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18/22

支える骨と、形作る血肉と

 俺が倒れて以来、由梨は食事の心配をしてくれていることを周囲に隠さなくなった。JINたちが居ようが頓着せずに、俺と顔を合わせるとまず、

「まっくん、ご飯食べた? 水飲んでる?」 

 って、尋ねながら、五百ミリリットルのペットボトルを差し出してくる。

 JINは、

「なるほど。確かに大切にして貰ってるな」

 って、古い話を引っ張り出してくるし、RYOは生温ーい微笑で眺めているし。

 自分が蒔いた種とはいえ。由梨に惚気られているようで……穴を掘って埋まりたい。



 地道な活動が実って、俺を”束縛”するバイトをしなくっても生活ができるようになった頃。

「そろそろ、えっちゃんと結婚しようかな、って」

 二人で飲んでいる時、YUKIがそんなことを口にした。


「悦子さんは、OKくれたのか?」

「いや、まだ。プロポーズもできてへんけど」

 顔を隠すように俯いて、YUKIがサキイカの袋を開ける。

「結婚、かぁ」

「MASAは、どないするん?」

「うーん」

 結婚、するなら由梨としか考えられないけど、なぁ。俺の収入で、暮らしていけるのか?

「まったく考えてへんの?」

「いや、全くってわけじゃないけど」

 サキイカを指でつまんで。グニャグニャと弄びながら、

「もうちょっと、こう……踏み切るための、きっかけが欲しいっていうか」

「きっかけなぁ」

「YUKIは、何がきっかけだった?」

「震災」

 するっと出てきた言葉に、マジマジとYUKIの顔を見直す。

 YUKIは、至極まじめな顔で

「俺、毎年言うてるやん? 明日が来る保証は無いでって」

 JINのコーラスが入るようになったりと、小さなアレンジはあるものの、あのレクイエムは、一月の恒例になった。

 そしてレクイエムを歌った後、必ずYUKIはMCを入れる。最近では、標準語を使っているけど、内容は初回と変わらず、『後悔しないように。行動しよう』って。   


「えっちゃんと、このままズルズルと関係を続けとって。明日、”何か”が有ったら、俺、絶対後悔する」

「後悔、か」

「うん。だから、一日でも早く、ちゃんと意思表示しとかんと」

 受けてくれるかは、自信ないけど。

 そう苦笑しながら、ビールを空ける。 

 自信が無いといいながらも、YUKIの目には迷いが無かった。

「YUKIは、生活の不安とか無いのか?」

「有るよ。当たり前やん。こんな稼業やし」

 平然と言いながら、サキイカを片手にリズムをとるように、手が動く。

「でも、それを含めてOKしてくれるか、って話やろ?」

「そんなものかなぁ?」

「MASA。ゆりさん、やで? それくらいバーンと受け入れる人と違うか? デビューのときも悩まんと、付き合いを続けてくれたやろ?」

「うーん」

「違うん?」

「俺が何やっても、『まっくんだから、仕方ない』って、許してくれるから。その器の大きさが、逆に怖い」

「何が怖いん?」

「大きい分、溢れたり決壊したりすると、大惨事になりそう。ある日、突然、ザバーってきたら怖いなって」


 変なプレッシャーにつぶされるんじゃないかって。

 音楽が毒になったみたいに。

 泣きながら電話をかけてきたあの夜みたいに。

「そこを決壊せんように守るのが、男と違うん?」

「俺は、お前みたいに”全力で”守ってきてないし。むしろ俺が守ってもらってるかもしれない」 

 『俺の全力、守れる限り』なんて、言い続けてきたYUKIみたいには俺は強くない。



 YUKIとそんなことを話してから、俺の頭の片隅にはずっと”由梨を守る”のは、どういうことかって疑問が張り付いていた。

 

 ふっと空いたような、ちょっとした時間に、由梨との時間を思い返す。

 付き合いだして十年、高校時代を入れるともっと長くなる二人で過ごしてきた時間。 


 最初はほとんど口をきいてくれなくって、何度も睨まれたよな。

 JINたちと音楽をするようになって、一緒に買い食いをしたりして。歌えるJINが、羨ましいって呟いたこともあったな。鼻歌を歌って、抓られたことも。

 初めてのライブで『楽しかった』って言ってくれて。いつか、由梨が歌えるようになればいいなって思ったっけ。

 ああ、そういえば。由梨に『音楽を返してやる』って、口約束をそのまま、なし崩しに忘れてた。これは、ライフワークだな。死ぬまでに俺が奪った”天使の歌”を返してやらないと。

