歌声
プロポーズまでイジイジと時間が掛かったのがウソのように、結婚の準備はとんとん拍子に進んでいく。互いの両親に紹介して、式のことを相談して。
俺の仕事を聞くなり、由梨のお父さんは腕組みをして天井を睨んだ。
由梨のお母さんは、由梨に心配の声をかけた。『由梨、そんな仕事の人とで、大丈夫なの?』って。
それに対して、由梨は
「結婚相手が音楽をしてるからって、私が歌うわけじゃないんだから。大丈夫」
お茶に手を伸ばしながら、ピントのずれた答えをした。
それ、ワザとか? ワザとはぐらかしたのか?
そんなこと、聞いてない、って、お母さんが頭を抱える。
仕切りなおすように、お父さんが俺の目を見ながら尋ねる。
「いつから、付き合ってるって?」
「高校生。これから、新しい人を見つける、ってことになったら、きっと同じだけの時間が掛かるからね」
言葉の足りない俺には答えさせないつもりなのか、俺が口を開く前に由梨が返事をする。
って。おい、両親、脅してどうする気だ。
「十五年、か」
「四十五、ね」
ため息をつくような声で、由梨の両親が顔を見合わせる。
ごめんなさい。サバ、読んでます。
そんなこんなで、由梨のほうはお許しが出て。俺のほうはといえば。
「正志。看護婦さんだなんて。そんな」
「どんな、なんだよ」
「一番、夫婦で協力しないとやっていけないのに……。由梨さん、本当に、コレでいいの?」
「はい」
「ごめんなさいね。音楽”しか”できない子で。『ネコよりまし』くらいだけど、使えるだけ、こき使ってやって。遠慮は要らないから」
由梨は、そんな母さんの言葉を穏やかに微笑みながら聴いている。内心思っているんだろうな。
『音楽馬鹿なのは、じゅーぶん承知』とかって。
婚約以来、由梨が初めてライブに来たのが、暦の上ではそろそろ春って頃。
「JINは、今日は打ち上げどないするん?」
「んー、パス」
「美紗ちゃん、来とるん?」
YUKIの問いかけに手を上げるだけの返事をして、JINが一足先に帰って行く。
「みさ、ちゃん?」
怪訝そうな由梨の声。にSAKUと二人で、暴露する。
「あ、ゆりさん、知らなかった? JINにも春が来てて」
「ファンの女の子を、一年前位からかな。ライブの後、飯に連れてったりしてる」
何度か顔を合わせるうちに、軽く世間話をすることもあって。少しずつ、YUKIやSAKUが聞き出した情報によると、二十四歳の薬剤師で、本間 美紗さん。
俺たちがデビューした頃には、まだ高校生か、って思うと、俺たちは『美紗ちゃん』って、妹みたいに呼んでしまう。体格も小さいし、って、JINと一緒にいるから、多分余計に小さく見えるんだろうけど。
「彼女、じゃないの?」
興味津々、って顔で由梨が尋ねる。
「どないなん、RYO?」
「俺が知るかよ。打ち上げとかには連れてきた事はねぇけど、相当、気に入ってるんじゃないか? 本名で呼ばせてるみたいだし」
ライブのときだけ使っているコンタクトを外して、RYOが目を細めるようにして答える。
珍しい。RYOが”人の恋路”について、語るなんて。
そのまま行った打ち上げで、みんなに婚約のことを報告して。
「JINは、先に帰ったのが悪い、って事で後日報告だな」
SAKUが、乾杯ってビールグラスを上げながら言う。
「みんなには、式に出て欲しいから、早めには言うけどな」
「いつごろ?」
「夏には……って」
な、って左隣に座る由梨を見たら。
テーブルの端で、悦子さんと頭を寄せ合うようになにやら、ヒソヒソとやっている。
悦子さんと会うのも久しぶりみたいだし。女同士、こっそりしたい話もあるんだろう。
「MASAに、抜かされた」
酔いが程よく回ってきたらしいYUKIに絡まれる。
「何が、『きっかけがつかめないー』やねん」
「うん。YUKIが言うように、バーンと受け止めてもらった」
「やろ? ちなみに、プロポーズの言葉は?」
「ストレートに、『結婚しようか?』って」
「それで、『うん、いいよ』かよ」
右横から、RYOが由梨の声色を真似る。さすが、”色気担当”。かわいい時の由梨によく似ている。
って、それは、置いておいて。
「いやいや。そんな、かわいいもんじゃない」
「じゃぁ、どんなだよ」
後学のために、とか言いながらSAKUがペンを握る。創作ノートは今、関係ないだろうが。
「聞いて、驚け。『まっくんの、ばーか』」
座が、一気に爆笑になる。
「え、何? まっくん、何があったの?」
