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黒き薬師と久遠の花  作者: 天岸あおい
終章
70/71

    新たな久遠の花

 確かに、もう一人で生きなくても良いのだから、男装を続ける理由はない。

 しかし子供の頃から男の格好しかやらなかったせいか、女物を身につけることに強い抵抗を感じてしまう。


 よくよく思い返してみれば、隠れ里にいた頃からズボンばかりで、女物は動きづらいからと避けていた。

 そのせいもあってか、女性の姿になるほうが不自然極まりない気がした。


 みなもは視線を反らし、頬を熱くする。


「べ、別に俺は興味ないから、楽しまなくてもいいよ。山で材料を採ったり、薬の調合したりするのに、この姿のほうが楽だしさ」


「じゃあ格好は百歩譲ってそれで良いとしても、未だに自分のことを『俺』って呼ぶのはどうかと思うぞ?」


 珍しく浪司に正論を吐かれてしまい、みなもはたじろぐ。


 格好だけでなく言動も男のものに慣れてしまい、女性のように振舞うことが恥ずかしくてたまらない。

 いつかはそうならなければと思うが、今すぐ自分を変えることが耐えられなかった。


 嫌な汗をかき始めたみなもの横で、レオニードが頷く気配がした。

 ジロリとみなもは隣を睨むと、わずかに唇を尖らせた。


「レオニード……今日の夕食、あの虫を煮込んだスープをご馳走するよ」


「…………すまない」


 そう言うと、レオニードは眉間に皺を寄せて息をつく。

 明らかに不本意そうだが、みなもは気づかないフリをする。

 彼の気持ちも分からなくはないが、もう少しだけ待って欲しかった。

 

 二人のやり取りを見て、浪司が「おいおい」と呆れたような声を出す。


「もう尻に敷かれてんのか。この調子だと、あれこれ理由つけてずっと男の格好を続けそうだぞ。それでも良いのか、レオニード?」


 少し考え込んでから、レオニードは真顔で答えた。


「できれば変わって欲しいとは思うが……最近はこのままのほうが良いような気もしている」


「そいつは意外だな。どうしてだ?」


「男装していても兵士たちに手を出されそうになっていたんだ。そんな人間が女性の格好に戻れば、さらに遠慮が無くなって手に負えなくなりそうだ。……俺が見ていない所で襲われでもしたら――」


 ほぼ同時に二人がみなもを見る。

 真剣な眼差しを向けるレオニードとは対照的に、浪司はどこかおどけたような苦笑を浮かべた。


「あー、確かにその心配はあるな。レオニードにぶん殴られるか、みなもの毒にやられるか……どっちにしても、手を出したヤツの身がボロボロになりそうだ」


 やる訳ないだろと言いかけて、みなもはふと想像する。

 ……想像した自分は、無意識の内にちょっかいを出してきた人間へ、容赦なく毒を使っていた。


 これから久遠の花として生きていこうとしている人間が、守り葉の毒に頼るのはどうかと思う。

 今度レオニードに護身術を教わってみようかな? そんなことを考えてから、みなもは浪司と目を合わせた。


「俺のことは置いておいて……浪司、バルディグの様子はどうだった?」


 話を切り替えると、浪司は腕を組んで唸った。


「もう毒は使われていないが、まだ毒があるフリをして、近隣の国へバルディグに有利な条件で停戦を持ちかけている。したたかなもんだが、これでヴェリシアとの戦争も終わってくれるだろうな」


 ヴェリシアはレオニードの祖国、バルディグはいずみが生き続ける地。

 どちらも争わずに平穏でいられるなら、これほど嬉しいことはない。


 ホッとみなもが胸をなで下ろしていると、浪司が言葉を続けた。


「遠目で見ただけだから断言はできんが、いずみは元気そうだったぞ。元々イヴァン王の寵愛を受けていたし、民衆の人気もある。それに利発さは変わっていないからな。薬や毒の知識を失っても、立派にバルディグの王妃としてやっていけると思うぞ」