 

 そうやって考えていると、必ず引っかかる場所がある。

 折りに触れ、由梨が言っていた言葉。『音楽は、どれだけの犠牲を求めるのだろう』って。

 俺に求められる犠牲が、由梨の次の”大決壊”だったりしないだろうか。

 そんなことになったら……俺は、お前から今度は何を奪ってしまうことになるんだろう。


 途切れ途切れ、考える。

 風呂に入りながら。

 仕事の合間の移動時間。

 腕の中で眠る由梨の顔を眺めながら。


 三十歳だもんな。来月の誕生日には。

 お前を守る方法か、プロポーズのきっかけを見つけないとな。

 どうしようもない音楽馬鹿だけど。

 俺も男、だ。



 とはいえ。何もつかめないまま、ズルズルと日が過ぎる。


「来月から、外科のチームリーダーをすることになりましたー」

 ご機嫌な声で迎えられたのは、翌年の春。

 休日だった由梨の部屋に仕事の後、飯を食いに行ったときのことだった。

「練習の成果がでたな」 

「練習?」

「忘れたか? 社会人になってすぐに、大泣きしただろう?」

 一人前になる日を発表会に例えて。見習いの間に、しっかり”練習”して、ミスをしないようにって。そんな話をしただろ?

 オーブンから出したグラタンをテーブルに置きながら、うーんって考えて。

 ああ、あれかぁ。って。

 おい。あれだけ大騒ぎをしておいて。

「あの時は、お世話になりました」

 冗談めかして頭を下げる由梨。

「電話、貰ったときは何事かと思った。初めてかけてきた電話がアレって、なかなか無いぞ」

「すみませんねー」

「でもな、あれで”ゆうりちゃん”の弱さが判った気がしたから、まあいいかって思ってる」

「弱さって?」

「お前、気が強いようでいて、芯に柔らかい部分を持っているんだよ」

 その柔らかいところ、守れるようになりたいんだけどな。ってのは、あの日から思っている。

 最近は、俺にその自信がつけば……もしかしたら、きっかけが掴めるんじゃないかとも。

「柔らかい、かなぁ?」

「音楽が体に毒になるくらいには、柔らかいんじゃないか」

「そこ?」

「うん、そこ」

 掬ったグラタンに息を吹きかける。

 向かいで由梨が、納得いかないって顔で首をかしげている。


「それがわかったから、でも無いけど。一生かかってでも由梨の毒にならない曲、作れたらいいなっていうのが、俺のひそかな野望」

「しゃべったら、”密かな”じゃないと思うけど?」

「そうか?」

 じゃぁ、決意表明でもいいけど。

「そうでしょ。誰にも言わないから”密かな”野望じゃない?」

「うーん。由梨は、もう俺の一部だからいいと思うけど」

「勝手に一部にしないでくれる?」

「じゃぁ、全部」

 俺は、音楽と由梨でできてる。

「訳、わかんない」

 いつもの口調で言い返してきた由梨だけど。

 どこか、すねて聞こえた。

 気がした。



 『後悔したくない』って言っていたYUKIは、悦子さんにプロポーズしたものの返事を保留にされ、楽器店の田村さんを追いかけているRYOにも進展がなく。俺自身も相変わらず……って、頃。

 JINに変化が現れた。


 最初に気づいたのが、SAKUだった。

「JINが最近、打ち上げに出ないことがあるだろ? あれさ、どうも常連の女の子と一緒に帰っているみたいだぜ」

「いつも同じ子か?」

 まさか、手当たりしだい……な、わけないよな?

