖を入れながら、YUKIが笑う。こっちのムードメーカーは戻ってきたのに。


「JINには、言わんほうがええよな?」

「ああ。アイツ、やさしいから。余計なモン背負わさねぇほうがいいだろ。気づいちまったら仕方ねぇけどよ」

「あのSAKUに気づかないって、JINも相当参っているんだろうな」

 JINが普通の状態だったら。多分、SAKUのカウンセリングには適任なんだろうけど。

 そんなことを言った俺に、RYOはコーヒーに口をつけながら、言う

「JINの姿勢がさ、高校に入った頃の猫背に戻ってんだよな」

「猫背?」 

「ああ、MASAと出会った頃には、すっかり直ってたけどよ。入学してすぐは、俺と目の高さがかわんねぇ位の猫背だった」

 それはそれは。織音籠で一番背の低いRYOと、一番背の高いJINだったら……差は、十センチくらいか?

「中学で、嫌な思いをしたからって。人目を避けるように、口数も少なかった頃のJINみたいなんだよ」

「そんなJINに、SAKUの事を任せたりしたら、……最悪、共倒れか」

「多分。『俺の声のせいだ』って、思い詰めるだろうな」

 そんなJINが想像出来てしまって。

 俺たちは目を合わせないように、黙ってコーヒーを口に運ぶ。


「やっちまった、かなぁ」

 しばらくの沈黙の後。頭を抱えたRYOが、ぼそりと呟く。

「やっちまった、って何を」

「うーん。SAKUにさ、『心中覚悟で、JINに付き合えるか』って。言っちまったんだよな」

「はぁ?」

 なんだそれ。わけ、わからん。

「嗄れた声のJINが、病院から電話してきた夜にさ。俺、動揺しちまって。JINからの電話を切るなり、SAKUに電話したんだよ。その時に、『歌わさないとJINの心が壊れそうだから』って。コンプレックスでもあり、アイデンティティでもあるだろ? JINにとって”声”は」

 RYOはそう言いながら、目頭を揉んでいる。眼鏡は、さっきからテーブルに置いたままだ。 


「アイデンティティ、かぁ。そら、きついわな。失くしたら」

「で、昨日、今日とSAKUを見てたら、本気で心中しそうでよ」

 俺、どこまで余計なこと言っちまうんだろ。

 テーブルに潰れてRYOが呻く。

「心中、なぁ。そんなモノを、生け贄にしてもなぁ」

「生け贄やなんて。MASAまで、怖いこと言わんとって」

 YUKIが、泣き声を出す。

「ああ、悪い。由梨が時々そんなことを言うから。つい」

「生け贄って? 何にお供えするん?」

「うん。音楽に。音楽が犠牲を求めるってさ」

「命、犠牲にしてもたら、何も残らんやん。第一、SAKUの”彼女”の知美さん、どないする気なん」

 

 YUKIの言葉に改めて、三人で顔を見合わせる。

「あの状態。普通だったら、彼女って心配するよな?」

「ああ。MASAが倒れた時の、ゆりの剣幕はすごかったぞ」

「SAKUのやつ、最近、知美さんと会うてない?」

 知美さんと何かがあって、自棄を起こして心中をしようとしているのか、心中の覚悟をしたから知美さんと会っていないのか。


 真実は、二人にしか判らない。



 その夜。子供たちが寝た後、由梨に相談とも愚痴ともつかないまま、今日の出来事を話す。

「あのサクちゃんが、ご飯食べてないなんて……想像できない」

 顔をしかめた由梨が言う。その間も、翌日の日勤に備えて洗い終えた洗濯物を、朝干しやすいようにと、仕分けをしている手は、休み無く動く。

 俺も、そんな由梨の手伝いをしながら、

「メンバー随一の食い道楽、だもんな」 

「うん。これが、まっくんだったら誰も驚かないんだけど」

 そりゃそうだ。

 って、おい。

「サクちゃん、まっくんみたいに生き物やめる気なのかな。酒断ちするだけで十分だと思うんだけど」

「だから。俺だって、生き物をやめる気は無いって」

 最近は、ちゃんと飯食ってるだろうが。

 酒断ちは、メンバーみんなで願掛けに始めたから、JINの入院以来、俺も飲んでいない。

「RYOたちと、彼女がらみかなって」

「私はサクちゃんの彼女とは、まだ会った事ないから、どんな子か知らないんだけど」

 見合いで知り合った、って俺たちに紹介してくれたのは、去年の春だったか。

 春斗が産まれてすぐくらいで。由梨はライブに顔を出していないから、そういえば会ったことが無い、な。

「サクちゃんの”彼女”って、何年ぶりって存在じゃない?」

「そう、だな」

 短いサイクルの恋愛を大学時代に繰り返していたSAKUは、いつしか特定の”彼女”を作らなくなっていた。


「結構、サクちゃんは本気?」

「結婚前提、みたいだぞ」

 話しながら、ざっくりたたんだバスタオルを、洗濯籠に戻す。次は……靴下だったか。

「あー。そこかも」

「何が?」

「サクちゃんの”彼女”に、そこまでの覚悟、できてたのかなって」

「は?」

「結婚前提で付き合ってて。今回みたいなことがあれば、『やっぱり無理』ってならないかな?」

 ほら、えっちゃんも結婚するか、かなり悩んでたみたいじゃない?

 ひざの上で、子供たちのTシャツのしわを手で伸ばしながら、由梨が首を傾げてみせる。 

「彼女の覚悟、か」


 あれは……いつだったっけ。既婚の三人で、SAKUとJINに寄ってたかって質問したことがあった。『お前ら、結婚する気あるのか?』って。

 ふたりとも保留、みたいな返事で。

 JINの方はRYOの考えたように、当時は”片思い”だったらしいから、結婚なんて遠い話だったわけだけど。SAKUは『付き合いがまだ短いし』って、言ってたっけ。

 あの時。SAKUは、彼女の覚悟が固まるのを待っていたのかな。


「げ」

「何よ、変な声だして」

 洗濯カゴを手に立ち上がった由梨が、怪訝な顔で見下ろしてくる。

 俺、あの時。わかったような事を言った気がする。

 『女には、タイムリミットがあるぞ。子供生むことも考えてやれよ』とか、なんとか。完全にプロポーズした時の由梨の受け売りで。

 知美さん、歳、幾つって言ってたっけ? 三十一? 三十二? 俺達が結婚した頃、と変わらない、よな?

「あのさ。俺達が結婚した頃に。織音籠が今みたいな状態だったら、お前どうしてた?」

「はぁ? なにそれ?」

「だから。お前、子供産むのにリミットがあるって言ってただろ?」

「あー、言った気がする」

「リミットが近づいてて、今の俺達みたいに仕事が不安定でってなったら? お前どうしてた?」

「どうもしないけど? 音楽馬鹿を好きになっちゃったんだから。そのまま『子供産まない人生か』って」

「あ、そうか。『まっくんだから、仕方ない』か」

 本当に、俺、甘やかされているな。

「ま、ね。で、それが何?」

「普通、そんな割り切り方、しないよな?」

「私だって、割りきるまで時間かかったわよ」

 普通だもーん、って言いながら、部屋を出て行く。

 残された俺は。


 RYOじゃないけど、『やっちまったかも』って、天井を仰ぐ。


 リミットを意識したSAKUが、”彼女”への想いを生け贄に差し出したのなら。

 心中上等、って。

 自分を粗末に扱っているんじゃないだろうか。

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