新たな久遠の花
確かに、もう一人で生きなくても良いのだから、男装を続ける理由はない。
しかし子供の頃から男の格好しかやらなかったせいか、女物を身につけることに強い抵抗を感じてしまう。
よくよく思い返してみれば、隠れ里にいた頃からズボンばかりで、女物は動きづらいからと避けていた。
そのせいもあってか、女性の姿になるほうが不自然極まりない気がした。
みなもは視線を反らし、頬を熱くする。
「べ、別に俺は興味ないから、楽しまなくてもいいよ。山で材料を採ったり、薬の調合したりするのに、この姿のほうが楽だしさ」
「じゃあ格好は百歩譲ってそれで良いとしても、未だに自分のことを『俺』って呼ぶのはどうかと思うぞ?」
珍しく浪司に正論を吐かれてしまい、みなもはたじろぐ。
格好だけでなく言動も男のものに慣れてしまい、女性のように振舞うことが恥ずかしくてたまらない。
いつかはそうならなければと思うが、今すぐ自分を変えることが耐えられなかった。
嫌な汗をかき始めたみなもの横で、レオニードが頷く気配がした。
ジロリとみなもは隣を睨むと、わずかに唇を尖らせた。
「レオニード……今日の夕食、あの虫を煮込んだスープをご馳走するよ」
「…………すまない」
そう言うと、レオニードは眉間に皺を寄せて息をつく。
明らかに不本意そうだが、みなもは気づかないフリをする。
彼の気持ちも分からなくはないが、もう少しだけ待って欲しかった。
二人のやり取りを見て、浪司が「おいおい」と呆れたような声を出す。
「もう尻に敷かれてんのか。この調子だと、あれこれ理由つけてずっと男の格好を続けそうだぞ。それでも良いのか、レオニード?」
少し考え込んでから、レオニードは真顔で答えた。
「できれば変わって欲しいとは思うが……最近はこのままのほうが良いような気もしている」
「そいつは意外だな。どうしてだ?」
「男装していても兵士たちに手を出されそうになっていたんだ。そんな人間が女性の格好に戻れば、さらに遠慮が無くなって手に負えなくなりそうだ。……俺が見ていない所で襲われでもしたら――」
ほぼ同時に二人がみなもを見る。
真剣な眼差しを向けるレオニードとは対照的に、浪司はどこかおどけたような苦笑を浮かべた。
「あー、確かにその心配はあるな。レオニードにぶん殴られるか、みなもの毒にやられるか……どっちにしても、手を出したヤツの身がボロボロになりそうだ」
やる訳ないだろと言いかけて、みなもはふと想像する。
……想像した自分は、無意識の内にちょっかいを出してきた人間へ、容赦なく毒を使っていた。
これから久遠の花として生きていこうとしている人間が、守り葉の毒に頼るのはどうかと思う。
今度レオニードに護身術を教わってみようかな? そんなことを考えてから、みなもは浪司と目を合わせた。
「俺のことは置いておいて……浪司、バルディグの様子はどうだった?」
話を切り替えると、浪司は腕を組んで唸った。
「もう毒は使われていないが、まだ毒があるフリをして、近隣の国へバルディグに有利な条件で停戦を持ちかけている。したたかなもんだが、これでヴェリシアとの戦争も終わってくれるだろうな」
ヴェリシアはレオニードの祖国、バルディグはいずみが生き続ける地。
どちらも争わずに平穏でいられるなら、これほど嬉しいことはない。
ホッとみなもが胸をなで下ろしていると、浪司が言葉を続けた。
「遠目で見ただけだから断言はできんが、いずみは元気そうだったぞ。元々イヴァン王の寵愛を受けていたし、民衆の人気もある。それに利発さは変わっていないからな。薬や毒の知識を失っても、立派にバルディグの王妃としてやっていけると思うぞ」
「そうか……良かった。離れ離れになってから、姉さんもずっと苦しんできたんだ。これからは幸せになって欲しいな」
もう自分にできるのは、いずみの幸せを祈ることだけ。
今も記憶を奪った日のことを思い出すと、胸は痛くなるけれど。
少し寂しくなってしまい、みなもの視線が下を向く。
しかし視界の端で、浪司が荷袋を閉じているところが見えたので、咄嗟に顔を上げる。
浪司は「よっこいしょ」と再び荷袋を背負うと、手をヒラヒラと振った。
「じゃあワシはもう行くぞ」
「早いね、さっき来たばかりじゃないか。もう少しゆっくりすればいいのに」
「実はここから山二つ越えた所にある町で祭りがあるんだ。料理も酒もタダで貰える。早く行かねぇと無くなっちまう」
相変わらずの食い意地大王っぷりに呆れはするが、浪司の正体を知った今、これがあるから不老不死でも人間で居続けられる気がする。
引き止め続けるのは悪いな。
みなもは立ち上がると、「じゃあ、ちょっと待ってて」と言い残して小屋に入る。
そして小さな皮袋の中に、傷薬と胃薬、銀貨を数枚入れてから外へ出ると、それを浪司に手渡した。
「これ、持ってきてくれた材料の代金。ちょっと色も付けたし、おまけもあるよ」
浪司は途端に表情を輝かせ、グッと握り拳を作った。
「よっしゃ、これでまたカジノで一勝負できる! ありがとなあ、みなも。またなー!」
上機嫌に鼻歌を歌いながら、浪司はくるりと背を向け、元来た道を戻っていく。
その後ろ姿を、みなもは腕を組んでため息をつきながら見送る。
似たような息が、レオニードからも聞こえてきた。
「……あの調子なら、また近い内にここへ来そうだな」
「……同感だよ。浪司、賭け事はとことん弱いから」
各々に呟いてから顔を見合わせて苦笑すると、みなもはレオニードの隣に座り直し、作業を再開させる。
浪司の気配が完全に消えると、また小鳥や木々の歌が流れ出す。
一人で生きていた時は、自分が一人ぼっちなのだと突きつけてくる、寂しい歌だと思っていた。
けれど隣にレオニードがいると、日々を喜んでいる歌に聞こえてくる。
みなもは泡吹き草を手放し、レオニードの横顔を見つめる。
(これからずっと一緒に歩いていきたいな。年を取って、お互いが薬師として動けなくなった後も――)
「みなも、どうかしたのか?」
不意にレオニードがこちらに顔を向ける。
急な動きに驚いてしまい、みなもの鼓動が大きく跳ねた。顔が間近になると、照れくさくて落ち着かない。
でも目を逸らすのはもったいなくて、彼の瞳を覗き込む。
澄んだ水色の瞳。
昔、憎んでいたこの瞳の色が、今は一番好きだ。
みなもは穏やかに微笑むと、体を傾けて首を伸ばす。
そして軽く唇を重ね、すぐに離れた。
「そういえば、俺からはまだ言ってなかったね……レオニード、愛してるよ」
言われるのは恥ずかしいが、自分で言うとさらに恥ずかしさが増す。
頬が熱くなっていくのを感じていると――。
――レオニードの手が、みなもの髪を撫でた。
「俺も愛している……これからもずっと一緒にいさせて欲しい」
自分なんかにはもったいない、でも一番欲しかった言葉。
頬を指で掻きながら、みなもは「うん」と小さく頷いた。
こちらの頬へ、レオニードがそっと手を添えて口付ける。
羞恥の熱とは違う温かいものが、彼の口を伝ってみなもの胸を満たしていった。
森の奥からそよ風が吹き、二人を労るように柔らかく撫でてくる。
冷たい風に混じって、甘い花の香が届いた。
未だに残っていた冬の気配が、ようやく溶けて消えていくのを感じた。