「当たり前だろ」

 って、SAKUにデコピンをされた。くー、痛ぇ。

「ええー? どんな子なん?」

「JINが好きそうな、大人しい感じの子。MASAとか、RYOの方からは見えねぇかも。上手の壁際に、いつも居る子なんだけどよ」

 SAKUの立ち位置が一番、上手側になるので、『ああ、この子か』って気づいたらしい。

「あー、判った。俺もこの前、ファミレスに居るとこ、見たわ。フワフワした髪の、小さい子やんな?」

「そうそう。多分、その子」

 おおーって、盛り上がった俺たち三人に

「あまり、煽るんじゃねぇぞ」

 RYOがくぎを刺す。



 そんな会話からしばらく経ったある日。

 ライブハウスのスタッフとの打ち合わせの関係で、JINとRYOはステージのあと、事務室に立ち寄っていた。俺たち三人が廊下を歩いていたら、廊下に一人の女の子が立っていて、俺たちと目が合うと、すっと会釈をしてきた。

「JIN、やんな? ちょっと遅れるみたいやけど。このまま、待っとくん?」

 YUKIが声をかける。

 ああ、この子が。なるほど。小さくって、大人しそうで。昔、JINが言っていた、『怖がって逃げて行ってしまいそうな子』だな。JIN好みの。

「お邪魔でなければ、待たせていただいてもいいですか?」

 外見からは想像のつかない、はっきりとした声が返る。

「邪魔じゃねぇけど。一人で、大丈夫か?」

 尋ねたSAKUに

「はい」

 短く返事すると、彼女は俯いてしまった。


「みさ!」

 後ろから、JINの声が響く。

 ぱっと彼女の顔が上がって、うれしそうな声で

(ひとし)さん」

 彼女が応える。

 『仁さん』??

「って。そうか。JINって、そんな名前だったか」

 つい、呟いた俺にYUKIが、

「あれ? そうやった?」

 って怪訝な顔をする。

 大またで近づいてきたJINは、

「ごめんな、待たせて」

「いいえ」

「今夜は、時間大丈夫?」

「はい。明日は休みですし」

 彼女がJINを見上げる。目と目を見交わして、ふんわりと微笑む。


 よかったな。JIN。

 ファンとはいえ、おまえを怖がらない子がいて。



 そして。

 由梨の三十一歳の誕生日も過ぎてしまい。秋も深まった頃。

 俺たちがその春に出したアルバムの一曲が、CMに使われることになった。


 夕飯に行く約束で俺と駅で待ち合わせていた由梨は、一緒に来ていたRYOから、その話を聞いた。

「ナイスファイト!」

 とか言いながら、RYOとハイタッチをしている。ついでに横に居たJINとも。人前だって言うのに、こいつら高校の部活のノリのままだな、って見ていると。

「まっくん、すごいね。良かったね」

 くるりと、俺の方を振り返って。『花丸!』って時の笑顔で笑いかけてくる。

 その顔を見て、”何か”がストンと胸に落ちた。


 由梨が犠牲になることがあるなら。俺と結婚しているかどうかなんてことは、きっと関係がない。

 ”生け贄”を、求めている”音楽”にとっては、俺が大切にしているものであればいいのだろうから。

 由梨との関係が”恋人”であれ、”夫婦”であれ。俺にとっての優先順位は音楽と同等。

 

 だったら。

 YUKIの言うように。後悔しない道を、選ぶべきじゃないのかな? 


 

 改めて、自分の中の覚悟を問い直す。

 『由梨の弱さを、俺は守りきれるのか? 音楽以外何一つ分かっていない俺に』

 由梨を俺の人生から切り離すことは考えられない。音楽が俺から切り離せないように。

 由梨は俺を支える骨だから。音楽は俺を形作る血肉だから。


 ああ、そうか。

 骨を守るために、皮があり、肉がある。

 由梨のやわらかい芯ごと、俺の芯にして。音楽って俺の肉でずっと守るよ。


 どちらかなんて、俺は選ばない。どっちも、とってやる。

 そのためなら、他の何もかもを”生け贄”にしてやる。


 残るネックは、経済的な問題だけど。

 今回のCMの仕事で、なんとかなりそうな気もしてきた。




 由梨が、日勤の日。帰宅したころあいを見計らって、電話をかける。

〔もしもし?〕

〔由梨?〕

〔どうしたの?〕

〔今から、そっち行っていいか?〕

〔はぁ? 今から?〕

〔うん〕

〔どうしたのよ。こんな時間に〕

〔着いたら話す〕

 って、もうあと五百メートルほどなんだけど。歩きながら、かけてたから。


 いつものように、ドアチャイムを押して。

 中から、由梨の返事がする。

「どこからかけてたのよ!」

 ドアを開けるなり、叫ばれた。

「うん、そこのコンビニの前」

「そんなに、急ぎの用事なわけ?」

 サンダルを脱いだ由梨のあとから、部屋に上がる。

 由梨は、本当に帰宅したばかりらしくって。髪も仕事仕様にアップになっているし、服装も通勤着のままだった。

 流しに向かってヤカンに水を汲んでいる後ろ姿に、

「由梨、結婚してくれるか?」 

 って言ったら。

 由梨は、そのままの姿勢で動かなくなってしまった。


 あ、ダメ、かな? 


