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16/22

不穏な電話

 卒業記念にと、総合大で特別にライブをさせてもらって。俺たちは無事、大学を卒業した。

 由梨は国家試験の前だからって、卒業ライブは見に来なかったけど。それでいい。由梨の人生最大の優先事項なんだから。情になんか流されなくっていい。


 新入生より一足早く部屋を探して、一人暮らしを始めたのが、卒業とほぼ同時。


 母さんに教えてもらったとおりに、家事をするんだけど。 

 そうか、一日外出してる状態が続いても、三日もすれば埃が積もるんだ。

 そうか、ティッシュや洗剤って、俺が買い足さないと無くなるんだ。

 教えてもらってないこと。俺が今まで二十二年間、母さんの存在を当たり前のように享受していたことを、思い知る。


 五月のデビューまではバイトで生活費を稼ぐ、いわゆるフリーター状態で食いつなぐ。デビューしたからってすぐに売れるわけじゃないのは、十分承知。

 逆に、音楽にどっぷりって状態で新生活を始めなかったのは、良かったかもしれない。

 朝、バイトに行くまでに洗濯と掃除をして、ってなんとなく家事の段取りも分かってきたし、周りから散々心配されていた食事も、バイトの賄いや、バイトとバイトの合間に取るようにすることで、なんとなく、日に三食を摂れていた。



 由梨はといえば、国家試験にも合格して。無事に看護婦としての第一歩を、歩み始めていた。


「ゆりさん、頑張っとう?」

 デビューを目前に控えて、織音籠(オリオンケージ)としての仕事の合間。休憩時間にYUKIがそう、声をかけてきた。

「ああ。卒業から、電話でしか話してないけど。見習いは、しんどいみたいだな」

「ゆりさんもか。えっちゃんも、ちょっと痩せた気がする」

 悦子さんは、市役所に勤めだしたって、言ってたか。

「ゆりさん、デビューの事、なんか言うとった?」

「いや、別に。悦子さんは、何か言ってたのか?」

「このまま、付き合うんかって、ごっつい悩んどる」

 JINやSAKUなんか、あっさり振られたしな、って言いながら、ひざの上で両手で軽くリズムをとるYUKI。 

「女の子にとったら、こんな稼業の男と付き合い続けるのんは、覚悟いるんかな」

「覚悟、な」

「ゆりさん、肝すわっとるし。さっさと覚悟、決めとったんかなぁ」

 由梨は、いったいどんな覚悟をしてるんだろうか。

「おい、そこの二人。そろそろ、移動だってよ」 

 SAKUの呼ぶ声に、軽く返事をしながら席を立つ。

 由梨の覚悟に負けないように。 

 俺たちも、ここから人生の勝負。



 由梨とは一度も会えないまま、今年のゴールデンウィークが終わった。

 俺たちのやろうとしている仕事ってのは、曜日だの祝日だのって関係ないんだって、思い知る。

 由梨のほうも、病人は年中無休って、祝日にも勤務シフトが入っていたらしい。


 そんな、連休明けから数日がたった日の事だった。

 その日は、午後からは”仕事”じゃなく、バイトを夕方までして。そのまま、夕飯を食ってから部屋に帰った。


 玄関の鍵を開けるときから、電話の音が聞こえる気がしていた。

 ドアを開けて、耳に届いた急かすようなベルの音に、心が妙に騒ぐ。

 鍵も握り締めたまま、急いで靴だけを脱いで、受話器に手を伸ばす。


 頼む、切れるな。


〔もしもし?〕

 よし、間に合った。

 通話のつながっている状態に、ひとつ息をつく。

〔ま、っくん……〕

 かすれた様な声が、俺を呼ぶ。

〔由梨、か。どうした?〕

 電話の横に、握ったままのキーホルダーを置いて。

 由梨の返事が、ない。

〔由梨?〕

 しゃくりあげるような声だけが、耳に届く。

 おい。泣いているのか?