「そうか……良かった。離れ離れになってから、姉さんもずっと苦しんできたんだ。これからは幸せになって欲しいな」


 もう自分にできるのは、いずみの幸せを祈ることだけ。

 今も記憶を奪った日のことを思い出すと、胸は痛くなるけれど。


 少し寂しくなってしまい、みなもの視線が下を向く。

 しかし視界の端で、浪司が荷袋を閉じているところが見えたので、咄嗟に顔を上げる。


 浪司は「よっこいしょ」と再び荷袋を背負うと、手をヒラヒラと振った。


「じゃあワシはもう行くぞ」


「早いね、さっき来たばかりじゃないか。もう少しゆっくりすればいいのに」


「実はここから山二つ越えた所にある町で祭りがあるんだ。料理も酒もタダで貰える。早く行かねぇと無くなっちまう」


 相変わらずの食い意地大王っぷりに呆れはするが、浪司の正体を知った今、これがあるから不老不死でも人間で居続けられる気がする。


 引き止め続けるのは悪いな。

 みなもは立ち上がると、「じゃあ、ちょっと待ってて」と言い残して小屋に入る。


 そして小さな皮袋の中に、傷薬と胃薬、銀貨を数枚入れてから外へ出ると、それを浪司に手渡した。


「これ、持ってきてくれた材料の代金。ちょっと色も付けたし、おまけもあるよ」


 浪司は途端に表情を輝かせ、グッと握り拳を作った。


「よっしゃ、これでまたカジノで一勝負できる! ありがとなあ、みなも。またなー!」


 上機嫌に鼻歌を歌いながら、浪司はくるりと背を向け、元来た道を戻っていく。

 その後ろ姿を、みなもは腕を組んでため息をつきながら見送る。


 似たような息が、レオニードからも聞こえてきた。


「……あの調子なら、また近い内にここへ来そうだな」


「……同感だよ。浪司、賭け事はとことん弱いから」


 各々に呟いてから顔を見合わせて苦笑すると、みなもはレオニードの隣に座り直し、作業を再開させる。

 

 浪司の気配が完全に消えると、また小鳥や木々の歌が流れ出す。


 一人で生きていた時は、自分が一人ぼっちなのだと突きつけてくる、寂しい歌だと思っていた。

 けれど隣にレオニードがいると、日々を喜んでいる歌に聞こえてくる。


 みなもは泡吹き草を手放し、レオニードの横顔を見つめる。


(これからずっと一緒に歩いていきたいな。年を取って、お互いが薬師として動けなくなった後も――)


「みなも、どうかしたのか?」


 不意にレオニードがこちらに顔を向ける。

 急な動きに驚いてしまい、みなもの鼓動が大きく跳ねた。顔が間近になると、照れくさくて落ち着かない。

 でも目を逸らすのはもったいなくて、彼の瞳を覗き込む。

 

 澄んだ水色の瞳。

 昔、憎んでいたこの瞳の色が、今は一番好きだ。


 みなもは穏やかに微笑むと、体を傾けて首を伸ばす。

 そして軽く唇を重ね、すぐに離れた。


「そういえば、俺からはまだ言ってなかったね……レオニード、愛してるよ」


 言われるのは恥ずかしいが、自分で言うとさらに恥ずかしさが増す。

 頬が熱くなっていくのを感じていると――。


 ――レオニードの手が、みなもの髪を撫でた。


「俺も愛している……これからもずっと一緒にいさせて欲しい」


 自分なんかにはもったいない、でも一番欲しかった言葉。

 頬を指で掻きながら、みなもは「うん」と小さく頷いた。


 こちらの頬へ、レオニードがそっと手を添えて口付ける。

 羞恥の熱とは違う温かいものが、彼の口を伝ってみなもの胸を満たしていった。




 森の奥からそよ風が吹き、二人を労るように柔らかく撫でてくる。

 冷たい風に混じって、甘い花の香が届いた。


 未だに残っていた冬の気配が、ようやく溶けて消えていくのを感じた。

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