 蛇口が閉められて。由梨が振り向く。

 けど、俯いていて顔が見えない。

「何で、いきなり」

「うん。織音籠、これで何とかやっていける自信が付いた」

「自信なかったんだ」

「俺、一人なら、何とかなるだろうけど。由梨と結婚して、生活を作れるか、不安だったから」

「まっくんの、ばーか」

 鼻が詰まったような声で、言われた。

 プロポーズして、『馬鹿』って……。俺、どうしたらいいんだろ。

「自信、持てないままだったらどうするつもりよ」

「いつかは、って思ってたから、大丈夫」

「大丈夫、じゃないの。分かってる? 子供生むのに、女はリミットがあるのよ!」

 そんなの、あるなんて。思いもしてなかった。

「……遅かった?」

 ひざを曲げるようにして、うつむいたままの由梨の顔を覗き込む。真っ赤な顔で、目が潤んでいた。

 リミットって、いったいいつ? 俺生んだとき、母さんは何歳だった?

「まだ、間に合うけど。でも、でも、”いつまでも”は待てなかったわよ!」

 やっと顔を上げて。両手を握り締めて全身で、叫ぶ。

 待てなかった? って?

「待てずに、どうする気?」

 自分の声のトーンが、半音下がったのが分かった。

「どうしてやろうかしら」

 ”どうする”気だ?


「もっと、甲斐性のある男に乗り換える、とか?」

 無い、よな? そんなこと。無い、よな? 無いって、言ってくれ。

「乗り換えて欲しいわけ?」 

 真っ赤な目で睨みつける由梨。

「そんなわけない。何年かかったか分かってるか。他のやつに譲るわけないだろ」

「何年、って。私のほうこそ、何年、待ったって思ってるのよ」

「……ごめん」

 ポロリ、と、音を立てるように。日本人離れした、由梨の大きな目から涙がこぼれた。

 その涙の一滴も、床に落ちないように。その涙を、俺にしみこませるように。

 抱き寄せる。抱きしめる。

 眼下に、あらわになっている彼女の耳に

 大切な、三音を。

「ゆ・う・り」

 背中に回された手が、シャツをつかんだのが分かった。

「音楽以外、何も判ってない俺だけど。一緒にいてくれるか?」

「まっくんが音楽以外判ってないのは、じゅーぶん知ってる」

 くぐもった声が、抱きしめた胸を通して伝わる。

「夫にするには、やっぱり拙いかな?」

「どこがまずいのよ。世界一の人だわ」

「本当に?」

「ああー、もう。ご飯も食べない音楽馬鹿だけど。私の正しい名前も弱いところも、世界の誰よりも私の全てを知ってるのは、まっくんでしょうが!」

 一息にそう叫んだ後。威勢のよさを拭い去るように、

「一緒にいて欲しいのは、私のほうよ。『ゆうり』って呼んで欲しいのは、まっくんだけだよ」

 って、どこか幼く聞こえる声がつぶやく。

「よかった」

 ほっとしたら、腕から力が抜ける。

 それに合わせるように、由梨が顔を上げた。まだ湿っているその目を、覗き込む。


 互いの顔が近づいて。

 この十年、何度も重ねた唇が触れ合う。


「ご飯も水も睡眠も欲しいと思った事のない俺が、ずっと心の底から欲しかったのは、音楽と由梨。この二つだけだよ」


 一世一代の、告白。

 後にも先にも、もう無いぞ


なのに。由梨の返事はといえば。

「まっくんの、ばーか。生き物としての本能を捧げられても、音楽の神様だっていい迷惑よ」 

 って。  

 そうか。俺、そんなものを、”生け贄”にしてたのか。


 だったら、もう。

 由梨をこの手に掴むことに、躊躇は無い。

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