びっくりした顔で、俺を見るけど。笑いすぎて、言葉が出ない。
RYOが、何とか笑いを収めて。
「さすが、ゆり。ずっとそのまま、変わるんじゃねぇぞ」
言った途端に、またゲラゲラ笑い出す。
「何、それ。まっくん、笑ってないで説明して」
素直にしゃべったら、拗ねるだろうしな。
「俺には、由梨が一番って」
耳元でささやくと。
一瞬で真っ赤になって。
「もう、まっくん。わけ わかんない!」
って、叫ばれた。
由梨とは、ジューンブライドとやらで式を挙げて、国内で新婚旅行。
「ギター弾く邪魔になるだろうし、私も仕事中は指輪しないから。結婚指輪なんて要らないんじゃない?」
そんなことを言う由梨を何とか説得して。仕事中は、外すってことで結婚指輪だけは買って。
それでも。旅行中、何度もうれしそうな顔で左手を眺めているのを見て、俺も『由梨はおれのモノ』って、実感に浸る。
そして。
”タイムリミット”を心配していた由梨に新しい命が宿った。
学年で一番年下になるか、一番年上になるか微妙な予定日を聞いて。『一年弱、余裕があるなら……』って、考えたコトがあった。
仕事の合間や移動中。それに、由梨が仕事に行っている間を利用して、準備を進める。『まっくん、ご飯!』って、叱られないように、飯は、気をつけて食べながら。
仕事のほうは、CMがきっかけになって、少し幅が広がってきていた。
それに加えて。
JINの声が、化けた。
セミが、鳴かなくなった頃。
ライブの後の楽屋に、JINが美紗ちゃんを連れてきた。
丁度、悦子さんも、来ていた日で。
「着替えたりしてるから、落ち着かないだろうけど。もう、あそこで待つのは、止めような」
そんな事を言いながら、部屋の隅のパイプいすに座らせている。
何か、あったな。とは、思いながら、チラリと伺ったRYOが黙って首を振るから。何も聞かずにそっとしておく。
その次のライブの後。JINに言われたことを守ったらしい、美紗ちゃんが楽屋に姿を現した。
「仁さん、お手伝いすること無いですか?」
「んー、じゃあ……」
小さい体でチョコチョコと、JINに言われるまま片づけを手伝ってくれる。
「なんか、巣に出入りしてるリスみてぇ」
俺の首に腕を回すようにして、SAKUが耳打ちする。
確かに。黒目がちの美紗ちゃんの目が、小動物っぽい。
「大魔神に懐いた小動物か」
プププっと、二人で噴き出す。
ゴミ袋を片手に、テーブルの上に置いたままの紙コップに手を伸ばした美紗ちゃんの左薬指。シルバーらしい、太い指輪が目に入る。
JINが仕事のときだけ着けているペンダントと、雰囲気が似ている。
ファン、ってのは、よく見ているもんだ。ただ、”小動物”には、あまり似合っていない。
けれども、ふとした瞬間。俺は、彼女が左手を眺めている横顔を見てしまった。
それは、あの。結婚指輪を眺めている由梨と同じ表情で。
ああ、なるほど。
”JINの指輪”なんだ、な。って。
やっと、悦子さんがYUKIのプロポーズに頷いたって聞いたのが、由梨の誕生日の頃。
お祝いと称して、YUKIの部屋で打ち上げがてらに飲む。
みんなで、YUKIを冷やかして。
「MASAだって、幸せ一杯やんな。春にはお父ちゃんやし」
YUKIが、必死で俺に話を振る。ここは……JINにパス。
「JINだって、そうだろ? 声が色っぽくなったし。何より」
一度言葉を切って、JINの顔を伺う。
アーモンドみたいな目を丸くして、キョトンとしてやがる。
「美紗ちゃんの指輪。おまえの”名札”だろ?」
『付き合うってことは、名札をつけるようなもんか?』なんて、言っていた古い話を持ち出してみる。
皆には分からない話だろうけど。JINには、通じるはず。『美紗ちゃんと、付き合ってるんだよな?』って。
「スタッフに悪い虫が居たからな。虫除けだ」
相変わらずウーロン茶を口にしながら、悪びれもせず言い放ったJINは、俺たちがいつも使っているライブハウスを最近クビになったらしいスタッフの名前を挙げた。
なるほど。『俺のモンだ、手を出すな』な。
JINの言葉を聞いたYUKIが、苦々しげに
「あれは、タチがわるかったよな。えっちゃんにも手ぇ、出しよったし」
まるで、そのスタッフ自身でもあるかのように、ビール缶を握りつぶす。
知らなかった。そんなのが、居たのか。由梨が来ていなくってよかった。
俺たちの会話をニヤニヤしながら聞いていたSAKUが、