〔由梨? どうした。何があった?〕

〔ま……く、ま……ん〕

 俺を呼ぼうとしているらしい音が、何度も何度も繰り返される。

 行かなきゃ。由梨の元へ。

 由梨が呼んでいる。必死で、俺を呼んでいる。

〔お前、部屋、だよな?〕 

 とりあえず一番、居そうな場所をあげてみる。

〔う、ん〕

 辛うじて聞こえた返事。

〔今から行くから、大丈夫。すぐに行くから〕


 受話器を置く前に聞こえた音は、『まっくん、助けて』に聞こえた。



 鍵と財布だけジーンズのポケットにねじ込んで。スニーカーを履く。

 新歓の季節だろう。雄叫びを上げる学生の集団を避けながら、夜道を走る。

 

 くそ。どうして。

 もう少し、由梨の部屋に近いところに、俺は住まなかったんだ。

 くそ。どうして。

 もう少し、早く走れないんだ。由梨のところまで、一息で駆け抜ける事ができない。

 くそ。どうして。

 もう少し、早く帰ってやらなかった。晩飯より由梨のほうが数万倍、俺のエネルギーの源なのに。

 

 どうして、どうして、どうして。


 息を切らして、由梨の部屋の玄関ドアの前に立つ。

 鍵は、かかっている。窓から明かりは見えていた。

 

 チャイムを押す。

 返事が無い。 

 

 もう一度。

 キンコーンって緊張感の無い音に、焦燥感があおられる。

 ここまで来る間にも、何かあったんじゃないだろうか。

 心配で、心配で、気が狂いそうになる。


 ドアを叩こうとして。

 一瞬だけ躊躇した。


 こぶしは、まずい。デビュー直前の今、指、傷めたらまずい。


 右の手のひら。世間で言う、掌底の部分でドアを叩く。

 何度も何度も叩きながら、由梨の名前を呼ぶ。


 鍵の開く音がした。

 

 外開きのドアを、思いっきり引き開ける。


 涙で、ぐちゃぐちゃの顔をした由梨が、目の前に居た。

「大丈、夫、か?」

「なん、で、ま、くん?」

 ぼんやりとした子供みたいな声の由梨を、思わず抱き寄せる。


「あ、たま、いだ、い」

 腕の中で泣き続けていた由梨がポツリと言った。

 『頭、痛い』か? 

 少し腕を緩めて、互いの額をあてる。

「熱は……ないな。泣き過ぎか」

「う、だぶん」

 洟を啜り上げる。手のひらで、目をこする。

 ヒック、ヒックとしゃくりあげる。

「何があった?」

 玄関先で、いつまでも居るもんじゃないなって、靴を脱ぐ。由梨なんて、素足だし。



 部屋に上がると、ベッドに通勤着らしい服が投げてあった。

 ざっと見たところ汚れたりとかは無いらしい。脱ぎ捨ててあるのが、異常と言えば異常だけど。

 電話の受話器が外れたまま、床に転がっている。

 夕食に食べたらしいカレーに汚れた皿がテーブルで乾き始めていた。


 いつも飯を食わせてもらっているテーブルの前に座らせて。

「由梨、タオル借りるぞ」 

 しゃくりあげながら頷くのを見て、いつも彼女がタオルを出してくる引き出しを開ける。

 手前の一枚をとって。

 彼女と向き合って俺も腰を下ろす。

「ほら」

「うん」

 渡したタオルを顔に当てて居る由梨が、まだしゃべれる状態じゃなさそうで。

 もう一度立ち上がって、マグカップに水を入れる。ついでにテーブルに置きっぱなしになっていた皿も、流しに運んで水を張っておく。

「落ち着いたら、何があったか話せるか?」

 タオルを顔に当てたまま、コクンと頷くのを見て。

 落ち着くまで、しばらく待つ。


 時々、しゃくりあげながら、由梨が話すことは、話が行ったり来たり、時々妙なところへ飛んだりと、なかなか理解がしづらかったけど。 

 とにかく、本人がしゃべりつくすまで黙って聞きながら、頭の中で整理する。


 内科病棟に、今年配属になった新人はたった一人。それが今の由梨の立場で、教育担当の先輩に一から仕事を教わる。その未熟な自分が、周りの足手まといになっているように感じて、由梨は苛立って、落ち込んでいるらしい。