「JINにも周回遅れで、春が来たか」
スルメをかみながら、冷やかす。
その顔を数瞬、見つめて。
「スタートしてない奴が言うな」
ニッと笑いながら、JINが言い放つ。
確かにな。恋愛ゲームを極めようとしてるかのように、特定の彼女を作らずフラフラしているSAKUには、言われたくないよな。
ウーロン茶を飲みながら、俺と目が合ったJINは、うれしそうに笑った。
三月の終わりに、娘が生まれた。
萌えいずる新芽を守り、春を告げる。
”芽”をくるむ”衣”の、芽衣と名づけた。
彼女に訪れる未来への希望と、それが守られるように、と。
一週間の入院生活を終わらせて、由梨と芽衣が帰ってくる日。
迎えに行ってやりたかったけど、仕事が入っていて、由梨の両親にお願いした。これから、二週間ほど、お母さんは我が家に泊まって、家事も手伝ってくれる。
「ただいま」
玄関を開けて、声をかける。
「おかえりー」
台所から聞こえる由梨の声に重なるように、
「まっくん、お帰り」
って、お義母さんの声。
結婚の挨拶に行った時。互いの母親は、欠片も音楽教室のことに触れなかった。と思ったら、実は気づいていなかった。
両家の顔合わせの時に、
「もしかして、”まっくん”の……」
「あら、やだ。”ゆーりちゃん”の!」
「こんなことって、あるのね」
「ちょっと、正志。由梨さんて、ほら、音楽教室で一緒だった、ゆーりちゃん。おぼえてない? いやー、奇遇だわ」
覚えているから。っていうか、『ゆうりちゃんだから……』って、話しなんだけど。
「信じられない。気づいてなかったんだ……」
横で、由梨が呆然って声をだす。
更に、後ろで互いの父親が目を白黒させていた。
そんなやり取りの後。由梨のお母さんも、俺を『まっくん』って呼ぶ。このまま行けば、芽衣にまで『まっくん』って呼ばれたりするのかな。
いやいや。それは無し、だよな。
手を洗って。ベビーベッドに眠る芽衣を覗く。バンザイをするようにして、頭を横向けにして眠っている。
そうか、今日からお前もココに住むんだな。
台所に入ると、風呂上りらしい濡れ髪にパジャマ姿の由梨が、テーブルでお茶を飲んでいる。
「まっくんも、食べるでしょ?」
「はい、いただきます」
お母さんがコンロの前で鍋をかき混ぜながら、首だけで振り返る。
由梨の入院中、見舞いに行くたびに、『まっくん、ご飯食べてる? お水は?』って尋ねられて。そのフレーズを、すごく久しぶりに聞いたように思った。
結婚以来、由梨がご飯の心配を口に出すことが無かったんだ、って気づいたのが、病室で授乳する姿を見たときだった。
なんだ。そうか。
さっさと結婚して、一緒に暮らせばよかったんだ。そうすれば、由梨の心配事をひとつ減らして、由梨の”柔らかい芯”にかかる負担を減らすことができたのに。
やっぱり俺、音楽しか分かってないな。
そんなことを思い出していた俺に、由梨はいつものように冷蔵庫から出した麦茶をグラスに注いでくれた。
そのグラスを取るついで、みたいな顔をして、彼女の前に滑らせるように一枚のMDを置く。
「何、これ?」
座りなおした由梨が手にとって、不思議そうに眺める。タイトルも何も書いていない。ごくありふれたMD。あ、質にはこだわって、それなりのメディアを使っているけど。
コンロの火を止めて、お母さんまで覗き込みに来る。
う、ちょっと照れくさいかも。
「由梨が子守唄歌えないなら、代わりにならないかなって」
市販のCDって方法もあるんだけどさ。
そっと、由梨の反応を見る。
あ、睨まれた。
「今夜は遅いから、明日聞いてみるけど。今日は仕事じゃなかったわけ?」
「いや、これは、今日録ったんじゃなくって」
誤解だ、誤解。今日は、ちゃんと仕事してた、って。
芽衣が授かった頃から、地道に”準備してきたモノ”。できたのは、雛祭りの頃。
「無事に退院してから渡そうって思ったから。退院おめでとう」
言い逃げ、みたいに炊飯ジャーに向かって、ご飯をよそう。
タイミングよく、芽衣が泣き出して。
MDを片付けようとしていた由梨が、
「はいはい、芽衣ちゃん。起っきしましたかー?」
返事をしながらベビーベッドに向かう。
お母さんが、小さな声で
「まっくん。ありがとう」
と言って、味噌汁をテーブルに置いた。
翌日、午前中にひとつ仕事を終えて。次の仕事まで時間が空いたので、一度帰宅した。
芽衣は、起きているかな? 由梨はMDを聞いてくれたかな?