 入院患者を預かる病棟勤務ってのは、文字通り人の生き死にに関わっていて。俺たちがイメージする”優しい看護婦さん”では、とても務まらないところらしく、逞しく仕事をこなす先輩たちのバイタリティーに圧倒されて、潰れそうって。 

 先輩たちが偉大すぎて、とても追いつけそうになくってって、日々自信を失いかけているところに、今日、由梨はミスをやらかした。

 院内各所に、伝票を配るってメッセンジャー的な仕事を頼まれた由梨は、『あ、ついでにこれも』みたいな感じで、複数の先輩に一度に仕事を頼まれて。一部の伝票を取りこぼしたまま、詰め所を後にしてしまった。

 気づいた由梨が詰め所に戻ったときに、先輩たちは『仕方ないわよね、あの子じゃ』と、陰口を言っていた。なのに、由梨と顔を合わせたその先輩は、お小言もなくスルーしたらしい。

 気を取り直した由梨が行った先の部署では、由梨の中学時代の親友が働いていて。先輩と仲良く仕事をしている彼女の姿に、『同期のはずなのに、私は出遅れている』って、さらにプレッシャーを感じて。


「帰り道、気がついたら、死ぬことばっかり考えていて」

 おい。やっとなれた、看護婦だろうが。子供の頃からの夢だったんだろうが。

「自分でも、怖くなって」

 助けてくれるのは、まっくんしか思いつかなかった。

 そう、話を締めくくった由梨は、スンスン鼻を鳴らしながら、タオルで目を擦っている。

 よかった。俺を思い出してくれて。自分で、”怖い”って思ってくれて。


 タオルをひざの上において、両手で包み込むように持ったマグカップから水を飲んでいる由梨を眺めながら、さっきの話を思い返す。

 いつかどこかで聞いた話と、何かが重なる気がする。

 

 ああ、あれか。

 同窓会で聞いた、”音楽が体にとって毒になった話”、か。

 

 ”異常”な練習量の俺のようには弾けないと、悔し涙を流し。何年も前からプロとして働いている先輩の足手まといになると、悩んで。ほんの一瞬、垣間見ただけの同期の方が、自分より仕事ができるように思い込む。

 自分より”進んだ”相手と見比べては、”劣っている”自分を許すことができずに落ち込む由梨。

 そして。闇雲にもがいて、傷ついて。挙句に自分の体を損なう。

 

 不器用、だな。

 何もできない俺のことは、あんなに大事にしてくれるのに。『まっくん、音楽馬鹿だから。仕方ないね』って、何でも許してくれるのに。


 思い出話から、一緒に解決の糸口を探そうか。


「あのな。今の由梨は、発表会用の新しい楽譜もらったばっかりの状態なんだと思う」

 乏しい俺の言葉を捜して。由梨は、顔一杯に疑問を浮かべながら、俺の顔を見る。

 まずは、俺との違いから、な。これなら俺にも分かる。

「俺だってさ、発表会用の曲なんて、初見で弾けるわけじゃない。何度も失敗して、練習して弾けるわけだ。それを、ゆうりちゃんは、ぶっつけ本番でやろうとする」

「ごめん、話の筋が見えない」

 『わけ わかんない』って叫ぼうとしない由梨は、何とか俺の話を理解しようと努力してくれている。

「うん。ここからが本筋。まだ、お前、見習いだろ? 失敗しても”仕方ない”んじゃないか?」

 ここに、話を持ってきたかったんだ。俺は。

「でも、”仕方ない”、じゃ、患者さんが死んじゃう」 

「そりゃそうだ。だけどな、今日のミスなんて、どこの新入社員でもやって、どこの先輩も『仕方ないわね、新人だし』で済ませるレベルだろ?」

 そんな程度で、ガミガミ言っているほど、病院て暇じゃないんだろ?

「音楽教室の先生だって、よく言ってたじゃないか。『ゆうりちゃん。先週、渡したばっかりの曲だから、スラスラ弾けなくっても”仕方ない”の。来週、もう少しだけがんばってこようね』って」

「言ってたっけ?」

「覚えてないのか。だから、練習しないんだな」

 悔しそうな顔をしながら、進歩がなかったのはそれか。それで、妙なほうにプレッシャーを自分でかけて、歌えなくなったんだったら、世話がない。

「話、戻すな。誰だってさ、一足飛びに何でも出来るようになるわけじゃなくって、それなりに努力してるわけだろ? 由梨の目に、その努力が見えてるかどうかは別として。その……まきちゃん、だっけ? 友達だってさ、由梨の見てないところで先輩に叱られてるのかもしれないし。先輩たちだって、生まれたときから看護婦してたわけじゃないんだから、先輩の先輩に『仕方ないわね』とか、言われてたかもしれないだろ?」

「そう、か」

 あー、納得。って顔で、俺の顔を見る。

 よし。ひとつ、乗り越えたよな。


 そこから、一人前の看護婦になるのが、発表会の日だとか。俺たちだから通じるような例え話をして。

 落ち着いたらしい由梨が、壁の時計を見上げた。

「ごめんね、まっくん。こんな時間に」

「べーつに。由梨が、頼ってくれただけでもうれしいし」

 『まっくん、助けて』って言われたら、真夜中でも走ってくる。

 電車を使わなきゃ来れない実家じゃないんだから。近所に住んでいるんだから。いつでも、頼ってくれたらいい。

「そう?」

「音楽馬鹿でも役に立てて、良かった」

 真っ赤な目で、俺の言葉に恥ずかしそうに笑う由梨に、ほっと息をついた。

 安心したら、右の掌がジンジンしてきた。

 あー、ちょっと強く叩きすぎたか。

 掌の熱を、散らそうと左の親指で擦る。


「ちょっと。何、その手!?」

「さっき、ドア、叩いたから」

「どんな力で、ぶっ叩いたのよ。掌、真っ赤じゃない」

 ぶっ叩いたって……。まぁ。そうか。最悪、蹴破るか位のことは、頭によぎったし。

「拳で叩いて、指傷めるよりはマシかなって。一応は考えたんだけど。デビュー直前だし」

「デビュー直前の人が、ドア、力任せに叩いたりしません!!」

 叫ぶように言うと、由梨は勢いよく立ち上がって。

 部屋の中を、何かを探すようにグルっと見渡す。

「あーもう。なんで……」

 まとめ髪が少し乱れ気味の頭を、両手でつかむようにしばらく考え込んで。

 さっき俺がタオルを出した引き出しから、新しいタオルを出してくる。

 

 冷凍庫から取り出した氷を、水と一緒に洗面器に入れて。

「痛くない?」

 固く絞った濡れタオルで、右手が包まれる。

「うん。冷たくって気持ちいい」

 熱が出て氷枕をしてもらった時みたいな心地よさに、ため息が漏れる。

「ほんとに、大丈夫?」

「うん。指動くし。右手だから」

 心配そうに覗き込んでくる顔に、右手を動かしてみせる。弦を押さえる左手は使ってないし。筋に異常もなさそう。こうやって冷やしたら、腫れも多分大丈夫。そう言っているのに、由梨は保冷剤を買いに行くと言い出す。

 おい、自分でさっき『こんな時間に』って言ったじゃないか。 

 それに、化粧が涙で溶けて、えらいことになっているってのに。

 そう、指摘すると、

「あ、」

 って。

 『さっき鳴いたカラスが、』って言うけど。もう忘れたのか。

 まあ、いいや。

「忘れるぐらい、元気になったなら、俺も安心」

「心配かけて、ごめんね」

「いいから。ほら、化粧落として来い」

 もう一度絞りなおしたタオルを、俺の手に当てて。由梨が洗面所に、立つ。

 その、後姿を見守りながら思った。


 自分が、”劣っている”ってことが許せない由梨。

 『これが私だもん。仕方ないでしょ』って開き直る強さを持てず、自分を傷つけてしまう由梨。


 そんな由梨の”弱さ”を守る存在で、ありたい。

 守らせて、くれるか?   

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