『玄関の鍵が開く音で目が覚めた』って言いながら、由梨が台所に姿を現した。
パジャマ姿に緩く髪をくくった、しどけない姿でいすに腰を下ろす。
「あの、MD。まっくんが演奏したの?」
「昔、言ったことがあっただろ? そのうち電子オルガン用に編曲して聞かせてやるって」
二つのグラスに麦茶を入れて、ひとつを由梨に渡す。
「あー、言ってたっけ。そういえば」
両手で包むようにグラスを持って、由梨が一口お茶を飲む。
三十分ほど前から、お母さんは夕食の買出しに出ていて、芽衣は寝てるらしい。
「あれ。どうせなら、芽衣の子守唄にできないかなって。せっかく曲が書けるんだから、わが子の子守唄、自前で作りたいよ」
「なるほど」
俺が今までに作ってきた曲のうち、バラードばかりを電子オルガン用に編曲して、練習して。半年、地道に進めてきた。
さすがに、実家の電子オルガンは古くなりすぎていて。RYOを通じて田村さんにお願いして、楽器ごと貸してもらえるスタジオを紹介して貰った。
話を通した関係から、RYOが時々、覗きに来た。由梨みたいに、ペットボトルのお茶を持って。
「MASA、これさ。ステージでやらねぇ?」
「うーん」
金とって、演奏するのが許されるレベル、かなぁ?
「もったいないって。ゆり一人に聞かせるのは」
「一人じゃなくって、子供と二人」
「そりゃ、そうだけど」
「それに。その間、おまえらどうしておくわけ?」
ちょっと、ここの和音。おかしい。コード違ってたっけ?
「休憩ー」
「俺、一人に働かせる気か?」
「子供のオムツ代、働けよ」
「なら、俺の分、ギャラ上げろ」
ムダ口半分、で、楽譜を書き直して。
うん。このほうが、バランスがいい。
ああ、そうか。RYOのパートが省略になった分。かみ合わなかったのか。
そんな風に作り上げたMDの評価は、といえば。
「芽衣に午前中、聞かせてみたら、ご機嫌だった」
「そっか」
よし、合格。
一仕事やり遂げた満足感に浸りながら、お茶を飲む。
バラードって、やっぱり”子守唄”なんだよなって、思ったときに。稲妻のようなインスピレーションが走った。
「あれに、JINの声、か……いける、かな?」
自分が弾いた”子守唄”に、最近のJINの色気をまとった声を乗せてみる。少し、俺のギターのアレンジを変えて……。
”JINの色気”を生かす、方向が見えた。
『今までのバラードを書き直したい』
そんな俺の申し出を、みんなは快く受け入れてくれて。
艶やかなJINの声で録り直されたカバーアルバムは、織音籠に”癒し系”の称号と確固たる立ち位置を与えてくれた。
その一歩、に背中を押されるように。
YUKIにも娘が生まれた。『MASAほどの親バカやない』とか言いながらも、眼に入れても痛くないほどかわいがっている。
RYOは、田村さんと付き合うようになった。『綾、綾』って愛おしそうに呼びながら、撫でて、抱き寄せてって、YUKIと悦子さん以上にイチャイチャしている。
JINは美紗ちゃんと同棲を始めたし、SAKUにも結婚を前提に付き合う彼女ができた。
それぞれに、新たな”何か”が始まろうとしていた。
そして、俺は。
「ただいま」
「お父さん、おかえりー」
玄関を開けた俺に飛びつくように、芽衣が出迎えてくれる。
「お母さんは?」
「ハルくんが、ねんね」
抱き上げた娘の頭を鴨居にぶつけないように、注意しながら部屋に入る。
居間では、由梨がその年の春に生まれた息子の春斗を抱っこして、体を揺らしている。どうやら授乳が終わって、眠りに就こうとしているらしい。由梨の左肩にガーゼのハンカチが乗っている。
俺のほうを見た由梨は、目だけで微笑んで。
由梨の唇から、スキャットの子守唄がこぼれる。
芽衣の子守唄に、と作ったMD。
あれがきっかけになって、由梨に歌が戻った。
由梨の毒にならない曲を作ってやれた。
それなら、と。春斗が産まれる時には、オリジナルの子守唄を作った。俺に歌詞は書けないから、ってメロディーだけ、の。
音楽と出会ってからの、三十年を詰め込んで。
俺の記憶に残る、由梨の歌声を最高に生かせる曲を。
由梨の胸元に顔をこすり付けるようにむずかる春斗と、微笑みながら歌い続ける由梨を眺めながら、芽衣に頬ずりをする。
音楽は、ただ
生け贄を求めるだけでなく。
歌をなくした天使に再び
”母親”としての歌声を与えてくれた。
END.
本編はこれで、終了です。
引き続き、後日談を。